幕間 見えない門(前編)
前書き(ニーヤ視点)
門があるわけではない。
けれど、人はそこで足を止めるですニャ。
誰も見ていないのに、見えない蝶番が開閉している気配があるですニャ。
市から街道へ続くただの道。
草も土も、昨日と変わらぬ。
けれど通りかかった商人は言いました。
「一歩を踏み出したら、十年前の自分を見た」
子どもは言いました。
「駆け抜けたはずなのに、まだ門の前に立っていた」
見えない門は、人の記憶や名を撓め、未来すら覗かせる。
鐘の鳴りに似ているけれど、音はない。
ただ蝶番の軋みだけが耳に触れるのですニャ。
わたしたちは、鐘を鳴らさぬために旅を続けていますニャ。
非致死・ほどほど。
鍵穴じゃなく蝶番へ。
剣ではなく、息と座と鈴で撓める。
ならば、この見えない門も──
叩いて壊すのではなく、
撓めて返すべき蝶番のひとつかもしれませんニャ。
次の幕間は「見えない門」。
通れば記憶が撓むという、誰も見たことのない扉を、蝶番から確かめる旅ですニャ。
小序──
門は見えぬ。
しかし、人はそこで立ち止まる。
記憶が撓み、未来がちらつく境目にて、鐘は鳴らぬまま息だけが揺れる。
ならば、叩かず、切らず、蝶番へ。
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I 境目
市の北側、畑と小さな用水路を越えた砂利道。
そこは昨日まで、ただの「通り道」だった。
けれど今朝、最初にそこへ来た車引きの老人が、不可思議なことを口にした。
「ここで一歩が出ぇへん。脚は前へ出たのに、心が置いていかれた気がする」
続いて、荷を抱えた商女。
「踏み出した瞬間、十年前の声が耳の横を通ったの。わたしを呼ぶ声。忘れてた名前で」
子どもは言う。
「走ったのに、同じ場所に戻ってきた」
道に筋目も杭もない。
草の生え具合も、昨日と変わらない。
それでも人々は、同じ位置で立ち止まるのだ。
ユウキは指輪の温度で境目を探った。
ぬくい。半拍遅れで胸へ合図が返ってくる。(ここだ。見えない“蝶番”がある)
クリフが地面に手をつき、砂利の締まり具合を確かめる。
「路盤に問題はない。だが、“拍”が噛んでいない」
「あ、これ“門クセ”出てますな」よっしーが目を細める。「スロープに見えん段差、音のない踏切……平成の町でもあったやつや」
あーさんが二すずを胸に寄せ、静かに頷いた。
「目に見えぬ蝶番が開閉しているのでしょう。鳴らさず、その形で整えられれば」
リンクが「キュイ」と短く鳴き、座が境目に薄くのびる。
ブラックは耳を立て、無音の周波をすこしだけ散らした。
風が変わる。草の穂先が一方向へ撓む。
座の輪郭に、扉の影がぼんやり浮かんだ。
「見えた気がするですニャ」ニーヤが尾を揺らす。「門は“名”を食べ、記憶を撓めてますニャ」
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II 検分──記憶の撓み
「試しにひとりずつ、門の手前で息を合わせる。踏み出して“戻る”人は、共通して拍が早い」
ユウキの提案で、数人の往来者に協力してもらうことになった。
よっしーは’89アイテムボックスからチョークラインを取り出す。
ぱちん、と弦をはじくと、地面にまっすぐな青い粉線が走った。
「これが“通ってええ道”。次に、“深呼吸ライン”を一歩手前に」
市の若者がラインの前に立ち、息を整える。
リンクが「キュイ」。座が胸から腹へリズムを落としていく。
若者が一歩を出す──
その瞬間、目が泳ぎ、昔の笑顔を追うように視線がそらされた。
「戻ってきた、同じ場所や」
「過去の“呼び声”やな。門の片ヒンジが“名を呼ぶ役”を担ってる」よっしーがうなる。
「鍵穴じゃなく蝶番へ」クリフが短く言う。「呼び声を止めるのではなく、“返す”」
あーさんの二すずが、鳴らさず形だけで胸の前に持ち上げられた。
「名は鈴。鳴らさずとも戻せます。まずは自分の名、次に相手の名をゆっくり呼ぶのです」
ニーヤが手順の札を読み上げる。
「息→自分の名→相手の名→一歩ですニャ」
試行を繰り返すにつれ、戻される率は少しずつ下がっていった。
だが、完全ではない。
門はまだ、どこかで開閉している。
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III 蝶番の所在
リンクの座が、地面の下へと「薄く」潜っていく。
ブラックが無音の波を縦に落とすと、砂利の奥でカチンと軽い金属音。
よっしーが耳をそばだてた。「今の、蝶番や。埋まっとる」
掘ってはならない。
掘れば、欠片が「別の門」になる。
(破壊ではなく、撓めて眠らせる)
ユウキが指輪を撫で、半拍をとる。
「ほどほど工事で、蝶番に“遊び”を持たせる」
よっしーが荷から防振ゴム片と可逆クランプ、ねり消し、ラミ札を取り出した。
「地表側で呼吸の遅延を作る。遅れた揺れは座に吸わせる」
リンク:「キュイ」
座が境目の上に膜を張る。
ブラックの周波が斜めに入り、地中の蝶番の軸を微かに緩めた。
あーさんの二すずが一度も鳴らないまま、形で支点を指す。
その座標に、よっしーが可逆クランプを地上の杭へ優しく咬ませ、ラミ札を添える。
《調律中につき静粛/外す前に深呼吸》
ニーヤが締める。「焦らず、ほどほどですニャ」
門の影は、ひとまず薄くなった。
往来の人が一歩を出す。
戻らない。
二歩、三歩。
振り返って笑う。
「通れた」
安堵が広がる一方で、あーさんの眉間にうっすら皺。
「まだ、“未来を覗く”側の蝶番が生きています」
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IV 未来の覗き窓
日が傾く。
砂利道の先に、夕陽を逆光にして白い影が立った。
人影は微動だにしない。
リンクの座が触れた瞬間、ユウキの胸に冷たい映像が滑り込む。
(見知らぬ屋根。まだ建っていない市場の拡張棟。そこで誰かが鐘を──)
「戻れ!」クリフが短い号令。
座が引かれ、映像は霧に溶けた。
ブラックが「キュ」と低く鳴き、周波で余韻を飲み込む。
「未来の覗き窓ですニャ」ニーヤが目を細める。「呼び声ではなく、見せて引く蝶番ですニャ」
よっしーがあごを掻く。
「なら、視線の遅延を入れる。人は見てから反応する。反応が半拍遅れなら、網は噛み損なう」
’89アイテムボックスから、よっしーはサングラス(薄色)と紙コースター、透明フィルムを取り出した。
「見えすぎを防ぐ“昭和平成”のまぶしさ調整や」
あーさんが二すずを胸に当て、逆相の構え。
リンクが座を目線の高さへ上げ、ブラックが微波で視覚の鳴りをほぐす。
ユウキが半拍を打ち、クリフが人々へ短く告げる。
「正面を見すぎない。足元→一歩先→耳の順で」
「目でなく、呼吸で通るですニャ」ニーヤ。
試行。
夕陽の通り道を、商女が薄色サングラスで一歩。
紙コースターをこめかみに当て、深呼吸。
足元→一歩先→耳。
座が抱く。
通った。
「いけるやん」よっしーが親指を立てる。
「門は“見せて”引く。なら、見ない勇気と見えすぎない工夫で撓める」
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V 名を呼ぶ声
ひととおりのほどほど工事が終わり、往来は落ち着きを取り戻しつつあった。
そのときだ。
道の向こうから、名が飛んできた。
「……ユウキ」
ユウキの喉がつまる。
忘れようとしていた響き。
半拍が乱れる。
「止まるな」クリフの声が低く強い。
「鍵穴じゃなく、蝶番へ。声ではなく、足を見ろ」
リンクが「キュイ」。
座が胸から腹へと呼吸を戻す。
ブラックが耳のまわりの余韻を軽く撓める。
あーさんが二すずを鳴らさず、形だけで**“ここ”**を示す。
ニーヤが寄り添って囁く。
「自分の名を、言うですニャ」
ユウキは、空気を吸って吐いた。
「……ユウキだ」
声に声が重なって消える。
門の向こうの名は、遠ざかった。
足は前に出ていた。
戻らない。
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VI 小さな柵、大きな呼吸
日暮れの市境。
よっしーはラミ札を三点に掲げる。
《ここから先 深呼吸》《足元→一歩先→耳》《通行中 無用の呼びかけ禁止》
杭には可逆クランプ。
線はチョークラインでまっすぐ。
子どもたちには紙コースター二枚──「門通りごっこ」の遊び方を添える。
「ゲームやで。吸って、吐いて、自分の名。次に相手の名。足元→一歩先→耳。通れたら拍手」
リンクは座の端を生活の動線に沿って薄く延ばし、
ブラックは交差点の角でときどき「キュ」とごく短く鳴いて余韻を吸う。
あーさんは二すずを手に、往来の人々へ鳴らさぬ礼を配る。
ニーヤは締める。
「門は“祟り”にあらず。拍のずれですニャ。焦らず、返すですニャ」
往来は、ほぼ普通になった。
ただ、境目だけが、少し丁寧に通る場所になった。
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VII 余白──向こう側
夜。
見張りの兵が焚き火を囲む。
ユウキはチョークラインの端にしゃがみ、粉を指で払った。
(門は眠った。けれど、向こう側はある)
風の向きが変わる。
一瞬だけ、TREIという遠い囁きが砂粒の間を抜けた。
リンクが座を広げかけ、すぐに畳む。「キュイ」
ブラックが首を横に振る。
「届かない。いまここには」
クリフが短く言う。
「明日、後編で蝶番を街道側からも見る」
「鍵穴じゃなく蝶番へ」
「非致死・ほどほど」
「鐘は鳴らさない」
あーさんが二すずを胸に当て、鳴らさず微笑む。
ニーヤが灯を落としながら、猫のような声で締める。
「見えない門も、撓めれば道ですニャ」
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後書き(しるし)
•現象:市境に“見えない門”。一歩が「戻る」/過去の呼び声/未来の覗きが起きる。
•解析:地中の埋設蝶番+視線・呼称の撓み。鐘ではなく、境界の拍ズレ。
•対処(ほどほど工事):
•座で呼吸の場をつくる
•ブラックの微波で“鳴らない鳴り”をほぐす
•二すずは鳴らさず形で支点指示/必要最小の逆相
•チョークラインで進路、ラミ札で手順、可逆クランプ/防振ゴム/ねり消しで“遊び”を持たせる
•紙コースター&薄色サングラスで視覚と耳の遅延
•手順=《息→自分の名→相手の名→足元→一歩先→耳》
•余韻:門は眠ったが向こう側は存在。遠い「TREI」は未だ健在。
•次回:**幕間その21「見えない門(後編)」**──街道側から蝶番を確かめ、封鎖せずに“生活の橋”として仕上げます。
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用語ミニ解説
•見えない門
物理構造ではなく、境界の拍ズレとして現れる“開閉”。過去の呼び声/未来の覗き窓を誘発。
•埋設蝶番
地中に残置された金属片や撚線が「門の癖」を記憶し、通行者の名・視線・呼吸を“噛む”。
•視線の遅延
足元→一歩先→耳の順に意識を移し、見えすぎを避ける。薄色サングラス・紙コースターで補助。
•ほどほど工事
破壊ではなく可逆・調律・生活手順で撓める方式。外す前に深呼吸、合図は鍋ふち“とん”。




