第40話 黒曜の窓辺 ―― 枠に切り取られた空
(主人公・相良ユウキ=“綴”の視点)
翡翠の涸れ川を抜け、砂羅針盤の針が東を指すと、地平線の先に「枠」が見えた。空を四角く切り取ったかのような黒い縁――黒曜石の壁が、まるで巨大な窓のように立っている。
「あれが“黒曜の窓辺”やな」
よっしーがサングラス越しに低く言う。陽光を跳ね返す黒い石肌は、昼間でも夜の気配を漂わせていた。
ラヤの歌が足元から響く。「枠の街。数を縫う者たちが根を張り、名を枠に閉じ込めようとする場所――」
俺は旗の〈囁き手〉を肩で整え、ため息を吐いた。「また“数”か」
あーさんが掌の水を軽く広げ、風に揺らした。「ええ、けれど……名のない布と、戻る拍があれば」
ミラが針を持ち上げ、うなずく。「縫い目を先に置けば、数字は乗れない」
進入前の隊列 ―― クルマとバイクの配置
黒曜の窓辺の外縁は、細い道が網の目のように広がっていた。ここから先、機動力と防御力の両立が必要になる。
「配置決めよか」
よっしーが地図を広げ、指でなぞる。
• 先行偵察:FZR+舳鈴
• 主軸:相棒(ハチロク、エレオノーラ運転、クリフさん助手席)+荷物+あーさんとミラ
• サポート:舟(帆半分展張)、俺とラヤ、キリアとブラック
「バイクは“縁の上”で動ける。クルマは“縁の下”を走り、荷と人を守る。舟は“橋”。」
俺は旗を肩にかけ直し、〈囁き手〉を低く整えた。「数の線を踏まないように、拍は常に低く置こう」
窓辺の外縁 ―― 数の影
近づくにつれ、風が冷たくなり、耳鳴りのような低音が響き始めた。それは自然の音ではない。枠師たちが張った“数の糸”が、風を拾って鳴らしているのだ。
「……嫌な響きやな」
よっしーがFZRのアクセルを軽く煽り、鈴皮を指で撫でる。ニーヤは舳鈴を布越しに擦り、耳を立てて目を細めた。「数字の“拍”が二つあるニャ。早いのと、遅いの」
ミラが針を軽く動かし、布の上に模様を描く。「遅い拍を先に縫えば、早い拍は絡めない」
あーさんは掌の水を布に薄く広げ、俺は旗の暗い拍を足元に置いた。砂が微かに震え、耳鳴りが一瞬だけ遠のく。
黒曜の門 ―― 枠師との対面
黒曜石の壁に、門が開いていた。そこには灰縁の長衣――だが、布数師とは違う気配を持つ者たちがいた。顔を覆った布の奥から、冷たい光の目が覗く。腕には黒曜の板を嵌め、指先で数字の印を宙に描く。枠師――数の術を極めた者たちだ。
「旅の者。名を告げよ」
低く抑えた声が響く。告げれば、数字の枠に組み込まれる。呼ばれれば、呼ばれるたびに拍が奪われる。
「告げぬ。名は家のものだ」
俺は旗の柄を軽く叩き、暗い拍を門前に置いた。あーさんが掌の水を前に差し出し、頭を下げる。「ですが、礼は尽くします」
一瞬の沈黙。黒曜の板の角が冷たく光る。
枠師の一人が口を開いた。「ならば、“通行の証”を示せ」
ミラが袖から“名のない布”を取り出し、針でその端に青磁糸を通した。針先は早くも遅くもない“中庸の拍”を刻んでいた。布は風を吸い、数字を拒む静けさを纏う。
枠師は目を細め、短く頷いた。「……通れ」
門が開く。中から吹き出した風は冷たく、乾いていて、ほんのり甘い香りが混じっていた。
枠の街 ―― 数に囲われた暮らし
黒曜の窓辺の内部は、奇妙な街だった。家々は黒曜石で組まれ、幾何学模様が壁面を覆う。道はすべて格子状で、角ごとに数字の板が立っている。人々は薄い布で顔を覆い、歩幅を揃えて同じリズムで歩いている。
「……全部“数”で動いてる」
エレオノーラが呟く。クリフさんは弦を指で押さえながら、「呼吸も、音も、数字に絡められているな」と目を細めた。
それでも、完全に数の中に閉じ込められているわけではない。市場には、砂の市と同じように香の煙が立ち、干した果物の甘い香りが漂う。子どもたちはまだ拍に縛られず、自由に駆け回っていた。
古い灯台の欠片 ―― 窓の裏側
街の奥、枠の縁が最も高い場所に、それはあった。黒曜の壁に埋め込まれた、古い金属の柱。緑青が浮き、かすかに塩の匂いが残っている。
「……灯台の、欠片だ」
旗を握る手が震えた。帆の『へ』が微かに揺れ、青磁の糸が息を吸う。あーさんが掌の水を柱に触れさせ、そっと呟く。「海の……匂いがします」
ミラは針を取り出し、柱の側で糸を結ぶ。「これは“呼ばれたくない名”。けれど、覚えていなければいけない名」
よっしーが相棒のボンネットに腰をかけ、遠くを見た。「ここに“海”があったんやな」
数を縫う者たち ―― 枠師の試練
その時、背後で砂の音がした。枠師たちが立っていた。黒曜の板を構え、指で数字を描く。空気が重く、街全体のリズムが変わる。
「灯台は、“数”で守られている」
低い声が響く。枠師の足元に数字の枠が広がり、俺たちの影を捕えようとする。
「影を取らせるな!」
ラヤの声。俺は旗を振り、暗い拍を影の縁に置いた。ニーヤが舳鈴を擦り、よっしーがFZRで円を描くように走る。エレオノーラは相棒を一歩前に出し、エンジンを低く唸らせた。クリフさんは弦を撫でて空気を揺らし、ミラは針を走らせて数字の縫い目をずらす。あーさんの掌の水が、重い空気を軽くする。
「……数字に、縫い目を置く」
ミラの声と同時に、針が黒曜の板に触れた。数字の線が一瞬だけ緩み、影が解ける。旗が〈囁き手〉を伸ばし、舳鈴の擦れが“戻る拍”を響かせた。
枠師たちは短く息を吐き、板を下ろした。「……通れ。だが、次はない」
窓の下の市 ―― 名のない商い
その夜、窓辺の市場に灯がともった。黒曜石の灯台の欠片の近くに、小さな屋台が並ぶ。干した魚、果実、香草、塩。すべてが「数」を持たない商い。銀と、礼と、名のない布で取引される。
あーさんは掌の水を屋台の皿に一滴落とし、甘い果実を受け取った。「……懐かしい味です」
「懐かしい? あーさん、海を知らないのに?」
「ええ、でも――なぜか、そう感じます」
俺は旗を肩にかけ、空を見上げた。黒曜の枠が切り取った夜空には、見慣れた星が少しだけ揺れていた。
出立の準備 ―― 次の地平へ
翌朝、黒曜の窓辺を後にする準備を整えた。帆の『へ』の裏には、灯台の欠片のそばで拾った古い金属片を縫い付ける。ミラの針が慎重に布を縫い、青磁糸が静かに光る。あーさんが掌の水を金属に触れさせ、「戻る拍」を置いた。
「次は、“瑠璃の棚田”の向こう、“黒曜の道”だ」
ラヤが地図歌を広げ、低く歌った。よっしーが相棒のエンジンをかけ、FZRのアクセルを軽く煽る。エレオノーラは矢を数え、クリフさんは弦を張り、キリアは熱瓶の数を確認した。ニーヤは舳鈴を撫で、ブラックは舟の帆の端で丸くなった。
「低く、遠くへ」
俺は旗を肩にかけ直し、短く息を吐いた。黒曜の窓辺の人々が、無言で手を挙げた。名前は呼ばない。ただ、拍で別れを告げる。
短一回。「ピッ」。
舳鈴の擦れが響く。
帆の『へ』が、静かに揺れた。
⸻
(つづく/次話:「黒曜の道」――数の罠が張り巡らされた細長い峡谷を抜け、かつて“海の底”だった大地を横断。古い灯台の機構と、封じられた“歌”が動き出す兆し。)




