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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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風鳴りの丘、結び目の試練(後編)結び目の試練



朝。空は薄く曇り、帆布の影が草の上を走る。


俺たちは昨日組んでおいた枠に縄梯子を垂らし、ひとりずつ“鳴り”の穴に降りた。下から吹き上げる風は乾いていて、熱くも冷たくもないのに、肌を撫でるたび音を抱えてくるみたいだ。


底は思ったより広く、壁は滑らかにえぐれている。ところどころに“風の穴”が開いていて、そこから空気が噴き出したり吸い込んだりしていた。ルゥ曰く“鳴石”でできているらしく、指で叩けば澄んだ音がする。


風が通るたびにその穴が鳴き、それが別の穴で和音になって天井で反響し、また足下に戻る。人の声に似る瞬間がある。名を呼ぶような、呼ばないような。


《導路:中央の“風盤”/鍵:結び目と名/危険:風圧、落下》


中央には胸の高さほどの石の円盤があった。盤面に穴がいくつも穿たれていて、縁には刻みがついている。盤の下は空洞で、支柱が支えているらしい。床はわずかに傾斜している。足をとられたら滑って落ちる。


「危ないところには印を置く」


クリフさんが周囲を見回し、崩れそうな個所や風の通り道に目印を置いていく。ニーヤは杖で盤の縁を軽く叩き、「ここが一番“声”が強いニャ」と耳をぴくりさせた。


盤の縁に、薄い光が走る。俺の指輪が反応していた。


《魂片:近接/開扉条件:名、と、結び目》


名。誰の名で開くのか。俺が迷っていると、千鶴が一歩前に出る。


「わたくし、呼んでいただけますか。……風は糸、糸は名を運びます」


昨日の夜、彼女の胸に落とした静けさがまだ残っている顔だった。俺はうなずき、皮紐を手にとった。指輪が内側で軽く熱い。千鶴の名を呼び、結び、盤に手を載せる。


「相沢千鶴」


名が風に溶ける。盤の穴から吹き出す風が一つの音程に揃い、低い“ミ”で震えた。盤がうっすらと回る。床がずりっと動く感覚。エレオノーラが肩で俺を支えてくれ、ニーヤが杖で回転を止めた。ジャケットの革がきゅっと鳴る。この場にあれがあるのが妙に心強い。


「次は?」


「……ユウキ」


千鶴が返す。自分の名を自分で呼ぶのは照れくさいが、風はそれを笑わない。別の穴が鳴り、和音が生まれる。


《条件充足:結び目×2/名:応答/開扉、端点出現》


盤の縁に細い溝が開き、そこから“風の糸”が一本立ち上がった。目には見えないが、指でつまむと抵抗がある。千鶴がそれを撚って涙の形にし、俺は皮紐の結び目に通す。


《“結び目”拡張:風縁/効果:音声伝達の安定、陣形同期(微)》


「これ、戦場で使えるな」


エレオノーラが目を細める。「手の合図がいらなくなる。……風に名前を乗せて渡せる」


「風縁を通じて名前を呼ぶと、遠くでも“届きやすい”ニャ」


ニーヤが笑い、よっしーが「これカラオケもできる?」と真顔で聞いて全員に無視される。


俺が盤の中心に指を伸ばしかけた、その時だった。上からぱら、ぱら、と砂が落ちる。次の瞬間、風の音が一段尖った。入口のほうから白い霧が流れ込んでくる。


「赤衣」


エレオノーラが言い切るのが早かった。俺たちは一斉に構える。千鶴は水を指先に、ニーヤは杖を、クリフさんは弦を張り、よっしーは虚空から布製マスクを取り出して「念のため」と配った。俺たちは鼻と口を覆う。霧は冷たいが匂いはほぼない。しかし霧の中の“音”が頭蓋の内側に直接触ってくる。


霧の中に赤い裾が二つ浮かぶ。風でも揺れない裾。十字の術式の階段が空気に刻まれる。


「風窟に潜るとは賢いようで愚かだ。“音”は我らの道だ」


声は一人ぶん。もう一人は黙っている。前の赤衣の目が俺を見ていた。


「器よ。――それを差し出せ」


「何を」


「それだ」


視線が指輪に落ちる。俺は一歩退き、クリフさんが前に出て「退け」と言う。赤衣は首をかしげ、十字の段を鳴らす。霧が刃になる。空気の刃が四方から走る。風盤の縁で石が粉になる。床が傾く。


「結び目!」


俺は叫んだ。皮紐を握り、みんなの名を連続で呼ぶ。千鶴、よっしー、クリフさん、ニーヤ、エレオノーラ、ルゥ。風の糸に結び目を重ねると、指が痛いくらいに熱を持つ。


《“結び目”:六連結/効果:簡易陣フォーメーション“風織り”/防御+小、連携+小》


千鶴が風糸を弾き、四方に織り目を作る。刃が来るたびそれがふるえて輪郭を崩す。ニーヤが足場を太らせ、よっしーが鈴を結んだ縄を霧に投げて刃の位置を“音で可視化”する。クリフさんが鈴の合間を射る。エレオノーラはレザーの裾をひるがえして赤衣の間に滑り込み、短剣の刃で十字の段を一枚削った。革が擦れる音が、妙に勇ましい。


「音を食うのか……!」


矢が布を破れないのを見てエレオノーラが歯噛みする。「十字の術式は――」


「ほどく」


俺の頭の奥で、峠で出会った“記録の女”の声が弾んだ。ほどくなら、名だ。


「名前は!」


「我らに名はない」


「嘘だ。最初の名前はあるだろ」


俺は盤に手を載せ、風の糸を通して赤衣の“音の釘”を探る。霧が一瞬ゆるむ。


「……“ヤン”」


赤衣の口が、俺の言葉に引っ張られるように動いた。もう一人の赤衣がわずかに顔を動かす。


「ヤン、降りろ。ここは管理の場じゃない。風は誰の物でもない。お前は怖がってる」


霧の刃が弱くなり、十字が一段崩れる。だがヤンはすぐに顔を冷やし、「君は優しさで扉を開け、名で縛る。君は管理の敵だ」と告げると、霧を一気に濃くして床を斜めにした。俺の足が滑る。


「ユウキ!」


千鶴の糸が腰に絡んで落下を止め、よっしーがペグで縄を固定し、ニーヤが風を切り、クリフさんが矢で援護し、エレオノーラがまた十字を削る。連結した結び目がなかったら絶対に間に合っていなかった。


俺はこの隙に盤の中心に指を入れ、“風の記”に触れる。


《魂片取得:“風の記”/現在:二/クラス適性条件充足:〈継ぎ手〉→安定》

《スキル獲得:“風読み”“囁き手”/副作用:耳鳴り(小)》


耳がきいんと鳴り、世界の輪郭に音の線が浮かぶ。赤衣の裾から十字に向かう音の釘も見える。俺はその釘を指で持ち上げるイメージをして――


「ほどけ」


釘が抜け、ヤンの足元の段が潰れ、彼は初めて地に足をついた。裾が風で揺れる。人間に戻ったみたいだった。


「……今回は退く。器、君は悪い」


「知ってる」


「次は塔の夢では済まない」


霧が彼らを包み、十字の段が後退し、消えた。風が戻る。風盤が低く鳴った。


俺はその場に座り込む。耳鳴りがひどくて世界がぼやける。千鶴が膝をつき、「大丈夫でございますか」と水を渡す。よっしーが「副作用:耳鳴り(小)って出てたからなぁ」と笑って場を軽くし、ニーヤが「主人あるじ、音をほどくのは猫でも疲れるニャ」と頭をぽすっと触る。エレオノーラはレザーの袖をくいと直しながら「また厄介なスキルを拾ったね」と肩をすくめた。革の黒が、今日この場で渡されたものだってのが妙にあたたかい。


ルゥが盤を見て「今日はここまで。石が泣いてる」と言ったので、俺たちは地上に戻った。


塔守の老人は目を覚ましていて、「夢の中で赤衣を見た。怖かった……鐘を鳴らせなかった」と謝る。千鶴が水を渡し、「今は休んでください」と額を冷やす。老人は「風が少し優しくなった」と微笑んだ。俺の耳にも、それはわかった。


丘を下りながら、俺たちは新しい“風縁”を試す。距離をとって名前を呼び、届き方を見る。コツは強く呼ばず、届いてほしい方向へそっと置くこと。よっしーが「これで迷子にならん」と喜び、ルゥが「音の釘を抜くのは慎重に」と釘を刺し、エレオノーラは「赤衣は必ず追ってくる」と現実に引き戻す。


その先――灰の帯、紙の城、学匠トリスとの会見は、ほぼ君の書いてくれたとおりだ。ここでは要点だけなぞる。


灰の帯は焼けた畑と臨時の砦が続き、いくつもの旗と匂いが混ざる場所だった。俺たちは口を固くして市に紛れ、エレオノーラの親族である学匠トリス・カーンに会う。彼は「七つの記録のほかに、器が自分で選ぶ一つの“名”がある」と言い、《名の紙》を渡してくれた。


外ではまた赤衣と帝国の尋問が始まろうとしていて、トリスは紙をめくるだけで逃げ道を作る。“紙城”がざわりと鳴き、俺たちはその紙の道を下る。最後にトリスは「名は焦ると逃げる。君が君を選ぶ日に使え」と言った。


紙の道を抜け、夕焼けの湖畔で野営した時、ニーヤが「猫は外の名と家の名を持つニャ。主人あるじもここで“家”の名を作ればいいニャ」と言う。よっしーが「ほなチーム名決めよか」と焚き火越しに言い、千鶴が「素敵でございます」と頷き、ルゥが「短いので」と条件を出し、ニーヤが砂に“かぜのいと”と書いた。


俺は名の紙に、そっと書いた。


――風のウィンド・スレッド


書いた瞬間、紙がほんのり温かくなり、風が焚き火の上で輪を描く。指輪が静かに鳴った。


《“家の名”設定:風の糸/効果:風縁の安定(微)、士気+小/備考:変更可》


「決まりやな」


よっしーが親指を立て、千鶴が微笑み、エレオノーラが肩の力を抜き、クリフさんが「承知」と頷き、ルゥが満足げに顎を上げ、ニーヤが尻尾で〇を描いた。


その輪の中に、さっき渡されたレザージャケットの黒もちゃんと混ざっていた。あれはただの防寒着じゃなくて、「今のわたしたちの格好はこうだ」っていう印みたいなものだ。風がそれを撫でていく。結び目は、増えた。


俺は胸の中の器に、ひとつ名が置かれる手触りを確かめながら、目を閉じた。


見知らぬ天井じゃない。――俺たちの空だ。

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