「見えない門(後編)」
前書き(あーさん視点)
わたくしが仕えてきた年月のなかでも、人々が足並みを止め、一様に息を呑む場所というものは、そう多くはございませぬ。
道そのものに障壁があるわけでもなく、草は草、砂利は砂利にすぎませぬのに──ただ一歩、そこを越えることが叶わぬのです。
見える形を持たぬ門。
扉も、枠も、刻まれた紋もない。
けれど、確かに「蝶番」だけが空気のなかに軋みを残し、人の名を揺らめかせます。
先日の試みにて、呼び声に囚われた者たちは、己が名を唱えつつ深呼吸を重ね、ようやくこの見えぬ境を越えることができました。
されど、それで“向こう側”が静まったわけではございませぬ。
未来を覗く窓のような残響、呼び声の余韻──それらはなお拍を撓め続け、わたくしたちを試しているのでございます。
わたくしたちは鐘を鳴らさぬ旅人。
鍵穴を打ち破るのではなく、蝶番を見極め、なだめ、ほどほどに撓める。
その心得があればこそ、この「見えない門」にも道理が通うと信じております。
ただ──その蝶番には、わたくしたちの知りえぬ因子が絡み合っております。
ときに人の名を攫い、ときに未来の幻を垣間見せ、いまなお軋みながら伏している。
この蝶番を鎮めきるには、わたくしたちだけの力では及ばぬやもしれませぬ。
ゆえに、今回の後編にて新たな来訪者が姿を現しましょう。
それが吉兆か凶兆かは、まだわかりませぬ。
けれど確かに、この「見えない門」の軋みは、彼らによって別の調べへと撓められ、物語はさらに異なる異境へと広がっていくことでしょう。
本編
その場には風がなかった。
けれど草木は揺れ、砂利はわずかに震えている。
誰かが息を吸い込むだけで、見えない蝶番が軋むのだ。
ユウキたちは輪を作り、それぞれ自分の名を声に乗せた。
「ユウキ」
「クリフ」
「ニーヤですニャ」
「リンク……キュイ」
「よっしーや!」
「あいざわ・ちづるにござります」
「……カァ」
声がひとつ響くたびに、蝶番の軋みは弱まり、空気は透き通っていった。
だが──完全に静まるには至らなかった。
そのとき、外縁から鈴のような音がした。
振り向けば、そこに立っていたのは二人組の旅人。
見た目は幼く、片やおかっぱ頭の少女、片や坊主頭の少年。
背中には荷もなく、ただ足音と心音を響かせて、まっすぐに門へと歩み寄ってきた。
「……サジ。聞こえる」
「うん、カエナ。……門が、呼んでる」
誰も言葉を挟めなかった。
ふたりの目は澄んでいて、恐れも疑いもなく、ただ蝶番の軋みを見据えていたからだ。
次の瞬間、彼らは声を揃えた。
「オレの名は──サジ!」
「うちの名は──カエナ!」
響きが重なったとき、門は深く息を吐いたように揺らぎ、見えない蝶番がぱたりと折れた。
その軋みは消え、道はまっすぐに伸びていく。
ユウキが息を呑んだ。
「……今の、見えたか?」
クリフが頷く。「ああ。蝶番を外したのは、あの二人だ」
あーさんはそっと二鈴を掲げ、深く頭を垂れた。
「吉兆にござります。名を呼ぶ力が、門を鎮めたのです」
サジとカエナは顔を見合わせ、にっと笑った。
その笑みは幼さを残しながらも、確かな決意を宿していた。
そして彼らの背後に、まだ誰も見たことのない道が広がっていた。




