核都(かくと)ラドーン:第三の糸 【前編】
前書き(よっしー視点)
まいど!、よっしーやで。
塔から出てきたと思ったら、今度は紙を喰ってくる“黴”が敵とか、もうツッコミ待ちやろ?
名前を奪って番号で呼ぶって……効率はええんかもしれへんけど、そんなん家ちゃうやん。
今回は相棒と一緒に、砂漠と核都をドライブしてきたで。
ベーコン焼いたり、紙の道を猫踏みで走ったり、えらい忙しかったけど、
“家を守る綴じ”ってやつ、ワイらの肌にはだいぶ馴染んできたわ。
ほな、「鍵穴じゃなく蝶番へ」「非致死・ほどほど」精神で、
ちょいと核都の中枢に意見しに行った話、読んでってな!
(主人公・相良ユウキ=“綴” の視点)
夜明けの砂は、冷んやりとして気持ちがいい。塔の蔵の前で、俺たちは黙って風を聞いていた。布の鳴りを小さく一度。家の拍子が整う。昨夜に垣間見た“第三の糸”――紙を喰う黴の継ぎ目は、風が吹くたび、砂の下へと潜っていく。塔の少女から渡された“紙止めの粉”の袋は、あーさんの小袋に。彼女の細い指が、確かに握っているのが視界の端でわかった。
「朝飯にしよか。腹減ったら、ええ綴じもできへん」
よっしーが虚空庫から取り出したのは、缶詰と分厚い食パン、そして――カリカリに焼いたベーコン。相棒のボンネットの上に鉄板を敷き、じゅう、と音が立つ。
「懐かしい匂いだな」
クリフさんが笑い、エレオノーラがほんの少しだけ口元を緩める。ニーヤは鼻をぴくぴくさせながら、
「脂は鈴に跳ねるから遠慮するニャ」
と言いつつも、結局ひと切れもらって尻尾が真上。ブラックはいつも通り、俺の膝で香箱になり、目だけがベーコンを追う。
朝食を終えると、塔の蔵の扉が軋んで開いた。カイが紙束を抱えて出てくる。
「“核都”の裏手に、もうひとつの入口がある。工匠たちは“反響井戸”と呼んでる。声が落ちると十倍になって返ってくる古い井戸穴。底は写音炉に繋がっているらしいけど……今は塞がれてる」
「塞がれた壁を“ほどく”のが、旗の仕事だろ?」
俺が言うと、カイは少しだけ微笑んだ。
「……ただ、あそこは“第三の糸”がうろつく。塔の粉だけじゃ心許ない。案内人を立てる。――ルゥ!」
奥から駆けてきたのは、灰色の工服の小柄な少女だった。年の頃は、十を少し超えたくらい。首元に残る薄い紅の痕。“箱の民”の紅符の名残だろう。それでも瞳は芯が強い。耳の上に、紙で編んだ小さな飾りが留めてある。ひらりと揺れた。
「ルゥです。反響井戸の下で働いていました。耳が……ちょっと、いいんです」
「よろしく。俺はユウキ、こっちはよっしー、エレオノーラ、クリフさん、ニーヤ、ブラック……それから、あーさん」
いつものように呼ぶと、あーさんが小さく頷き、裾を揃えてルゥに会釈した。ルゥは目を丸くし、そのあと、ふっと花のように笑う。
「“あーさん”。やさしい音」
そのひと言に、あーさんの頬が紅に染まる。明治の乙女の柔らかさが、ひとつ場を明るくした。
「行こか。相棒も、耳を澄ます準備しとくわ」
よっしーがキーをひらりと指で回し、相棒のボンネットを軽くノックする。昭和の鉄は、今日も機嫌がいい。
⸻
反響井戸
塔から北へ半刻。砂丘の間にぽっかりと口を開けた洞が現れた。近づくほどに、喉の奥が変にざわつく。“空気の重なり”が耳の中で鳴る。ルゥが足元の石を拾い、井戸の外縁からそっと落とした。
――からん。
――――からん。
――――――――から、から、からん。
反響が折り重なり、音の輪郭が増殖する。俺は旗を握り、布の目を一目ずつ撫でて“過剰な反射”を和らげた。紙針の先で、井戸の内側に縫われた薄い祈り札の境目を確かめる。古い。塔の紋ではない。工匠たちが“段”の型紙を真似て貼り、音の逃げ道をせき止めた痕跡。
「塞がってる“蓋”は、三重。外は工匠の札、中は赤衣の段。いちばん奥は……“黴の膜”」
ルゥの声は小さいが、はっきりしている。耳が本当にいいのだ。エレオノーラが矢尻で井戸の内側を軽く叩き、クリフさんが“響きの遅れ”を測る。ニーヤは杖の先で空気の脈動を探り、あーさんは紙止めの粉の袋を握り直した。
「順にほどく。外から内へ。戻る道は、必ず残す」
俺は旗の布を井戸の内側にふわりと触れさせ、〈囁き手〉を薄く通す。布が鳴らず、空気の“裏側”だけが震えるように。祈り札の一枚が、ふっと眠り、剥がれた。続けて二枚、三枚。やがて外側の“蓋”が外れ、井戸の奥から冷たい気配が吹き上がる。
第二層――赤衣の段。文字の骨が細かく刻まれていて、触るだけで“命令文が脳に刺さる”。家の詩で慣らした胸が一瞬、硬くなった。ダメだ。これは“言葉の罠”だ。
「あーさん」
俺が呼ぶと、彼女はもう動いていた。水の薄膜を指にまとわせ、段の文字の“角”を一つずつ丸めていく。丸い水が、角張った命令を“ためらわせる”。命令がためらえば、段は弱い。よっしーが相棒のオーディオから古いラジオの砂嵐ノイズを小さく流し、ニーヤが布越しに鈴を一度だけ鳴らした。段の拍子が乱れ、二層目の“蓋”がほどける。
最後の層――黴の膜。黒くて、光を吸い、匂いは土と紙と、わずかな鉄。塔の少女の粉を、あーさんが小さな刷毛で“結び目の上だけ”塗っていく。粉は膜を避け、紙に馴染む。黴は結び目に取りつけず、膜の縁をぐるぐる回る。そこへニーヤの〈風縫い〉を“点”で落とす。風の針は黴の中心を嫌う。その嫌悪の“孔”を、紙針で糸一本ぶん、少しだけ広げた。
「開いた」
ルゥの囁き。井戸の奥から、湿った涼風が吹き上がる。音はさっきより澄んでいる。――降りよう。
「相棒は、外で待機や。落石したらシャレにならん」
よっしーの言葉に、相棒はヘッドライトを二度瞬いた(ように見えた)。ロープを結び、矢筒を背負い、旗を肩に、俺たちは交代で井戸を降りる。ルゥは一番軽い。彼女の耳が道を選ぶ。
井戸の底は狭いが、四方に細い横穴が開いていた。風は右から。水は左から。黴の匂いは……前から。俺は前を選ぶ。逃げるなら、真っ直ぐ。追うなら、匂いの元へ。
⸻
黴の工房
横穴の先は、想像よりも広かった。天井の梁に黒い糸が絡みつき、床のあちこちに紙束が積まれ、その間を、灰色の影が音もなく動いている。人だ。顔に薄布。胸に番号。――箱の民。彼らは黙々と“紙を濡らし、黒い液を刷り込み、干す”。
黒い液は、黴の胞子をすり潰して作ったインクのようなもの。紙に刷り込めば、塔の札や旗の布の“継ぎ目”に忍び込み、内側からほどく。
「“黴印工房”……」
エレオノーラが矢の羽根を撫でながら呟く。ルゥの肩が強ばる。彼女はここで働かされていたのかもしれない。あーさんがそっと彼女の背に掌を当て、息を合わせる。
奥で、黒い外套の男が背を向けたまま喋った。声は乾いて、皮肉が混じる。
「塔の粉は、腹の腸までは届かない。届かないうちに、内側から喰えばいい」
袖の縫い目に黒い糸――渦都で釘を投げた影だ。赤衣でも黒印でもない、“第三の糸”。黴の布教者。名札はない。あるのは“番号”だけ。彼は振り向かないまま、続ける。
「旗は家を守る。家は名を守る。名は人を守る。だから、その順に喰えばいい」
「名前を喰ってどうするんだ」
俺の声に、男は肩をすくめた。
「箱に入れ直す。箱は管理しやすい。管理は楽だ。楽は善だ」
「“楽”のために、歌を殺すのか」
あーさんの声が、細く強く響いた。男はようやくこちらを見た。顔の下半分が薄布で隠され、目は乾いた黒。そこに怒りも喜びもない。あるのは“諦めの快楽”。俺は旗を握り、布の目を指で押した。
「黴は、役に立つ」
男は淡々と言う。
「紙を生かし、紙を殺す。――箱は、黴を愛でる。赤衣は、黴を恐れる。塔は、黴を嫌う。君は?」
「俺は、家を守る」
「家は黴に弱い」
「だから粉をもらった。鈴も鳴らす。風も縫う」
「鈴は一度だけだ」
そう言い終える前に、天井の黒糸が一斉にうねった。床の“紙干し台”がひっくり返り、黒い粉が宙に舞う。ニーヤが鈴を鳴らしかけるのを、俺は手で制した。ここで鳴らせば、反響井戸が暴れ、工房全体が“音の塊”になる。
「音は……“糸でほどく”」
あーさんが息を吸い、掌を胸に、ゆっくりと吐く。明治の女学校で習ったという“息の座り”。水の糸が空中の粉の流れを撫で、舞う方向を変えた。エレオノーラが矢を三本、素早く天井の黒糸の“節”に打ち、クリフさんが床の干し台を元に戻す。ルゥが走り、濡れた紙束の端をすくい上げ、粉の黒が染み込むのを防ぐ。よっしーは相棒のバッテリーから細いコードを引き出し、携帯ラジオの“フェーズ”を逆相にして、粉の“塊”をほどく微細音を出した。
男は一歩引く。目が笑っていない。布の下の口角が、怒っても喜んでもいない。
「箱の民。止めろ」
彼の命令に、灰の影が一斉に手を止めた。ルゥが一瞬、身を固くする。ここで彼女が“番号”に戻ってしまえば、負けだ。俺は旗を高く掲げ、声を投げた。
「番号ではなく、名前で呼ぶ。――君は?」
最前列の少年が、びくりと肩を震わせる。声は出ない。喉に紅の痕。あーさんが彼のこめかみに指を当て、静かに囁いた。
「名は……心のどこかに、眠っております。思い出すまで、わたくしたちが“呼び習い”ましょう」
彼女の指に、水の糸が一本、細く光る。少年の目の奥に、何かが灯った。
「……ルゥ?」
こぼれた名に、ルゥの動きが止まり、次の瞬間、目に涙が溢れる。
「ダン!」
彼女は走り寄り、少年の手を握った。ふたりの指の間を、水の糸がつなぐ。名が橋を渡る。男の肩が、初めてわずかに上下した。怒りか、苛立ちか。彼は黒い布を払って、一歩踏み出した。
「名前は、箱の邪魔だ」
「箱のための箱なら、そうだろう」
俺は布の目を打ち、足を前に出す。
「――でも、“家の中の箱”は、違う」
「家の中の箱?」
「母さんが仕舞う裁縫箱、父さんが置く工具箱。開けるたび、誰かの手の温度が残ってる箱。……それは“歌をしまう箱”だ」
男の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。乾いた黒の底に、色の欠片が落ちて消える。
「くだらない」
彼は踵を返し、天井の黒糸に手を伸ばした。糸が音もなくほどけ、一本の“槍”になって落ちる。俺が避けるより早く、クリフさんが肩で俺を突き飛ばした。槍は床に突き刺さり、紙束を貫く。黒い粉が舞った。エレオノーラの矢が男の袖を裂き、ニーヤの〈風縫い〉が粉の渦を押し返す。よっしーはラジオを最大にし、アナログの“ジリジリ”で粉の粒を分散させる。
「退き綴じ!」
俺の声に、皆が同じ方向を向く。退くときは、一筆書き。“戻る道の結び目”をひとつずつ確かめる。あーさんが粉の結び目に薄く水を置き、ルゥとダンが背を合わせ、クリフさんとエレオノーラが最後尾、ニーヤが鈴を一度だけ鳴らし、俺は旗を背で風に当てた。黒い男は追ってこない。追えば、彼自身が粉を吸う。彼は己の“効率”を壊さない。
井戸へ戻り、ロープを登る。地上の白光に目が眩んだ。相棒が待っている。よっしーが運転席でハンドルを撫でながら、口角を上げた。
「新入り、乗りや。ルゥと……ダン君やな」
「はい!」
ルゥもダンも、まだ体が震えている。相棒の後部座席は狭いが、いまは温かい。ブラックが膝の上に乗り、ニーヤが帽子を少し傾けて場所を空ける。あーさんが座席の背を布で拭き、エレオノーラとクリフさんは外周の警戒に走った。
家の拍子は、早くもひとつ増えていた。




