幕間 ルミエールの夜に乾杯を
塔から戻った夜、学園階層の灯はいつもより温かかった。
ミカから通信が入り、声はいつもどおり落ち着いていたが、ほんの少しだけ柔らかかった。
『勤務外なら飲酒も許可します。ただし――二日酔いは非効率ですよ?』
よっしーが笑いを堪えきれずに返す。「了解や! 今夜だけは効率も昇天や!」
『……まぁ、楽しんでください』
案内板には“バー《ルミエール》開放中”の文字。
金の取っ手を押すと、琥珀色の灯が洩れた。
レンガ壁と真鍮の照明、低くかかるスピーカーからはPERSONZ「Dear Friends」。
カウンターの奥では、ルフィがエプロン姿でグラスを磨いている。
「ダーリンたち、入場許可なのだぞ!」
「えらい張り切っとるな」「今日はボーナスやで」とよっしーが笑う。
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木の椅子に腰を下ろすと、琥珀のグラスがずらりと並ぶ。
ユウキが久しぶりに息を吐き、「……ハイボールで」。
ノクティは静かに「ワインを、ほんの少しだけ」。
クリフは「エールを頼む」。
あーさんは「果実酒を薄く」、ニーヤは「ミルクに氷を」、ブラックは皿の枝豆を見つめて動かない。
リンクは早くもナッツの皿へ「キュイ!」と突撃。
よっしーがグラスを掲げる。「ほな、いくで――」
クリフが立ち、言葉を添えた。
> 「拍を整え、声を返し、生きて戻った。――乾杯だ」
グラスが触れ合い、カランと音を立てた。
酒の匂いが、ようやく現実に戻った感覚を運ぶ。
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「まさか俺がバーに入る日が来るとはな」ユウキが笑う。
「うむ。戦いは息の間。飲むは拍の間だ」クリフの声は穏やかだ。
「ええこと言うたで、拍の間に乾杯!」よっしーがもう一度グラスを掲げた。
「にゃー、主、《あるじ》。この泡、舐めてもいいですニャ?」
「ニーヤ、それアルコールだからね。……あーもう、飲むなって」
隣でリンクがナッツを奪い、「キュイ!」と満足げ。
ブラックが羽で「やれやれ」と枝豆を守った。
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「ノクティ、ワイン強くない?」
「……少しだけ。血よりも、ぶどうの香りが穏やかで」
「そうか。オレも昔は缶チューハイで十分だったけど……今はこういうのが沁みるな」
「主の声が変わらない限り、酒は毒にはなりません」
「へぇ……それ、詩人みたいだな」
「祈りと詩は、隣り合ってます」
彼女は微笑み、グラスを少し傾けた。
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カウンターの奥で、よっしーがレコードを回す。
**浜田麻里「Return to Myself」**が流れ出し、彼は少しだけリズムを取る。
「1989年はな、夜が光っとったんや。街中がネオンで、ビルの窓が全部キラキラや」
「ほう……炎ではなく、光の街か」クリフの声に興味が混じる。
「それもまた、信仰の灯ですね」とノクティ。
「ほなウチらも信仰してまうか? 夜に乾杯の信仰や!」
あーさんが微笑んで、「酒席は、礼の延長にございます。拍を乱さず、楽しみましょう」
「まことに……」と誰かが笑う。
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時間がゆっくりと流れていく。
ニーヤがテーブルに顔を伏せて「主、《あるじ》……おひざ貸してですニャ」。
ユウキが苦笑しながら、「酔ってないのに眠いのか?」
「楽しいと眠くなるですニャ……」
リンクが彼女の尻尾に飛び乗り、「キューイ!」
ブラックが羽でポン、と二拍を刻む。
それが合図のように、みんながまた笑った。
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やがてBGMが**Bruce Springsteen「Hungry Heart」**に変わる。
よっしーが瓶を掲げて、「ハラ減ったハートや!」
「もう食べたでしょ」とユウキが突っ込み、クリフが笑う。
あーさんがグラスを軽く回す。「お酒というものは、音をまろやかにするものですね」
「そうかもな。戦いの音より、こういう音のほうがいい」ユウキが言い、ノクティが静かに頷いた。
「主、今の声……穏やかです」
「今日はな。ちょっとだけ、心が軽い」
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クリフが立ち上がり、手を上げた。
> 「この街に、帰路を。
> この拍に、笑いを。
> そして――この仲間に、夜の祝福を」
あーさんの鈴がチリンと鳴り、ノクティがワインを掲げる。
ユウキがハイボールを掲げ、「……乾杯!」
全員の声が重なる。「乾杯っ!」
グラスの音、笑い声、鈴の音。
音の拍が、夜の中にゆっくりと溶けていった。
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外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
夜空には星がひとつ、塔の影に寄り添って光っている。
ユウキが煙草を持つ仕草をして、何も持っていない手でポケットを叩いた。
ノクティが隣に立つ。
「……主、夜は静かですね」
「静けさのあとに笑える夜は、貴重だ」
「はい。――拍が、生きています」
「それでいい。……それが、いちばんいい」
グラスの中で、星の光が揺れた。
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そのころ、バーの中。
よっしーがカウンターに突っ伏して、「効率もええけど、たまには非効率もええやろ……」
ミカの通信が鳴る。
『皆さん、明日は“合わせ鏡”の試作です。……二日酔いは非効率ですよ?』
全員:「(沈黙)」
よっしー:「……今だけは効率とか言うなや」
笑いが起きる。鈴がもう一度、チリンと鳴った。
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→次回:北光極篇・その七 白い鏡の祈り
氷工房で合わせ鏡の試作。
街では“太線の帰路”が完成し、消えた依頼の最初の手がかりが浮かび上がる。
そして夜、鏡は初めての反射を返す。
――祈りと礼が、向かい合う。




