表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

277/404

-地底探検の章- 水路の試練(中層・前後編まとめ)



 黒い紋様の扉を押し開けた瞬間、冷たい風が頬を撫でた。湿りを帯びた空気は重く、細い石橋の下では濁流がどす黒くうねっている。壁面の文様が青く脈打ち、天井からは規則正しく滴る水音――そのひとつひとつが、侵入者を拒む鼓動のようだった。


「幅は二人が限界……横並びは無理だな」

 クリフが前に出て、剣を抜いた。背には弓。彼の足取りは、狭い橋でもまるで迷いがない。


「あるじ殿、足元に気を付けるのですニャ。苔がぬるぬるするです」

 ニーヤが尻尾を低く構え、耳を伏せる。瞳の奥に微かな火が宿る。


「……ああ」

 ユウキは自分の掌を握り直し、深く息を吸った。胸はまだざわつく。だが、そのざわめきの向こうに、さっきの言葉が残っている。

(お前が振り返れば、もう俺たちがいる――)

(あるじ殿の役目は、蝶番を外す術を考えること――)

 不器用な自分の背中を、確かに押してくれる声。灯りを掲げ直し、彼は前へ出た。


「よし、わいは後衛でフォローや。何かあったら呼びや」

 よっしーはスカジャンの襟を立て、旅人袋を握り直す。その袋の中は相変わらずカオスだ。


 リンクが石橋の縁で軽く膝を弾ませ、風を読む。「キュイ」

 ブラックは短く喉を鳴らし、翼をわずかに広げた。「……カァ」


「では進みまする」

 あーさんが二鈴を一度だけ鳴らす。澄んだ音が、水音の層に細い筋を通した。


 列はクリフ、ユウキ、ニーヤ、ノクティア、リンク、よっしー、あーさん、ブラックの順で細い橋を渡り始める。橋の中ほどまで進んだ、その時だった。


 水面が、不自然に盛り上がった。

 ざぶり、と鈍い音。濁流の中央が鼓の皮のように膨らみ、次の瞬間、石橋の高さまで水が突き上がる。泡を割って現れたのは、ねっとりと濡れた灰色の肉塊――巨大ワームだ。歯列が螺旋状に並び、口内には石くずと骨片が貼り付いている。


「来るぞ!」

 クリフの声とほぼ同時、ワームの顎が斜めに跳ね上がった。石橋の欄干が粉砕され、破片が雨のように降る。


 ユウキは身をひねってかわし――ひやり、と足裏が滑った。

 苔だ。

 橋の縁まで踊るように後退し、彼は反射的に灯りを掲げた。

 影が濁流に揺らぎ、その影に重なるかのようにニーヤの詠唱が走る。


「火弾、散弾――ファイア・スキャッター!」

 紅い火粒がばら撒かれ、ワームの開口部へ雨霰に降る。どす黒い煙が吹き上がり、肉が焼ける匂いが石の間にこもった。


 しかしワームは体をねじり、焼けた表層を水で洗うように潜っては浮かび、蛇のように橋の下を巡った。狙いを定める暇を与えない。


「動きがいやらしい……ならば」

 ノクティアが、槍の石突で橋板を一打。ひびの走った石目に短い詠唱を落とす。

「水鏡、凍てて道を守り給え――アイス・フィルム」

 橋の両脇に薄く透明な“縁”が伸び、即席の低い欄干ができる。滑りを抑え、落下を防ぐ簡素な術だ。


「助かる!」

 ユウキは息を吐く。視界の端で、リンクが軽く頷き、二段跳躍で橋の反対側へひらりと渡った。

 正面と側面――挟み込む位置。


「クリフ、頭を上げた瞬間を狙え。俺は――」

 ユウキが言いかけるより早く、クリフは矢を番えた。

「言われずとも」


 水面がまた盛り上がる。今度は橋の真下から、一直線に。

 ドン、と突き上げる衝撃。橋がしなる。ユウキの視界が跳ね、矢が放たれ――ワームの口腔に吸い込まれた。

 鈍い手応えとともに、巨体が反り返る。


「今です!」

 ノクティアの槍が、顎の付け根に突き刺さった。

 しかし貫通にはいたらず、槍はぬめりに阻まれて抜けない。

 巨体が振れ、ノクティアの足が浮く。


「ノクティ殿!」

 ユウキは反射的に飛び込んだ。槍の柄を抱き込む形で体重をかけ、てこの原理で抜き放つ。

 同時に、ワームの尾が鞭のようにしなる。

 ばしん、と風を裂く音。ユウキの頬に冷たい汗が流れた。


「あるじ殿、かがむのですニャ!」

 ニーヤの叫びに反応し、ユウキは身を落とす。尾は頭上ぎりぎりを掠め、後方の欄干を二つまとめて粉砕した。


「ありがと、ニーヤ!」

「礼は後でいいですニャ!」


 そこへ、影が走った。

 石壁の隙間から、緑の鱗がぬるりと現れる。槍と盾を持つ人型――リザードマンだ。三体。

 ワームの暴れで間合いが崩れた瞬間を狙って、橋に飛び乗ってくる。


「同時とは厄介だな」

 クリフが短く呟き、剣へ持ち替える。

 先頭の一体が槍を突き出すが、クリフは捻りで受け流し、喉元へ逆袈裟。二体目の盾を蹴り、距離を作る。


「キュイ!」

 リンクが“颯のリング”の効果で軽く速度を上げ、側面から急旋回。低い姿勢で踏み込み、踵落としを盾の縁へ。

 盾が弾け、リザードマンの体勢が崩れる。そこへブラックの水刃が横一文字に走り、鱗の隙間を切った。


「ようやっと出番やな! ……って、なんや、橋狭っ!」

 よっしーが中腰で旅人袋を漁る。

「ほれ見ぃ、“砂かけ玉”や! 昔の忍者映画で――」

「よっしー殿、それは後で拝聴します」

 あーさんがすっと前に出て、二鈴を重ねた。

「囁け、鈴の音――撓め、視線。ルール・ロア」

 揺らいだ音が、リザードマンたちの眼を鈍らせる。突きのリズムが半拍ズレた。


「たすかる!」

 ユウキは隙に滑り込み、盾の内側へ剣の腹を叩きつけた。肘が固まり、槍先が逸れる。

 ニーヤの小さな火球が、槍木の要を焼き切った。


 三体目が唸りを上げて跳躍する。

 が、ノクティアの槍が迎撃。石突きで足首を払って体勢を崩し、穂先で手首を穿つ。武器が落ちる。

 ノクティアはそのまま回転の勢いで柄尻を胸板に叩き込み、橋の外へ弾いた。

 濁流が、一体を呑み込む。


「……日向で戦うのが、これほど心地よいとは」

 ノクティアが短く息をつく。かつて影に縛られた吸血僧の面影は、今や遠い。


「まだ終わってへん!」

 よっしーの声に振り向く間もなく、水面がついに裂けた。

 巨大ワームが橋幅いっぱいに躍り上がり、真上から覆い被さってくる。


 クリフが動いた。

 踏み込み、刃を握り直す。眼前で巨体が落ちてくる。

 彼は躊躇なく剣を逆手にし、真上へ突き上げた。

「――貫け」

 刃は顎の裏を破り、口蓋へ突き立つ。

 しかし、重量は止まらない。押し潰される。


「クリフ!」

 ユウキは叫び、体が勝手に動いた。

 考えるより先に、足が橋の欠け目へ滑る。

 滑った――と気づいた瞬間には、もう宙だった。


 あ、まずい。

 どこか冷静な声が、耳の奥で呟いた。

 目の前を、よっしーの旅人袋がひらりと舞う。

 中身が飛び出し、銀色の小箱が回転して――ユウキの手に吸い込まれた。


「何それ!?」

「使い捨てカメラや!」

 よっしーの声が、どこか誇らしげに響く。

「ボタン押したら“まぶしいやつ”出るやつや!!」


「押せばいいのか!?」

「知らんけど押せ!!」


 ユウキは反射的に親指を叩き、同時にワームの口腔の影へ突っ込むように落ちた。

 バチッ。

 白光が炸裂し、狭い空間が真昼のように照らされる。

 焼け付く閃光が、粘膜と網膜を同時に叩いた。


 巨体が痙攣し、口を閉じかける。

「今だ、クリフ!」

 ユウキの叫びに、クリフが顎裏の刃をさらに押し上げ、捻った。

 次の瞬間、リンクが二段目の跳躍で喉奥へ蹴り込み、ブラックの風刃が傷口を抉り広げる。


「押し込むですニャ!」

 ニーヤの火弾が喉奥で炸裂し、内部から焼いた。

 ノクティアの槍が最後の一撃を顎関節へ。

 ばきん、と骨が割れ、巨体ががくりと崩れた。


 濁流が荒れ、橋に波が打ちつける。

 やがて、動きは止まった。

 巨大ワームは、泡を吐きながら沈黙する。


 ユウキは膝から崩れ、肩で息をした。

 手の中には、カメラの焦げた匂い。

 よっしーが駆け寄る。


「おおお、やるやんけ! わいの秘蔵“まぶしいやつ”、ついに火を噴いたな!」

「このタイミングで袋が割れて飛んでくるの、偶然以外の何物でもないだろ……」

 クリフが苦笑しながら剣を拭った。


 ニーヤが肩に飛びつき、額を軽く小突く。

「あるじ殿、よくやったのです。でも落ちるのはダメですニャ。心臓が止まるかと思ったです」

「……悪い」

 ユウキは照れ隠しに顔をそむけ、それでも笑った。

「でも、今の俺は――一人じゃない」


 あーさんの二鈴が、ふたつ、澄んだ輪を描く。

「鐘は鳴らさず、蝶番はひとつ外れました。よくぞ」


「さて――」

 ノクティアが槍を立て、橋の先を見やる。

「蛇影は、これで終わりではありません。黒い糸が、まだ奥へ流れています」


 石橋の先、青白い文様が緩やかに明減を繰り返している。

 そこは、さらに狭く、さらに暗い。


「行こう」

 ユウキは立ち上がり、灯りを高く掲げた。

 胸の奥で、恐れと、それをなぞるような温かな熱が並び立つ。

 不器用でもいい。転んでもいい。

 仲間がいるなら、また立ち上がれる。


「続くですニャ!」

 ニーヤが尻尾を立て、リンクが「キュイ」と跳ねる。

 ブラックが短く鳴き、よっしーは袋の口を結び直してうそぶく。


「よっしゃ。次は“もっとまぶしいやつ”も用意しとくわ」

「やめろ」


 一行は、青い脈動の奥へと進んだ。

 足元の石は冷たく、壁面の糸は黒く脈打つ。

 蛇影の気配は遠のいたが、その先で、別の“拍”が確かに待っている。

 ――黒祭壇。

 ――そして、天へ伸びるはずの、どこかへ繋がる糸。


 水音が、次第に鼓動に似てきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ