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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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フルーネンヴェルクの町、そして“記録院”


 翌朝。霧はきれいに晴れて、斜面を下る風はからりと乾いていた。

 俺たちは野湯から一刻ほど歩き、谷を抜け、小高い丘の上に広がる街を見下ろした。


 白い石の城壁。屋根の青。てっぺんで回る風見鶏。

 門の前には露店が並び、色とりどりの商隊の旗がはためいている。


 その旗に描かれた紋様は、見慣れた聖教国のものではなかった。


「ここがフルーネンヴェルクか」


 思わず声が漏れる。


「はい。聖教国とも帝国とも距離を取っている中立商業都市です」


 クリフさんが横で頷いた。


「ここなら、身分証の代わりになる“記録牌”が取れます。聖教国の検問に遭っても、多少は顔が利くはずです」


「記録牌かぁ。免許証みたいなもんやな」

 よっしーが、肩に掛けた荷を持ち直しながらニヤニヤしている。


「よし、まずはそれを取りに行きましょう。……ついでに、飯も」


「お腹はすかれましたが、順番としては記録が先でございますね」

 あーさんが穏やかに笑った。


「腹減ったですニャ……。焼き魚の匂いがする方に行きたいですニャ」

「リンクもピョンピョンしてるしな……」


 暴れ兎のリンクは、街の匂いにわくわくして二段ジャンプしたり尻尾で俺の背中を叩いたりと落ち着きがない。

 俺は暴れ兎の耳を軽くつまんで、なんとか速度を落とさせた。


 クリフさん先導のもと、俺たちは街へ入った。


 城門のそばに、大きな建物がある。

 石造りで、扉の上には吊り下げられた銅板。


《記録院レジストラ》


 冒険者ギルド、というよりは役所のような、真面目そうな空気だ。


「“記録院”……台帳管理の役所ですわね」

「ふむ……役所か。」

「あー書類書かされるやつや」


 中に入ると、紙とインクと古い木の匂いがむっとした。

 書き物机がずらりと並んでいて、書記らしい人たちが羽根ペンを走らせている。


 受付で手数料を払い、順番を待つ。

 やってきた老人書記は、俺たちを一人ずつ見て簡単な素性を書きとり、それから魔法での簡易検めを行った。


「名前と出身、それから得意なことを」


「相良ユウキ。……出身は、ちょっと遠いです。得意なことは――」


 工場のライン作業、とまではさすがに言えない。


「“道を見る”のと、回復系、らしいです」


 老人は俺の手の指輪のところで、ほんの一瞬だけペン先を止めた。

 細く目を細め、それから何も言わずに書き続ける。


「うちは、信仰も素性も問わん。ただ、己の行いの記録だけ残す。悪事はすぐ露見する。――覚えておきなさい」


 静かな声だったが、妙な重みがあった。


 ほどなく、小さな木の板を渡される。俺たち全員分だ。


 名前と簡単な特徴。それから、まだ空欄の項目。


《行動履歴:未登録》


 仕事を請けて、誰かを助けたりやらかしたりすると、ここに簡単な記録が刻まれていくらしい。


「なんか……就職活動のエントリーシート、真っ白な時の感じ思い出すな」

「主、そこは明るく行くニャ。“これからいっぱい良い行い書くニャ”と言うところニャ」

「そうだな。ブラック、お前も悪さしないように」

「……カァ」


 白いカラスのブラックは、どこか気まずそうに翼で嘴をこすった。


 外に出ると、昼の鐘が鳴った。石畳の向こうから、香ばしい匂いが風に乗ってくる。

 屋台の鉄板で焼かれる肉。油のはねる音。


「うお、絶対うまいやつだ……」

 よっしーの目が、完全に屋台にロックオンされている。


「よっしー、財布」

 俺は、彼がアイテムボックスから何か取り出すより先に、その手首を掴んだ。


「まず宿!」


「ケチやなぁ、令和ボーイは」

「ケチじゃない、生活防衛。三十八で貯金ゼロのおっさんに散財させるな」


 ニーヤがくすっと笑う。


「主あるじは自分を卑下しすぎですニャ。……でも、お金は大事ニャ」

「はい、ここはユウキさんのおっしゃるとおりでございます」

 あーさんがやわらかく笑ってくれた。


 結局、折衷案になった。

 屋台で安い焼きパンを買って、宿“青い山猫亭”へ。


 梁の太い大広間でパンをかじっていると、入口の扉がきいと開いた。

 外から差し込んだ光が、床板に細い線を描く。


 影がひとつ、するりと滑り込み、俺たちの卓から二つ離れた席に腰を下ろした。


 全身黒装束、……ではない。

 旅人らしい皮の外套に、日除けのフード。

 けれど、動きに無駄がない。視線はさまよわず、場のすべてを測っている。


「……追ってきたな?」


 クリフさんの声が低くなる。


 よっしーが虚空庫の中で何かの柄を握る仕草。

 あーさんは水の杯から目を上げ、ニーヤは帽子のつばをつまんだ。


 その旅人は、こちらの視線が集まったのを見て、ふ、とフードを下ろした。


「脅かすつもりはない。話をしに来ただけ」


 現れたのは、落ち着いた琥珀色の瞳を持つ女だった。

 肩までの金色の髪。耳に銀の輪が二つ光っている。

 25前後、というところだろうか。腰には細身の剣と短弓。


「エレオノーラ。……“あの夜”、君を斬りかけた連中の“別派”だ」


 空気がぴんと張る。

 黒装束の鎌使いの、冷たい刃の感触が背筋をなぞった。


「誤解を解きに来た。私たちは“灯ともともしびの徒ともがら”。聖教国の圧政に反旗を翻す、たしかに反乱者だ。だが――君たちを殺す意志はなかった」


「じゃあ、あの鎌振り回してきた連中は?」

 よっしーが口を尖らせる。


「“硝子の鎌グラス・サイス”。同じ大義を名乗るが、手段を選ばぬ連中さ」


 エレオノーラは、懐から小さな布包みを取り出し、俺たちの卓にそっと置いた。

 布をめくると、錆びた鉄の徽章が現れる。十字のような二枚刃。その中心が、わずかに欠けていた。


「硝子の鎌の印。君たちの馬車を襲ったのは、こいつらだ」


「その証を、なぜ俺たちに?」

 クリフさんが眉を寄せる。


「頼みがあるから」


 エレオノーラはまっすぐこちらを見る。その眼差しは熱いが、押しつけがましさはなかった。


「聖教国の兵士長、バーグ。君らの話にも出たはずだ。三日後、《アレクサル収容施設》から“商品”を北のアルフェンヌ帝国へ移送する。道は峡谷の一本。護衛は厳重だが、突破口はある」


 胸の奥に、あの鉄臭い地下の空気が蘇る。

 血の匂い。泣き声。鎖の軋み。


「……救えるのか?」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。


「君たちが協力してくれるなら」


 エレオノーラは俺を見据える。


「私たちだけでもやる。だが、足りない。――君、ユウキ。君には“道を視る目”がある。そして治癒の光。彼クリフには内部の知識と射の腕、盾士には“倉”(アイテムボックス)。彼女――千鶴にはまだ眠る“水糸”の素養。猫魔導士には連環の魔法。揃いすぎている」


「わ、わたしも役に立つニャ?」

 ニーヤの尻尾がぴんと立つ。


「もちろん」


 エレオノーラは一枚の粗い地図を広げた。

 フルーネンヴェルク北方。崖をかみ合うように続く峡谷。そこを細い道が縫っている。


 赤い印が三つ。


「ここで三度、護衛の布陣が変わる。最初の狭路で先頭の荷車の車軸を折る。二の曲がり角で高所から目を奪う。三の落ち口で――」


「待て」


 クリフさんが指を地図に置く。


「バーグは用心深い。得物は“光輪の盾”。祈祷で展開する広域防壁だ。視界を奪っても、攻撃は弾かれる」


「だからこそ、君が要る。聖教国式祈祷――“祈りの鎖”の隙を知っているのは内部の人間だけ」


 クリフさんはしばし黙し、それから小さく息を吐いた。


「……やれるかは、わからない」


「やるしかない」


 気づけば、俺の喉から声が漏れていた。

 胸の底から、熱と冷たさが交互にせり上がってくる。


「三日で、準備する」


 そう口に出した瞬間、逃げ道を自分で塞いだ気がした。

 でも、誰かがそう言わなきゃいけない。だったら――三十八歳、氷河期負け組のおっさんの役目でもいい。


 エレオノーラは短く頷いた。


「今夜はここに泊まる。明朝、谷の下見に行こう」


 彼女が立ち上がり、俺たちに背を向けかけたとき、ふと振り返る。


「ユウキ。……君を視ている目が、ある。君の指に嵌っているそれ――」


 視線が、俺の指輪をかすめる。


「古い友が、似た光を帯びていた。名は……今はまだ言わない。確かめる」


 そう言い残して、エレオノーラは去っていった。



下見、そして“準備”


 翌朝。俺たちは峡谷の下見に向かった。


 朝霧が棚引く谷は、上から見れば一本の裂け目だ。

 足場は悪く、馬車は一列でしか進めない。崖沿いの岩棚は人ひとりがやっと。

 崖上には、風に削られた小さな洞。鳥の巣と乾いた苔。


「ここから射れば、たしかに一撃は通るな」

 クリフさんが弓を構える真似をする。


「車軸を折る“釘”(くぎ)は用意できるか?」

 エレオノーラが振り向く。


「任せとき」


 よっしーが得意げに虚空へ腕を突っ込み、銀色の棒を取り出した。


「角材用スパイク。耐荷重三トン相当。ホームセンターでまとめ買いしたやつや。

 タイヤチェーンもあるけど……この世界にタイヤないな。まあええ、轍に仕掛ける罠には使える」


「毎回思うが、よっしーの倉は便利すぎるな」

「奥さんとのメッセージ機能付き倉やで? レンタル料、世界一高いねん」

「ほう……奥さまがいらっしゃるのですね」

 あーさんが目を細める。


「せやで。だからこんな異世界で死ぬわけにはいかんのや。……こっそり缶チューハイ送ってくれたりもするし」


 その言葉に、俺の喉が無駄に鳴った。

 ――今晩、少しだけ出してもらおう。あくまで少しだけ。


 ニーヤが杖先で小石を浮かべ、くるりと回した。


「目を奪うのは“土埃”ニャ。乾いた苔と砂を渦にして投げ込むニャ」


「わたくしは……水糸が上手く張れるかわかりませんが」

 あーさんが胸の前で両手を重ねる。


「千鶴殿は織りの素養がある。水を糸にして絡める術なら適性は高い。やれるさ」

 クリフさんが短く背中を押す。


 エレオノーラは土色の小瓶を渡してきた。


「“石の息”。吸えば気付け、目に入れば涙。土に撒けばひび割れる。少なくとも馬は足をすくませる。……ただし風の読みは慎重に」


 帰り際、俺はどうしても気になって、野湯の穴に立ち寄った。


 印は、そのままだ。

 覗き込むと、暗闇の底で青い光が糸のように走っては消えていく。


《魂片:眠る/開扉、条件未充足》


 優しさは鍵のひとつ。まだ、何かが足りない。


 俺は唇を噛み、指輪を親指で撫でた。



宿での小さな宴


 街に戻る前、俺はひとつ、よっしーに頼みごとをした。


「なぁ、よっしー」


「ん?」


「……今晩、ほんの少しでいいから。なんか、酒出せないか?」


「おっ。ついに来たな、現実逃避」

「違う。……いや、半分くらいはそれだが」


 三十八歳。氷河期世代。貧困。酒類の缶だらけの六畳アパート。

 気づけば、そういうものばっかりだった俺の“現実”が、今はどこにもない。

 代わりにあるのは、奴隷馬車の鎖の音と、祈祷の光と、古い指輪。


「ちょっとだけでええなら、付き合うで」

 よっしーがにやっと笑う。


「クリフさんも、飲めます?」

「うむ…たしなむ程度にはな。任務中は控えるが、今夜は……前哨だ。少しなら」


「わ、わたくしは控えますが……お二人があまり飲みすぎないよう、見ておりますね」

 あーさんが苦笑する。


「ニーヤも匂いだけ嗅ぐニャ。魚の匂いがするお酒なら一口飲むニャ」

「そんな危険な酒はやめとけ」


 その夜。

 “青い山猫亭”の一室。簡素なベッドが二つ、椅子が数脚。

 窓の外には、フルーネンヴェルクの灯りがぽつぽつと見えた。


 よっしーが虚空に腕を突っ込み、銀色の缶を三本取り出す。


「ほい。“ハイリキレモン味。コレでどないや」


「レモンの香り……」

 あーさんが興味深そうに缶を見つめるが、手は伸ばさない。


「では、少しだけ」

 クリフさんが、照れくさそうに缶を受け取った。


「主あるじも飲みすぎ注意ニャ。ニーヤは魚がないので、匂いだけ嗅ぐニャ」

 ニーヤは缶の上に顔を寄せ、くんくんと鼻を鳴らしてから首をかしげる。


「うん。これは……酸っぱいだけニャ。魚の匂いはしないニャ」


「酒に魚の匂い求めるなよ」


 俺は缶のプルタブを引いた。ぱきん、と金属音。

 レモンの香りと、炭酸の刺激。


「――あー……」


 一口だけ。喉を通った瞬間、懐かしさが込み上げてきた。

 六畳アパートの薄暗い部屋。安物のテレビの青い光。

 山積みになった空き缶。溶けない不安。


「なんか、顔暗なったで」

 よっしーが笑いながら缶を傾ける。


「うるさい。……でも、ありがとな」

「おう。生きてるうちに飲んどけ。明日、死んだら損や」


「ほどほどに、でございますよ」

 あーさんがそっと言う。


「はいはい。ほどほどにな」

 クリフさんが一気には飲まず、慎重に口をつけている。


 俺は、わざとらしく肩をすくめて笑った。


「三十八で、精神的にはまだフリーターの延長みたいなおっさんがさ。

 偉そうに『三日で準備する』なんて言ってるんだ。……少しくらい、燃料入れとかないと」


「主あるじは、もうちょっと自分を信用するニャ」

 ニーヤがふわっと笑う。


「そうですよ、ユウキさん」

 あーさんも続ける。


「わたくしのいた時代――明治三十五年の工場でも、毎日同じ作業に見えて、皆それぞれに工夫や気遣いを重ねておりました。

 ユウキさんもきっと、そうして積み重ねてこられたからこそ、今、“優しさ”で扉を開けておられるのだと思います」


「……そんな大層なもんじゃなかったけど」



 それでも、誰かにそう言ってもらえるのは、悪くない。


 そうして、ほんの短い時間だけ。

 俺たちは明日の不安を、少しだけ酒で薄めて、寝床に入った。



三日後の峡谷


 三日は、あっという間に過ぎた。


 朝。空は薄い錫色。鳥の鳴き声が鋭く響く。


 峡谷に張った綱に、“水糸”が鈴虫の翅のようにきらめいていた。

 あーさんが額に汗をにじませながら左手を伸ばし、右指で糸を撚っていく。


 目を凝らさなければ見えないほど細い水糸だが、指には確かな抵抗が伝わる。


「すごい。ほんとに糸になってる」

「織物の要領でございます。経たて糸と緯よこ糸を……」


 あーさんが恥ずかしそうに笑う。


 俺はその横で、魔導書の白紙ページを開いた。

 いつの間にか、ページの端に薄い水色の紋様が浮かんでいる。


《水糸:基礎》


 ――やっぱり、この本は俺たちの行いで埋まっていく。


 崖上にはクリフさんとエレオノーラ。

 ニーヤは俺の隣で杖を構え、よっしーは岩陰でスパイクの罠を仕込んでいる。

 ブラックは高く舞い上がり、谷の向こうを見張っていた。


 風が一度、谷を抜ける。


「来る」


 クリフさんの短い声。


 まず現れたのは斥候二騎。聖教国の白い外套に金の縁取り。

 馬の鼻先が水糸の小さな鈴に触れ、かすかな音を立てた。

 馬が耳を伏せる。斥候は気づかない。


 次に旗騎。“十字聖教”の黒旗。

 護衛の歩兵二列。盾と槍。

 中央には鉄帯の大型馬車。格子付きの窓。

 中から、小さな音――鎖の鳴る音が、耳に刺さる。


 後衛には、金の鎧。角張った肩当て。バーグ。


「先頭、いま!」


 よっしーが仕掛けたスパイクが轍に噛み、車軸が悲鳴を上げた。

 先頭の荷車ががくんと傾き、馬が前脚を折る。怒号。隊列が乱れる。


 崖上からクリフさんの矢が、車輪の楔を正確に撃ち抜いていく。

 エレオノーラの矢は、指の動きとほとんど見分けがつかない。

 矢が地に突き刺さると、とりつけられた瓶が割れ、土煙が噴き上がった。


「土旋どせん!」


 ニーヤが杖を薙ぐ。

 砂と苔が竜巻になり、兵たちの目を一斉に叩いた。


 俺は掌を合わせ、深く息を整える。

 選ぶのは“癒し”じゃない。“鎮め”。


 暴れかけた馬たちに向かって、心の中で小さく唱える。


 ――落ち着け。怖いのはわかる。でも、止まってくれ。


 イシュタムの光は、刃じゃない。包む力だ。

 暴れる馬が一頭、びくりと震え、首を低くした。


「バーグ、祈るぞ!」


 後衛の金鎧が盾を突き上げる。

 真円の光がぱっと花のように広がり、視界のすべてが薄い膜に包まれた。


 矢が弾かれ、土旋も散らされる。


「祈りの鎖、第二節へ移る前!」


 クリフさんの怒鳴り声。

 俺は息を吸い込み、“探索”を開く。


 視界の端で、小さな“欠け”が瞬く――盾の縁。祈祷者の口がわずかに緩む拍。


 あーさんの水糸が、その瞬間に光を受けて走り、バーグの足元に絡みついた。

 ほんの一瞬、膝が沈む。


「今だッ!」


 エレオノーラの短剣が閃き、投げられた刃が膜の“欠け”をすり抜けて祈祷者の腕を裂く。

 光が一呼吸だけ弱まる。


「風列ふうれつ!」


 ニーヤの風が、盾の隙間をすり抜けて兵たちの足を薙いだ。

 隊列が崩れ、よっしーが虚空から布袋を取り出して投げる。


 袋は空中でバーンと破裂し、白い粉が一帯に広がった。


「小麦粉や! 視界と呼吸奪える。……けど火気厳禁やで!」


「了解!」


 俺は、粉塵に火が走らないように、掌で湿り気を呼ぶ。

 指輪が、ちり、と鳴った気がした。


 湿り気が白い霧に変わり、粉の粒を重くする。


「後衛を押し上げろ! 位置を詰めろ!」


 バーグの怒声が谷に響く。

 金の鎧が光り、光輪の盾が再び強度を増す――そのタイミングで、崖上の岩棚がばきっと音を立てて割れた。


 乾いた苔の下に仕込んだ楔。

 落ちる岩。

 最も重い“牢車”の前に石塊が転がり込んだ。輪止め。車輪が止まる。

 中から悲鳴が上がる。


「鎖を切れ!」


 俺は駆け出した。

 ニーヤが肩に飛び乗り、ブラックが頭上を旋回する。


 兵たちが槍を向けてくるが、よっしーが虚空から長い布を引っ張り出し、ばさっと被せた。


「防炎シートや! 中から殴ってもびくともせん!」


「そんなもんまであるのかよ!」


 俺は防御膜の内側――兵の背中の“影”を縫って牢車へたどり着く。

 格子に手をかける。中には怯えた目。泣き腫らした顔。乾いた唇。


 鎖に癒しを流すわけにはいかない。

 物に効くのは“鎮め”だけ。……だけど。


 指輪が、ぴ、と光った。


《導路:優しさ、第二鍵/“名を呼ぶこと”》


 俺は息を吸い込み、格子越しに見つめた。

 最初に目が合った少年に、できるだけ静かな声で問う。


「――君。名前は?」


 驚いた顔をしながらも、少年はすぐ答えた。


「リーノ」


「リーノ。怖かったな。今、出す」


 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


 掌に金属の冷たさが移る。

 鎖にまとわりついていた“何か”が、ふっと緩んだ。

 錠前のピンが一つ、からん、と落ちる音がする。


「ニーヤ!」


「火花は無しニャ。“水刃すいじん”」


 水の薄刃が錠前をなぞり、ぱちんと外した。

 格子が開き、中から痩せた腕が伸びる。


 小さな手。

 俺は、その手をしっかりとつかんだ。


 次の檻。隣の目。

 名を尋ねる。――「カナ」「ヨム」「アレナ」。


 ひとつひとつの名前を口にするたびに、鎖の錆が溶けるように錠前が緩んでいく。


「バーグ、右壁!」


 崖上でエレオノーラの叫び。


 バーグは顔を歪め、光輪の盾を前へ押し出した――その影から、黒い影が跳ねる。


 鎌の光。冷たい気配。

 あの“黒装束”――硝子の鎌だ。


「貴様らが獲物を横取りするな。“商品”はアルフェンヌ帝国のもの――いや、“我らが主”のものだ」


 掠れた声。

 鎌の刃は祈祷の光ではなく、生身を好んでいる。


 俺は反射的に身を引いた。

 鎌は俺ではなく、目の前で解かれた鎖へ向けて振り下ろされる。


「させぬ!」


 あーさんの水糸が風に浮かび、鎌の柄を絡め取った。

 細い糸なのに、石よりも強い。鎌が一瞬止まる。


 その隙を逃さず、クリフさんの矢が黒装束の肩に深く突き刺さった。

 男が舌打ちし、洞窟の影へ跳ぶ。

 エレオノーラが追い、崖上で二つの影が交差する。


「ユウキ、背中!」


 よっしーの声。

 防炎シートを引き剥がした彼が槍を奪い、迫る兵の足を払う。


 俺は最後の檻に手をかけ、「名前を――」と言いかけて、息を呑んだ。


 檻の奥。ひとりだけ鉄面を付けられた女が座っていた。

 浅黒い肌。白髪まじりの黒髪。目には荒野の夜のような深い光。


 指輪が、三度、強く光る。


《魂片:共鳴/名:イシュタムの継ぎ手(仮)》


 女はゆっくりと、鉄面越しに俺を見た。


「……吾われは“イシュタムの記録レコード”。血肉ではない。だが、子ねを視る」


 澄んだ低い声だった。

 背中を冷たいものが走る。


「その指輪――“護りの契ちぎり”。幼き魔女が無闇に渡す品ではない。……黙して働け。声は後だ」


「後で、必ず――」


「約すな。まず、生きよ」


 短く遮られる。

 俺は頷き、錠前に指をかけた。名前は、問わなかった。

 彼女は“名”ではなく“記録”だ。


 錠は、触れた瞬間に音もなく落ちた。


 その時、谷の向こうから角笛。増援だ。


 バーグは流血しながらも笑い、鎧に刻まれた十字が薄く黒く脈打つ。


「虫けらの反逆者ども――ここで潰す!」


 光輪の盾が最大半径に広がる。

 崖上のエレオノーラが舌打ちし、クリフさんの矢も弾かれる。


 俺は解放した子どもたちを背中にかばい、ニーヤが前へ出る。


「主人あるじ、連環術いくニャ。ブラック、来るニャ!」


 ブラックがくるりと輪を描いて降り、ニーヤの帽子にとまった。

 杖先に黒い羽根が絡み、杖に薄い影が走る。


「“影連結シャドウ・リンク”――影よ、影を噛め」


 バーグの足元――光輪の縁の“影”に、ブラックが落とした黒が滑り込む。

 影と影が噛み合い、光輪の輪郭がかすかに引っ張られる。


 ほんのわずかな歪み。

 だが、“完全”を求める祈祷は、そこからほどけ始める。


「今!」


 よっしーが虚空から“鳴子煙”を取り出して地に投げた。

 パーンと破裂し、白と紫の煙が立ちこめる。


 視界を奪われたバーグの盾の縁がさらに揺らぎ、その隙を突いてあーさんの水糸が走る。

 足。膝。腰。重心が崩れた。


「はぁああっ!」


 崖上からエレオノーラが飛び、バーグの盾の“持ち手”に刃を叩き込む。

 金属音。盾が傾ぎ、光が断ち切られる。


「クリフ!」


「この一矢!」


 クリフさんの矢が、兜の接ぎ目を正確に射抜いた。

 血が細く噴き出し、バーグが呻く。

 それでも倒れず、怒りだけで立っている。


「――退け!」


 エレオノーラの号令。


 俺は解放した子どもたちと“記録の女”を守りながら後退する。

 よっしーが最後尾で粉袋と縄を投げ、あーさんが水糸で足場を補強し、ニーヤが土を固め、クリフさんが矢で追撃を抑え、エレオノーラが殿しんがりを務める。


 角笛がもう一度鳴る。谷の出口には、石を積んだ小さな堰。


「せーの!」


 俺たちは一斉に石を押し崩した。溜まっていた水がどっと溢れ出す。

 泥水が谷を満たし、追手の足をすくった。


「退却――成功!」


 ほとんど転がるように山道を駆け上がり、森の中へ身を隠す。



間の刻――焚き火の輪


 森の奥。苔むした倒木の影。

 焚き火の火が小さく揺れている。


 解放した子どもたちは、パンと温いスープを少しずつ口にして、次々と眠りに落ちていった。

 少し年上の少女たちは互いに肩を貸し合い、静かに涙を拭っている。


「……あの女は」


 よっしーが、小さな声で俺に問う。

 焚き火の向こう、鉄面を外した“記録の女”が炎を見つめていた。


 鉄面の下の顔は、思ったより若い。

 だが、目は年齢の想像がつかないほど古い。


「名は?」


「名は、ない」


 彼女は火から目を離さずに答えた。


「吾は“記録”。この地の“古い王きみ”が魂を分け、壺に眠らせたもの。……イシュタム」


 指輪が熱を持つ。

 思わず指を握りしめた。


「お主は“器”。まだ欠けた器。だが、優しさで“縁ふち”を作った。……壊すよりも、満たす者」


「……俺に、何をさせたい?」


「望まぬ者に、命じはしない」


 焚き火の火がぱち、と弾け、火の粉が夜に散る。


「ただ、教える。――魂片ソウル・フラグメントはこの大陸に七。野湯の下はその一。

 君が“優しさ”で扉を開き、魂の断片を“記録”と結べば、器は満ちる。満ちた器に、古い言葉コトバが戻る」


「あの……古い言葉とは、なんでしょうか」

 あーさんが膝の上で手を組む。


「人が忘れて久しい、約束の言葉。祈りとは異なる、もうひとつの“道”」


 エレオノーラが焚き火の縁に腰を下ろし、短弓の弦を指で弾いた。


「それが、聖教国の祈祷に対抗しうる?」


「対抗ではなく、“ほどく”。祈祷は縛る。古い言葉は、ほどく」


「ほどく、か……」


 俺は、さっき鎖の錠前が名前ひとつで緩んだ瞬間を思い出した。

 あれは、まさに“ほどく”だった。


「明日、野湯へ行く」


 自分からそう言っていた。

 クリフさんが頷く。


「子どもたちの避難は“灯の徒”に任せていいか?」


「もちろん」


 エレオノーラは即答する。


「フルーネンヴェルクの地下には協力者がいる。聖職者でも、市壁の書記でも、聖教国に疑問を抱く者は少なくない」


「バーグは?」

 よっしーが問う。


「生きている。だが、顔に矢を受けた。自尊心に傷。必ず報復に動く。……“硝子の鎌”も、君たちを狙う」


「来るなら来い、や」


 よっしーが拳を握る。


「良和さん。無茶は禁物でございます」

 あーさんが苦笑でたしなめる。


「主あるじも、あまり前に出すぎないでほしいニャ」

 ニーヤは尻尾を膝に巻き、帽子のつばの影からこちらを見上げた。


「ユウキさん」


 あーさんが、火の音の合間にそっと声をかける。


「わたくし、怖くなくはありません。

 けれど今朝、水糸を張る指が震えなかったのは、皆さまがそばにいてくださったからです。

 ……わたくしも、“名を呼べる”人間でありとうございます」


「呼べるよ。絶対に」


 俺は笑った。

 少しだけ、本当に少しだけ、心が軽くなる。



野湯の下、扉の前


 翌昼。野湯の穴は、昨日と変わらず口を開けていた。


 俺たちは松明に火を灯し、梯子を下ろして降りる。

 先頭は俺。続いてニーヤ、あーさん、よっしー、クリフさん。

 エレオノーラは森に残って警戒。ブラックは先に降りて暗闇を一巡し、問題がないことを告げた。


 穴の底は乾いた石の室だった。

 壁には古い刻文。苔の間に細い線が走っている。

 線は昨日見た“優しさの光”の軌跡をなぞり、石の扉の輪郭を描いていた。


 扉の中央には浅い皿。

 皿の縁には細かい刻み。


《開扉条件:優しさ/“第三鍵:分かち合い”》


「分かち合い……?」


「食べ物?」

 よっしーがパンを取り出して皿に置く。……反応なし。


「では、水を」

 あーさんが掌に水を集め、そっと皿に落とす。


 石が、ほんのわずかに鳴った。

 けれど、まだ足りない。


「『分かち合い』は、物ではなく、心かもしれませんニャ」

 ニーヤが顎に手を当てる。


 俺は深呼吸し、扉の前に膝をついた。

 皿の縁に手を置き、目を閉じる。


 峡谷で子どもたちの名を呼んだ感触。

 名前は、その人自身への入口だ。


 ならば、ここで呼ぶべき名前は――。


「相良ユウキ。木幡良和。相沢千鶴。クリフ・カルロベーノ。ニーヤ」


 ひとりひとり、名前を口にする。

 指輪が輪郭の熱を伝え、俺は続けた。


「今ここにいる、みんなの“生きたい”を、分け合いたい」


 皿に透明な光が溜まっていく。

 水でも涙でもない、淡い光。

 皿の縁の刻みが、それを吸い込むようにチリ……チリ……と音を立てる。


 そして――扉が静かに右へ滑った。


 冷たい風が頬を撫でる。

 奥は広い空洞だった。


 天井には鉱石が星のように埋まっていて、青い光が息をするように明滅している。


「きれい……」


 あーさんの声が震える。

 ニーヤは帽子を脱ぎ、胸の前で抱えた。


「宇宙やな、これ」

 よっしーがぽつりとこぼす。


「静かに」

 クリフさんが口元に指を立てる。


 空洞の中央に丸い台座。

 そこに掌ほどの透明な器があり、中に薄い光の粒が漂っている。


 器の縁の古い文字が、視界に自然と訳となって滲む。


《魂片:イシュタム“望の記”》


 近づくと、指輪が熱を帯びた。

 俺は躊躇いながらも、器へ手を伸ばす。


「触れる前に」


 背後から声。

 いつの間にか、“記録の女”がそこに立っていた。


 顔を布で覆い、目だけが見える。どうやってここまで来たのか――その疑問は飲み込んだ。


「“望のぞ”は、刃にも毒にもなる。握れば溢れ、握らねば零れる。……器よ。己の“望み”を口にせよ」


 望み――。


 胸の奥にあるものを、素直に掬い上げる。

 見栄も言い訳も抜きで、聞こえるように言葉にする。


「――生きてほしい。俺が、じゃなくて。……一緒にいる人たちが」


 声が震えないように気をつけながら続ける。


「あの鉱山の老人も、逃げ出した人たちも、千鶴も、よっしーも、クリフさんも、ニーヤも。

 俺は、そのために強くなりたい」


 言い終えて、耳が熱くなった。

 青臭い。でも、それ以外に言えなかった。


「分かった」


 “記録の女”は、わずかに目を細める。


「受けよ」


 器から光が一筋、俺の胸へ吸い込まれた。

 冷たい風が体内を駆け抜け――すぐに静まる。


 視界の端に文字が浮かぶ。


《クラス適性更新:テイマー→〈継ぎ手ヘリター〉/条件:魂片二つ以上/現在:一》


《スキル獲得:“結び目ノット”/効果:名を通じ、対象との縁を一時的に強化する/代償:己の精神力》


「“結び目”、か」


「良い名前ニャ。主と眷属の縁を太くする術ニャ」

 ニーヤが誇らしげにうなずく。


「ようやったな」


 よっしーが肩を軽く叩く。


「けど、敵も動くで。バーグも、硝子の鎌も。フルーネンヴェルクの中にも、聖教国の目は潜んどる」


 クリフさんは、空洞の入口を一度だけ振り返った。


“記録の女”は壁の青い鉱石に触れ、短く告げる。


「残り六。急くな。だが立ち止まるな。――君は、名を呼ぶ者。名は刃より強い」



帰還、そして訪れる“見知らぬ天井”


 地上に戻ると、夕暮れが森の端を染めていた。


 フルーネンヴェルクへ戻る途中、俺たちは交代で荷を持ち、互いの無事を確認し合う。

 解放した子どもたちはすでに安全な隠れ家に運ばれ、“灯の徒”の仲間が世話をしているらしい。


 宿に戻り、食堂で簡素な夕食を取った。

 パン、チーズ、豆の煮込み。


 あーさんは静かに祈り――祈祷ではなく感謝の言葉――を捧げ、

 よっしーは「豆は身体にええ」と二杯目を頼み、

 ニーヤは「魚が欲しいニャ」と頬をふくらませる。

 クリフさんは淡々と「今夜は二交代で見張り」と段取りを決めていく。


 俺は部屋に戻り、寝台の粗いシーツへ背を投げ出した。


 目を閉じると、すぐに暗闇がやってくる。

 指輪の熱はもうない。

 ただ、胸の奥に小さな“結び目”の感触が残っていた。


 千鶴の名。よっしーの名。クリフさんの名。ニーヤの名。エレオノーラの名。

 ……リーノ。カナ。ヨム。アレナ。


――見知らぬ天井。


 目を開けると、そこは石でも木でもない白い天井だった。

 四角い光が均等に並び、空気は乾いている。


 消毒液の匂い。病院……に似ているが、違う。

 床は冷たい金属だ。


「目覚めたか」


 傍らに影。顔はフードに隠れて見えない。


「“器”の主よ。お前がどんな優しさで扉を開けても――誰かは、その扉を閉めに来る。それがこの世界の“管理メンテナンス”だ」


 背筋に冷たい汗が伝う。


「誰だ」


「名は、ない。“管理者”。あるいは――」


 声が一瞬、遠のいた。

 白い天井の一枚が黒く染み、そこに“十字”が滲む。


「――“聖務局”」


 ――目が覚めた。


 心臓が跳ねる。

 見慣れた宿の天井。窓の外で夜の鐘が鳴っていた。


 額には汗。喉が乾き、俺は水差しに手を伸ばす。

 冷たい水が胃に落ちるのを感じながら、ゆっくり呼吸を整えた。


“管理者”。“聖務局”。


 夢だ。

 ……だが、夢のほうが現実に寄ってくることもある。


 控えめなノックの音。


「ユウキさん、起きていらっしゃいますか?」


 あーさんの声だ。胸が少しだけ軽くなる。


 扉を開けると、あーさんが灯りを手に立っていた。

 髪はほどけ、寝間着の上に薄い外套を羽織っている。


「すみません、夜分に……。眠れませんでした。

 先ほど、妙な夢を見て」


「俺もだ」


 あーさんの顔が、ほんの少しだけ明るくなる。


「同じかもしれません。白い天井、冷たい空気……。

 わたくし、“カチ、カチ”と機械の音を聞きました」


 俺は、さっき聞いた“聖務局”という言葉を飲み込んだ。

 あーさんにまで、あの不気味さを背負わせたくない。


「……大丈夫。夢は、夢だ」


「はい」


 互いに、少しだけ笑う。


「おやすみなさいませ、ユウキさん」

「おやすみ」


 扉が閉まり、廊下の灯りがゆっくりと薄れていく。



新しい朝と、新しい仲間


 翌朝。

 宿の下の扉を開けると、焼きたてのパンの匂いと果物の甘い香りが迎えてくれた。


「今日は林檎の焼き菓子がありますよ」

 厨房の娘が笑う。


「ほな二切れ」

 よっしーが即注文。

 あーさんは銀貨を出して紙袋にパンを詰め、ニーヤは窓辺で雀を眺めながら尻尾をぶんぶん振っている。


 クリフさんはすでに“記録院”へ行き、戻ってきたところだった。


「救出の記録、匿名可だが残した。“灯の徒”への少額寄付あり、という形で。

 追われるリスクは減らないが、支持は増える」


「バーグは?」


「顔面の矢傷は、表向きは伏せているが、“栄誉の傷”と吹聴しているらしい。

 だが、今朝の市門の検問は厳しかった。聖務局の赤衣が混じっていた」


 赤衣――。

 背中に、昨夜の夢の冷気が再び走る。


「小さく、速く動くべきだな」


 エレオノーラが食堂に入ってきた。背負子に荷物。目は冴えている。


「君らに紹介する。――“ルゥ”」


 その後ろから、小さな影がひょこっと顔を出した。


 青灰色の皮膚、丸い鼻、真っ黒な瞳。

 少し尖った耳に、藁のように硬そうな髪。

 人間ではない。小人族。

 ドワーフというより、もう少し軽やかな印象だ。


「フルーネンヴェルクの“石工組合”の徒弟。鍛鉄も石組みもいける。

 君らの装備を少し軽く、少し強くできる」


「ルゥ・ボーラ。よろしく」


 ルゥは短く頭を下げ、俺たちの装備を素早く見回した。


「その棒、芯を入れ替える。猫の杖は……いい樫。穂先だけ鋼で覆う。

 盾士の“倉”には、重みの配分を変える器具を足す。水糸の君には指に巻く“織り指輪”。

 人間の君――ユウキ、だね。君には“結び目”用の紐ひも」


「紐?」


「とてもよく結べて、とてもよく解ける紐。……君の術に合わせる」


 ルゥは口角を上げる。


「支払いは“灯の徒”経由。君らは君らの“仕事”を続けて」


 新しい仲間。

 胸の奥の“結び目”が、ひとつ増えた気がした。



追捕――赤衣の影


 昼前。

 俺たちがフルーネンヴェルクの北門を抜けようとしたときだった。


 門の向こうで赤い裾が揺れる。

 白い手袋、赤い長衣、胸の銀の十字。聖務局――“異端審問”の役人。二人。


 視線は鋭い。

 俺の指輪を一瞬かすめた気がした。


「旅の者。記録牌の提示と、所持品の検め」


 よっしーがさっと前へ出て、記録牌を見せる。

 虚空庫から、ごく普通の旅装備を取り出して並べた。パン、干し肉、水袋、ロープ。


 赤衣は無言でそれらを眺め、鼻を鳴らす。


「猫は?」


「わたしは猫ではなく、猫魔導士ニャ」


「許可証は?」


「記録院で登録済みだ」

 クリフさんが冷静に牌を示す。


 役人は目を細め――ふいに手を伸ばし、俺の手首を掴んだ。

 指輪の嵌った指。冷たい手。


「それは、どこで手に入れた?」


「――贈り物だ」


 俺は手を振りほどき、視線をそらさなかった。


 役人の目が、一瞬だけ笑ったように見えた。

 冷たく、ひびの入った笑み。


「見知らぬ天井に目覚める者は、往々にして“贈り物”を持つ。……良い旅を」


 赤衣が踵を返し、門番に顎で合図する。

 扉が軋み、外の光が道を満たした。


「……あれは、完全に勘づいてるニャ」

 ニーヤが小さく唸る。


「まあ、堂々と行くんが一番や」

 よっしーが肩をすくめる。


「警戒を上げる」

 クリフさんが短く言い、あーさんが胸の前で指を組む。


 エレオノーラは少し遅れて門をくぐりながら、俺の耳元で囁いた。


「“見知らぬ天井”は、君だけの夢じゃない。赤衣は、時々、そこから来る」


「……夢、だよな?」


「うん」


 けれど、彼女は笑わなかった。



次の地平――“風鳴りの丘”へ


 北へ。

 丘陵が波打ち、遠くに銀色の川筋が光る。風が草を鳴らし続けている。


 ルゥが先頭で石の表情を読み、水脈の“音”を耳で掬う。

 ニーヤは草むらで薬草を摘み、あーさんは“織り指輪”で水糸を細く撚る練習。

 よっしーは荷の中身を何度も確認し、新しい“重み配分器具”に感動している。

 クリフさんは弓の弦を調整し、エレオノーラは後方の地形を記憶していく。


 俺は、ときどき立ち止まり、指輪の温度を確かめていた。


「ユウキさん」


 あーさんが並んで歩きながら、風に髪を揺らして言う。


「昨日の夢……怖かったですが。

 今朝、皆さまのお顔を拝見して、わたくしは胸を張って歩けました。

 ……ありがとうございます」


「俺も。みんなの顔見たら、だいぶマシになった」


 そう答えると、あーさんがほっと笑う。


 前を歩いていたよっしーがくるりと振り返った。


「青春してるやないか、おっさん」

「おっさんに青春って単語使うな」

「主あるじ、顔赤いニャ」

「風のせいだ」


 クリフさんが「歩け」と短くまとめ、エレオノーラが咳払いして前を見る。

 ルゥは「人間はよう喋る」と肩をすくめた。


 風が丘の草を渡る音に混じって、遠くで雷鳴のような、しかし乾いた轟きが聞こえる。

 地の底の、遠いところで何かが目を覚ましたような――。


 指輪が、かすかに温かい。


《魂片:遠鳴り/次位の導路、“風鳴りの丘”》


 俺たちは歩調を合わせ、丘の縁へと歩を速めた。


 ――“優しさ”で開く扉は、まだいくつも残っている。

 名を呼び、結び、ほどき、また結ぶ。

 刃ではない道で。けれど刃と並んで。


 俺は息を吸い、空を見上げた。


 見知らぬ天井ではない。

 俺たちの、空だ。


用語・設定ミニ解説


■ 記録院と「記録牌」

•記録院レジストラ

冒険者ギルドではなく、「公的な履歴書を発行してくれる役所」です。

信仰や国籍にあまり口を出さず、

•この人は誰か

•どんな仕事をしたか

だけを“淡々と”刻んでいく場所。

記録牌きろくはい

身分証兼・簡易職歴カード。

「行動履歴:未登録」からスタートして、

誰かを助けたり、しくじったりすると、

「何をしたか」だけがシンプルに記録されていきます。


この世界では、「信仰で身分を保証する聖教国」に対して

「行いで人を見る記録院」という対抗軸があります。



■ “灯の徒”と“硝子の鎌”


どちらも「聖教国に反旗を翻す側」ですが、

思想がかなり違います。

•灯ともしびの徒ともがら(エレオノーラ側)

•目指しているのは「圧政への抵抗」と「救出」

•手段は荒くても「できるだけ助ける側に回りたい」人たち

•今回、ユウキたちと組んで奴隷馬車を襲ったのはこちら

•硝子のグラス・サイス(黒装束の鎌使い)

•目的が「大義」ではなく、もっと別の“主”寄り

•手段を選ばないテロ寄りの集団

•同じ「反乱」を名乗りつつも、灯の徒からは嫌われている


同じ「反聖教国」でも、

「人を助けたい派」vs「手段問わない派」の違いを出しています。



魂片ソウル・フラグメントとイシュタム

魂片ソウル・フラグメント

古い王(=イシュタムの一部)が世界に撒いておいた「魂の断片」。

この大陸に七つ存在し、

それぞれが「別々の性質」を持っています。

今回のはそのうちのひとつ――

•「望ののぞみのき

「望み」に関する記録の魂片。

ここでユウキが

「生きてほしい」

と口にしたことで、“望み”と“優しさ”の方向が仮固定されました。

•“イシュタムの記録レコード”の女

彼女は「ひとりの人間」でもありつつ、

同時に「イシュタムが壺に眠らせた“記録そのもの”」でもあります。

肉体を持っていますが、正体は「魂片に紐づいたデータの器」に近い存在です。



■ クラス〈継ぎヘリター〉とスキル“結びノット

•テイマー → 継ぎヘリター

元々ユウキは「テイマー適性」でしたが、

魂片を取り込み、

•名を呼んで

•縁をつなぎ

•鎖を“ほどく”

という方向性が強まったことで、

クラスが「継ぎヘリター」寄りに変わっています。

•スキル“結びノット

•「相手の名」を介して、その人との“縁”を一時的に強くするスキル

•効果はかなり強いですが、ユウキ自身の精神力を削るため、連発は危険

•後の「眷属たちとのシンクロ」「連携技」にも関わる基礎スキルです


テーマとしては「攻撃スキル」ではなく

「縁を太くして、一緒に生き延びるためのスキル」です。



■ 水糸・影連結・鎮めの魔法

水糸みずいと/織り指輪

あーさんの得意分野。「水を糸のように扱う」能力。

明治の織物工場のバックボーンをそのまま魔法方面に反映させています。

今回は

•鎌の柄を絡め取る

•バーグの足元を縛る

などで活躍。

影連結シャドウ・リンク(ニーヤ+ブラック)

•ニーヤの風・影系魔法と

•ブラックの“影を落とす”特性を合わせた連携技。

影と影を噛ませて、光輪の盾の“完全性”をほんの少し狂わせる技です。

•“鎮め”の魔法ユウキ

“癒し”=HPを回復する、ではなく、

•馬の恐怖をなだめる

•鎖の“抵抗”を弱める

など、「攻撃と回復の間」にある“落ち着かせる系”の魔法として扱っています。


イシュタムサイドの基本方針は

**「倒す」ではなく「ほどく・鎮める」**です。

この回では、その方向性がかなりはっきり出ています。



■ 「優しさで扉を開く」条件


野湯の下の扉には、複数段階の“鍵”が設定されています。

1.第一鍵:優しさ(基礎)

•ただ「助けたい」と思って動いた段階

2.第二鍵:“名を呼ぶこと”

•鎖の一人一人に名前で呼びかけ、

「君」をちゃんと「誰か」として扱う行為

3.第三鍵:分かち合い

•食べ物やお金ではなく、

•「ここにいるみんなの“生きたい”を、分け合いたい」という

内側の願いを言葉にすること


今回のエピソードで、第三鍵までクリアして初めて扉が開きます。



■ 見知らぬ天井・聖務局・“管理者”

•見知らぬ天井

「異世界転移あるある」なフレーズですが、

この作品では

•普通の“病院の天井”っぽい

•でも世界観に似つかわしくない“メンテナンス空間”

として、半ばシステム側の場所になっています。

聖務局せいむきょく/赤衣

•聖教国の中でも、「世界の管理システム」に深く関わる部署。

•異端審問+管理者側の窓口、みたいなポジションです。

•赤衣の役人は“見知らぬ天井”に出入りできる(らしい)人たち。

•“管理者”

ユウキの夢に出てきたフードの人物。

•「世界の扉が勝手に開きすぎないように調整する存在」

•聖務局と完全に同じではないが、かなり近い立場

くらいのイメージです(まだ濁してあります)。


ざっくりいうと、

「優しさで扉を開ける側」がユウキたち、

「開きすぎた扉を閉めに来る側」が聖務局/管理者、

……という構図をゆっくり出し始めた回です。


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