表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

249/404

第十一章 天空の地にて



前書き(オルタ視点)


 水音は、剣よりも真実を告げる。

 滝裏の聖域で水竜王の御声を再び賜ったとき、胸の奥に冷たくも清らかな流れが差し込んだ。

 ――天空へ向かえ。

 簡潔にして、抗い難い勅命。


 我は騎士である。疑うより先に、従うことを選ぶ。

 だが人としての不安が無いわけではない。あの外の者たち――ユウキ、クリフ、ニーヤ、あーさん、よっしー、そして小さき勇者リンク――彼らは笑って旅立った。

 強さは多様だ。剣のみならず、笑みを保つ胆力もまた。


 天空神の腕輪。名だけで、試練の匂いが立つ。

 もし彼らがその門前で膝を折りかけたなら、我は盾となろう。

 鐘は鳴らさせぬ。水面を乱すのではなく、風を受け流すように――そう教えたのは、あの男の剣であり、あの乙女の二鈴の音であった。


 空は遠い。だが水は天にも昇る。

 ならば我もまた、流れに従ってゆくまでだ。








1. 雲の梯子


 白い霧が裂け、青白い筋が天へ延びていた。山肌に刻まれた巨きな環――古代の工匠が残した環礁門リング・ゲートだ。

 空気が軽い。胸に吸い込むたび、肺の内側が冷たい鈴で撫でられるようだ。


「これが……空への道」ユウキが呟く。

「キュイ」リンクが翼を震わせ、先を指す。

「だいたいやな……見た目がすでに絶叫マシンやぞ」よっしーは顔を引きつらせ、環礁門の縁から身を乗り出すのをやめた。

「あら、大丈夫ですニャ。もしもの時は、わたくしの『エアクッション』でふわふわですニャ」

「……ふわふわで済む気がしないんやが……」


 あーさんが二鈴を指先で合わせ、かすかに鳴らす。

「風、よろしき向き。参りましょう」


 環礁門が目覚め、水の紋様が空へと回転しながら立ち上がる。足元がふっと軽くなり、視界がひらけた。

 空が近づく。いや、こちらが空に撫で上げられている。


2. 天空の村


 雲海を抜けた先に、浮島ほどの平地が点在していた。白い石と淡青の木材で組まれた家々、風車、光の溝。

 空路を渡る吊り橋が蜘蛛の巣のように伸び、中心に高くそびえるのは風柱――天空神を祀る塔だ。


「ようこそ、アズライルのたなへ」

 迎えに現れたのは、頬に風の紋を持つ青年。白と灰の外套を翻し、礼を示す。

「私はナハル。棚守の一人です。噂は届いています――鐘を鳴らさぬ旅人たち、と」


 肩の緊張が少し抜けた。

 村は静かだが、空の静けさは地上とは違う。音が遠くまで響く。鈴、笑い声、足音――どれも薄く、よく通る。


「お腹空いたニャ?」ニーヤが即座に口にした。

 ナハルは笑い、風乾しにした飛魚と雲苔のスープを振る舞ってくれた。

「雲苔は栄養があって、落ちにくい(=高所で動いても胃に重くならない)のです」


 よっしーが恐る恐る啜って目を丸くする。

「……うまい。昭和のラーメン屋が泣くやつや」

「どんな比較ですニャ」


 食卓の端で、村の長老が塔の巻物をほどいた。

「天空神の腕輪は、この棚が護る聖具。しかし『持つべき時』まで、封ぜられるべし――これが掟。そなたらは何を以て、その封を撫でる?」


 あーさんが二鈴を置き、深く礼をした。

「鐘は鳴らさず、蝶番を外すように。争いではなく、かたちを変えて道を開きとうございます」


 長老は目尻を細め、風柱の影を見上げた。

「……ならば、風のだんを登るがよい。腕輪は塔の中腹、風祝かぜはふりにある。だが――道は、まっすぐではないぞ」


3. 風の段


 塔の内部は中空のらせん回廊で、外はすぐ空だ。風が低く唸り、足場が不規則に跳ねる。

 リンクが先行し、「キュイ」と短く鳴いて危ない板を示す。

 ニーヤは掌に薄い氷膜を展開して踏み板の割れを塞ぎ、よっしーはチョークラインで即席の命綱を作った。


「だいたいやな……高所やと足が勝手に震えるねん」

「大丈夫。落ちても『エアクッション』ですニャ」

「前向きなのか雑なのか分からん慰めやな……」


 回廊を三巡りした頃、風がふっと止んだ。

 静寂。次の瞬間、逆方向から突風が叩きつけてくる。


「風の向きが変わる……」ユウキが舌打ちする。

「ファイアウォール、細く長く!」ニーヤが炎の帯を横一文字に走らせ、風の筋を視える化する。

 可視化された風筋を縫うように、あーさんが二鈴でリズムを刻み、歩調を合わせさせた。

 クリフは剣を水平に構え、風の刃を受け流す。受ける角度は蝶番を外す角度――彼の剣筋に、塔の風はわずかに優しさを見せた。


4. 風祝の間


 円形の広間。床には風紋が埋め込まれ、中央に薄青の輪が静かに浮かぶ。

 ――天空神の腕輪。

 だが輪の周囲には透明の壁がいくつも重なっており、触れられない。


「触れてはならない、ではなく、触れるべくして触れよ……ですニャ」

 ニーヤが指先を壁に近づけると、微細な振動が走り、壁が音階のように共鳴した。

「あーさん、二鈴を」

「承知」


 鈴の音を、ニーヤが魔力で少しずらす。

 重なり合う透明壁の音階が、ひとつ、またひとつほどけていった。

 よっしーは無言で腰袋を探り、古い音叉を取り出す。

「’89の科学室から来ました、って顔してるやろ。合わせるで」

 ユウキが小さく笑い、クリフは剣先で最後の微妙な角度を補正する。


 ――ぱきん。

 見えない何かが脱落し、輪が近づいた。

 リンクが「キュイ」と鳴き、ブラックが静かに座る。


「鐘は鳴らさず、蝶番を外す」

 あーさんが囁き、ユウキが頷く。

 その瞬間だった。広間の端、風の影がかすかに歪む。


5. 影の報せ


 影は人のかたちを取り、外套の裾を揺らした。

「……陰匿教会の風聴師ふうちょうし?」クリフが低く呟く。

 外套の人物は口の端を上げた。

「報せるは、風の便たより。幹部殿は、すでに『器』を用意された」


 ニーヤの耳が寝る。

「器――依代、ですニャ」

「何のための器だ」ユウキが問う。

 影は答えず、風に溶けて消えた。

 残ったのは、風紋の上に小さな黒い灰。嗅げば、潮でも土でもない、どこにも属さぬ匂い。


 よっしーが唾を飲む。

「だいたいやな……嫌な予感しかしない」


6. 選ばぬ選択


 腕輪の輪郭が、手を伸ばせば届く距離にある。

 ユウキは掌をかざし、そして下ろした。

 イシュタムの低い囁きが胸を打つ――持つべき時、持つべき者。


「あえて、取らない」ユウキは言った。

「今は封を撫でた。触れ方は分かった。けど、持てばいくさを呼ぶ。鐘を鳴らさぬ、ってそういうことだろ」


 あーさんが二鈴を鳴らし、輪を包むように一礼した。

「ここに在ること、それ自体が護りでござりまする」


 長老が風柱の影から現れ、静かに目を閉じる。

「空の民は、選ばぬ強さもまた尊ぶ。……よく、見送った」


 村の鐘は鳴らない。代わりに風車が一斉に回り、塔に柔らかな唸りが満ちた。


7. オルタ、空へ


 同じ頃。

 雲海の下から、青い尾を引く影がひとつ、二つ。

 水竜王の庇護を受けた渡り鳥の編隊に守られ、蒼の外套を翻す騎士が浮島の縁に降り立つ。


「オルタ!」ナハルが驚きの声を上げる。

「風の棚に、よくぞ。空の流儀は難しかったでしょう」


 オルタは片膝をつき、風柱に礼を捧げた。

「水竜王のお導きにより、天空へ。旅人らは――?」

「塔の中腹、風祝の間です。封の感触を読みに行った」

「鐘は?」

「鳴っておりません」


 騎士は小さく息を吐き、剣の柄に触れた。

 加護が、かすかに脈打つ。

 ――3200まで引き上げられる奔流。短くて、だが確かな護り。


「ならば、間に合う」


8. 触れず、伝える


 塔の広間。

 ユウキたちが輪に触れず退いたところへ、オルタが現れた。

 風の中で、互いの視線が結ばれる。

「来たか」クリフが口角を上げる。

「来た。お前たちが鐘を鳴らさぬ道を選ぶだろうと、水は告げていた」


 オルタは輪の前で立ち止まり、掌を胸に当てた。

「天空神の腕輪――『持たぬ誓約』を、我が身で証とする」

 彼の胸元から、微かに水の光が立ち昇る。輪が、それに呼吸で応えるように一度だけ明滅した。

 触れていない。だが、わかった。

 持たずに、繋いだのだ。


「……これで十分だ」ユウキが笑う。

「鐘を鳴らさず、門を通す。うちららしいですニャ」ニーヤが尻尾をゆらゆらさせる。

「だいたいやな……取らんでええもんは取らん。昭和の教えや」

「どの昭和ですニャ」


9. 噂の継ぎ目


 風柱の外で、空の民がざわめいた。

 ナハルが駆け込む。

「北の吊り棚で、黒い祭壇の噂が。陰匿教会が、空でも儀式を……!」


 長老が杖を強く突く。

「大地だけが戦場ではない、か。……風の段で鍛えた足を、次は吊り棚で試すとしよう」


 オルタが剣を抜く。

 青い光が刃に沿って走り、風の流れがわずかに変わった。

「魔王種なら、切り結べる。だが――大魔王の気配があれば、退け」


 その言葉に、ユウキは頷く。

 胸の奥でイシュタムが囁く。

 ――幹部は、器。背後に在るものに気づくのが、遅ければ遅いほど、風は荒れる。


「行こう」

「キュイ!」

 二鈴が澄み、風車が一斉に回転する。

 鐘は、鳴らない。




あとがき


「取らない勇気」を選ぶ回でした。

腕輪は“触れ方”を掴みましたが、あえて持たずに次へ。

次章は北の吊り棚――黒い祭壇と、幹部=依代の本当の顔に迫ります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ