-地底探検の章- 第二十章 後編「水路と蛇影」
前書き(カエナ視点/約700)
じめっとして、冷たくて、暗い。ふつうなら帰りたい、って顔になるやつ。
でも、あたしはけっこう好きだ。暗さの向こうから気配が来る、あの瞬間。ゾワッと背中を走るやつ。生きてるって感じがする。
サジがまた木刀を肩に担いで、偉そうに前を歩く。
「オレが先に行く。危ないところは全部叩き折る」
はいはい。そういうの、だいたい最初は失敗する。けど、あいつは転び方が上手い。転びながら敵の急所に当てるの、あれ才能。
お館さま(ジギー)の弟子って、そういうのなんだと思う。うまくいかない時に、うまくいく道を勝手に見つける。かっこいい。……ちょっとだけ悔しい。
学園組の人たちは、なんか眩しい。ご主人って呼ばれてる人は、顔に“弱いとこ”が出る時もあるけど、目は前を見てる。
クリフは短い言葉でぜんぶ通じさせるし、ニーヤは叱るのがうまい。あーさんは鈴を鳴らすだけで場が整う。黒い鳥は黙ってるのに、風が言うことを聞く。
ノクティアは祈りで背中を温かくする。よっしーは、変な袋から変な道具を取り出す。セドリックはむずかしい単語で安心させて、イルマは「やる? やっちゃう?」って軽く笑う。
だから、行ける。
影が増えても、蛇がでかくても、あたしは言える。
「お、サジ! いいなそれ、いけいけー!」
言ってから、あたしも走る。竹槍を握って。
失敗したら、その時は笑う。次は当てる。だいじょうぶ、あたし達は“ほどほど”を知ってる。鐘は鳴らさない。蝶番だけ外して、次の扉へ行く。
そう教わったから。
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本編
水路の気配が変わった。
地図の赤い印──“蛇影の祭壇”と記された区画に踏み込んだ瞬間、天井の光苔がふっと明滅し、黒い水面に赤い眼が三つ、ぽつりと灯る。
「後列、視線を合わせるな。石化が来る」
クリフが弓を半引きのまま、短く全員に回す。
「祈り、重ねます」
ノクティアが羽衣の縁をつまみ、静かに詠う。白い縫い目がふっと発光して、薄い膜が隊列を包んだ。
「石化耐性、重ね掛け完了である。ふむ、これで直視しない限りは持つはずだ」
セドリックは冷静に言い、杖の先端から細い魔方陣をせり上げた。
「へぇ、学者くん。持つ“はず”は心細いな。じゃ、当てて終わらせようか」
イルマは肩を回し、口角を上げた。
ぬらり。
水が持ち上がるみたいに、影が形になった。三つの頭を持つ巨蛇──先ほどのそれよりさらに濃い、黒の重さ。岩肌みたいな鱗の隙間で、赤い眼が揺らぐ。
「来るで!」
よっしーが袋から白い粉をひと摘み、指で弾く。「ライン引き」みたいに白線が床を走った。
「ご主人、目は合わせないのです。視線は喉元、もしくは尾の動き」
ニーヤの声は厳しい。「リンク、前が空いた時だけ」
「キュイ……!」
リンクが膝にバネをためる。
巨体が滑る。水を巻き上げ、三つの首が不規則な螺旋で迫る。
クリフの矢は左の眼を狙って放たれ、ユウキの短剣が喉元の分厚い鱗の間に“黒糸断ち”の刃先を差し込む寸前──
「オレの番!」
サジが木刀で横から打ち込む。カン、という乾いた音。鱗に弾かれ、木刀の先が細かく痺れた。
「効いてない!」
「効いてる! 足が半歩死んだ、今だ!」
サジが怒鳴り返し、手から銀の粒を撒く。撒菱。水面に沈む瞬間、光苔の反射で“そこが地面みたいに見える”角度に散るよう、うまく転がしてある。
三つ首の一つが踏み抜いた。微かな呻き。
巨蛇の踏み換えが一瞬崩れ、左の首が低く落ちる。そこへ──
「せいやッ!」
リンクが疾風脚。二段跳躍からの踵が、ちょうど露出した眼窩の上に叩き込まれた。
鈍い衝撃。影が波打ち、黒がほんの一拍、薄くなる。
「今!」
ユウキの短剣が喉の狭間に入る。刃文が“糸目”のように揺れ、影の筋を裂いた。
じゅ、と焦げる匂い。巨蛇がのたうつ。
「まだ来るニャ! 後ろ!」
ニーヤが叫ぶ。影の蛇が壁から剥がれて、背後列へ飛びかかる。
「見えてる」
イルマが手を払う。
「衝!」
空気が固まり、影蛇の顔面を平手で叩いたみたいに歪ませた。続けざま──
「セド! もう一本!」
「当然である。魔術式【連鎖拘束】」
セドリックの陣が床に走り、影蛇の輪郭を縄のような光で縛る。
その時、主の三つ首が再び高くもたげられた。赤眼がぎらりと光る。
視線が合流して、線になる──来る、石化。
「あかん、正面はアカン!」
よっしーが白線の上に「チョーク板」みたいな板を立てかけ、即席の遮蔽を作る。
その裏で、あーさんが二鈴を鳴らした。重なる音が水を押し出し、膜がさらに厚くなる。
「ユウキ様、いまだにて“鳴らさぬ道”を」
「了解!」
ユウキは深呼吸した。心臓の拍が、輪の拍に乗る。
鐘を鳴らさない。蝶番を外す。力押しではなく、回転をやめさせる。
「ノクティ、加護を」
「はい。『聖環・薄氷』」
ノクティアの祈りがユウキの手元に薄い光輪を落とす。短剣の刃が、線から面になる。
ユウキは一歩、二歩、蛇の正面から半身を切った。赤眼は遮蔽と水の歪みで狙いが甘い。
回り込む──その瞬間。
「お、サジ! そこだ、いけいけー!!」
カエナが竹槍を抱えて飛び出した。
「おいバカ止まれ!」
サジの制止は一歩遅い。
ズサァッ。
濡れた石に足を取られ、カエナは派手に滑った。竹槍の穂先が泳ぐ──が、滑った勢いでちょうど蛇の顎の“蝶番”に突き上がる角度で突き刺さる。
ズブリ。
「……へ?」
当の本人が、刺さった瞬間いちばん驚いた。
巨蛇が仰け反る。三つの頭のうち中央が一拍遅れて反応し、喉の影がほどけた。
サジが即座に走る。木刀で槍柄を“カンッ”と叩き、刺さった角度をさらに捻り込む。
「今度は狙った! いけ!」
「キュイ!」
リンクが横から脚を入れ、ユウキが喉の溝をなぞる。
クリフの矢が最後の赤眼を貫き、ニーヤの火弾が影を焦がす。
巨体が崩れる。水が跳ね、黒が霧散する。
残ったのは、硬い鱗の塊と、拳大の黒い珠──心臓の代わりに宿っていた、影の“核”。
静寂。
ほんの数秒、誰も声を出さなかった。
「……決まったな」
クリフが弓弦を緩め、短く言う。
「決めたのはあたし、な?」
カエナが後ろ向きに寝転んだまま、竹槍を掲げた。濡れ髪から水が滴る。
「転んだだけだろ!」
サジが顔を真っ赤にする。「最後の角度はオレが入れた! オレの木刀がだな!」
「二人とも見事でした」
ノクティアが歩み寄り、羽衣の裾で二人の頬の泥をそっと拭う。「結果において、最善」
「うむ、よき“ほどほど”であった」
あーさんが二鈴をちりり、と鳴らす。「鐘を鳴らさず、蝶番のみを外す。稽古通りにござります」
「へぇ、ほんとにやるじゃんキッズ」
イルマが笑って親指を立てた。「次も頼りにしていい?」
「ふむ、戦果は十分だ。……であるが、報酬の分配は公平に行う。学園式で」
セドリックがすぐに現実に引き戻すような口ぶりでメモを取る。
「よっしゃ、ほな恒例のん行こか」
よっしーが手を叩く。「戦利品チェックや!」
床がごろごろ、と小さく鳴り、壁の一部が開いた。石の棚に、古びた箱が三つ。
ひとつ目は黒革の鞘に収まった短刃。
**《蛇影の短剣》**──影の縁に触れて“足場”のように一歩だけ踏める、瞬間の影歩きが可能。
「忍び向け、であるな」セドリックがうなる。
「オレだろ!」サジが即手を上げる。「木刀でもいけるけど、これ一本あれば“仕留め”が変わる!」
ふたつ目は、薄い銀の輪に蛇の意匠。
**《蛇避けの環》**──石化・毒の軽減、視線誘導を歪める。
「これはニーヤ殿に」あーさんが迷いなく差し出す。
「ありがたいのですニャ! これで“見ない技”がやりやすいです!」ニーヤは目を細め、耳をぱたぱた揺らした。
みっつ目は、黒い珠。
光を吸うみたいに深い色。手の上で冷たく、微かに脈打っている。
「……黒糸の核、か」ユウキが小声で言った。
「分析する。危険な反応があるかもしれん」
セドリックが慎重に包みを取り出し、魔術式の封をかける。「ふむ……塔筋と同質の揺らぎだ」
「ミカに見せよう」
ユウキが頷いた。「これは“鐘”に近い」
片付いた頃、カエナがこっそりサジの袖を引っ張る。
「ねぇサジ。今日の主役、どっち?」
「俺だ」
「は?」
「……半分はお前」
「最初からそう言えー!」
二人がじゃれ合い、よっしーが笑い、リンクが「キュイ」と跳ねる。ブラックは窓のない天井を見上げて、短く鳴いた。「……カァ」
「行こう」
ユウキは黒珠の重みを掌で確かめ、地図の切れ端を広げる。赤い印は、今いる祭壇からさらに北東──水路の終端、岩壁の向こうを示している。
「壁は“閉じた扉”にござるか」
あーさんが掌を当て、目を伏せる。「鳴らさず、外せる蝶番の音がいたします」
「非致死・ほどほど・鐘は鳴らさない。……いつもの約束で」
ユウキの声に、全員が頷いた。
その時だった。
黒珠が一拍、大きく鼓動した。
薄い黒糸が珠から伸び、壁の一箇所に吸い込まれていく。直線ではない、微妙に脈動する線。塔で見た“あの向き”だ。
「ふむ……“門”だな」セドリックの声が低くなる。「開ければ鳴る。閉じても鳴る。最悪の類いだ」
「蝶番だけ、外す」
ユウキは壁に近づいた。石の目地を指でなぞると、砂のように細かい震えが伝わる。
力で叩く扉じゃない。鍵穴もない。
わずかに浮いた石を一つ、次いで二つ。
呼吸を合わせ、輪の拍を数える。
「ニーヤ、閃光は封印。視線誘導だけ、お願い」
「了解なのです。光をちらすだけにするのです」
「ノクティ、祈り膜をもう一枚」
「はい。『静環・薄絹』」
「クリフ、よっしー、リンク、サジ、カエナ。押し返しは任せる。イルマ、セドは反応見て」
「応」「任せとけ」「キュイ」「へいへい」「おー!」
ユウキは最後の小石をそっと抜いた。
音は鳴らない。
壁の一部が、まるで“息を吐いた”みたいに沈んだ。湿った冷気が、奥から細く吹き出す。
「……開いたな」
クリフが呟く。
「鐘は、鳴っておりませぬ」
あーさんの鈴は静かだった。
「よし、行こう」
ユウキは振り向き、みんなの顔を順に見た。
恐れはある。孤独の冷たさも、まだ胸のどこかにある。
けれど、ここには拍がある。輪がある。
不器用でも、前に進める。
「次は“黒糸の門”だ。……蝶番だけ、外しに行く」
誰かが短く笑い、誰かが拳を握り、誰かが「キュイ」と答えた。
水路奥の闇は深い。だが、闇はもう、さっきより冷たくはなかった。
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あとがき/次章予告(小さく)
蛇影の祭壇で得た黒珠は、“塔筋”と同質の揺らぎを持つ核でした。
次章は──黒糸が指す壁の向こう、“見えない蝶番”の解体。
扉の先に、さらに深い糸が絡んでいるかもしれません。
鐘は鳴らさず、ほどほどに。進みます。




