アレクサル収容施設――「喉」を外す
霧が低く垂れ、河の曲がりが白く濁っていた。
白い塔の影が堀の水面に倒れ、外塁の石はまだ朝の冷えを放っている。
荷車の側面には大きく「塩」の印。俺たちはその影に身を収め、胸骨の前で二拍。
とん・とん――B0.6。
静けさは扉。
「点呼、短く」
「ユウキ」
「よっしーや」
「クリフさん」
「ニーヤですニャ」
「リンク」――「キュイ」
「あーさん、相沢千鶴にございます」
「……カァ(ブラック)」
《蒼角》「ロウル」「ツグリ」/《炎狐》「フェイ」「チトセ」
背面でガロットとセレスが指を上げ、後詰は里のジギー。外縁にはサジとカエナ、さらにゴブリンの若者たちが草鞋の道を消しながら待機している。
「門の鈴は三つ」あーさんが小板に白墨で描く。
「喉に二、蝶番に一。本鍵は深い喉、われらの似せ印は鳴きを遅らせるだけ。――角は丸く」
「んじゃ扉縫合(Lv.2)で蝶番の角を折って、鳴きを丸めよか」よっしーが虚空庫から粘土団子と吸音布、静電ブラシ、耳栓、チェーンブロック、そしてなぜかブルーシートまで山ほど出す。
「買いすぎニャ」「要る」「いらんニャ」「要る。……朝ごはんの前に仕事は終わらせるで」
ブラックが翼を一度震わせる。高域が熱に落ち、堀端の小鈴の鳴きが痩せた。
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1)外門――共感鈴の喉を丸める
外門の枠から、細工の施された共感鈴が二つ、吊り金具に収まっている。看守が鈴棒でカン、カン、カン――B0.75。
「巡回、倍で回れ!」低い怒鳴り声。看守長だろう。
俺たちは荷車を押して列に紛れ、よっしーとニーヤが吸音布を柱の影に貼り付ける。ブラックは羽衣で静電を流し、あーさんが似せ印を蝶番側に軽く押し当てた。
カチ。
一瞬、鈴の喉がためらい、鳴きが遅れる。
俺は扉縫合を点で置き、角を折った。
金具の鳴きが丸くなる。
「三拍目、抜けます」セレスの低声。
B0.6でとん・とん――するり。
塩荷車が門の喉を通過した。
「次の鈴、内側」あーさん。
ニーヤが霧膜を敷き、リンクが壁走りで吊り金具の真下へ。
「輪郭噛みはほどほどやで」よっしーの盾が受け台になり、リンクの踵が金具の横にちょん。
キュイ。
鈴は落ちない。ただ鳴かない。
看守は欠伸を噛み殺している。「今日は湿気が強いな……」
俺たちは内庭へ滑り込んだ。
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2)内庭――寝かせ台と泥舌を置く
内庭は四角い石畳。東が外門二、北が第三環への門、南に帳場へ降りる階段、西に礼拝堂。
「寝かせ台は西の礼拝堂裏、泥舌は第三環門の手前」
《蒼角》のロウルが槍の尻で角度を測り、《炎狐》のフェイが風の向きを読む。
「舌はここから車輪を受け、ここで座らせる」よっしーが粘土を伸ばし、水袋を割って溝にじわっと流す。
骸骨騎士が丸太を並べ、鎖で束ねる。――寝かせ台。倒すためではない、寝かせるため。
「あの『塩』、ええ匂いやな」フェイが笑う。
「ほんまに塩やで。中身は半分な」よっしーがウインクする。
俺は白墨で地面に小さく書いた。
境界は蝶番。
蝶番には油を差す。
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3)分担――鍵班/泥舌班/返送班
「鍵班――あーさん、ニーヤ、セレス、俺。帳場の補助鍵と台帳を押さえる」
「泥舌班――よっしー、ロウル、フェイ、骸骨二十。第三環の前で座らせ、巡回をほどほどに縫う」
「返送班――チトセ、ツグリ、リンク、ブラック。第二環北と第三環でポータルの入口を確保」
『A-1〜A-5、常時開放可。三鈴法は温存』ミカエラの声。
「呼べば戻る」
胸骨の前で二拍。とん・とん。別れた。
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4)帳場――似せ印と「呼び戻し札」
階段を降りた地下二層は涼しく、紙と油の匂い。
帳場の扉は共感鈴の小型で施錠され、机の上には赤い印泥、筆、紐付きの板束。
「似せ印、参ります」あーさんが木口印を軽く押し、鳴きを遅らせる。
俺は扉縫合で蝶番の角を折り、ニーヤが光隠で輪郭を薄めた。
カチリ。
扉は開く――鳴かない。
中には台帳が三列。
セレスが目を走らせ、ひとつを押さえる。
「搬送対象――“第三環・鉱山送り待機”。首輪は二重。従属紋章の刺と眠膜。……水の“穴”」
ニーヤが嬉しそうに尻尾を振った。
「水の出番ニャ」
「補助鍵の革袋」
あーさんが引き出しを開け、白い羽が一枚ひらりと落ちる。
アッシュのサインだ。
革袋の中には小さな鈴型の金具が二個、喉が浅い。
「似せ印で十分。――呼び戻し札、配る」
セレスが白墨で「名」「返」と書かれた板札を二十枚。
「名を呼ぶ。輪郭を返す。拍はB0.6」
廊下からB0.75の鈴打ちが近づく。
「隠」
ニーヤの光隠。
看守が鼻歌まじりに通り過ぎる。「眠膜、増量しといた。穴? 水なんか入らんよ」
俺たちは顔を見合わせ、小さく二拍。
とん・とん。
「――入るよ」
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5)第三環――水で“穴”を開ける
第三環の門は内庭からすぐ。
泥舌が口を開け、寝かせ台が待っている。
巡回の足音がB0.75で近づき、よっしーがスポンジ弾をぽすと胸甲に置く。
「ほどほどに座っとき」
骸骨騎士が肩をぽん。
「座れ」
眠膜がひとしずく。
鉄格子の並ぶ廊に入ると、顔の違う首輪がいくつも。
ニーヤが掌を返し、霧雨を走らせる。
水は細く、霧は浅く。
穴だけを狙う。
「む……首が軽い……?」
囚人の一人が、鎖の鳴きの変化に気づく。
あーさんが呼び戻し札に白墨。
「名は?」
「……タロ」
「タロ」俺とセレスがゆっくり呼ぶ。
胸骨の裏で火が一つ灯る。
輪郭が境界に戻る。
リンクが逆さになって鉄格子の上を走り、枷の輪を噛む。
バネ鋼の芯を抜く――ほどほどに。
「入口、開けるニャ」
ニーヤが扉縫合を点で置く。
角が丸くなり、鳴きが消える。
扉がふわりと開いた。
「返送、呼べば戻る」
チトセがポータルの白を立て、ツグリが縄を整える。
「名を呼んでから入ってくださいね」
リナの声が向こう側で細く返る。
「名は輪郭。輪郭は境界。境界は――蝶番」
子どもの合唱。B0.6。
大人たちの肩が一斉に落ちた。
順に人が白の中へ消えていく。
朝ごはんの匂いが微かに流れてくる。
「ケーキは四限の後」ミカエラのお決まり。
「要る」と、何人かが泣き笑いで答えた。
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6)クリフの家族
第三環の最奥で、セレスが名簿を見ながら指を止める。
「クリフ」
扉の中に二人――痩せているが目が強い女性と、小柄な少女。
「……母さん」「ミラ!」
クリフさんの声がほんの少しだけ跳ね、すぐにB0.6に落ちた。
抱きしめる音。
「父さんは?」
母親の肩が震え、少女が唇を噛む。
「――鉱山へ。今朝の車で」
空気が一拍止まる。
よっしーが静かに横に立ち、ニーヤが母と少女の首輪に霧雨をもう一滴。
あーさんが呼び戻し札に二つの名を書き、そっと渡す。
「呼びながら入ってください」
ミラはうなずき、ポータルの白に吸い込まれた。
母は一歩、白の前で振り返る。
「あの子の父を、どうか……」
「呼べば戻る。――必ず」俺は短く答えた。
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7)看守長と矯正司祭――礼拝堂の“講話”
内庭から怒声が響いた。
「誰だ、誰が勝手に――鈴が鳴らんぞ!」
看守長グリックが部下を引き連れて礼拝堂へ突入。
壇上には矯正司祭ヴァレンチノ。三鈴の台を前に指を上げる。
「神の鉄槌を――」
カチ――カチ――カチ。
三鈴が鳴らない。
あーさんの逆鍵が喉に刺さり、ブラックの羽衣が高域を熱で溶かす。
「……静けさは扉」
あーさんが白墨の板を軽く掲げる。
「講話をしましょう。名と輪郭の話です」
グリックが抜刀して前に出るが、よっしーの盾が角を受け、リンクの踵が肩の輪郭を噛む。
「朝ごはんは食べられる程度やで」「キュイ」
ほどほど。
フェイの短杖が床をとん・とん。B0.6の裏拍。
看守が次々と座る。
ヴァレンチノは三鈴を叩きつけるが、鳴かない。
「沈黙箱、カチリ」ニーヤが最後の枝管を塞ぐ。
「取引だ!」看守長が息を荒げる。「奴隷……いや囚人は返す! だから命を――」
「非致死で始め、非致死で終わる」
俺は短く言い、あーさんが名寄せの板を差し出した。
「アレクサルの鉱山へ向かった車の経路。合鍵の所在。巡回の拍」
ヴァレンチノが口を開きかけると、ブラックが羽を一度震わせる。
角が丸くなる。
グリックは肩を落とし、B0.6で話した。
「東外門を出て河沿いに北。白い橋を渡り、切通しを抜けて坑へ。――鈴は一つ、蝶番は三」
「ありがとう」
よっしーが朝粥の木椀を押し付ける。
「食え。朝ごはんは大事や」
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8)返送の列――名は輪郭
返送列は第二環北と第三環で二本に分かれ、呼び戻し札の声が続く。
「ミン」「ソラ」「エイミ」
名は輪郭。
輪郭は境界。
境界は――蝶番。
塔の学び部屋で子どもたちが同じ拍で唱え、黒板には今日の名が増えていく。
リナは白墨で一つずつ丸をつけ、ミカエラが三鈴法を未使用のまま返送を太く保つ。
ルフィが顔を出す。「おやつは?」
「四限の後」
「要る」
平常は強い。
礼拝堂で三鈴を抱えたヴァレンチノは、がくんと膝をついた。
「……なぜだ。神の鉄槌が――」
「蝶番に油を差しただけです」あーさんが小さく会釈する。
「開けたり閉めたりの稽古ですよ」
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9)撤収――扉を閉める稽古
「寝かせ台、外す。泥舌、口を閉じる。痕跡は薄く」
よっしーと骸骨騎士が手際よく丸太と鎖を片づけ、フェイが風で水気を散らす。
セレスが台帳の写しを布に巻き、《蒼角》が捕縛した看守を非致死で受け渡し場へ。
「朝粥済」の竹札が増えていく。
バーグは?――彼は裂け目でまだ座らされている。
ガロットの手勢が引取に向かった。
「取引はギルドで」セレスの声。
「非致死、交換、証言」
外塁の影で、俺は白墨をもう一度。
静けさは扉。
胸骨の前で二拍。とん・とん。
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10)追撃の準備――白い橋へ
「父は東へ」
クリフさんの声は静かだが、矢のようにまっすぐだった。
「追う。――非致死で座らせ、返す」
「河沿い、白い橋、切通し」セレスが地図に印を三つ。
「鍵班は似せ印をもう一つ。泥舌班は狭い道用に短い舌。寝かせ台は橋の手前で横倒しに受ける」
「よっしゃ。ブルーシート、要る?」「いらんニャ」「要る」
リンクが俺の足首にとん・とん。
「キュ」
ブラックが翼を三度叩く。
「……カァ」
『A-1〜A-5、受け入れ完了。今日の名を黒板にすべて書き終えました』ミカエラ。
『ケーキは終礼の後』リナの声が微笑む。
「要る」
白い塔が霧の中に遠くなっていく。
門の鈴は鳴らない。
蝶番は油を差され、きしまない。
俺たちは荷車を押して、河の曲がりへ。
B0.6。とん・とん。
――開ける。
閉める。
そして、返す。
鉱山の喉へ、次の拍。
(つづく)




