枢機卿線――移動聖堂(モバイル・アプス)を“縫って”止める
人工の黄昏がゆっくり天井を紫に染め、里の食堂――半分が“学び部屋”になった――に湯気の匂いが立った。
黒板の隅には今日返ってきた名が増え、白墨の粉が指先に移る。
「短く点呼」
「ユウキ」
「よっしーや」
「クリフさん」
「ニーヤですニャ」
「リンク」――「キュイ」
「リナ」
「あーさん、相沢千鶴にございます」
「……カァ(ブラック)」
耳飾りが微かに震え、「ミカエラ。監視・ポータル、良好。遅延はLv.1.5を維持」と落ち着いた声が続く。
縄で礼儀正しく縛られたバーグ兵士長は、口元に祈祷封じの布を噛んだまま椅子に括りつけられている。
あーさんが黒板に貼った名寄せ表の横へ、新たに金の流れ図が一枚。忍びの里から届いた写しだ。
「まとめるニャ」ニーヤが札を整える。
「枢機卿線は東街道を通って今夜この市を出るニャ。先導は唱導隊、中心が移動聖堂、後ろに行軍補助器の馬車が三台。鐘楼で切り離した導管の根は、**仮の枝**を使って繋ぎ直すつもりニャ」
「バーグの端末からも同じ経路。枢機卿名“ベルトラム”。司鐘の位階。――合唱鍵を持っている」ミカエラ。
サジとカエナが梁にぶら下がってひそひそ。「巡回は二刻ごと交代」「東門外の風鳴り原で宿営の癖」
「そこで縫う」俺は頷いた。「方針はいつも通り。殺さず、縫って止める。合唱鍵を奪って**下行(奪還)**に固定。――非致死」
「任せえ。ホームセンター出張、吸音マットとジャッキと結束バンドと耳栓、全部あるで」
「買いすぎニャ」
「要る」
「いらんニャ」
「要る」リナがすっと手を挙げて笑う。よっしーが勝ち誇った顔をし、ブラックが短く「……カァ」。
あーさんが懐中時計を開き、針で拍を合わせる。
「・ー・・/・・・・・/・・(“静・け・さ”)。よろしゅう」
「静けさは扉。――出る」
⸻
東門の外は風鳴り原。草の穂が風で擦れて、遠くで**“ザー”という一定の基音が鳴っている。
月の輪郭は薄く、ランタンの列が蟻の行列みたいに街道を進む。移動聖堂は、帆柱みたいな鉄骨の台座に鐘の襟を縫い付け、側板に小さな窓**。
前に槍兵、後ろに補助車。補助車の幌から、蜂の巣みたいなセンサー孔がのぞいていた。
「短く点呼」
返ってくる声は、風に負けない拍で揃う。
「ユウキ」「よっしーや」「クリフさん」「ニーヤですニャ」「リンク」「リナ」「相沢千鶴」「……カァ(ブラック)」
『ミカエラ』
「合成魔法、いきますニャ――光隠魔法」
空気がふっとたわみ、輪郭が薄くなる。
ブラックが白い綿羽を散らし、静電の羽衣が地面を覆った。足音は羽衣に絡み、土へ食われる。
「合図は二拍“とん・とん”。危ないときは三拍だ。裏拍で動く」
「了解ニャ」
先行でサジとカエナ。地面に粉を一筋撒いて戻ってきた。
「行軍拍、B0.6から0.2早い」「でも先頭だけ早い。合図兵がせっかち」
「なら合わせるんやなく外す。いつも通りや」よっしーが盾の縁で裏拍を二つ刻む。
移動聖堂の脇に旗。
司鐘枢機卿ベルトラムの紋。
そのすぐ下、黒外套の唱導官たちが数唱と聖句を交互に織り込んでいる。
《一、十、百――》《捧げよ名。わたしたちの合唱へ》
混ざった拍が“油膜”のように広がる。
「名寄せ、準備できてます」
あーさんが胸の前に小板を抱え、白墨を指に挟む。
「わたしたちと混ぜ物を分けます。よろしゅう」
近づく。
よっしーが虚空庫から吸音マットを出して道に敷き、俺たちはそこを点で渡る。
補助車の後尾の幌がふわり、と膨らんだ。蜂の巣孔がこちらを向く。
「ブラック」
「……カァ」
《スリープサークル》
幌の内側でごそっと音、次いで静か。外へ漏れる囁きが減った。
「ええ子や」よっしーが親指を立て、ブラックは素知らぬ顔で羽を梳く。
「車体の継ぎ目、見えるニャ」
ニーヤが風膜を薄くずらし、リンクが影の薄い地帯へ跳んだ。
「キュイ」
輪郭噛みが一本、台座の固定バンドに軽く刻印を残す。倒しはしない、いまは。
「いいか――殺さない。ベルトラムも縫って止める」
俺は全員を見回し、胸骨の裏にイシュタムの線を一本引いた。
(静けさは扉。開け閉めの稽古)
移動聖堂の合唱が厚くなる。
《ユ……》《リ……ナ……》《ヨ……シ……キ……》
“混ぜ物”がちらつく。
あーさんが一歩前へ。
「名寄せ――わたしたち、ユウキ、よっしー、クリフさん、ニーヤ、リンク、リナ、相沢千鶴、ミカエラ、ブラック。
混ぜ物――ヨ/シ/キ。違う」
列が二つに割れる。
リナが続けて呼ぶ。「ユウキ」「リナ」「ニーヤ」……胸骨の裏に火が点り、合唱の糸がほどけた。
その瞬間、先頭の合図兵が槍の石突で地を強く打った。
「テンポ上げよったな……裏拍を倍や」
よっしーの盾がダダッと刻み、ニーヤの風膜がB0.6+0.22へ微調整。
「こっちが酔うんやない。向こうを酔わせる」
帆柱の間から、金縁の法衣が現れた。
中年の男――頬がこけ、瞳は硬い。
司鐘枢機卿ベルトラム。
掌に合唱鍵、指には指印。
彼は鐘の襟を軽く叩き、声を三方向から重ねた。
《合わせろ。歩幅を揃えろ。名を外せ》
命令文が、空気を擦る。
「反行軍でいく。――あーさん、合図」
ピッ。
俺は扉縫合(Lv.2)を一本、移動聖堂の“喉”と行列の行軍拍の間に走らせた。
見えない扉の筋で命令が折れ、四隅へ散る。
リンクが天幕の縁を使って跳び、鐘襟の副バンドに噛み。
「キュイ」
金具がきしみ、襟の抑えが半音落ちた。
ベルトラムの視線が鋭くこちらを射た。
「稀人……ヨシキではないな」
「ちがうで」よっしーが肩をすくめる。「混ぜ物は向こう。うちは自分らや」
「おのれ――加われ」
指印が淡く光り、合唱鍵が高域で鳴く。
「ブラック」
「……カァ」
白い羽衣が高域を熱に落とし、ニーヤの水膜が残りを鈍らせる。
よっしーの盾が裏拍で受け、クリフさんの攪乱矢が補助車のセンサー孔に“置かれ”、定位を狂わせた。
あーさんの懐中時計がピッ。
俺は扉縫合(Lv.2)をもう一本、合唱鍵の喉に点で置く。
命令の角が丸くなった。
「ミカ、座標。移動聖堂の権限スロットは?」
『鐘襟の右裏、幅二指。――上行から下行に切り替えできます。ただし鍵が要る』
「鍵は奪う」
よっしーが虚空庫からジャッキを出し、台座の片方にかませる。「ゆっくり傾けるで。倒さん、止めるだけ」
「買いすぎニャ……でも助かるニャ」
ベルトラムが指印を掲げ、祈祷跳躍の姿勢。
「逃げる気配や」
「逃さない。縫う」
あーさんの白墨が短く走る。
「“ここにいる”――位相固定の文言。ユウキさん、扉を」
「合図」
ピッ。
俺はベルトラムの影と台座の影の間に扉縫合(Lv.2)を走らせた。
跳躍の縁が折れ、祈祷文は地面にこぼれる。
リンクが合唱鍵の紐を噛み、リナが一歩踏み出した。
「名前は、あなたのもの」
ベルトラムの瞳が一瞬迷い、指の動きが止まる。
その隙に、クリフさんの無音矢が鐘襟裏のスロットへ吸い込まれ、矢羽根が鍵として回る。
『制御権限奪取。上行停止/下行優先。合唱は返送に切替可能』ミカエラ。
「やってくれ」
ベルトラムは歯噛みし、指印をもぎ取って投げ捨てると、袖の内から小型の鐘を出した。
「“残響の子”――声身か」ニーヤの耳が伏せられる。
小鐘が自動詠唱を始め、偽勇者ヨシキの端切れが厚くなる。
《ヨシ……》《……キ》
「混ぜ物は混ぜ物、違う」
あーさんの白墨が列を二重に縁取り、リナが呼ぶ。「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「相沢千鶴」「ミカエラ」「ブラック」
胸骨の裏で火が並ぶ。
よっしーの盾が小鐘の音を受け台で鈍らせ、ブラックの羽衣が高域を食う。
ニーヤが睡膜をひとしずく――小鐘はこてんと寝た。
「指印、落ちてるで」
「拾う」
指輪は内側が鍵口になっていて、古い合言葉が刻まれていた。
《静けさは扉》――癖のある筆跡。
(やっぱり、同じ“誰か”がこの塔と線で書き続けてる)
ベルトラムは最後の手で、黒外套の唱導官に合図した。
「撤!」
合図兵が石突で地を三度叩き、後衛が煙幕を投げる。
よっしーが盾で裏拍を四つ、ニーヤがB0.6+0.2のドームを外へ押し出す。
「追わない。――鍵はもらった。線は切れた」
「非致死、完了ニャ」
移動聖堂の胸部パネルが静かに開き、透明の筒に刻みのある銀棒が見えた。
「合唱鍵の芯……“権限枝”。――第五階層の祈祷機に互換」ミカエラ。
「これで、塔側の大鐘も黙らせられる」
俺は銀棒を布で包み、懐へ差し込んだ。
「撤収は点で。――現場、清掃」
よっしーが虚空庫から結束バンドを出し、外れたバンドを仮留めする。
「倒れんように片付けて帰るんが大人や」
「ええ心がけニャ」
サジとカエナが道の端で手を上げた。
「枢機卿の退き先、東の道の宿」「明日には国境へ」
「追う必要なし。こちらは学園(仮)を積み、市の返送を回し続ける。枢機卿は線を一つ失った。――次は本庁の金と祈祷を切る」
⸻
里に戻ると、湯気の匂い。
黒板の隅に今日の名が増え、子どもたちと大人が順に呼び戻す。
三鈴法は1/3のまま、今日は未使用。
ミカエラが板に記す。「使用:1/残:2――温存」
よっしーはスポーツドリンクを配り、氷を落として笑う。「ホームセンター、蓄冷剤が大活躍や」
「買いすぎニャ」「要る」
ブラックは窓枠で羽を梳き、「……カァ」。
リンクはテーブルの下で丸まり、尻尾で俺の足首を二拍でとん、と触れる。
「キュ」
短い儀式。
「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「あーさん」「ブラック」
『ミカエラ』
胸骨の裏で火が順に灯る。名は輪郭。輪郭は境界。境界は、扉の蝶番。
バーグ兵士長は別室。
あーさんが白墨で問答を書き、丁寧に名寄せで矛盾を分けていく。
「“唱導官が“枢機卿から受け取った”という配当の印……ここが二重にございます。違いますな?」
バーグは最初吠え、すぐしぼんで、やがて話し出した。
――枢機卿は偽勇者ヨシキの“説教”を回線に載せ、名の徴発を数に変え、金に換えた。
――その線は鐘楼と帳場と、移動聖堂で閉回路を作っていた。
(俺たちは今日、その閉回路に切れ目を入れた)
「よし」
俺は卓上の地図に小さな印を置く。市側:返送。鉱区:返送。巡行線:切断。
「第五階層へ上がる準備を並行で。146階“水耕棚A-4”を次の黄昏で立てる。……学び部屋は“名前の授業”を毎刻。――里の心臓にする」
「校歌の歌詞、考えました」
リナが黒板の隅に小さく書く。
律の学び舎
1.朝は静けさ 扉をひらく
2.名は輪郭 輪郭は境界
3.境界は蝶番 きしまず進む
「ええな」よっしーがニカっと笑う。「裏拍を強めで編曲や」
「よろしゅう」あーさんが微笑み、懐中時計をピッと鳴らした。
ブラックが短く鳴く。「……カァ」
耳飾りが揺れ、ミカエラが言う。
『合唱鍵は私の保管に。第五階層の祈祷機を下行固定に替える鍵として使えます。――Seedは温存。遅延はLv.1.5、呼べば戻る』
「呼ぶ。――ミカエラ」
『……はい。ここにいます』
「では、最後に呼び直しです」リナ。
ミン。ソラ。タロ。エイミ。――帳場から返った束の名。鐘楼から滴り戻った名。
ユウキ。よっしー。クリフさん。ニーヤ。リンク。リナ。相沢千鶴。ミカエラ。ブラック。
名は輪郭。
輪郭は境界。
境界は、扉の蝶番だ。
次の黄昏――146階A-4を積み、第五階層の大鐘を黙らせる。
外では偽勇者ヨシキが東街道を通過する。
俺たちは殺さず、縫って止める。
静かに。
強く。
そして、こちらの譜面で。
――続く。




