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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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112/404

枢機卿線――移動聖堂(モバイル・アプス)を“縫って”止める

人工の黄昏がゆっくり天井を紫に染め、里の食堂――半分が“学び部屋”になった――に湯気の匂いが立った。

黒板の隅には今日返ってきた名が増え、白墨の粉が指先に移る。


「短く点呼」

「ユウキ」

「よっしーや」

「クリフさん」

「ニーヤですニャ」

「リンク」――「キュイ」

「リナ」

「あーさん、相沢千鶴にございます」

「……カァ(ブラック)」

耳飾りが微かに震え、「ミカエラ。監視・ポータル、良好。遅延はLv.1.5を維持」と落ち着いた声が続く。


縄で礼儀正しく縛られたバーグ兵士長は、口元に祈祷封じの布を噛んだまま椅子に括りつけられている。

あーさんが黒板に貼った名寄せ表の横へ、新たに金の流れ図が一枚。忍びの里から届いた写しだ。


「まとめるニャ」ニーヤが札を整える。

「枢機卿線は東街道を通って今夜この市を出るニャ。先導は唱導隊、中心が移動聖堂モバイル・アプス、後ろに行軍補助器の馬車が三台。鐘楼で切り離した導管の根は、**仮のテンプ・ブランチ**を使って繋ぎ直すつもりニャ」


「バーグの端末からも同じ経路。枢機卿名“ベルトラム”。司鐘の位階。――合唱鍵コーラス・キーを持っている」ミカエラ。

サジとカエナが梁にぶら下がってひそひそ。「巡回は二刻ごと交代」「東門外の風鳴り原で宿営の癖」


「そこで縫う」俺は頷いた。「方針はいつも通り。殺さず、縫って止める。合唱鍵を奪って**下行(奪還)**に固定。――非致死」


「任せえ。ホームセンター出張、吸音マットとジャッキと結束バンドと耳栓、全部あるで」

「買いすぎニャ」

「要る」

「いらんニャ」

「要る」リナがすっと手を挙げて笑う。よっしーが勝ち誇った顔をし、ブラックが短く「……カァ」。


あーさんが懐中時計を開き、針で拍を合わせる。

「・ー・・/・・・・・/・・(“静・け・さ”)。よろしゅう」

「静けさは扉。――出る」



東門の外は風鳴り原。草の穂が風で擦れて、遠くで**“ザー”という一定の基音が鳴っている。

月の輪郭は薄く、ランタンの列が蟻の行列みたいに街道を進む。移動聖堂モバイル・アプスは、帆柱みたいな鉄骨の台座に鐘の襟を縫い付け、側板に小さな窓**。

前に槍兵、後ろに補助車。補助車の幌から、蜂の巣みたいなセンサー孔がのぞいていた。


「短く点呼」

返ってくる声は、風に負けない拍で揃う。

「ユウキ」「よっしーや」「クリフさん」「ニーヤですニャ」「リンク」「リナ」「相沢千鶴」「……カァ(ブラック)」

『ミカエラ』


合成魔法コンポジット、いきますニャ――光隠魔法シャイニーハイド

空気がふっとたわみ、輪郭が薄くなる。

ブラックが白い綿羽を散らし、静電の羽衣が地面を覆った。足音は羽衣に絡み、土へ食われる。


「合図は二拍“とん・とん”。危ないときは三拍だ。裏拍で動く」

「了解ニャ」


先行でサジとカエナ。地面に粉を一筋撒いて戻ってきた。

「行軍拍、B0.6から0.2早い」「でも先頭だけ早い。合図兵がせっかち」

「なら合わせるんやなく外す。いつも通りや」よっしーが盾の縁で裏拍を二つ刻む。


移動聖堂の脇に旗。

司鐘枢機卿ベルトラムの紋。

そのすぐ下、黒外套の唱導官たちが数唱と聖句を交互に織り込んでいる。

《一、十、百――》《捧げよ名。わたしたちの合唱へ》

混ざった拍が“油膜”のように広がる。


「名寄せ、準備できてます」

あーさんが胸の前に小板を抱え、白墨を指に挟む。

「わたしたちと混ぜ物を分けます。よろしゅう」


近づく。

よっしーが虚空庫から吸音マットを出して道に敷き、俺たちはそこを点で渡る。

補助車の後尾の幌がふわり、と膨らんだ。蜂の巣孔がこちらを向く。


「ブラック」

「……カァ」

《スリープサークル》

幌の内側でごそっと音、次いで静か。外へ漏れる囁きが減った。

「ええ子や」よっしーが親指を立て、ブラックは素知らぬ顔で羽を梳く。


「車体の継ぎ目、見えるニャ」

ニーヤが風膜を薄くずらし、リンクが影の薄い地帯へ跳んだ。

「キュイ」

輪郭噛みが一本、台座の固定バンドに軽く刻印を残す。倒しはしない、いまは。


「いいか――殺さない。ベルトラムも縫って止める」

俺は全員を見回し、胸骨の裏にイシュタムの線を一本引いた。

(静けさは扉。開け閉めの稽古)


移動聖堂の合唱が厚くなる。

《ユ……》《リ……ナ……》《ヨ……シ……キ……》

“混ぜ物”がちらつく。

あーさんが一歩前へ。

「名寄せ――わたしたち、ユウキ、よっしー、クリフさん、ニーヤ、リンク、リナ、相沢千鶴、ミカエラ、ブラック。

混ぜ物――ヨ/シ/キ。違う」

列が二つに割れる。

リナが続けて呼ぶ。「ユウキ」「リナ」「ニーヤ」……胸骨の裏に火が点り、合唱の糸がほどけた。


その瞬間、先頭の合図兵が槍の石突で地を強く打った。

「テンポ上げよったな……裏拍を倍や」

よっしーの盾がダダッと刻み、ニーヤの風膜がB0.6+0.22へ微調整。

「こっちが酔うんやない。向こうを酔わせる」


帆柱の間から、金縁の法衣が現れた。

中年の男――頬がこけ、瞳は硬い。

司鐘枢機卿ベルトラム。

掌に合唱鍵コーラス・キー、指には指印シジルリング

彼は鐘の襟を軽く叩き、声を三方向から重ねた。

《合わせろ。歩幅を揃えろ。名を外せ》

命令文が、空気を擦る。


「反行軍でいく。――あーさん、合図」

ピッ。

俺は扉縫合(Lv.2)を一本、移動聖堂の“喉”と行列の行軍拍の間に走らせた。

見えない扉の筋で命令が折れ、四隅へ散る。

リンクが天幕の縁を使って跳び、鐘襟の副バンドに噛み。

「キュイ」

金具がきしみ、襟の抑えが半音落ちた。


ベルトラムの視線が鋭くこちらを射た。

「稀人……ヨシキではないな」

「ちがうで」よっしーが肩をすくめる。「混ぜ物は向こう。うちは自分らや」

「おのれ――加われ」

指印シジルリングが淡く光り、合唱鍵が高域で鳴く。


「ブラック」

「……カァ」

白い羽衣が高域を熱に落とし、ニーヤの水膜が残りを鈍らせる。

よっしーの盾が裏拍で受け、クリフさんの攪乱矢が補助車のセンサー孔に“置かれ”、定位を狂わせた。

あーさんの懐中時計がピッ。

俺は扉縫合(Lv.2)をもう一本、合唱鍵の喉に点で置く。

命令の角が丸くなった。


「ミカ、座標。移動聖堂の権限スロットは?」

『鐘襟の右裏、幅二指。――上行から下行に切り替えできます。ただし鍵が要る』

「鍵は奪う」

よっしーが虚空庫からジャッキを出し、台座の片方にかませる。「ゆっくり傾けるで。倒さん、止めるだけ」

「買いすぎニャ……でも助かるニャ」


ベルトラムが指印を掲げ、祈祷跳躍レスポンソリウム・ジャンプの姿勢。

「逃げる気配や」

「逃さない。縫う」

あーさんの白墨が短く走る。

「“ここにいる”――位相固定の文言。ユウキさん、扉を」

「合図」

ピッ。

俺はベルトラムの影と台座の影の間に扉縫合(Lv.2)を走らせた。

跳躍の縁が折れ、祈祷文は地面にこぼれる。


リンクが合唱鍵の紐を噛み、リナが一歩踏み出した。

「名前は、あなたのもの」

ベルトラムの瞳が一瞬迷い、指の動きが止まる。

その隙に、クリフさんの無音矢が鐘襟裏のスロットへ吸い込まれ、矢羽根が鍵として回る。

『制御権限奪取。上行停止/下行優先。合唱は返送に切替可能』ミカエラ。

「やってくれ」


ベルトラムは歯噛みし、指印をもぎ取って投げ捨てると、袖の内から小型の鐘を出した。

「“残響の子”――声身ヴォイス・ドールか」ニーヤの耳が伏せられる。

小鐘が自動詠唱を始め、偽勇者ヨシキの端切れが厚くなる。

《ヨシ……》《……キ》

「混ぜ物は混ぜ物、違う」

あーさんの白墨が列を二重に縁取り、リナが呼ぶ。「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「相沢千鶴」「ミカエラ」「ブラック」

胸骨の裏で火が並ぶ。

よっしーの盾が小鐘の音を受け台で鈍らせ、ブラックの羽衣が高域を食う。

ニーヤが睡膜をひとしずく――小鐘はこてんと寝た。


指印シジルリング、落ちてるで」

「拾う」

指輪は内側が鍵口になっていて、古い合言葉が刻まれていた。

《静けさは扉》――癖のある筆跡。

(やっぱり、同じ“誰か”がこの塔と線で書き続けてる)


ベルトラムは最後の手で、黒外套の唱導官に合図した。

「撤!」

合図兵が石突で地を三度叩き、後衛が煙幕を投げる。

よっしーが盾で裏拍を四つ、ニーヤがB0.6+0.2のドームを外へ押し出す。

「追わない。――鍵はもらった。線は切れた」

「非致死、完了ニャ」


移動聖堂の胸部パネルが静かに開き、透明の筒に刻みのある銀棒が見えた。

合唱鍵コーラス・キーの芯……“権限枝パーミット・ブランチ”。――第五階層の祈祷機に互換」ミカエラ。

「これで、塔側の大鐘も黙らせられる」

俺は銀棒を布で包み、懐へ差し込んだ。


「撤収は点で。――現場、清掃」

よっしーが虚空庫から結束バンドを出し、外れたバンドを仮留めする。

「倒れんように片付けて帰るんが大人や」

「ええ心がけニャ」


サジとカエナが道の端で手を上げた。

「枢機卿の退き先、東の道の宿ミウチ」「明日には国境へ」

「追う必要なし。こちらは学園(仮)を積み、市の返送を回し続ける。枢機卿は線を一つ失った。――次は本庁メトロポリアの金と祈祷を切る」



里に戻ると、湯気の匂い。

黒板の隅に今日の名が増え、子どもたちと大人が順に呼び戻す。

三鈴法は1/3のまま、今日は未使用。

ミカエラが板に記す。「使用:1/残:2――温存」

よっしーはスポーツドリンクを配り、氷を落として笑う。「ホームセンター、蓄冷剤が大活躍や」

「買いすぎニャ」「要る」

ブラックは窓枠で羽を梳き、「……カァ」。

リンクはテーブルの下で丸まり、尻尾で俺の足首を二拍でとん、と触れる。

「キュ」


短い儀式。

「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「あーさん」「ブラック」

『ミカエラ』

胸骨の裏で火が順に灯る。名は輪郭。輪郭は境界。境界は、扉の蝶番。


バーグ兵士長は別室。

あーさんが白墨で問答を書き、丁寧に名寄せで矛盾を分けていく。

「“唱導官が“枢機卿から受け取った”という配当の印……ここが二重にございます。違いますな?」

バーグは最初吠え、すぐしぼんで、やがて話し出した。

――枢機卿は偽勇者ヨシキの“説教”を回線に載せ、名の徴発を数に変え、金に換えた。

――その線は鐘楼と帳場と、移動聖堂で閉回路を作っていた。

(俺たちは今日、その閉回路に切れ目を入れた)


「よし」

俺は卓上の地図に小さな印を置く。市側:返送。鉱区:返送。巡行線:切断。

「第五階層へ上がる準備を並行で。146階“水耕棚A-4”を次の黄昏で立てる。……学び部屋は“名前の授業”を毎刻。――里の心臓にする」


「校歌の歌詞、考えました」

リナが黒板の隅に小さく書く。


律の学び舎

1.朝は静けさ 扉をひらく

2.名は輪郭 輪郭は境界

3.境界は蝶番 きしまず進む


「ええな」よっしーがニカっと笑う。「裏拍を強めで編曲や」

「よろしゅう」あーさんが微笑み、懐中時計をピッと鳴らした。

ブラックが短く鳴く。「……カァ」


耳飾りが揺れ、ミカエラが言う。

『合唱鍵は私の保管に。第五階層の祈祷機を下行固定に替える鍵として使えます。――Seedは温存。遅延はLv.1.5、呼べば戻る』

「呼ぶ。――ミカエラ」

『……はい。ここにいます』


「では、最後に呼び直しです」リナ。

ミン。ソラ。タロ。エイミ。――帳場から返った束の名。鐘楼から滴り戻った名。

ユウキ。よっしー。クリフさん。ニーヤ。リンク。リナ。相沢千鶴。ミカエラ。ブラック。

名は輪郭。

輪郭は境界。

境界は、扉の蝶番だ。


次の黄昏――146階A-4を積み、第五階層の大鐘を黙らせる。

外では偽勇者ヨシキが東街道を通過する。

俺たちは殺さず、縫って止める。

静かに。

強く。

そして、こちらの譜面で。


――続く。

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