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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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霜都ロージェン—「協力者」の茶、牢のラーメン、そしてジギー

霜が路の石目の間に白くたまって、吐く息が薄く割れた。

北の国、霜都ロージェン。港風が塩を運び、雪よけの庇からは氷柱が糸のようにぶら下がる。

通りには、毛皮、干し魚、鉄鍋、香辛料、そして湯屋の赤提灯。拍税印の机を抱えた帝国の出先も、表向きは「秤量所」と看板を出して居丈高に座っていた。


胸骨の前で二拍。

とん・とん——B0.6。

「静けさは扉」


「短く点呼」

「ユウキ」

「よっしーや」

「クリフさん」

「ニーヤですニャ」

「リンク」——「キュイ」

「あーさん、相沢千鶴にございます」

「……カァ(ブラック)」


「今日は聞き込みや。行き先は市場、酒場、鍛冶場、湯屋——」

「最後! 最後はワイが行く!」よっしーが手を挙げる。

「ダメ」ニーヤが無慈悲に却下した。

「学匠局の手先が管理するいかがわしい湯屋に入ったら最後、拍まで丸裸にされますニャ」

「丸裸にされるのはちょっと……いやだいぶ……」

「ユウキ、巻き込まれる前にお止めなさい」あーさんが真顔でうなずく。


それでも街は面白い。

吹きさらしの角で飲む熱い鮭スープは、塩が強くても身体が喜ぶ。

鍛冶屋の店主は、帝国学匠局の印が入った黒い印判の話を渋い顔で漏らし、酒場の親父は昨夜偽勇者ヨシキの旗が北に抜けたと教えた。

「学匠局長アウラントが上で極光の幕を張るんだとよ。何やら空が緑がかってただろ」

たしかに、北の稜線には薄い帯のような光が揺れている。


「ほな、情報は揃いだ。今日は泊まって、明日北へ抜ける算段で——」


そこへ、「あなた方が学園の者か」と声をかけてきた男がいた。

白い息、狐皮の帽子、細身の体に上等な外套。

「私はアーレン。ロージェンの旧ギルドに勤めていた。……帝国に逆らうのは命知らずだが、子どもに印を押すのは耐えられない。抜け道を知っている。今夜なら検めが薄い。茶でも飲みながら地図を広げよう」


よっしーが俺を見る。

「茶あるって。湯屋より健全やろ?」

「健全の定義が揺らいでるよっしー。——行こう。ただしほどほどにな」



1)「協力者」の茶


アーレンが案内したのは、表向きは廃れた帆布屋の二階。

間口は狭いが、中は掃除が行き届いていて、卓に置かれたランタンは油が新しい。

茶器は銀縁、湯は川の雪解けを炭で沸かしたという。

「砂糖は貴重だが、今日は特別だ。道中、氷橋砦を越えるなら内鈴を避ける術が要る。ここに——」


湯気は甘く、どこか懐かしい香りが混じった。

あーさんが、ふっと鼻先をこすった。

「……この茶、灰夢が薄いですわね」

「灰夢?」

「眠砂の一種。拍をB0.6からB0.8へじわりとズラし、名の輪郭を滲ませる香。名欠け香と一緒に使う類いの……」


言い終わる前に、窓の外で鈴が小さく鳴った。B0.8。

「外——!」俺が立ち上がろうとした瞬間、膝から力が抜ける。

よっしーが笑いながら崩れた。

「ははーん、こらええ布団や……湯屋より……いや……ぐぅ」

ニーヤが慌てて霧膜を喉にかけたが、極光天蓋の上拍が窓の隙から侵入して、膜の縁を擦っていく。

「B0.6を拾え……とん・とん……」

胸骨の前で二拍。とん・とん。

——届く前に、暗い幕が落ちた。


最後に見たのは、アーレンが静かにランタンの芯を下げる光景。

「ごめんよ。生きて欲しいから檻に入れる。外はもっと酷い」



2)地下牢の夜、拍の底


「……起きてるやつ、いる?」

石の冷えが背中へ食い込み、鼻に湿り気の匂い。

鉄格子、向こうは青い灯。拍連結箱の薄鳴りが床を這っている。


「ユウキ様?」

囁き声はあーさんだ。

「大丈夫。名は輪郭、輪郭は境界、境界は——」

「蝶番」

B0.6の二拍が脳の内側で灯る。

ニーヤが隣でむくり。

「アーレンのヤツ、帝国学匠局の手先ですニャ。灰夢と名欠け香の合わせ技。極光で喉を冷やしてから、眠らせるつもりだったのだ」


「リンクは?」

「キュ……」

牢の天井の梁の陰から、小さな影が逆さになって手を振った。

「よし、生きてる。ブラックは?」

「ここに」暗がりでカァと短く。

「スリットから出入りできるのはブラックだけだ。——返送は今は無理だな」


隣の牢から、乾いた笑い声。

「新入りか。話せるか?」

「話します。あなたは」

「マライヤ。北谷の粉屋だよ。印を押された帳を破ったら捕まった。隣は風見のカルロ、馬方のデリク。若いのは……黒縁の工匠見習いのイータ」

「イータです。印母型を削らされてて……僕らがやらないと、学匠局が子どもに印を押すから……」


「牢番は?」

「この階は三人。夜明け前に巡回が薄くなる。上では学匠補が印の試し打ちをするから、そのときだけ拍がB0.9に跳ねる」


あーさんが小声で板を叩いた。

「講話は短く。名は輪郭。輪郭は境界。境界は——」

「蝶番」と、牢のあちこちから囁きが重なる。


拍が落ち着いたところで、よっしーがガサゴソと動いた。

「ほな——晩餐や」

「えっ、今!?」

「虚空庫は没収されへん。ワイのガレージは心の隅にあるんや」

よっしーは壁と自分の体を盾にして、細っこいカップをどんと並べた。

白い発泡、赤い文字。見覚えのあるカップ麺の顔。

ついでに平たい四角い焼きそばの箱、袋パスタ、粉末スープ、スポーツドリンク、ラムネ、せんべい、角ばったカステラまで。


「お湯は?」

「湯たんぽの湯をポットに移して——ほい」

湯気が、石の檻の空気を一瞬で別世界に変えた。

カップから立ち上るしょうゆとソースと粉末の匂い。塩と脂と化学の魔法。

「ごくり……」

隣の牢で唾を飲む音が、三つ四つ。


「一個ずつや。おやつは二個までやけど、今は非常時や。替え玉は無し」

「ルフィは?」

「留守番。でも魂がここに三個ぐらい来てる」

「来てないニャ」


ひと口。

喉に熱い汁が落ちた瞬間、胸骨の裏にもう一個、小さな火が灯った。

「……うまい……」

鉄の味しかしなかった舌に、別の世界の塩が乗る。

粉屋のマライヤは頬に涙を伝わせ、カルロは両手でカップを抱えた。

イータは黙って麺を持ち上げ、その揺れをB0.6で追ってから啜った。


「アカン、ワイ……ここ一生おりたい……」

牢の角で、誰かがボソッと言い、全員が笑ってしまった。

「バカ言わないで。出るために食べるのよ」あーさんが笑いながら、せんべいを半分に割って配る。

「拍は腹から。腹が冷えれば言葉も角が立つ。腹に火を入れたら、角は丸まる」


「……で、鍵は?」俺。

「ほらよ」

よっしーが今度はヘアピンと細いワイヤ、ガムテ、瞬間接着剤、金属製の短いメジャーまで取り出した。

「万能や」

「牢の鍵は名欠け式だと思います」イータが囁く。「名前を削る鎖と繋がってる。印の薄板がどこかに」

「似せ印で裏から押せば、角は折れるかもしれん」あーさんが板を指で叩く。


……その時だ。

廊下の灯が一つ消え、床の拍が一枚、低くなった。

「巡回が——」

「ちゃう。あれは……」


石の中から、骨の指がひょいとのぞいた。

続いて、骸骨兵の肩、そして、背丈ほどの大鎌ではなく、細身の合口杖を持った死霊術士が、壁から半身を抜いた。


「やぁ、みんな。朝ごはん前に墓場をひとつ、掘ってきたよ」


ジギー(ジョージア・フォンデリッテ・ギルバート子爵)。

笑いはいつも通り豪快で、目だけが冴えている。



3)ジギー、檻を開く


「お館様!」

ニーヤが思わず立ち上がり、鉄格子に額をぶつけていったぁと涙目になった。

「無茶はしない。倒さない。座らせる。——その間に鍵を返す。いつものやり方だ」


ジギーは骨の指を逆さにして鍵穴へ。

「墓鍵って言ってね。墓場の鍵はたいてい内側からしか回らない。だから裏から入るのが一番。

それと——この牢、名欠け鎖を印で止めてある。印は印で外すのが早い」

あーさんが頷く。

「似せ印、浅く。蝶番だけ押して、角はユウキ殿の針で」

「了解」


カチ。

錠の中で角が折れ、輪郭が丸くなった。

ジギーは合口杖をとんと床に付く。

「眠れ、墓場のスリープサークル・ネクロ

廊下の向こう、牢番のまぶたが、音もなく落ちた。

ブラックが羽衣をふわり、高域を熱に落として鈴を黙らせる。


「受け渡しは?」

「白は裏庭の雪洞に三口開けてある。A-3が受けてくれる。朝粥は盛ってあるから、非致死は札を見せて通す」

耳飾りがちり。

『A-1〜A-5、白は太く。三鈴法は未使用。呼べば戻る』ミカエラの声。


「アーレンは?」俺。

「上で待ってる。学匠局の伝令と帳を合わせてる。悪い顔じゃないが、仕事は悪い。落とし所は朝粥と講話で角を丸めるか、裏口から雪に寝かせるか」

「後者で頼む」よっしーがカップの空を積みながら言った。「今は腹がいっぱいで優しくなれるけど、湯屋の件は根に持ってる」

「それはほどほどにな」俺は苦笑した。



4)牢から市へ—“飯テロ”と非致死


受け渡し列が静かに動き出す。

粉屋マライヤ、馬方カルロ、イータ、そして他の面々に竹札「非致死捕縛/朝粥済」を渡す。

あーさんが短い講話をもうひとつ。

「地図は道筋。名の輪郭と同じ。道が見えたら、足は二本でも進める。蝶番が回るから」


「匂いで巡回が起きない?」ニーヤ。

「起こしてもええ」よっしーが箱を二つ取り出す。「焼きそばとカップ麺の同時炊きは兵器や。

一口すすって、眠らせる。ブラック、頼む」

「カァ」

スリープサークルが薄く敷かれ、ふらふらと近づいた牢番が麺を啜ってほわっと笑い、そのまま静かに座った。

「……俺ここ一生いれるかも」

「それは仕事してから言うんやで」よっしーがそっと毛布をかける。



5)裏庭、雪洞、そしてアーレン


雪洞の白に吸い込まれる前、アーレンが裏庭に立っていた。

外套の襟を立て、灰夢の香りはもうまとうていない。

「……来たか」

ジギーが合口杖を肩に。

「ヨソ者を売る商売は割がいいか?」

「売った覚えはない。生かしたかった。外は極光で拍が狂ってる。学匠局の印が押されるくらいなら、牢で粥喰って寝てた方が生き延びる。——そう思った」

「言い訳と事実は別や」よっしーが低く言う。「湯屋の方が——いややっぱ湯屋は許**せん」

「そこ?」俺とニーヤが同時にツッコむ。


あーさんが一歩前へ。

「講話は短く。名は輪郭。輪郭は境界。境界は——」

アーレンの喉が、ほんのわずかに鳴った。

「蝶番」

胸骨の裏に火がぽっ**。

「印の母型はどこ?」

「氷橋砦の黒工房。長官アウラントの机の下。十の刻印の母型が箱に二つ」

「帝国の空路は?」セレス。

「天蓋は極光で喉を冷やし、拍連結箱と直結する。子機は三。上に一、左右に一ずつ」


ジギーが肩をすくめる。

「証言協力。——朝粥を食ってから帰りな。白は太い」

アーレンは一瞬躊躇い、そして短く頷いた。

「……要る」



6)霜都の宿で「反省会」


白を抜けて学園に一旦返すルートは太かったが、俺たちはロージェンの宿で短く息を整えた。

「反省会」

「湯屋は危険」

「違う」

「協力者の茶には灰夢」

「それ正解」

「極光が喉を冷やすと膜が擦れる」

「これも正解」

「ほな対策は——凍膜+風幕ブルーシート、耳に羊毛、腹に粥」

「買いすぎニャ」

「要る」


あーさんが黒板代わりの板に三行。

名は輪郭。

輪郭は境界。

境界は——蝶番。

「もう一つ、地図。氷橋砦の喉は空。舌凧を二張。縦抱えは帆柱。倒さず、座らせる」


よっしーが両手を上げた。

「飯で釣って眠らせる作戦名——飯テロ・オーロラ。

副題:おやつは二個まで」

「最後いらん」ニーヤ。


クリフさんが静かに矢羽根を二度撫でる。

「従妹テッサは返せた。ガンツも。——次は黒工房だ」

「行こう」俺。


胸骨の前で二拍。

とん・とん。

静けさは扉。



7)おまけ:牢の名残


その夜遅く、牢の廊下に麺の匂いが薄く残っているのに気づいた牢番が、寝ぼけた声で呟いた。

「……俺ここ一生いれるかも」

隣で同僚が毛布を引き上げて、

「朝にしろ。朝に言え」

と返し、二人ともまた静かに座った。


——倒さない。座らせる。人は返す。

稽古は続く。

開ける。閉める。そして、返す。


(つづく)

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