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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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《境界遺跡ヴァル=アーク》調査編その14 遺跡の門から──失われた地へ その終:帰還

(前書き:ミカ)


 塔の心臓にいると、「行く側」の鼓動よりも、「待つ側」の鼓動の方がよく聞こえます。


 拍は乱れ、時には止まりそうになります。

 それでも私は、中枢として、ただひとつだけ願うのです。


 ──全員、帰ってこい。


 鐘は鳴らさない。

 蝶番は壊さない。

 ただ、生きて戻ってくる。


 今回も、それだけが私の条件でした。


 ミカエラ・アークライト・ヒラツカ

 学園都市管理中枢より


1.戦いのあと


 猿王の巨体が、ずしんと地に沈んだ。


 首筋に、綺麗な円を描くように拳の跡が残っている。

 骨ごと潰されたそこから、遅れて血が噴き出した。


 その上に、銀髪の少女が片足を乗せていた。


「ふぅーっ……!」


 ルフィは大きく息を吐き、拳をぶらぶらと振る。


「なかなか骨のある奴であったな! だがダーリンの許可も出ぬまま、勝手に奴隷をこしらえていた時点で、死刑なのだ!」


「死刑って軽く言うなよ……」


 思わずツッコんでから、俺はあたりを見回した。


 ついさっきまで、地獄みたいな場所だった。


 ラプトルどもが白章隊を噛み千切り、

 猿の戦士たちが白章隊めがけて槍を振りかざし、

 そこへさらにティラノ系の巨獣が乱入して、全部まとめて食おうとしていた。


 ……それを、ルフィがほぼ一人でひっくり返した。


 今、動いているラプトルはいない。

 猿の戦士も、意識があるのは数えるほどで、そのほとんどが地面にのびている。

 ティラノは頭蓋骨を潰され、びくりともしていなかった。


(非致死・ほどほど、どこ行ったんだろうな……)


 そんなことを考えてしまう自分がいる。

 でも、ここでは綺麗事を言っていられないのも、もう嫌というほどわかっていた。


「我が主人!」


 ニーヤが駆け寄ってくる。

 毛並みは血と埃でぐしゃぐしゃだが、瞳はしっかりしている。


「白章隊の兵ら、生きている者がまだ多くおりますニャ!

 骨折、出血、噛み傷、多数。ここからが勝負ですニャ!」


「わかってる。あーさん!」


「心得ております」


 あーさんはすでに二鈴の片方を外し、帯に差したまま地面に膝をついていた。

 うずくまる白章隊の兵の喉元にそっと指を当て、呼吸を確かめている。


「まずは息と血でございます。拍は後です」


 静かな声。

 でも、その目は忙しなく動いていた。


「ユウキさんは、動ける方をまとめてくださいませ。

 肩を貸せる者同士を組ませ、重傷者の近くへ」


「了解。親父、ハッサンさん!」


「おう!」


「任されましたぞ」


 エリー──いや、俺の親父は、すでに白章隊の一人の腕を抱え上げていた。

 ハッサンも反対側から支える。


「軽い軽い、若いのぅ。血は出とるが、まだいけるぞ」


「包帯、すぐ巻くでございます」


 ノクティアがその場に滑り込み、闇の魔力を指先にまとわせる。


「闇よ、血を束ねて。──闇束縛魔法ナイト・バインド


 傷口のあたりで、黒い糸のようなものがきゅっと締め付けた。

 滲み出ていた血が、ぴたりと止まる。


「完全な治癒ではありません。ですが、帰るまでの“猶予”は作れます」


「十分だよ、ノクティア殿」


 クリフさんが、折れかけた槍の柄を杖代わりに歩いてきた。

 頬に切り傷があるが、目は生き生きしている。


「よし、よっしーは支柱を集めてくれ。担架代わりのやつ」


「任せろ」


 よっしーはアイテムボックスをポンと叩いた。


「【アイテムボックス92】、支柱セットA、展開っと」


 空間が揺れ、小型の折りたたみポールと軽量シートがばらばらと出てくる。

 手慣れた手つきで組み立てると、簡易担架があっという間に四つ並んだ。


「……何でも出てきますね、本当に」


 白章隊の誰かが、呆れと感心が混じった声で呟いた。


「それがこの人の強みでして」


 あーさんが微笑む。


「力ではなく、拍を揃える道具を持ってこられる方なのです」


「ほめられてる気ぃせぇへんのやけど!?」


 よっしーのツッコミが飛ぶ。

 だが、その声に、沈んでいた空気が少しだけ軽くなった。


 リンクとブラックは、周囲をぐるぐると旋回している。


「キュイ!」


 リンクが短く鳴き、左側の茂みを指し示した。


「敵影、なしですニャ。……いまのところは、ですが」


 ニーヤが尻尾をふわりと揺らして補足する。


「この“狩り場”は、まだ完全には静まっておりませぬ。急がねば」


「急ぐぞ」


 俺は頷き、白章隊の隊長らしき男へと向き直った。


 血と泥で顔がよく見えないが、その眼の鋭さだけは隠しようがない。


「……シリウス隊長、でしたよね」


「……ああ」


 彼は短く頷いた。


「今回は、こちらの読みが甘かった。

 ラプトルと猿どもだけだと踏んでいたが……まさか、あの巨獣までいるとはな」


「巨獣はともかく、猿どもは倒しましたニャ。王も含めて」


 ニーヤが胸を張る。


「とはいえ、ここに長居はできませぬ。我が主人よ、彼らの“門”とやらを拵えてもらう時間は?」


「門……?」


 俺が首を傾げると、シリウスが腰のポーチから、黒い円柱を取り出した。


携行帰還門リターン・ゲート

 我々白章隊が、学園都市の外遠くまで出るときにだけ許される装備だ」


 円柱の表面には、細かい刻印と、淡い光を宿した結晶が埋め込まれている。


「こいつを起動するには、最低でも三人、意識のある術士が必要だ。

 だが今、まともに立てるのは……」


 俺はあたりを見回す。

 白章隊は十数名。

 辛うじて立っているのが、シリウスを含めて四人。

 残りは、あーさんとノクティアの手でなんとか「死なない」状態に持っていっているところだ。


「三人、ギリギリか……」


「拍律の安定もいる。精神が乱れたままでは、“道”が歪む」


 シリウスが悔しそうに唇を噛む。


「本来なら、助けに来た俺たちだけで全員連れ帰るのが筋だった。

 だが──お前たちの助力がなければ、ここで全滅していた」


「そんな言い方やめてくださいよ」


 俺は苦笑して首を振った。


「助け合いでしょ。俺たちだって、あのままいけば猿と恐竜に食われて終わりでしたから」


「それはそうなのだ!」


 ルフィがずい、と割り込んでくる。


「おい!!ダーリンの下僕ども、お前らおおむね弱いのだ! だからわたしが助けてやったのを感謝するだ…ワーハハハハ!!!」


「“おおむね”って何だよ……」


「ダーリンは特に弱いのだ!」


「お前、特にって言うたな今!?」


 ルフィの無邪気な断言に、白章隊の何人かがくすっと笑った。


 笑い声が出るなら、まだ大丈夫だ。

 そう思った瞬間、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


「ともかく」


 あーさんが立ち上がる。


「門を開く術士の方を、こちらで“支え”ましょう。

 拍を乱さぬよう、二鈴で補助いたします」


「闇の側からも、同じことができます」


 ノクティアが続ける。


「精神のざわめきを、一時的に押さえ込む程度なら。

 血を捧げる必要もありません」


「それなら、行けそうですね」


 俺はシリウスを見た。


「大丈夫ですか。まだ、立てます?」


「……ああ。立つとも」


 シリウスは血まみれの膝を叩き、ふらつきながらも立ち上がった。


「アリア、ニコラ」


「はい」「了解」


 副官らしい二人も、よろめきながら前に出る。

 その瞳に、まだ折れていない光が宿っているのを見て、俺は少しだけ安心した。


「では、門を展開する。場所は……」


「崖の上がよろしいかと」


 ハッサンが空を見上げながら言った。


「あちらなら、周囲の地形も見渡せますし、追っ手が来ても対処しやすい。

 それに──あのトレノを置いていくわけにもいきませんからな」


「せやせや。わいの愛車、恐竜にかじられてたまるかいな」


 よっしーが親父と顔を見合わせて笑う。


「よし、じゃあ一回、崖上キャンプまで上がろう。

 みんな、動ける人から順に!」


 俺たちは声を掛け合いながら、傷だらけの白章隊とともに崖上へと戻っていった。



2.崖の上で──門の準備


 崖上のキャンプ地は、すでに「撤収モード」に入っていた。


 鍋は片付けられ、カレーの香りだけがまだかすかに残っている。

 トレノは拍律装甲を低出力に落とされ、静かに浮かんでいた。


「おかえりー!」


「おそかったやん!」


 愛子と宇美が、走ってこちらへ向かってくる。


「ちょ、走るな。足元危ない」


 ヤスが苦笑しながら二人を止める。


「うわ……ボロボロやんみんな……」


「だから走るな言うたやろ」


 俺は手を振って見せる。


「ただいま。ちょっと、いろいろあってな」


「“ちょっと”のレベルちゃうやろ……」


 ヤスが呆れながらも肩をすくめた。


 ガガとネーナ、エリアナとミアも不安そうにこちらを見ている。

 ルフィは「ただいまなのだ!」と両手を広げて笑い、子どもたちにわしゃわしゃと抱きつかれていた。


「ルフィ、王族の品位って知ってる?」


「知らん!」


「うむ…そうだろうな!」

「ですよねぇ」


 クリフさんの突っ込みを聞き流しつつ、俺はトレノの横の開けたスペースを指さした。


「ここに、門を作るんですよね」


「ああ」


 シリウスが、携行帰還門を地面にそっと置く。


 黒い円柱が、低いうなり声をあげて震え始めた。


「アリア、ニコラ。陣形通りに」


「了解」


 三人が円柱を囲むように立つ。

 あーさんとノクティアが、それぞれ反対側から位置を取った。


「では……拍を整えます」


 あーさんが二鈴を持ち上げる。

 かすかな音が、空気を震わせた。


 チリ……ン。


 その一音で、さっきまでざわついていた心臓が、すっと落ち着いていくのがわかる。


「静かに、深く吸って、吐いてくださいまし。

 ……はい、一拍ぶん、間を置いて」


 ノクティアも目を閉じ、低く呟く。


「闇は恐れではない。影は、光の形。

 揺らぐ心を、ただそこに置くだけ──」


 闇の気配が、足元に薄く広がった。

 けれど、それは不気味さよりも、むしろひんやりとした安心感をもたらす。


(……すごいな、この二人)


 俺ですら、胸のざわめきが静かになっていくのがわかる。


「拍、安定。行けます」


 あーさんが頷いた。


「白章隊の皆さま、どうぞ」


「白章隊一番隊隊長、シリウス。

 携行帰還門リターン・ゲート、起動する」


 三人の術士が、同時に円柱に手を触れる。


「座標、学園都市・中央塔医療棟前広場。

 基準拍、学園鐘──鳴動前状態。

 “鐘を鳴らさず”帰還する」


 円柱の結晶が、一斉に光を放つ。


 ゴウン、と低い振動。

 崖の上の空間が、ぐにゃりと歪んだ。


「うわっ……目、回る……」


 愛子がおでこを押さえる。


「見てろ。これが“門”や」


 よっしーが軽く笑いながら、子どもたちを背中でかばうように一歩前に出た。


 歪んだ空間の中央に、光の輪が現れる。

 最初は小さな輪だったものが、ぐん、と広がり、人ひとりが通れる大きさになり、やがては馬車ごとでも通れそうな扉へと変わった。


「……おお」


 エリーが低く唸る。


「こいつはすげぇな。異世界のゲートか」


「親父、向こうも異世界みたいなもんやけどな」


「うるせぇ」


 軽口を叩き合いながらも、俺たちは真剣だった。


「順番決めるで」


 クリフが手早く指示を出す。


「まず重傷者。担架と一緒にくぐらせる。

 次に子ども組と非戦闘員。

 最後に白章隊の残存戦力と、俺たち冒険者だ」


「異論なし」


 よっしーが頷く。


「ガガ、ネーナ、エリアナ、ミア。

 お前らは第二陣や。絶対勝手に動くなよ」


「わかったー!」


「ネーナ、ちゃんと手ぇ繋ぐんやで」


「は、はいです!」


 ガガが元気よく返事をし、ネーナが手を握る。

 エリアナとミアも、こくりと頷いた。


「我が主人」


 ニーヤがそっと近寄ってくる。


「門をくぐる瞬間、こちらの“拍”と向こうの“拍”が擦れますニャ。

 ほんの一瞬だけ、“鍵穴ではなく蝶番”がむき出しになる。

 そこを、誰かが見ておかねばなりませぬ」


「……蝶番チェック担当ってわけか」


「そうでございますニャ」


 ニーヤの金色の瞳が、まっすぐ俺を見る。


「それは、我が主人の仕事でしょう?」


「だよなぁ」


 苦笑しながら、指輪をそっと握る。


(アンリさん。

 また一つ、違う世界の蝶番、見てきます)


 返事はない。

 けれど、不思議と、指輪が暖かかった。


「──よし、一陣、行く!」


 クリフの号令で、担架組が動いた。


 白章隊の重傷者たちを乗せた担架が、よっしーやハッサン、エリーの手で持ち上げられ、光の門へと運ばれていく。


「医療棟、受け入れ準備中です」


 門の向こう側から、ミカの声が聞こえた。


「担架のまま進んでください。そのまま、そこが“床”になります」


「了解!」


 クリフたちが、次々と門をくぐる。

 消えると同時に、門の縁がわずかに揺れた。


「……安定してますか?」


「今のところは」


 アリアが額の汗をぬぐう。


「拍の揺れは許容範囲内。

 とはいえ、長居はできません。門は十五分が限度です」


「だったら、さっさと行こう」


 俺は振り返り、子どもたちに手招きした。


「愛子、宇美、ヤス。お前ら、先に行け。

 ここから先は、マジでシャレにならんから」


「えー、先帰されるん?」


「文句言うな。お前らが一番大事なんや」


 そう言ったのは、エリーだった。


 親父が、娘を見るような目で、子どもたちを見ている。


「大人はな、危険なところを確認するのが仕事や。

 子どもは、それを信じて帰ってくれりゃいい」


「……わかった」


 愛子が唇を噛み、こくりと頷く。


「じゃあ帰ったら、お父さんとお母さんに、ちゃんと“ただいま”って言うから。

 ユウキ兄も、ちゃんと帰ってきてや」


「当たり前だろ」


「約束やで」


 拳を軽く突き合わせる。

 宇美とヤスも、その上から拳を重ねた。


「よし、行ってこい」


 三人はガガたちと一緒に、ミカの声のする方へと駆け込んでいった。


 光が、彼らの姿を飲み込む。


「……さて」


 残るは、俺たちとルフィ、ニーヤたち、そして白章隊の術士三人。


「ニーヤ、ブラック、リンクは?」


「我らは最後でございますニャ」


 ニーヤが笑う。


「我が主人の背中を守る。

 それが眷属の務めでございますので」


「我も後方から門を見届けます」


 ノクティアが静かに言う。


「闇の蝶番は、闇の者が見るべきですから」


「かしこまりました」


 あーさんも、二鈴を軽く鳴らす。


「ユウキさん。

 どうぞ、いつものように、“一拍ぶん”だけ前を向いてくださいまし」


「……はい」



3.門をくぐる


「シリウス隊長、どうぞお先に」


「いや」


 シリウスは首を横に振った。


「最後に門を閉じるのが、隊長の仕事だ。

 お前たちを見届けてから、俺も行く」


「かっこいいこと言いますね」


 クリフが苦笑する。


「じゃあ、俺たちは先に学園に戻って──医療班と先生たちに怒られておきます」


「頼んだ」


 クリフ、よっしー、ハッサン、エリー、あーさん。

 大人組が次々と門をくぐっていく。


「ユウキ」


 最後に、エリーが振り返った。


「親父」


「……お前が一番無茶しそうだからな。

 残るなよ。ちゃんと帰ってこい」


「わかってるって」


 笑って返しながらも、胸の奥が少し熱くなる。


「……行ってくる」


 エリーが門をくぐる。

 その背中が光に消えた瞬間、胸がふっと軽くなった。


「さ、ダーリン」


 ルフィが俺の肩に腕を回す。


「一緒に帰るのだ! この世界も、なかなか楽しかったがな!」


「お前、楽しみ方の基準がおかしいんだよ……」


 苦笑しつつ、俺は一歩、門の前に立った。


 門の向こうから、冷たい空気が吹きつけてくる。

 失われた地の熱気とは違う、塔の中枢特有の、澄んだ空気。


(……帰るんだ)


 ここは危険すぎる。

 だけど、ここにも、何らかの「拍」があった。


 猿たちの帝国も、肉食獣たちの群れも、光学迷彩の狩人も。

 全部ひっくるめて、この世界の“生命の拍”だった。


 俺たちは、それを壊してはいけない。

 でも、見なかったことにも、できない。


「鍵穴じゃなく、蝶番へ」


 小さく呟いてから、俺は門へと足を踏み入れた。


 一瞬、体が引き裂かれるような感覚がする。


 音が消え、光が伸び、時間が溶ける。


 その狭間で――

 確かに見えた。


 失われた地と、学園都市の拍が、ぎりぎりのところで噛み合っている“軸”。


 そこに、薄く、赤い傷のようなノイズが走っていた。


(……あれが、“狩人”の爪痕か)


 光学迷彩の狩人。

 この世界全体を狩場にしている、謎の存在。


 あいつらはまだ、門の蝶番を完全には理解していない。

 だが、爪をかけることはできている。


(急がないとな)


 そう思った瞬間、足元の感覚が戻った。


 視界が、ぱっと開ける。



4.医療棟


「はい、次、担架こちら!」


「この子どもたちは外傷軽微! 精神ケア優先!」


「魔力枯渇組、こちら! 輸魔器、三番までフル稼働!」


 耳に飛び込んでくるのは、怒号に近い指示の声だった。


 目の前には、見慣れた石壁。

 学園都市・中央塔医療棟の、白い廊下。


 床にはすでに、白章隊の兵が担架ごと並べられ、治療用の魔導機器が次々と運び込まれている。


「……帰ってきた、のか」


 思わず呟いた。


「おかえりなさい」


 視界の端で、ミカが小さく頭を下げる。


 いつものスーツ姿。

 だが、その袖は珍しく少し乱れていた。


「ただいま……です」


 自分でも驚くほど、掠れた声が出る。


「全員、通過確認。門、安定」


 アリアの報告に、シリウスが小さく頷く。


「よし──携行帰還門リターン・ゲート、閉鎖!」


 背後で、光の門がしゅう、と音を立てて閉じていく。

 最後に、細い光の線がぱちんと弾けて、すべての気配が断ち切られた。


「ふぅ……」


 ニーヤが、その場にぺたんと座り込む。


「やれやれ、帰ってこれましたニャ……

 やはり、我は我が主人の“拍”の方が落ち着きますニャ」


「お疲れさま、ニーヤ」


 ノクティアも壁に背中を預ける。


「こちらの世界の闇は、優しいですね……

 あちらは、少しばかり牙が多すぎました」


「二人とも、ありがとう」


 俺は笑って、二人の頭を軽く撫でた。

 ブラックとリンクも、「キュイ」と小さく鳴き、肩にとまってくる。


「全員、生存確認」


 ミカが、拍律モニターらしき結晶パネルを見ながら言う。


「重傷者多数ですが……今のところ、死亡拍は一つもありません」


「……よかった」


 これでもう、誰かの棺を見送る必要はない。


 そう思った瞬間、膝から力が抜けた。


「っとと……?」


 視界がぐらりと揺れる。

 さっきまで張り詰めていたものが、一気に切れたのだとわかった。


「ユウキさん」


 あーさんが支えてくれる。


「大丈夫でございます。少し、座りましょう」


「あ、はい……」


 言われるがままに、その場に腰を下ろす。


 隣では、クリフが医療班に白章隊の状態を説明していた。

 よっしーはトレノの鍵……というか拍律制御装置を係員に渡しながら、やたら細かく扱い方を説明している。


「絶対にぶつけんとってくださいよ!?

 傷一つつけたらわいの心も凹むんで!」


「はいはい、わかってますよ」


 医療棟の係員が苦笑する。


 子どもたちはというと──


「うわ、ここ病院?」


「ゲームのセーブポイントみたいや……」


 愛子と宇美が、周りをきょろきょろ見回している。

 ヤスは、その二人の背中を押しながら、落ち着かない様子で周囲を見ている。


「向こうの世界では、すまなかったな」


 シリウスが俺の方へ歩み寄ってきた。


「本来なら、白章隊だけで完結させるべき任務だった。

 だが、結果として、お前たち冒険者と学園の生徒を巻き込む形になってしまった」


「……いや」


 俺は首を振った。


「こっちも、勝手に首突っ込んだようなもんですから。

 それに──」


 俺は医療棟の奥をちらりと見る。


 そこには、白章隊の兵たちが、もう別の制服の医療チームに囲まれて治療されていた。


「みんな、生きて帰ってきました。

 それなら、“鐘は鳴ってない”でしょ?」


「……そうだな」


 シリウスの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


「戦場に出ていて、“鐘は鳴らさない”と言い切れる者は少ない。

 お前たちは、よくやった」


「そっちこそ」


 俺は手を差し出した。


「助けに来てくれて、ありがとうございました」


 シリウスは、その手を力強く握り返した。



5.小さな区切り


「ユウキさん」


 少し離れたところで、ミカがこちらを見る。


「今回の件、詳しい報告は、あなたが休んでからで構いません。

 ただ一つだけ、今のうちに伝えておきたいことがあります」


「なんです?」


「失われた地の“門”について」


 ミカの瞳が、わずかに鋭くなる。


「あの世界とこちらを繋ぐ蝶番は、まだ“閉じ切って”はいません。

 あなたが通り抜けたときに見たノイズは、おそらく光学迷彩種の干渉です」


「やっぱり、そうですか」


「ええ」


 ミカは頷く。


「こちらから一方的に門を破壊することも、技術的には不可能ではありません。

 ですが、それをすれば、向こう側の拍を“殺す”ことになる。

 それは、学園都市の方針に反します」


「……ですよね」


 俺は苦笑する。


「だからこその、“鍵穴じゃなく蝶番へ”なんですもんね」


「はい」


 ミカは、いつもの淡々とした口調に戻る。


「いずれ、あの世界とは、改めて向き合わなければならないでしょう。

 しかしそれは──今日ではない」


 そう言って、彼女は少しだけ微笑んだ。


「今日はただ、

 “よく生きて帰ってきました”と、言わせてください」


「……はい」


 何か言おうとして、言葉が喉で詰まった。


 代わりに、ただ深く頭を下げる。


「ありがとう……ございます」


 その瞬間、肩に何かが乗っかった。


「ユウキ兄ィ~」


 愛子だった。

 宇美と二人で、左右から俺に寄りかかってくる。


「心配したんやで。絶対死んどると思ったもん」


「お前、それ本音で言うな」


「でもちゃんと帰ってきたからセーフ!」


 宇美が笑う。


「ほら、さっさとベッド行き。

 うちらも検査受けろって言われとるし」


「……はいはい」


 俺は立ち上がろうとして、足元がふらついた。


「我が主人、肩を貸しますニャ」


 ニーヤがすかさず支える。


「ご主人様。血の気が引いています。

 ひと晩はしっかり眠ってください」


 ノクティアも反対側に立つ。


「はいよ、担架代わりの友人一丁。行きまひょか」


 よっしーがニヤニヤしながらついてくる。


「なんだよ、その言い方……」


 そう文句を言いながらも、どこか嬉しかった。


 ルフィはというと、医療班にこっぴどく怒られている。


「あなたは! 患者をベッドに運ぶときにベッドごと持ち上げないでください!」


「なぜだ!? その方が早いだろう!」


「床が抜けます!」


「むぅ……学園の床、鍛え直す必要があるな……」


「話聞いてくださぁい!!」


 そんなやり取りを背中に聞きながら、俺は医療棟の奥へと歩いて行った。


 何もかもが終わったわけじゃない。

 失われた地の門は、まだどこかで軋んでいる。


 でも──今日くらいは。


(……生きて帰ってこれた、それだけで十分だよな)


 そんなことを思いながら、俺はベッドに体を預けた。


 安心した途端、意識がふっと暗くなる。


 アンリの指輪が、胸元でかすかに温かく光った気がした。


 そのまま、俺の世界は、一度だけ、静かに暗転した。




後書き


 お疲れさまでした、帰還回でした。


 ・「失われた地」第一ラウンド、ひと区切り

 ・白章隊も全員生還

 ・門(蝶番)は残したまま、一時撤退

という形にしてあります。


 今回、ユウキが門の“軸”をちらっと見る描写を入れたのは、

 後々「光学迷彩種が門を逆利用してくる」伏線として使えるようにするためです。


 また、

 ・白章隊の携行帰還門リターン・ゲート

 ・医療棟への直接搬送ルート

というギミックを出しておいたので、今後も「遠征→即帰還」のテンポを作りやすくなります。


 次回以降は、

 ・医療棟での落ち着いた会話(ミカ/エリン/リナなど合流の布石)

 ・学園都市サイドの“分析会議”

 ・失われた地編の次なる段階

など、どこから切り込むかは、また相談しつつ決めていきましょう!


 ひとまず今日は──

 「全員ちゃんと生きて帰ってきた」というところで、ページを閉じておきます。

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