表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/410

風の止む都へ(後編)


前書き(ニーヤ視点)


我が主人たちが柱都から帰ってきた翌日、

赤衣の写官キリア殿が、ふっと姿を消したニャ。


段と箱と“第三の糸”のあいだで揺れる職人は、

世界の蝶番みたいな存在ニャ。


その蝶番が外されかけたとき、

我が主人と家の者たちが、ちょいと紙焼き窯まで迎えに行った話――

猫の目線で、少しだけ語っておくニャ。



(主人公・相良ユウキ=“綴”の視点)


さざめく報せ


翌朝、塔の階段を駆け下りてくる足音。カイが紙束を抱え、息を切らしている。後ろに塔の少女。二人の顔に、いつもの“仕事の焦り”ではない別の緊張。


「キリアが――写官のキリアが、行方をくらました」


カイの言葉が、塔の布をひやりとさせる。祈堂の職人。炉を壊さず、家を生かすと笑った女が、消えた。


「段主代理の命じゃないんか?」


よっしーが眉を跳ね上げる。塔の少女が首を振る。


「赤の中でも、意見が割れてる。『ほどき』を『裏切り』と呼ぶ派と、『必要な按摩あんま』と呼ぶ派。その狭間で、第三の糸が、誰かの足を掬う」


「第三の糸……」


エレオノーラが矢羽根を撫でる。クリフさんは弓の握りを確かめる。ニーヤは帽子の鈴をそっと押さえ、爪を一度だけ鳴らした。


「我が主人、“職人”は、家と箱のあいだに座る者ニャ。ここが抜けると、蝶番が落ちるニャ」


「ああ。だからこそ、黴はそこを喰おうとする」


俺は旗の裾を握った。布目は、今日も整っている。


「行く」


言ったのは俺ではなく、あーさんだった。明治の乙女の瞳に、静かな炎。


「キリア殿は、炉を守る職人にござります。職人は、家の中にも外にもおりませぬ。どちらにも属さぬ者の“橋”を外されれば、家も箱も崩れましょう」


「せやな。職人が折れたら、世界は音を失う」


よっしーがうなずく。ニーヤは「鈴は、職人の指でいちばん上手に鳴るニャ」と呟き、エレオノーラは「借りを返す」と弦を撫でた。クリフさんは短く「恩」と言い、背負い革をきゅっと締める。


「場所は」


カイが紙を広げる。核都の外、砂丘の陰、古い“紙焼きかみやきがま”。工匠が紙を硬くするために火と塩で焼きを入れる施設。今は使われていない。そこに“赤の影”が出入りしているという噂。……影は赤くない。黒くもない。乾いて、薄い色。


「柱都の“風のない拍子”を、まだ身体が覚えているうちに」


俺は旗を肩に回し、相棒のボンネットに手を置いた。


「今日は短期決戦で頼むで。我が主人」


「分かってる。“非致死・ほどほど”、忘れてない」


「鐘も鳴らさぬニャ。ここで騒いだら核都全体が起きるニャ」


平成元年の鉄は、今日も歌う。家の歌を、低く、しぶとく。



紙焼き窯にて


窯は砂丘の腹の中にあった。入口は低く、天井は低く、風はもちろん、ない。火の匂いはする。けれど、煙の匂いはしない。昔の火の残り香だけが、壁に薄く残っている。床には踏み跡。軽い足。重い足。引きずる足。……そして、運ばれる足。


「中ほどに、耳の“堰”」


ニーヤが囁く。鈴は鳴らさない。あーさんが掌の水で耳の“角”を丸くし、俺は旗の布で“黙詩”を押し込む。


「鍵穴じゃなく、耳の蝶番へ、ですわね」


「うん。かんぬきだけ、そっとずらす」


よっしーは相棒を入口の陰に隠し、エレオノーラとクリフさんは両脇の陰へ滑る。灰衣が小石を足で押し、拍子をずらす。


「こういう窯は、一度火を入れると、その癖がずっと残る。……嫌な場所だ」


クリフさんの呟きに、エレオノーラが短く頷く。


窯の奥に、赤の裾が見えた。……赤ではない。赤の布を粗く縫い合わせた“偽の裾”。細い体。早い呼吸。――キリアだ。手は縛られていない。けれど、喉に細い紅の符。箱の民に貼られるものとは違う。“段の沈黙符”。彼女は職人。段は“職人の声”を怖れる。


「……来たのね」


キリアの唇が、声にならない声で言った。俺は旗で彼女の目の合図に答える。段主代理の影は――ない。かわりに、天井に黒い継ぎ目。第三の糸が窯の“目”に根を張って、紅の符に触れようとしている。


「符を剥がす。黴に喰わせない」


俺は旗の裾を紅の符の縁に滑り込ませ、布の“温度”を一点に押し当てた。


「我が主人、手早くニャ。あれ、声を箱に仕舞う札ニャ」


あーさんが掌の水を一滴、符の角に置き、ニーヤが風で黒い継ぎ目の“食べどころ”を撫でる。エレオノーラは矢で天井の黒糸を“節”で打ち、クリフさんは足音を窯の外へ“運ぶ”。よっしーはラジオを逆相にして、窯の“耳”を眠らせる。


紅の符が、ふ、と剥がれた。キリアの喉が動き、声が戻る。


「……ありがとう。――でも、まだ」


彼女の目が奥を見た。窯の底、焼き床の向こうに、薄い影。黒い外套の男。第三の糸の布教者。彼は笑っていない。泣いてもいない。乾いている。


「職人は、邪魔だ」


彼は言う。「段にとっても、箱にとっても。君たちは“ほどく”。ほどかれたものは、管理しにくい」


「管理しやすいものだけを残すのは、墓でやってくれ」


よっしーが吐き捨てる。男は首をすこし傾けた。


「墓は、管理が楽だ」


「生きてる間に墓を作る趣味はない」


俺は旗を握り、布目を開く。キリアが炉のダイヤルに触れるように、窯の壁の“熱の記憶”に指を当てた。職人の指は、世界の“癖”を見つける。彼女は目を細め、囁く。


「この窯、息をしてる。昔の火で」


「息を使う」


あーさんが頷く。掌の水を壁に薄く広げ、乾く拍子で窯の“呼吸”を呼び覚ます。


「我が主人、ここは“火の蝶番”ニャ。うまく撓めるニャ」


ニーヤが風の筋を一本だけ通し、エレオノーラが矢で“拍”を打ち、クリフさんが足で“間”を置く。よっしーは相棒のキーを一度だけ“カチ”と鳴らした。窯の奥の空気が、すこしだけ膨らむ。


黒い外套の男の目が、わずかに細くなった。乾き黴は、息を嫌う。塩柱で見たとおり。窯の息が戻れば、黒い継ぎ目は“食べどころ”を見失う。


「――退く」


男は淡々と言い、背を向けた。追えば、罠。追わなければ、去る。俺たちは追わない。


「追わなくていいんですか?」


エレオノーラの問いに、クリフさんが首を振る。


「今追えば、窯ごと“墓”にされる。――あいつは“効率”で動く。ここでは、逃がすほうが非効率だ」


「つまり、放っとくのが一番の嫌がらせってことですね」


よっしーが口の端を上げる。男の背中は振り向かない。第三の糸は、窯の息を嫌って、穴の暗がりに溶けていった。


職人を連れ、窯の息を少し残し、結び目を置き、塔への道を戻る。



名を書け


塔に戻る道、砂の上。風は少しだけ戻っていた。柱都でほどいた“半拍”が、遠くまで伝わっているのかもしれない。相棒は軽く歌い、旗は軽く鳴る。家の拍子は、今日も正しく、少しだけ遅い。


「段は怒ってる。『ほどき』は“秩序”を乱すから。――でも、炉は回ってる。怒ってても回すのが、段の矛盾」


キリアは喉に残った赤の痕を指で撫で、短く笑った。


「矛盾を泳ぐのが、職人の仕事や」


よっしーが言って、キリアが頷いた。彼女は俺の旗の裾に視線を落とし、小さく目を見開く。


「“四頁”。……読んだ?」


「読んだ。『ほどいた跡に、名を書け』」


「書いた?」


まだ、だ。俺は旗の裾から針を抜き、砂の上に膝をついた。あーさんが掌の水を差し出す。ニーヤが風で砂の“目”を揃える。エレオノーラとクリフさんは背を向け、見張りの音を遠くへ追いやる。よっしーは相棒のボンネットに腰かけ、空を見上げる。キリアは少し離れて、職人の目で、俺の手元を見ている。


「鐘は鳴らさぬニャ。……代わりに、砂を鳴らすニャ」


「うん。ここでいい」


俺は、砂の上に、塩柱の童の名を書いた。


――セラ。


そして、柱都で足で笑った灰衣に、名を尋ねるように、砂を打った。灰衣は足で答え、俺はそれを砂に書いた。


――ウラ。


ルゥとダンの名も、小さく。塔の梁の旗の切れ端に結んだ工匠の祈りの名も、小さく。書いて、吹いて、砂を少しだけ固める。雨が降れば消える。風が吹けば消える。けれど、今日の風は優しい。家の風は、名前を一日ぶん、守ってくれる。


「ありがとう」


キリアが言った。職人の礼は、短くて、重い。


「我が主人、名前は“鈴”ニャ。一度鳴らしてやれば、あとはその者の中で転がるニャ」


「そうだな。……転がり続けてくれればいい」



明日の綴り


夜。塔の蔵の火が小さくなり、みんなが眠りはじめたころ、旗の裾がほんのすこしだけ重くなった。手を伸ばすと、紙は落ちない。代わりに、布目が一つ、増えている。音は出ない。けれど、布が“嬉しい”ときの手触りがある。


「エス」


呼んでも、返事はない。柱都の影で、彼はまだ橋の上に立っているのだろう。段と家と箱のあいだで、刺繍の糸を一本ずつ抜いたり足したりしているのだろう。困って、笑って、困っているだろう。


「ユウキさん」


背中から、あーさんの声。眠りに落ちるまえの、柔らかい声。


「柱都で、呼び習いをなさったとき……ユウキさんの手は、たいそう温うございました」


「怖かったから」


「わたくしも、怖うございました。……けれど、その怖さが、歌を覚えさせてくれるのだと、今は思えます」


「うん」


「明日も、歌いませう」


「歌う」


「――はい」


小さな拍子が、ふたりの間で三度、行き来した。

ニーヤが焚き火のそばで丸くなりながら、片耳だけぴくりと動かす。


「……家の歌は、よう眠れるニャ」


火がぱちりと鳴り、塔の外の風が、ほんの少しだけ強くなった。柱都へ向かう前よりも、風は確かに、通っている。半拍。半拍ずつで、十分だ。


家で眠る。

明日、また行く。

“ほどく”ために。

“書く”ために。

“呼ぶ”ために。


――


(つづく)


■後編あとがき+用語ミニ辞典


あとがき(後編)


後編では、柱都ミッションの「余波」として

•赤衣写官キリアの失踪

•古い紙焼き窯に仕掛けられた“第三の糸”の罠

•段の沈黙符をはがして職人を取り戻す

•「ほどいた跡に名を書く」=第四頁の実践


という、“戦いの後始末パート”を描いています。


ここでは特に、

•職人=家と箱のあいだの蝶番

•名前を書く行為=ほどきの最後の一手


をはっきり言語化していて、

次以降の「第三の糸 vs 家」の戦い方の型をつくる回、という位置づけです。


あとは、

•ユウキ&あーさんの距離がまた一歩だけ近くなる

•ニーヤが「名前=鈴」という良いことを言う

•よっしーがいつもどおり“管理社会ディスり担当”


と、空気を少し柔らかく戻す役目も持たせてあります。



用語ミニ辞典(後編)


◆紙焼きかみやきがま

工匠が

•紙に“焼き”を入れて硬くしたり

•塩や火で性質を変えたり

するときに使う窯。


今は使われていないが、

•壁や床に「昔の火の癖」が残っており

•キリアのような職人は、その“残り火の呼吸”を感じ取れる


今回、第三の糸はここに

•キリアの沈黙符を結びつける

•黴の根を張る

ことで、「職人の声ごと焼却」しようとしていました。



◆段の沈黙符

•喉や胸に貼りつける、段側の封印符。

•箱の民に貼る番号札とは別系統。


効果としては

•声=職人としての“現場の言葉”を奪い

•命令だけ受信させる


という、**“職人を一時的に機械化する札”**のようなものです。

ユウキの旗+あーさんの水+ニーヤの風で、

「喉を喰われる前に」剥がすことに成功しています。



◆窯の息 / 熱の記憶

紙焼き窯や炉など、

•一度長く火を焚いた場所には

•火そのものが消えても、「温度の癖」だけが残る


これを、キリアのような職人は

**“窯が息をしている”**と捉えます。


今回は、

•壁に水を薄く伸ばす

•乾くリズムを拾う

ことで、その「息」を少しだけ呼び覚まし、

第三の糸の居心地を悪くして追い払う、という使い方をしています。



◆職人(この文脈での意味)

「炉を回しつつ、世界の矛盾を泳ぐ人々」。

•赤衣でも黒印でも、“どちらの完全な味方でもない”

•仕事の手触りや癖から、世界のバランスを感じ取る

•矛盾を承知で、それでも回し続ける


キリアは、


「炉を壊さず、家を生かす。それが、わたしの仕事」

と語ることで、

**“家と箱の中間に座る蝶番役”**であることを示しています。



◆耳のみみのせき

「音のダム」。

•通った者の音・詩・会話をすべて“耳石”に溜め、

•写音炉へ送る


柱都や紙焼き窯の出入口付近に設置されており、

ユウキたちは

•あーさんの詩

•黙詩

•鈴を鳴らさない工夫


で、“一拍だけためらわせる”→その隙に通る、という使い方をしています。



◆呼び習い(よびならい)

あーさんが中心になって教えている、

•奪われかけた“名”を呼び戻すための小さな儀式。


手順のイメージ:

1.相手のこめかみに軽く指や掌を当てる

2.息を合わせる

3.水の糸を一本だけ渡す

4.相手の口から出てくる“最初の音”を待つ

5.促し過ぎず、急がせず、名を一緒に「呼び習う」


柱童セラ/ルゥ&ダン/今回の柱都でのペア練習など、

**“名前=橋をかけ直す技”**として繰り返し登場しています。



◆第四頁「ほどいた跡に、名を書け。」

E・Sから落ちてきた指針の一つ。

•ほどきっぱなしにせず

•「誰のためにほどいたのか」を

•名を書くことで場所に刻んでおく


という、“ほどき綴じの仕上げ”を教える一文です。


今回ユウキは

•セラ

•柱番の灰衣=ウラ

•ルゥ&ダン

•工匠の祈り主


といった名前を砂に書いて固めることで、


「ここで、いったんあなたたちのために世界を少し動かした」


という印を、砂と風に預けています。



◆「名前=鈴」(ニーヤの比喩)


「我が主人、名前は“鈴”ニャ。一度鳴らしてやれば、あとはその者の中で転がるニャ」


という、猫らしからぬ(?)名言。

•一度「名」で呼ばれた記憶は

•その人の内側でいつまでも鳴り続ける


というイメージの比喩で、

ユウキたちのやっている“呼び習い”と、

「ほどいた跡に名を書く」第四頁の思想を、

ニーヤ流に一行でまとめたものです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ