-地底探検の章- 帰還と報告(学園にて)
黒糸回廊の広間に、ようやく静けさが戻った。
砕けた核の破片は、乾いた煤のように床へ沈み、風に撫でられるたび音もなく崩れてゆく。吸血公の影は霧散し、残ったのは古びた宝箱と、壁面に薄く残る“糸の向き”だけだ。
「……終わったな」
クリフが剣先を下げる。
「あるじ殿、立てるですニャ?」
ニーヤが袖をつつく。尻尾は緊張の余韻でまだふくらんだまま。
「ああ。みんな、ありがとう」
ユウキは深く息を吐き、全員の顔を確かめた。リンクが「キュイ」と小さく跳ね、ブラックは翼を一度広げて畳む。「……カァ」
「鈴は鳴らさせませなんだ。蝶番も、しかと外れました」
あーさんが二鈴を重ねて小さく微笑む。
「ほな〆や! 戦利品チェック、帰還、報告、そして――第2部や!」
よっしーが旅人袋を掲げ、ニヤリと笑った。
⸻
宝箱の蓋が軋む音とともに、淡い光が漏れた。中には布で巻かれた三つの包みと、封蝋の付いた札が一枚。
「こちらから。……“黒糸断ちの短剣・副刃”、ですって」
ノクティアが包みを解き、短い片刃を取り出した。手甲に沿わせて固定できる造りだ。
「俺のを補助する形か。助かる」
ユウキは礼を言い、握りを確かめた。刃文が糸目のように揺れている。
「こっちは“深層羅針”。針が上でも下でもない“横”を指してる」
クリフが磁針のような小器具を掲げる。針先は、広間の壁面と同じ方向――“塔の方角”を、不気味なほど正確に示していた。
「そして最後は……“蒼光の羽衣・縫い増し”。ノクティ殿、どうぞ」
あーさんが柔らかな布を差し出す。ノクティアは一礼して羽織り、縁に指を滑らせた。
「祈りの縫いが……増えている。守れる範囲が少し広い。ありがたい」
封蝋の札には古語で一行、「塔ノ口、未ダ閉ザズ」とだけ記されていた。
「帰ろう。いったん上へ」
クリフが羅針をしまい、広間の外縁に手をかざす。
ユウキが黒糸の残滓を避けて床の文字をなぞると、回廊の空気が反転し、上階へ通じる“戻りの風”が吹き上がった。
⸻
夕暮れの地上に戻ると、空は茜に染まり、森の影が長い。
一行は転移札で学園外縁の回廊へ跳び、そこから食堂棟へ。香ばしい匂いと湯気、ざわめきが、地下の冷ややかさを洗い流してくれる。
「ただいま戻りました」
ユウキが扉を押すと、カウンターの端に立つ影が振り向いた。
なびく黒髪、クールな瞳――ミカエラだ。
「おかえりなさいませ、我が主人。概ね無傷、上出来です」
ミカは一歩進み出て、視線で全員の疲労度を一瞬で測ると、厨房へ指を二本立てて合図した。
「炊事班、B献立を四名、C献立を三名、軽食セットを二。回復茶を全卓、急いで」
「やった、軽食セット!」
よっしーが小躍りする。「そして第2部の口火を切る!」
「まだ第1部の報告が済んでおりませぬ」
あーさんが咳払いし、二鈴を揺らして席を整えた。
大皿が並び、湯気が立つ。ノクティアは出された白飯をまじまじと見つめる。
「白い……粒。これは……」
「米や」
よっしーが胸を張る。「文明の味やで」
「文明……」
ノクティアは真剣に頷いてから、一口。目を細めた。「尊い」
「尊い来ましたね」
ユウキは笑い、ミカに黒糸回廊の報告を始めた。
吸血公の影、本体、黒糸の“鍵”と“扉”、三つの要と鐘の術式――そして、最後に羅針と封札。
「“塔ノ口、未ダ閉ザズ”。……ふむ」
ミカエラは封札に軽く指を触れ、眉をわずかに寄せる。
「残滓ですが、確かに“塔筋”です。地図上ではこちら、北東。古王都の外縁にある鐘楼遺構に一致」
「鐘楼……」
ユウキの背に、音の記憶がひやりと走った。あの嫌な倍音。
「急行しますか?」
クリフが短く問う。
「一拍置きましょう。補給・縫い直し・解析――どれも雑にはできません」
ミカは静かに首を振る。「それと、ご提案。次の行では、魔術師組を同行させます」
「来た! 学園組!」
よっしーが身を乗り出す。
「誰や誰や? セドリックとかイルマとか?」
「その二名で考えていました。理詰めと直感の、仲良くない凸凹です」
ミカはさらりと笑いを乗せる。
「魔法と魔術の使い分け、鐘術式の層解析、黒糸の“逆蝶番”対策……彼らの領分です」
「それと、ガガも」
ユウキが言うと、ニーヤが耳をぴくりと立てた。
「主人よ!…ガガは次の旅で呼ぶですニャ。合流は密林のテリトリー……の前、その手前で承諾を取るです。わたしたち、礼を欠かないですニャ」
「承知しました。先住領へ通じる連絡も手配しておきます」
ミカは短く指を鳴らし、背後の端末にメモを飛ばす。
「さて――報告は以上でよろしいですか?」
「以上。あとは、人と心の“ほどほど”を整える時間だ」
クリフが椅子から立った。「ノクティアの歓迎会、正式に第2部だ」
「やった!」
ニーヤが両手を上げ、リンクも「キュイ!」と応じる。
ブラックは「……カァ」と低く鳴いてから、窓の外の夕焼けを一瞥した。
⸻
学園BAR「鴉の栖」は夜の明かりに切り替わり、磨かれたカウンターが柔らかく光る。
自動ドアが開く音にノクティアがびくりと肩を震わせ、「扉が勝手に……」と真顔で囁いたのを、よっしーが自慢げに解説する。
「文明の味、第二弾や」
手早く並ぶグラス、ふわりと香る柑橘。
「こっちはシトラス、こっちはジンジャー、ノンアルやから安心してな」
「……甘い。喉に火は入らず、胸が温かい。不思議」
ノクティアは一口飲んで目を丸くし、羽衣の裾を少し上げて座り直した。
「ほい、乾杯の前にな。ノクティ」
ユウキは立ち上がり、短く言葉を継ぐ。
「地下で、何度も助かった。おかげで“鐘を鳴らさず”ここまで来られた。ようこそ――仲間へ」
「……感謝します。わたしはもう、影の下僕には戻りません」
ノクティアは胸に手を当て、深く一礼した。
「ここで祈り、ここで槍を握り、皆と食卓を囲みます」
「よっしゃ、乾杯や!」
よっしーがグラスを掲げる。「文明の味と、ほどほどの勝利と、未来の第3部に!」
笑い声が重なり、グラスが触れ合う澄んだ音が鳴る。
ニーヤはすかさずテーブル端の皿を指差した。
「あるじ殿、これは“ねるねるねるね”の進化版ですニャ! 色が増えたです!」
「進化してないでしょそれ……」
ユウキが苦笑する横で、リンクは小袋をこっそり開けて「キュイ」と満足げ。ブラックは“わさビーフ”の袋を一枚器用につつき取り、静かに咀嚼する。
「ミカ、さっきの“ボーナス”ってやつ、説明してくれへん?」
よっしーが無邪気に振ると、クリフがすぐ横で首を傾げる。
「ボーナスとは何だ?」
真顔の問いに、ユウキは一瞬だけ言葉を失う。胸に、冷たく小さな痛みが走った。
ニーヤが割って入る。
「人の心を一瞬で折る、恐ろしい魔法ですニャ」
「待ってニーヤ! それ以上でもそれ以下でもあるけど!」
周りがどっと笑い、ユウキの胸の棘は少しだけ丸くなる。
ミカは目だけでユウキを見て、小さく頷いた。「ここでは“皆で分ける余剰”が基本です。個人の数字ではなく、輪のための拍」
「輪のための拍……いい言い方だな」
ユウキはグラスを傾ける。喉を通る甘さが、さっきの鐘の倍音を遠ざけた。
⸻
ひとしきり笑いと食事が落ち着く頃、ミカが端末から投影した地図をカウンターに出した。
薄い光の地図に、黒い細線が一本――北東へ、塔の印に吸い込まれていく。
「“塔筋”の黒糸は、いまも極細ですが生きています。早いほど良いが、無理は禁物。出立は明朝。構成は――」
ミカは視線で点呼を取る。
「ユウキ、クリフ、ニーヤ、リンク、ブラック、よっしー、あーさん、ノクティア。そこにセドリック、イルマを新規追加。十名で塔を叩きます」
「了解。……“ほどほど”の覚悟で」
クリフが地図を睨み、口の端をわずかに上げる。
「セドとイルマ、仲、悪いの?」
リンクが首を傾げる。
「悪くはない。ただ“良くなりきれない”」
ミカは言葉を選び、微笑を乗せる。
「バランスが取りづらい者ほど、輪の拍に一手必要です。わが主人お願いできますか?」
「任せてくれ」
ユウキは頷いた。
氷河期の冷たさは、まだ胸のどこかにある。
けれど、今は輪がある。拍がある。
不器用なままでも、並んで歩ける。
「では解散。各自、装備の縫い直しと補給を」
ミカが締める。「ノクティア、羽衣の調整は私と。二鈴の音程は深層仕様へ半音下げ、ニーヤは視線封じの閃光を改良。よっしーは――」
「わ、わかってる! “もっとまぶしいやつ”は今日は封印! ほんのすこしにしとく!」
「ほんのすこしも、可能なら封印で」
あーさんが柔らかく告げ、場にまた笑いが広がった。
夜風が窓辺をかすめる。
導き羅針は静かに塔を指し示し、その針先は揺れなかった。
歓迎の夜は、ほどほどに。
明日の鐘は、鳴らさせない。
仲間の拍で、蝶番を外しに行くのだ。




