幕間 残響が耳から消えない(後編)
前書き(クリフ視点)
沈黙を斬ることはできない。
剣を抜いても、振り下ろしても、そこには形がないからだ。
だが、沈黙は確かに人を追い詰める。
市で続いていた“耳鳴りの残響”──それは鐘が鳴らなかったからこそ残った影。
昨日、我らは座や二すずで撓め、人々を安らげた。
けれど、完全には消えなかった。
遠い放送のように、名もなき囁きがまだ耳の底に残っている。
騎士として剣を振るうのは易い。
敵を討てば、鐘は大きく鳴り響く。
だが、それは望む結末ではない。
鐘を鳴らさせぬために、剣を収め、沈黙の蝶番を支える方が難しい。
仲間たちはそれぞれの役を果たす。
よっしーは’89の札や耳当てを配り、笑いで空気をほどく。
にーやは「焦らぬことですニャ」と言い、夢を糸のように撓める。
リンクは「キュイ」と座を広げ、ブラックは余韻を飲み込む。
あーさんは二すずを鳴らさずに掲げ、その形だけで人を鎮める。
ユウキは半拍の合図を指輪に刻み、俺たちを導く。
ならば俺は、蝶番を押さえる役目を果たすだけだ。
沈黙を切らず、剣を収めたまま、扉を支える蝶番として立つ。
残響はまだ終わっていない。
今夜、俺たちはその影に踏み込む。
鐘は鳴らさない──そのために。
小序──
音のない音が、人の拍をほどく。
耳に棲みついたのは鐘そのものではなく、鳴らなかったはずの余白だ。
ならば、叩かず、切らず、撓めて返すまで。
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I 石橋の下の「もう一枚」
日暮れ。
昨日いちど静まったはずの石橋の下に、再び薄い“揺れ”が立っていた。
呼ぶのは声ではない。構えだ。
覗きこめば、アーチの内側、目地の影に薄い金属片が一枚──鈴の舌のように貼り付いている。
「見落としてた“もう一枚”やな」よっしーが指を鳴らす。
「抜けば早いが、抜いた先で鳴るかもしれません」あーさんが二すずを胸に当てる。
「鍵穴じゃなく蝶番へ」クリフは短く告げた。「橋そのものの“拍”を整える」
リンクが「キュイ」。座が水面すれすれに広がり、波紋が逆向きに返る。
ブラックが無音の波を落とすと、石の目が呼吸を思い出したかのようにわずかに膨らんだ。
「ほどほど工事、入ります」
よっしーは’89アイテムボックスからねり消しと可逆クランプ、薄い防振ゴムを取り出す。
「貼り剥がし自由/跡が残らない/戻そうと思えば戻せる。これが“ほどほど”や」
「待つですニャ」ニーヤが尾をゆるく振る。「名の残り香、まだ“呼び”をしてますニャ」
ユウキのリングがぬくくなる。
(声は遠い。“放送”の源はここじゃない)
「仮止め。座の中で眠らせて、行き先を探る」ユウキが合図する。
あーさんが二すずを鳴らさず掲げ、形だけで支点を指し示す。
可逆クランプが“舌”をそっと抱き、ねり消しが余白を満たす。
ブラックの波が締め、リンクの座が包む。
耳鳴りは──いったん消えた。
「根は、北東ですニャ」ニーヤの瞳が細くなる。「風の背で、名が運ばれてますニャ」
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II 風の背の「送信所」
北東へ小走り。
畑を抜け、土堤を越え、放牧地の外れ──斜面に半ば埋まった廃倉があった。
外見はただの納屋。けれど、近づけば額の裏に薄い疼き。
扉は壊れたふり、蝶番は新しい油。
「講義の時間や。“扉学入門・蝶番は嘘をつかない”」よっしーがニヤリ。
「非致死・ほどほど。鐘は鳴らさない」クリフ。
「キュイ」リンク。
「焦らぬですニャ」ニーヤ。
あーさんは二すずを胸に添え、頷いた。
中は薄暗い。
床下から低い沈黙が上がっている。音ではない、沈黙の形。
梁に針金、壁に薄板、角に小型の風鈴──どれもTREIの文字が細く刻まれていた。
「ここ、送信所や」よっしーが囁く。「鳴らさずに“構え”だけを送る装置」
「だから耳に“鳴らない音”が残った」ユウキはリングの熱で位置を測る。「蝶番は、梁の結び目」
リンクが座を梁の内側へ差し入れ、ブラックが周波を落とす。
沈黙の形が浮かび上がり、数の“節”が見えた。
「一三八、七六、四一……」クリフが数える。「三本の糸で撚ってある」
「三喉の応用ですニャ」ニーヤ。「音ではなく名で撚ってますニャ」
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III ほどほどの逆相、ほどほどの封
「壊せば簡単。でも壊れた欠片が別の蝶番になる」ユウキ。
「なら、眠らせる」あーさん。
「任せや。平成の昼寝セット」
よっしーは洗濯ばさみを梁の針金に“ほどほど”に噛ませ、紙コースターを薄板の裏へスライド。
「遅延を作る。遅れた鳴りは座で飲める」
リンクが「キュイ」。座が遅延を抱き、ブラックが相殺の波を添える。
ユウキが半拍遅れでリングを軽く打ち、あーさんが二すずを一度だけ。
ちりん──
沈黙に逆相が差し込まれ、三本の糸がほどけずに弛む。
「今ですニャ」ニーヤが指す。「根の蝶番へ“札”を」
よっしーがラミ札を梁の結び目に巻いた。
『調律中につき静粛/勝手に外さない/外す前に深呼吸』
「結び目は人の手順で閉じるのがいちばん強い」
倉の空気が、ようやく静けさの形を思い出した。
耳の奥の疼きが退く。
市へ吹き戻していた“放送”は、ここで一度眠った。
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IV 名を呼ぶ者
外に出ると、薄い月。
土堤の影に、旅人がひとり立っていた。
「……俺は、トレイ」
一瞬だけ、座がきしむ。
ユウキのリングが熱くなり、ニーヤの尾が撓む。
あーさんは二すずを掲げたが──鳴らさない。
「名、返してみいへん?」よっしーが柔らかい声で言う。「あんたのほんまの名」
男は唇を噛む。「……思い出せない。呼ばれ続けたせいで、舌が勝手にトレイって」
「急かさないですニャ。名は鈴。鳴らさずとも形で戻るですニャ」
リンクが「キュイ」。
座を足元から薄く上げ、呼吸の拍を合わせる。
ブラックが男の耳の周りに微かな周波を散らし、“鳴らない鳴り”を砂のように落としていく。
クリフは剣を抜かず、ただ柱のように立っていた。
「吸って」「吐いて」ユウキが半拍遅れでリードする。
あーさんが二すずを胸の高さで合わせ、そっと視線を落とす。
「あなたの名は“未来”ではなく“いま”にございます。いまの息に、名を返しましょう」
男の喉が揺れた。
「……ウルリヒ」
その名が地面に置かれた途端、座のひずみがふっと抜けた。
「よく言えました」あーさんの笑みは、鳴らさぬ鈴だ。
「もう“トレイ”と呼ばれそうになったら、まず深呼吸、それから自分で自分の名を言ってください」
「キュイ」リンク。
よっしーはラミ札(名の心得)をウルリヒの荷袋に差し込む。
『①息 ②自分の名 ③相手の名 ④深呼吸してから話す』
「平成のコミュ術、鐘よか効くで」
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V 静けさの儀
市に戻ると、夜の鍋。
人々の耳鳴りはもう薄い。それでも仕舞いが大事だ。
「今日は“静けさの儀”をやろか」よっしーが手を叩く。
「まず一拍、みんなで息合わせ。ほんなら“鍋ふち”をとん、が合図。鐘やない、台所の音でええ」
リンクが輪の外で座を広げる。
ブラックが通りの端で余韻を飲む。
あーさんが二すずを掲げるが、鳴らさず、形だけ。
ニーヤが締める。「焦らず、息を返すですニャ」
とん。
鍋の縁に、クリフの指が軽く触れた。
笑い声が撓み、湯気が座になって、耳に貼りついていた“鳴らない音”をほどく。
子どもが紙コースター耳当てを外して、自分の名を言う。
「ぼくは、エル。」「わたしは、ナタ」
そのたび、静けさは形になって場に残った。
ユウキのリングは、もう熱くない。
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VI 余白──遠い、しかし届かない
夜半。
風が入れ替わる。
遠い遠いところで、TREIという呼び声が一度だけかすめた。
リンクの座は広げかけて、すぐ畳む。
「キュイ」
ブラックが首をほんのわずか横に振る。
「届かない。いまここへは来ない」
ニーヤが灯を落としながら言う。「届く前に“息”を整えたら、放送は素通りですニャ」
あーさんは二すずを胸に当て、微笑んだ。
「鐘は鳴らさない。静けさは、鳴らさずに育てるもの」
クリフが短く結ぶ。
「鍵穴じゃなく、蝶番へ。明日もこれを繰り返す」
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結び──「耳」の蝶番ノート
翌朝、よっしーが市の掲示板に新しいラミ札を貼った。
『耳の蝶番ノート』
1.深呼吸(吸って・吐いて・半拍遅れ)
2.自分の名を言う(小声で可)
3.相手の名を呼ぶ(目を見る/見過ぎない)
4.それでも耳が鳴る時は、紙コースター耳当てで一息
5.風鈴や看板を外す時は、必ず二人以上+「キュイ」(座)+静粛札
6.鍋ふち“とん”が合図(鐘でなく、日常の音で仕舞う)
「昭和と平成の家庭科やな」
「いちばん強いのは、日常や」
市の空気は、ようやく**“耳栓なしでも静か”に戻った。
けれど我らは知っている。
遠くのどこかで、名を束ね、沈黙を送る網**は、まだ息を潜めていると。
だから今日も、剣を抜かずに立つ。
蝶番へ。
非致死・ほどほど。
鐘は鳴らさない。
リンクが短く、「キュイ」。
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後書き(しるし)
•送信所(廃倉)=鳴らない“構え”を市へ送っていた拠点を、破壊せず「ほどほどの逆相+座+ラミ札」で眠らせた回でした。
•名の返還:旅人ウルリヒのケースで、深呼吸→自分の名→相手の名という“耳の蝶番手順”を確立。
•共同儀礼:「鍋ふち“とん”」=鐘ではなく台所の音で場を仕舞う、生活の合図。
•余韻:遠いTREIはまだ存在。ただし「届く前に“息”で撓める」術が市に根づきました。
•方針再確認:鐘は鳴らさない/非致死・ほどほど/鍵穴じゃなく蝶番へ。
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用語ミニ解説
•送信所(鳴らない放送)
物理音でなく「沈黙の形」を送る拠点。風鈴・薄板・針金・梁の結びで名の撚りを作る。
•ほどほどの逆相
二すずの一打+リンクの座+ブラックの微波で、弛めて眠らせる調律。
•耳の蝶番ノート
個人と市が共有する“仕舞いの手順”。息→名→名→日常音の流れで余韻を生活に戻す。




