霧裂の刻 ― 四影、三巨頭に挑む(──忍び四名の直観)
濃い霧が山腹を覆っていた。
忍びの里を出て三刻目。
仕掛けられた罠の大半はすでに仕事を終え、
逃げ場を失った聖教国の兵がところどころで倒れ伏している。
サジとカエナが張った“影の森”──
落とし穴、返し竹槍、見えない糸、
狭い谷の天井から落ちてくる丸太。
そこに麻痺毒と振動の遅延布を混ぜた、
忍びの里ならではの“確実に削る罠”。
兵らの悲鳴は、人の数よりも早く消えていった。
「ひぃ……ひぃぃ……な……なんなんだここは……
一方的に……狩るはず……だったのに……!」
「助けてくれ! 誰か……誰でも……!」
サジが枝の上でニヤッと笑う。
「だから言ったろ。
仕掛けた側が有利なんだよ、山っつーのはよ」
カエナも木の幹に逆さで張りつき、足指で枝をくるりと回す。
「竹槍にも麻痺毒塗ったし、
人間が嫌がる高さに糸も張ったし……
お館様の指示どおり、全部バッチリだぞ!」
サジ「よっしゃ、元気なの残ってっか?
戦だ戦だァ!!」
木々に二人の声が響き渡った。
だが──そこまでだった。
霧が、
ピシッ……と裂けた。
それは風ではない。
迫る“存在の質量”そのものが霧を押し分けていた。
サジが息を呑む。
「……来たか、第二陣」
木々の隙間から現れたのは、
白銀の祈祷甲冑をまとった精鋭たち。
その中心に立つ男の気配は別格だった。
「聖戦士──パク・ジェイフン」
ザインが木の上から呟く。
鍛え抜かれた体幹。
祈祷剣を握る右腕は、岩塊を砕くほどの重さを宿し、
視線は迷いなく迷路の霧を貫く。
ジェイフンは薄く笑んだ。
「伏兵はここで途切れるか……?
いや、まだいるな。
そこだ。」
バシュッ!!
ザインの影討ちが見切られた。
急所を狙った一撃は、ジェイフンのわずか半歩の後退で空を切る。
「……どういう身体してやがる……!」
ラキが地面に滑り込み、下段から斬り上げたが──
カンッ!
衝撃が腕を逆に弾き返す。
(くそ……斬ったのに、こっちの骨が“きしむ”ってどういう……)
ジェイフンの身体はまるで 巨山の斜面 のようだ。
攻撃を加えれば加えるほど、自分の方が削れる。
ラセツの冷静な声が飛ぶ。
「近接は禁止!
ジェイフンは“重さ”が武器。
触れた瞬間こっちが壊れる……!」
アッシュが木陰からナイフを投げる。
祈祷兵の首筋に当たる寸前──
ジェイフンの剣が、
まるで目で追えぬ速度でそれを弾いた。
「暗殺とは、姿を見せぬからこそ強い。
しかし──私には通じん」
(……こいつ、本当に“人間”か?)
ザインは小さく唾を飲み込んだ。
激戦は十数秒で決着の重さを帯び始めていた。
「第二陣だけでこれかよ……
これ以上来られたら──」
と、そのとき。
森の奥で、
地鳴りが起きた。
熱。
赤い光。
聖闘士ハギド が現れた。
黒髪を刈り上げ、刃物のような目を持つ男。
祈祷火のゆらめきが背後に赤い影を描き、
歩くたび、地面が熱を帯びる。
ハギドは周囲を見渡し、鼻で笑った。
「影の小動物か。
森ごと焼けば終わる」
地面に手をつける。
祈祷陣が広がる。
ラキが青ざめた。
「……最悪だ。
こいつ、“罠ごと焼くタイプ”だ」
(罠で削れる相手じゃねぇ……!
森の土台からひっくり返される……!)
ザインは奥歯を噛み、状況を理解した。
(影討ちが効かない相手に、
罠も毒も意味をなさない火力……
階級が違う……
こっちは“影の刃”、
あっちは“戦場を踏み砕く巨獣”だ……!)
さらに、
さらにもう一つの重圧。
重厚な鎧。
黄金の槍。
大盾を持った兵たちの壁。
最強の聖騎士エチュール率いる重装隊だ。
エチュールの鎧は別次元の重量を持ち、
踏み込むたびに周囲の空気を押し潰す。
「聖戦士殿、聖闘士殿、状況は?」
ジェイフンが答える。
「……弱き影ども。
だが侮れん。罠と影でこちらの兵を削ってきた」
ハギドが笑う。
「焼けば済む」
エチュールが静かに槍を構える。
「では、殲滅を開始する」
彼ら三人が横に並んだ瞬間、
忍びの呼吸が同時に止まった。
ラキ
「……終わった……?」
ラセツ
「三人とも“影殺しの天敵”……
さらに兵も後ろに百……
暗殺が成立しない……」
アッシュはまっすぐ立ち、
いつでも影に溶ける姿勢を取りながら呟く。
「これは……“戦えません”の部類ですね」
ザインは冷や汗を拭うことすら忘れ、
ただ三人を見た。
(こいつら相手に正面から行けば……
影が砕かれ、身体が粉々になる……
戦闘階級そのものが違う……)
三巨頭が踏み出し──
周囲の祈祷兵が森を取り囲む。
音は──死の前触れそのもの。
詰みだった。
ジェイフンが剣を構える。
ハギドが火を走らせる。
エチュールが槍を突き出す。
そのとき。
ピッ──。
金属的で、
しかし澄んだ高音が霧の中を切り裂いた。
ラキ
「……ッ!?」
霧の上、
白金の靴が静かに地を踏む。
エリン。
彼女はゆっくりと、
しかし確実に三巨頭の中心へ降りてきた。
その佇まいは、
霧を割る光の柱のようだった。
ジェイフン
「貴様は……?」
ハギド
「どけ」
エチュール
「名乗れ。婦女子といえど容赦はせぬ」
エリンは一拍おいて言った。
「名乗る必要などありませんわ。
あなた方は──その程度ですもの」
ハギドの眉が弾けた。
「なんだと……!」
エリンは静かに息を吸い、
霧の向こうにいる“あの背中”を思い浮かべた。
かつての杖の勇者。
自分の人生を救い、導いた人。
その強さ、優しさ、勇気。
エリンは目を閉じて、
一度だけ唇を震わせた。
そして──
ゆっくりと三巨頭を見据え、告げた。
「……私の知っている“あの方”の勇気は、
こんなものではありませんのよ」
霧が止まり、
風が止まり、
三巨頭の表情が一瞬にして変わった。
次の瞬間、
エリンが動く。
──戦闘開始の直前。




