市の後始末
小序(転位の橋渡し+振り返り)
──見えぬ門の蝶番が、ふと静まった。
名を唱え、息を合わせた旅人たちの足元に、ひとすじの光が道となって走る。
その光に抱かれた瞬間、視界は白く反転し──
次に瞼を開けば、石造りの天井と城壁の影があった。
旅路の仲間たちは王都に導かれ、そこで待つ「姫の救済」の場へと通じたのである。
思えば、この数日の出来事はあまりに急であった。
陰匿教会が囁いた「悪魔憑き」の噂。
祭壇での儀式と依代の顕現。
オルタの奮闘と、水竜王の加護による盾。
そして仲間たちが選んだのは、鐘を鳴らさず、蝶番を外す解──「分離」と「封緘」。
その術によって、姫はかろうじて命を保ち、眠りへと落ちた。
だが、それで全てが終わったわけではない。
前夜、二鈴と撓鈴による「分離」から「封緘」へと至り、姫は深い眠りに沈んだ。
その命は保たれ、鐘は鳴らさせぬまま。
だが、それで全てが終わったわけではない。
市は、なお深い影を抱えていた。
──見えぬ門を越えたのち、旅人たちは王都に導かれた。
謁見の間に設けられた静かな寝所にて、姫は深い眠りに沈んでいた。
二鈴と撓鈴を重ねての「分離」、そして「封緘」。
悪魔の囁きに囚われた魂を切り離し、静穏の輪に鎮めることで、鐘を鳴らさずに命を保つことができたのである。
「──御息災にてござります」
あーさんは膝をつき、額を床に寄せた。
長き礼節を尽くし、王と侍従たちに報告する。
侍医が頷き、安堵の息をついた。
「脈は安らかに。……しかし、目覚めがいつかは定かではありません」
その言葉に重苦しい空気が流れる。
ユウキは拳を握りしめた。
「とにかく、命がつながった。それで十分だ」
クリフも深くうなずく。「ああ。鐘は鳴らさせなかった。それが一番だ」
けれど、市の騒乱が鎮まったわけではなかった。
⸻
市に残る影
王城の外、都はまだざわめいていた。
「悪魔憑き」の噂が駆け抜け、陰匿教会の残党が潜み、逃げ惑う民の心は定まらぬ。
表通りには兵士が立ち、路地裏には見知らぬ影が出入りする。
鐘は鳴らなかった──だが、影はなお深かった。
クリフは市の兵とともに城門を巡り、壊された柵や石垣を確認した。
「ここを放っておけば、また夜に潜り込まれる。急ぎ補修だ」
その声に兵士たちが走り出す。
ニーヤは両手を掲げ、術式を展開していた。
青白い氷の紋が浮かび、路地裏に残る黒い澱を凍らせて封じていく。
「……わたしの氷で、呼び声の残り香は封じられるはずニャ」
その足元には、冷気に鎮められた影がひとつ、ふたつ。
よっしーは炊き出し場に腰を下ろし、1989アイテムを広げていた。
「ええか、だいたいやな……このコースターで仕切りや。ほら、列つくれ列!」
紙コースターを札のように並べ、民を順序よく導く。
鍋からは温かい雑炊が立ちのぼり、恐怖で強張った顔にようやく笑みが戻っていく。
ブラックとリンクは市街を跳ね、警戒の目を光らせていた。
影を追い払う羽音、鋭い跳躍。
「キュイ!」
「……カァ」
短い鳴き声の合間に、不審な者が捕えられ、縛り上げられていく。
そして、あーさんは文官たちに頭を下げ、礼法をもって事後の報告を整えていた。
「ただいまの騒擾、旅人の責にあらず。鐘を鳴らさぬための策にござります」
彼女の穏やかな声は、重く揺れる市の心を少しずつ鎮めていく。
夕刻、陽が傾き始めても、市のざわめきは消えなかった。
表通りの警戒を終えたクリフは、額の汗を拭いながら戻ってきた。
「城門周りは何とか落ち着いた。けど、裏路地はまだ危ういな……」
ニーヤが頷く。「封じたはずの残響が、また別の場所でささやいている……しつこいニャ」
よっしーは腕まくりしながら鍋をかき混ぜていた。
「ええか、腹が減っとると不安も倍増するんや。ここで腹いっぱい食わしたる!」
差し出された雑炊に、市民たちはようやく肩の力を抜き、口々に礼を述べる。
リンクが肩に飛び乗り、短く鳴いた。
「キュイ」
よっしーは笑いながら頷く。「おう、わかっとる。次の鍋やな!」
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酒場にて
夜。
一行は市の片隅にある古びた酒場へと腰を落ち着けた。
煙草の香と喧噪のなか、待っていたのはひとりの男──旅商人であり、かつての案内人、ハッサンであった。
「おお、おまえさん方! ご無事でなにより!」
丸い腹を揺らして駆け寄ると、両手を広げて握手を求めてくる。
ユウキは思わず笑いながら手を差し出した。
「久しぶりだな、ハッサン」
ハッサンは声をひそめ、耳打ちするように語った。
「この市を覆っていた騒ぎ……陰匿教会の残党どもが、どうやら“秘宝”を追っておるらしい。
三神の秘宝──そのひとつが、南の密林に眠っていると噂だ」
クリフが身を乗り出す。「秘宝?」
ハッサンは頷いた。「水神、天空神、大地神。いずれも古き契約の証といわれておる。
だが、南のジャングルにある“水神の盾”は、村人すら近づけぬ祠に隠されているそうでな」
ニーヤの瞳が揺れる。「……怪しい匂いがするニャ」
あーさんは静かに二鈴を指で撫でた。
「秘宝に囚われし声が、また鐘を鳴らすやもしれませぬ。ですが──蝶番を外す旅は続くのでございます」
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次なる導き
酒場を出た夜道。
ユウキは胸の奥に、不意に響く声を聞いた。
《……次なる導き。天空神の腕輪を目指せ》
息を呑み、空を仰ぐ。
夜風に揺れる灯のなか、星々が瞬いていた。
「……天空神の腕輪」
その言葉を繰り返すユウキを見て、クリフが首を傾げた。
「どうした?」
「いや……また、イシュタムの声だ」
仲間たちは顔を見合わせ、やがて頷き合った。
市の後始末は終わりつつある。
だが、その先には、さらに広がる未知の旅路が待っていた。
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あとがき
こうして市の騒擾はひとまず鎮められた。
姫は眠りにつき、鐘は鳴らさせぬまま。
だが陰匿教会の影と、三神の秘宝を巡る思惑は消えてはいない。
次に待つは──南方の密林、そして水竜王の村。




