《境界遺跡ヴァル=アーク》調査編その11 白章隊 死闘編
救援──失われた地の咆哮(前編)
夜だった。
空は赤黒くくすみ、二つの月が欠けた爪のように雲間から覗いている。
湿った風が、低い唸り声のようにジャングルの梢を揺らした。
そこに、静かに“にじむ”ように現れる光の楕円があった。
ポータル。
学園都市の転移区画から、直接この“失われた地”へ接続された、一時限りの門である。
光が一度だけ強く瞬き──
影が次々と飛び出した。
「第一小隊、展開完了。周囲、異常なし」
低い声が、闇に溶ける。
白と黒の外套。胸には、鐘ではなく“白い章”を象った紋章。
学園都市外縁の治安と、緊急時の対外作戦を担う部隊――白章隊。
その先頭で、片目に古い傷を持つ男が周囲を見渡した。
「……空気が重いな」
隊長シリウスが小さく吐き出す。
「魔素じゃなく、“生き物の匂い”ですな」
隣で応じたのは小隊長ニコラ。
背は高くないが、動きが一切ぶれない。黒髪を短く刈り込んだ、典型的な実務家だ。
その少し後ろで、若い女兵士がごくりと唾を飲み込んだ。
マギー。
白章隊に配属されて、まだ日が浅い新兵だ。
(……ここが、ミカエラ様の言ってた“異世界”……)
暗闇の向こう、折り重なる木々の間では、何か巨大なものが時々身じろぎしている。
ズン、と地面がわずかに震えるたび、マギーの心臓も一緒に跳ねた。
「おい、新人。足が浮いてるぞ」
後方からリアンが軽く肘でつついてきた。狙撃担当の青年だ。
「ひ、ひぃ……ちゃんと地面踏んでますから……!」
「ならいい。ここは“浮いたやつから”死ぬぞ」
「やめてくださいそういうこと言うの!」
ひそひそとやり取りしながらも、隊列は乱れない。
白章隊は十数名。全員が軽装の防弾・防刃ジャケットに、短機関銃と短剣、スタンボルト用のランチャーを携帯していた。
(非致死・ほどほど……ね)
ニコラは、自分の腰に下げた非殺傷電撃弾のポーチに手をやる。
ミカのブリーフィングは簡潔だった。
――調査任務に向かっていた冒険者チーム、および学園の子どもたちの信号が断続的になっている。
――現地は“生命圧”の強い世界。大型生物と、猿型種族、そして未知の“狩人”が闊歩する戦場状態。
――目標はあくまで救出。門の破壊は禁止。鐘は鳴らさないこと。
いつもの「非致死・ほどほど」が、今日はやけに遠く感じられる。
あの映像。
かろうじて届いた断片的な記録には──
檻。たいまつの炎。
猿のような戦士たちに囲まれて、連れて行かれる子どもたち。
その上から、光学迷彩のシルエットが“何か”を撃ち抜く瞬間。
(生きてるかどうかは、向こうの拍次第……か)
シリウスは夜気を吸い込み、手信号で前進を指示した。
「隊列維持。音を立てるな。──行くぞ」
白章の列が、闇に溶けるようにジャングルの中へ消えていく。
月だけが、静かにそれを見下ろしていた。
◇
湿った土を踏むたびに、靴底がじゅく、と嫌な音を立てる。
上空では、見たことのない巨大なトンボのような虫が、時々ぼとりと落ちてきて隊員の肩にぶつかり、すぐにまた飛び立った。
「……気持ち悪っ」
マギーが小声で漏らす。
「鳴くな」
ニコラが振り返りもせずに言う。
「……はい」
どれくらい歩いただろうか。
白章隊は、ポータルから離れた位置に設定された“第一連絡点”を目指して進んでいた。
その周辺に、ユウキたちが転移した痕跡が残っているはずだ。
前を行くシリウスが、ふと足を止める。
「ニコラ」
「……分かってます」
ニコラも同時に、首だけわずかに振って左右を確認する。
何も見えない。
だが。
(……“視線”だけは、確かに増えている)
木々の上。茂みの中。
獣の匂いではない。もっと乾いた、爬虫類のような、しかしそれだけではない気配。
リアンが、音もなくライフルを構えた。
「……尾行、確定だな」
レンズ越しに覗いた先。
暗闇の中、わずかに揺れる葉の影。
一瞬だけ、細長い頭と、光る瞳が見えた気がした。
「どうします、隊長」
ニコラが囁く。
「撒けるなら撒きたい。だが――」
シリウスは、そっと地面へ視線を落とした。
足跡。
自分たちのものではない、三本指の跡がいくつも。
しかも、新しい。
「……もう“囲まれ気味”だな」
その時だった。
最後尾から、かすかな声が聞こえた。
「──あれ?」
続いて。
【ズルッ】
肉でも引きずるような、不快な音。
「……?」
マギーが振り返る。
そこにいるはずの、最後尾の隊員の姿が見えない。
「ちょ、ちょっと? ルーカスさん?」
さっきまで、疲れた冗談を飛ばしていた男だ。
返事はない。
「おい、ルーカス。ふざけてる場合じゃ……」
リアンが一歩引き返そうとした、その瞬間。
闇の中で、何かが“喰いちぎる”音がした。
ぐちゃ、という生々しい音ではなく。
骨と硬いものが、まとめて砕かれるような乾いた破裂音。
次いで、押し殺したような悲鳴。
「っ――」
「伏せろッ!!!」
シリウスの怒号と同時に、前列の数名が本能で身を伏せる。
次の瞬間。
さっきまでルーカスがいたはずの位置に、何か重いものがどさりと落ちる音がした。
マギーは見てしまった。
それは“人の形”をしていたものの、上半身がほとんど消えていた。
代わりに、細長い顎と、血のように黒い液体で濡れた牙が、暗闇の中でぎらりと光っている。
細い前脚。大きなかぎ爪。
尾。
「――ドラゴン……っ!」
思わず、自分たちの知っている名前が口から漏れた。
同時に、闇の中から複数の影が飛び出してくる。
左から一体。右から二体。後方からさらに三体。
地面を蹴る音は異常に軽い。だが、その一歩ごとの加速は、目で追うことすら難しい。
「散開ッ!! 後方、抑えろ!!」
シリウスが銃を撃つ。
マズルフラッシュが闇を裂き、銃声がジャングル全体を揺らした。
1体のラプトルが胸に銃弾を受けて回転し、そのまま地面を転がる。
だが、それで終わりではない。
転がったその体を踏み台にして、別の一体が跳び上がり、ニコラの肩めがけて爪を振り下ろした。
「くっ!」
ニコラは身をひねり、肩で受け流すようにラプトルの体を弾く。
ジャケットが裂け、血がにじむ。
「マギー! リアンと一緒に左側を──」
叫びかけた口が、ふいに止まる。
マギーの視界の端で、別の隊員が後ろから跳びかかられ、首を噛まれて静かになるのが見えた。
悲鳴。銃声。
ジャングルの暗闇が、一瞬で地獄に変わる。
「ひっ──ひぃっ!」
足が勝手に後ずさった。
ラプトルの一体が、その動きを見逃さない。
瞳が、明らかに“笑った”。
獲物を追い詰める捕食者の目だ。
「あ……」
思考より早く、喉から声が漏れる。
ラプトルがバネのように地面を蹴り、マギーめがけて飛びかかった。
「伏せろッ!!」
リアンが体当たりの勢いでマギーを押し倒す。
直後、ラプトルの爪が二人の頭上をかすめ、背後の木の幹をざっくりとえぐった。
「いっ……てぇ……!」
「文句はあとにしろ!!」
リアンは寝転がった体勢のまま、ラプトルの腹部めがけて三連射する。
弾丸がめり込み、ラプトルの動きがわずかに鈍る。
だが、それでも止まりはしなかった。
「全員、撤退!!」
シリウスの声が、ほとんど咆哮に近い。
「このままじゃ持たん!! 北西、あの岩場まで下がる!! 急げッ!!」
隊列は、もはや整然とはしていない。
誰もが、背後から飛びかかってくる影から逃れようと必死に走っていた。
◇
崖沿いの細い獣道を、白章隊はほとんど転がるように駆け下りた。
後ろからは、ラプトルたちの甲高い鳴き声と、岩を蹴る爪の音が絶え間なく追いかけてくる。
「追跡、しつこすぎだろコイツら!!」
リアンが振り向きざま、そのうちの一体にまた弾を叩き込む。
狙ったつもりはないのに、たまたま脚の付け根に命中したのか、ラプトルがひしゃげるように転んだ。
その体を別のラプトルが踏み越え、さらに加速して迫ってくる。
「マギー! そっちは崖だ、左だ左!!」
「は、はいぃぃ!!」
足を滑らせそうになりつつ、マギーは獣道から飛び出した。
茂みを掻き分けると――
そこは、開けた空間だった。
焚火。粗末なテント。
縄で括られた木の檻の中に、見知らぬ獣人や人間らしき影がうずくまっている。
そして、その周囲を囲むように──全身を毛に覆われた猿の戦士たち。
「……なんで、こんなタイミングで……!」
ニコラが歯噛みする。
猿の戦士たちは、突然飛び込んできた白章隊の姿に戸惑ったようだった。
だが、ラプトルたちの咆哮を聞いた瞬間、その戸惑いは別の方向にねじれた。
「キィィィィィ!!」
耳をつんざくような叫び。
次の瞬間、猿たちは一斉に槍と弓を構え、ラプトルめがけて矢を放った。
「……三つ巴かよ!!」
リアンが叫ぶ。
矢がラプトルの体に突き刺さり、何体かが悲鳴をあげて転がる。
しかし、それで勢いが止まるほど甘くはない。
ラプトルたちは動きの鈍い猿から順に飛びかかり、喉や腹に噛みついて地面に引き倒していく。
猿たちも、叫びながら槍で反撃する。
黒い血と土煙が、焚火の火の粉と一緒に舞い上がった。
「白章隊は左側に回り込め! 猿とはできるだけ接触するな!」
シリウスが号令を飛ばす。
「目標は逃走経路の確保だ! ここに留まったら全滅するぞ!!」
言い終わるより早く、猿の一人が白章隊に気づいた。
長い棒の先に石刃をつけた武器を構え、威嚇するように唸る。
「ちょ、ちょっと待って! 俺たちは──」
ニコラが言葉をかけるよりも、先に。
ラプトルの一体が、その猿戦士に飛びかかった。
喉を噛みちぎられた猿が、武器を振り回しながら白章隊側へ倒れ込んでくる。
「来るなっ!」
マギーは咄嗟にスタンボルトランチャーを猿の方へ向けて撃ってしまった。
光の矢が猿の体に突き刺さり、ビリ、と青白い電撃が走る。
猿の体が痙攣し、そのまま焚火の上に崩れ落ちた。
火の粉が一気に舞い上がる。
周囲の猿たちの視線が、一斉にマギーへ向いた。
「……やば」
次の瞬間、怒号が爆発した。
「キィィィィ!!」
「くっそ、だから関わるなって……!」
ニコラが舌打ちする。
矢が飛んでくる。
一本がマギーの頬をかすめ、薄く血の線を描いた。
「ひっ!」
「下がれマギー!! リアン、カバー!!」
「了解!」
リアンが矢を撃ち落とすように弾丸をばら撒く。
それでも、全てを防ぐことはできない。
白章隊の一人が腕に矢を受け、悲鳴をあげて地面に転がった。
ラプトル、猿、白章隊。
三者三様の叫びと銃声、そして咆哮が入り乱れる。
誰が誰を狙っているのかさえ、もはや分からない。
(……これ、どう考えても“非致死・ほどほど”じゃねぇ……!!)
シリウスの額に、じわりと冷や汗が浮かぶ。
その時だった。
地面が、揺れた。
ぐらり、と。
さっきまでの、ラプトルが走った時の震動とは桁が違う。
「……おい」
リアンが青ざめた顔で、森の奥を指差す。
「なんか……もっとヤバいの、来てないか……?」
低い、唸るような足音。
一本一本の足音が、地面を叩くたびに体の芯まで揺さぶってくる。
焚火の向こう、森の影が“押し開かれる”。
巨木が、折れた。
次の瞬間。
それは、姿を現した。
巨大な頭。
ずらりと並んだ牙。
樹木より高い胴体。
太い尾。
Tレックス。
白章隊の誰も、その名を口に出せなかった。
喉が、恐怖で固まってしまっている。
ラプトルたちの動きが、一瞬止まる。
猿たちも槍を構えたまま固まっている。
Tレックスは、そんなことなど一切お構いなしに、最も近くにいたラプトルに噛みついた。
骨が砕ける音。
ラプトルの体が、まるでおもちゃのように振り回される。
「――走れッ!!」
シリウスが叫んだ。
誰に向かって言ったのか、自分でも分からない。
白章隊か。猿たちか。ラプトルたちか。
それとも、この地獄からまだ生き延びる可能性のある“誰か”か。
Tレックスの足が、猿の焚火を踏みつぶした。
火の粉が爆ぜ、檻が倒れ、囚われていた者たちの悲鳴が上がる。
ラプトル数体が、Tレックスの足に飛びつき、爪と牙で攻撃する。
だが、その程度では、巨体は止まらない。
尻尾が横殴りに振るわれ、数体がまとめて吹き飛ばされる。
吹き飛ばされたラプトルの一体が、白章隊の真ん中に落ちてきた。
「うわっ!」
その重みで、数人が押し倒される。
そこへ、猿の矢が無差別に降り注いだ。
「隊長!!」
ニコラが叫ぶ。
振り返ったシリウスの肩口に、一本の矢が突き刺さった。
「ぐっ……!」
血が噴き出す。
それでもシリウスは倒れず、歯を食いしばって矢をへし折った。
「ニコラ……部隊を、分散させろ……!」
「そんなことしたら余計死にますって!!」
「まとまってたら……一口でまとめて喰われる……!!」
たしかに。
Tレックスが一歩近づくたびに、地面が沈むような感覚があった。
もしあの足の下に、密集した隊列のままいれば──想像したくもない。
「白章隊、三班に分かれろ!! 北・西・南!! 檻の方には近づくな!!」
ニコラの号令で、残った隊員たちが散り散りに駆け出す。
マギーは、リアンに腕を引っ張られるまま、北側の茂みへと走った。
「こっちだマギー!!」
「は、はい!」
背後で、何かが喰われる音がする。
悲鳴が、一つ、また一つと消えていく。
(いやだ……いやだいやだいやだ……!)
涙で視界が滲む。
足がもつれそうになるたび、リアンが腕を強く引いた。
その時。
茂みの中から、別の何かが飛び出してきた。
猿の戦士。
さっきのキャンプから逃げてきたのだろう。
血に濡れた槍を構え、マギーとリアンを見て目を剥いた。
「ちょ、待っ──」
言葉が通じる前に、槍が突き出される。
リアンが体をひねってかわす。
しかし、その動きで握っていたマギーの腕が離れた。
「あっ……!」
視界の端が、ぐるりと回る。
次の瞬間。
マギーは、足を滑らせ、そのまま斜面を転げ落ちていった。
「マギー!!」
リアンの声が遠くなる。
土と草と石が、ごちゃ混ぜになって顔にぶつかる。
体のどこを打っているのか分からない。
やがて、どさり、と何かにぶつかって止まった。
息が、うまく吸えない。
「……っ、っは……!」
どうにか体を起こしたマギーの目の前に、“それ”はいた。
Tレックス。
さっきより、ずっと近い。
巨大な足が、すぐ横にある。
一歩踏み出されれば、そのまま潰される距離。
Tレックスの視線は、まだ上の方──猿とラプトルの入り乱れるキャンプの方に向いている。
だが、ほんのわずかでも視線がこちらに落ちてきたら終わりだ。
(動いちゃ……ダメ……)
マギーは息を殺した。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
Tレックスが、ゆっくりと頭を動かす。
その目が、一瞬だけマギーの方をかすめた。
(嫌だ──)
喉の奥から、悲鳴が上がりそうになる。
その瞬間――
別の“音”が、夜空を裂いた。
高く、よく通る、笑い声。
「ワハハハハ!!
これは面白そうなのだ!!」
空から、銀色の何かが落ちてくる。
光る髪。
狂気じみたまでに楽しそうな笑顔。
片手を腰に当て、もう片方の手には、見慣れた鍋蓋サイズの盾。
ルフィアーナ・セドコーヴァ。
学園都市きっての問題児にして、異世界から来た“あの”暴れ兎が――
時空をぶち抜いて、この地獄の真上に現れた。
「さぁ!!
ダーリンの世界は、どこまでわたしを楽しませてくれるかなぁ!!?」
彼女の瞳が、ラプトルの群れと、猿の軍団と、Tレックスを一望して、さらに爛々と輝く。
その足が地面を踏む直前。
マギーは、恐怖と安堵と、いろんなものが混ざった感情のまま、意識を手放した。
(つづく)
◇
あとがき
白章隊 VS ラプトル VS 猿軍団 VS Tレックス、という
「どこに逃げても地獄」回でした。
描写はあくまで“雰囲気メイン”で、
グロくなりすぎないギリギリのところで止めてあります。
•白章隊:
学園都市の外縁・対外作戦を担当する治安部隊。
今回は、調査に向かった冒険者チーム+子どもたちの救援のために出動。
•ラプトル:
知能が高く、獲物を“試す”ような動き。
追跡・分断・後方からの一撃、といった“狩り方”を意識して描いています。
•猿軍団:
こちらはこちらで、独自の帝国を築いている種族。
白章隊から見れば「第三勢力」で、言葉も通じない状態。
•Tレックス:
理不尽の象徴役。
三つ巴の戦場に、さらに“笑えない乱入者”として登場しました。
ラストでルフィが高笑いしながら降ってきたので、
次回は彼女視点で一気に流れをひっくり返す予定ですね。
マギーに関しては、今回は「完全に一般人寄りの恐怖担当」で書いていますが、
今後、生き残った場合はここでの体験がかなりのトラウマ&成長の起点になりそうです。




