選別、そして鎖
夜が明けた。
石造りの天井は淡い青にほどけ、冷たい朝の気配が大広間を洗っていた。床の金糸はすでに磨かれ、血の跡は見えない。江戸の浪人が倒れた場所だけが、不自然なほど光っているように見えたのは気のせいだろうか。
ユウキは列に並ばされていた。鎧の兵士に槍で肩を小突かれ、半歩進む。白衣の神官が何人も立ち、祭壇の上では水晶柱が脈動している。柱の内側には雲のような白金の粒が渦をつくり、人が近づくたびに色を変える。
「これより、選別を行う!」
杖を持った大臣が宣言した。
「神の加護を帯びし者は『勇者』として王城に留め、その他は相応の処置を取る。反抗は弾圧とみなす」
ざわめきが走る。
渋谷系のギャルが「ちょっと待って、ピッチ繋がんねぇどころかさ、これ何のイベントなの~?」と泣き笑いし、ホスト風の男が「落ち着けって、選ばれりゃいいだけだろ」と肩を抱いた。
ヒッピーの青年は掌を合わせて「ピースの光を……」と呟き、学生運動風の若者は「権力の選別に屈するな!」と声を上げたが、即座に槍の石突で沈められる。
「一番目!」
呼ばれた若者が水晶柱の前に立つ。白金の渦がゆっくりと色づき、明るい金色へと変わった。
神官が高らかに読み上げる。「適性、勇者級。クラス──ソードナイト。魔力指数、三百五十。祝福『暁の剣』授与対象」
兵士たちの歓声。侍女が花冠をそっと載せ、王女らしき少女が微笑む。「あなたがたは神に選ばれたのです」
青年は呆然としていたが、直後に我を取り戻して叫ぶ。「マジかよ!勇者!オレ!」
奥の扉が開き、煌びやかなテーブルが姿を見せた。焼き上がった肉、湯気を立てるパスタ、琥珀色の酒、宝石のような菓子。
「ヒャッハー!!!」
歓声が上がり、選ばれた者たちはそこへ案内される。指に指輪がはめられ、肩には白いマント。
ひとり、またひとり。金色が灯るたびに周囲が沸き、香ばしい匂いが広間を満たしていく。
「次!」
ギャルが震えながら進み、柱は淡い桃色にふわりと明滅した。
「適性あり。支援型。クラス──ソーサレス。魔力指数、百八十。補佐勇者として登録」
「やった……?やったの、これ?」
「おめでとうございます、勇者補佐さま」
冠の花がもう一つ増やされ、ギャルは涙とマスカラをこすりながら、肉の並ぶ方へ連れていかれた。「ねぇピッチ繋がるエリアないの?」「そなたのピッチとやらは何かの精霊か?」と侍女が首を傾げ、二人は意味のわからない会話で笑い合った。
次の男。柱は濁った灰に沈む。
「非該当」
言葉はそれだけだった。兵士がすっと近づき、男の首に鉄の輪をはめる。
「え、いや、ちょ……俺、何も悪いことしてないだろ!」
鎖が鳴って、男は列の端へと引かれていく。そこにはもう十人以上の“非該当”がいた。うつむく者、呆然とする者、痙攣した笑いを漏らす者。金のテーブルの笑い声と肉の匂いが、冷たい鉄の音に重なってくる。
「次!」
ヒッピーの青年がふわりと立つ。柱は柔らかな緑に光り、神官が眉を寄せる。
「適性……判定不能。自然親和……値、異常。分類保留。補助要員候補」
「オーケー。愛に従って歩むだけさ」
青年は静かに微笑み、鎖はかけられなかったが、白い布で腕に目印を巻かれ、壁際の別列へと誘導された。
「次!」
将校の凛とした影が進む。
大日本帝国陸軍の少尉。昨夜、怒声を上げていた一団の中でも最も整った佇まいの男だ。
柱は青へ、そして鋭い白へ。
「適性あり。クラス──ランサー。魔力指数、二百二十五。戦術適正、高」
少尉は敬礼し、短く問う。「任官の系統は?王国軍の階級は帝国陸軍のそれと互換性を持つか」
「あなたは勇者として客分に迎える。階級は関係ない。王の客人だ」
わずかに眉が動いたが、少尉は沈黙で了承した。白いマントがその肩に載る。異国の布は、彼の背に奇妙に馴染んだ。
「次」
呼ばれて、ユウキの前の列が進む。
ひとり、ふたり、三人……選ばれる者と鎖される者が交互に出る。
「……次!」
ユウキの名が呼ばれた。名といっても番号だ。「四十二番」。
足が重かった。膝から力が抜けそうになるのを、歯を食いしばってこらえる。
柱の前に立つ。白金の粒がふわりと近づき、彼の胸の前でぐるりと回った。
冷たい風が頬に触れた気がする。
柱が……弱い、黄緑色で、ためらうように明滅する。
神官が読み上げた。
「適性──低。クラス、テイマー。魔力指数、二十七。祝福の兆し、なし」
「て、いま……?」
「テイマー。家畜・魔獣の馴致、癒し、進化促進の補助……と記されている。戦闘適正、低」
大臣が面倒そうに手を振った。「非該当。鎖を」
「おい、ちょっ……」と言いかけた声は、すぐに鉄の軋みに呑まれた。
冷たい輪が首に締まり、背に汗がにじむ。
(俺、やっぱり“外れ”なんだ)
胃のあたりが空っぽになる。胸の奥で、昨夜の缶チューハイの味が逆流しそうだった。
「次!」
関西弁が背後から押し出される。「はぁいはぁい、小幡由和や、ほなよっしー行きますわ」
ウォークマンを奪われた男、小幡由和ことよっしーが柱の前に立つ。
白が瞬き、淡い銀色へ。
「適性……あり。クラス、シールドマン(盾士)。魔力指数、八十七。補助勇者、戦列補佐候補──」
「候補、ね。どないやねんそれ」
大臣が別の紙を見て鼻を鳴らす。「勇者枠は既に充足。補佐の中で優先度が低い。非該当扱い、鎖を」
「おいおい、話が違うやん。適性あり言うたやろ」
言い終える前に、兵士が無言で鉄輪をかけた。
よっしーは顔だけで笑った。「ほら見ぃ。口より手が早いタイプや」
「次!」
袴の裾をそっと直して、一人の和装の少女が進み出た。
柱の光は一度淡く、次には焦茶に沈み、そして……何も示さない。
神官たちが顔を見合わせる。「測定不能?」「信号が乱れる」「魔力系統の規格外か」
大臣が面倒くさそうに手を払う。「異端の可能性。拘束。後ほど調べる」
兵士が近づくと、千鶴は思わず半歩引いた。だがすぐに、逃げないと決めた顔になる。
「……わたくしは相沢千鶴と申します。無礼はいたしません。ですから、その、強くは……」
言葉は最後まで続かなかった。冷たい鉄が喉もとで鳴ったからだ。
「以上、勇者の選別を終える!」
白金の柱が静まり、王女が花冠を抱えて祈りを捧げる。
選ばれた者たちは歓声の海へ、選ばれなかった者たちは鉄の列へ。
世界が露骨に分けられた。
宴のテーブルからは、肉の焼ける香り、甘い菓子の匂い、酒の笑い声。
鉄の列からは、汗の匂い、唾を飲み込む音、短い嗚咽。
聖歌が流れ、祝福の鐘が鳴る。鐘の音は、美しく、残酷だった。
地下へ通じる階段は、油の匂いがした。
鉄輪で繋がれたまま、ユウキたちは列になって降りる。
「止まるな!前へ!」
兵士の怒鳴り声。こわばった背中。足元の石段は滑りやすい。
階段の底は、広い回廊だった。壁は湿り、苔が生えている。松明の炎がゆらめき、黒ずんだ水が溝を流れている。
鉄格子が並び、空いた檻に順番に押し込められていく。
ユウキ、よっしー、千鶴は同じ檻だった。正確には、同じ檻に押し込まれた、といった方がいい。鎖の長さと人数の都合だ。
兵士が鍵を回し、鉄が重い音をたてて閉まる。
看守が酒瓶を煽りながら笑っている。
地上からは、微かに笛や弦の音が降りてくる。
「勇者様方は今夜もご馳走だ」「こっちは残り物も回ってこねぇけどな」
隣の檻から乾いた笑い声がした。
時間が少し流れ、鎖の金属臭に鼻が慣れた頃合い、よっしーが口を開いた。
「……ま、えらい目に遭ったな。とりあえず、生きとる」
関西訛りは、ここでは奇妙に柔らかく響いた。
「オレは吉井。昭和六十四年生まれ。建築系の職人やってた。ここ来る直前は、ウォークマンでB面……いや、CDか。まあええわ。平成元年組や」
笑っているのか、自嘲なのか、判然としない声だった。
千鶴は袖を整え、震えの残る指先を握った。「……相沢千鶴と申します。明治三十九年の生まれです。女学校を、卒業したばかりで」
自分の声に驚いたのか、千鶴は小さく息を呑む。
ユウキは、ふたりの視線を受けた。鎖が喉に触れるたび、言葉が薄く切れる。
「……ユウキ。令和五年。三十七。派遣で、いろいろ。特に特技はない……らしい」
言ったそばから、柱の前の宣告が胸に蘇る。テイマー。魔力、二十七。祝福なし。
「令和……というのですね」
千鶴が確かめるように呟いた。
「わたくしたち、百年も違うのに、こうして同じ檻に」
よっしーが肩で笑う。「世界は広いようで、檻の中は狭いわけや」
ユウキはうなずくしかなかった。
同じ檻の隅では、初老の男が震える手で眼鏡を拭いていた。「私は……大学で……いや、誰に説明しても仕方ないか」
反対側では、少年が膝を抱えていた。十四、五に見える。顔色が悪い。
「お兄さんたち、勇者じゃないの?」
「そうやないらしい」
よっしーが答えると、少年は少しだけ口角を上げた。「ぼくも。魔力、ないって。鉱山って、どこ?」
看守がこちらを見て笑い、「気にするな、すぐにわかる」と言った。
天井から水が落ちる音が、時間の代わりに響く。
ユウキは、指先の震えが少しずつ収まるのを感じた。怖い。けれど、怖いという感情に形が与えられたぶん、逆に考えが動き出す。
(ここで死ぬのは嫌だ。昨日、缶チューハイで酔って、そのまま……じゃない。ここで終わりたくない)
鎖の感触を確かめる。留め金の位置、錠の形。
(外せるか……?いや、素手じゃ無理だ。道具がいる。道具は……)
視線がよっしーの手首に向かう。兵士に取り上げられたはずのウォークマン……ではなく、皮ベルトの金具。
(使えるかもしれない)
だが、看守の目はガラス玉のようだ。油断はない。
地上から歓声が降ってくる。
「勇者様、こちらに」「ロースト、もう一皿」「この指輪は守護の魔法を」
笑い声、杯の触れ合う音。
ユウキの喉が勝手に鳴った。空腹なのか、みじめさなのか、わからない。
「……こっから、どうする?」
よっしーが小声で言った。
「どうにか、するしかない」ユウキが答える。
千鶴はきょろきょろと周囲を見た。
「わたくし、こういう場所に慣れていません。でも、できることがあれば」
「あるで。誰でもできること。目ぇ、耳、鼻。よう見て、よう聞いて、匂い覚えとこ」
よっしーは冗談めかして続ける。「それと、笑うことや。泣いとったら喉が渇くだけやからな」
千鶴は一瞬戸惑ったが、深く息を吸って、小さくうなずいた。「……はい」
やがて、看守が鉄杓で粥を配り始めた。
木の椀に、薄い臭いの湯。粒の少ない粥。
「食えるだけマシや」
よっしーが受け取り、少年に先に差し出す。少年は躊躇してから礼を言い、一口すすった。
千鶴は椀を両手で持ち、唇を湿らすように飲む。「温かいだけでも、助かりますね」
ユウキは、自分の椀の底に沈む米粒を見た。小さな、けれど確かな重みが、掌に残る。
(生きてる)
呟きは声にならなかった。
上の階から、祝福の歌がひときわ高く響き、そして、遠ざかった。
代わりに、地下回廊の奥から別の音が近づいてくる。
鎖の束が引きずられる音、重い靴の音、誰かのうめき。
看守たちが立ち上がる。「奴隷商の連中が来たぞ。帳簿を出せ」
ユウキは無意識に鎖を握り締めた。冷たい輪が喉元に食い込む。
(ここで、俺たちは——)
言葉は最後まで形にならなかった。そこから先は、まだ誰にも選べない。
鉄格子の陰で、三人は息を合わせるように黙った。
名前を交わしたばかりの、ちぐはぐな三つの時代。
檻の中で初めて共有したのは、希望でも勇気でもなく、ただ——
生き残る、という意志だけだった。
遠くで、かすかな鈴の音がした気がした。
誰のものでもない、気配だけの音。
千鶴が顔を上げる。
音はもう、消えていた。
回廊の灯が、ひとつ、ゆっくりと揺れた。
夜はまだ来ていない。だが、地の底の時間は、もう夜の匂いがした
*つづく*
追記
ここまで読んでいただきありがとうございます。応援コメントや好評価をいただけると幸いです。まだまだ未熟ですが、よろしくお願いします。




