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-地底探検の章- 第二十五章「黒糸の守り手」


 黒い糸が、門いっぱいに花弁のように開いた。

 その中心から歩み出る“人影”は、顔のない仮面を戴き、四肢の関節という関節に糸の房を垂らしている。動くたび、房が擦れ合い、空気が低く軋んだ。


『問ウ。扉ノ蝶番ヲ撓メル者ヨ。代償ヲ捧ゲルカ』


 声は一つでありながら、いくつもの囁きが重なっている。近くで聞けば耳を、遠くで聞けば心を、同じようにざわつかせる響きだった。


「代償は払わない。俺たちは、鳴らさずに通る」

 ユウキが一歩前に出る。短剣の刃には、ノクティアの祈りで落とした薄い光輪が静かに回っていた。


『ナラバ、試練しれん


 守り手が腕を払う。黒糸が鞭のように走り、壁・床・天井から一斉に伸びてきた。

 空洞そのものが網になり、隊列を丸ごと包もうとする。


「視線と息を分けろ!」

 クリフが短く怒鳴り、前に出て剣を寝かせる。斬らず、払う角度で糸を弾いた。

ショック、薄手で」

 イルマが指を鳴らすと、空気の見えない板が糸束の面を押し返す。


「ふむ、ふしがある。五拍ごとに張力が上がる」

 セドリックが杖先の水晶に刻みを打ち込みながら言う。「拍を外せば絡みは浅いである!」


「なら合わせるのですニャ。主様、息を」

 ニーヤが片手を前へ。「火弾は使わない。視線誘導、光を散らすだけにするのです」


「了解。……あーさん、鈴を」

「はい」

 二つの鈴が、ちり、ちり、と重なった。輪が一つになり、皆の肩が同じ呼吸で上下する。


「キュイ」

 リンクが一人、一拍早く踏み出した。二段跳躍で糸の層の“上”へ抜け、疾風脚を打ち込む。衝撃で層がたわみ、低い位置へ波が降りる。


「よっしゃ、今や!」

 よっしーが銀色のスプレー缶を高く掲げ、噴霧した。白い霧が広がり、黒糸の走向にくっきりと縁取りが生まれる。

「見える化は任しとけ。踏むとこ、踏まんとこ、線でわかるやろ!」


「任せろ!」

 サジは白線の“踏める”道だけを拾い、木刀で横一文字に払う。切らない。糸の輪郭を撓めて、重なりを崩す。

「いけーっ、サジ!」

 カエナが竹槍を肩から返し、鱗のように重なる糸束の節へ突きを打ち込む。石突きで床を拾って姿勢を殺すのは、何度転んでも身についた芸だ。


 守り手が仮面を傾ける。仮面の奥で、黒い光が瞬いた。

 次の拍、糸全体がぐっと締まり、踏み場がひとつ消える。


「ずらす」

 あーさんの鈴が二度、短く鳴る。輪の拍がわずかに遅れ、糸の締めとずれた。

「いまだ」

 ユウキは刃を横に寝かせ、空気に浮く“見えない蝶番”へ指の腹を当てる。切らない。押さない。撓める。

 刃先の薄光が、糸の張りの角度だけをそっと変えた。


『……ホウ』


 守り手がわずかに首をかしげた。黒糸の房がさらさらと鳴る。

 次の瞬間、房は針となり、雨のように降った。


「前、受ける!」

 クリフが盾の角度を数度変え、針の束を滑らせる。「リンク、右肩上へ!」

「キュイ!」

 跳躍、踵、流し。針の軌道が乱れ、ノクティアの薄膜に引っかかって弱まった。


「主様、喉元に“ひとつだけ白い糸”があるです。あれは鳴る糸。触れたら負けですニャ!」

「見えた。……鳴らさない」

 ユウキは視線をそこから外し、白線の上にしか足を置かないよう慎重に進む。

 背で、よっしーの「よーし、白線補充!」という声が聞こえた。


 イルマの衝が、セドリックの連鎖解糸が、守り手の房から房へと“張り”を奪う。

 カエナは一度派手に滑って膝を打ったが、その反動で竹槍の穂先が房の根を抉り、サジが木刀で角度を“決めて”ねじ込む。

「狙った!」

「今度は狙ったよな!」

 二人の叫びに、ニーヤが目を細める。「今のはほめてやるのです」


 守り手は一歩、二歩と退いた。

 門の黒が脈打つ。糸が増える。空洞全体が、重く、深くなる。


『蝶番ハ外レツツアル。ダガ——』


 仮面がこちらを向く。黒い面には何もない。けれど、確かに“見られた”。

 次の瞬間、ユウキの胸に冷たい針が一本、刺さったような感覚が走る。

 迷い。後悔。氷河期の空の色。


 足が止まりかける。

 その肩を、誰かがぽん、と叩いた。


「ご主人。鐘は鳴らさない。蝶番だけ、外す」

 ニーヤの声は、叱咤ではなく、ただ事実を言う声だった。

「うむ、背中は預かる」

 クリフの短いことばが、そこに重なる。

「線は引いたで。あとは踏むだけや」

 よっしーが笑った。

「祈りは届いております」

 ノクティアの手が、薄い輪をもう一枚落とす。

「キュイ」

 リンクが小さく鳴いて、前を向いている。

「ふむ、拍は整った。……行け」

 あーさんの鈴が、最後の合図をくれた。


「……行く」

 ユウキは息を吸い、吐く。

 刃ではなく、指で。力ではなく、拍で。

 “鳴る白い糸”を避け、その周りの複数の細糸を、順番に、撓めていく。

 一つ、二つ、三つ——張力の道筋が変わり、白い糸は自重で音もなく垂れた。


『……オモシロイ』


 守り手の仮面に、微かなひびが走る。

 黒糸の供給が一抹、薄れた。


「今!」

 イルマが掌を突き出す。「衝・槍」

 空気の槍が仮面のひびへ刺さる。

「連鎖解糸、第二式」

 セドリックの術が、仮面の内側から結び目をほどく。


「押し切る!」

 クリフが前に出て、剣を“押しつける角度”で房を潰す。

 リンクが跳び、カエナの竹槍が突き、サジの木刀が節を決める。

 よっしーの白線が、最後の踏み段を示す。


 ユウキは、残った蝶番へ指を伸ばした。

 撓める。撓める。撓める——。


 黒糸の守り手がのけぞった。仮面が砕け、房がちぎれ、門の黒が呼吸を止めた。

 音は鳴らなかった。

 ただ、空洞の温度が一度、下がった。


『……承認。蝶番、解体。——通レ』


 守り手の身体が、ほどけた糸の束に戻る。

 糸は床に落ちず、黒い霧となって空へ昇り、やがて見えなくなった。


 静寂が降りた。

 誰も、しばらくは口をきけなかった。


「……終わった、のか」

 ユウキがようやく言う。


「終わった、である。少なくとも、“ここ”は」

 セドリックが眼鏡を押し上げる。「塔筋と同質、深度違いの揺らぎは残るが、扉は“鳴らさず”開いた」


「鐘、鳴っておりませぬ」

 あーさんが鈴を胸に戻した。「皆さま、お見事にござります」


「やったな!」

 よっしーが笑い、白線で汚れた手をぱんぱんとはたく。

「ご主人、撫でていいのですニャ?」

「いや、いまはやめてくれ、手が震えてる……」

「キュイ」

 リンクが頬をこづいた。

「おうおう、俺らの十八番、決まったじゃねぇか!」

 サジが木刀を肩に担ぎ、胸を張る。

「決めたのはあたしだろ?」

 カエナがすかさず肩でぶつかり、互いに笑った。

「祈り、届きましたね」

 ノクティアは静かに微笑んだ。


 門の向こうには、黒い回廊が続いている。

 壁には古い王家の印章。だが、どれも今は沈黙している。

 奥から吹く風は、冷たいが、さっきよりも澄んでいた。


「進もう」

 ユウキは短く言う。「非致死。ほどほど。鐘は鳴らさない。……いつも通りで」


 皆が頷いた。

 輪の拍が、またひとつに揃う。

 一行は、鳴らさず開いた扉を抜け、さらに深い地下世界へと歩みを進めた。


――――


小さなあとがき/次章予告


黒糸の守り手は“扉そのもの”の意思でした。蝶番は鳴らさず、撓めて外す——その訓が、ようやく実戦で一つの形になりました。

次章は、扉の先に眠る王家の第一墓所。印章に触れれば鳴る“刻印の罠”を、術と罠と偶然の連携で無力化してゆきます。

ほどほどに、前へ。

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