市側中枢――帳場を黙らせ、導管の根を剪る
人工の黄昏が里の天井を薄紫に染めていく。
第三階層の食堂――半分は“学び部屋”になった――で、俺たちは短い会議を開いた。
「点呼から」
「ユウキ」
「よっしーや」
「クリフさん」
「ニーヤですニャ」
「リンク」――「キュイ」
「リナ」
「あーさん、相沢千鶴にございます」
「……カァ(ブラック)」
耳飾りが一度だけ震え、「ミカエラ。外部監視・ポータル準備、良好」と落ち着いた声。
縄で礼儀正しく縛られたバーグ兵士長は、まだ口元に祈祷封じの布を噛んでいる。
あーさんが白墨で板書した名寄せ表の横に、新しく一枚、金の流れ図が貼られた。忍びの里が持ち込んだ写しだ。
「まとめるニャ」ニーヤが指を折る。
「アレクサル市側の中枢は二つ――帳場と、鐘楼地下の導管の根。帳場が徴発額と配当の計算、導管の根が名と声の集配ニャ。両方を**下行(奪還)**に切り替えれば、この一帯の“混ぜ物”は薄くなる」
「バーグの端末から、枢機卿の名と唱導官の往来ログ。……金の線は帳場、名の線は鐘楼」ミカエラ。
よっしーが盾を肩に担ぎ、にやり。「ホームセンター出張、剪定鋏と結束バンドと耳栓、用意したで」
「買いすぎニャ」
「要る」
「いらんニャ」
「あのう」リナが手を挙げる。「“学び部屋”の黒板、もう一枚ほしいです」
「それも要る」よっしーは即答した。
「方針は変わらない。殺さず、縫って止める。――行くぞ」
⸻
アレクサル市街の縁は、粉塵よりも人の気配が濃い。
屋根と屋根の隙間、鐘楼の影。サジとカエナが先行し、戻ってくる。
「帳場の裏口、まもりゆるい」「鐘楼の下、二組交代」
「点で入って点で出る。――静けさは扉」
「了解ニャ。合成魔法いきますニャ。光隠魔法」
空気がふっとたわみ、輪郭が薄くなる。
ブラックが白い綿羽を落とし、静電の羽衣が路地に敷かれた。
「……カァ」
あーさんの懐中時計がピッと一音。
「・ー・・/・・・・・/・・(“静・け・さ”)。よろしゅう」
1)帳場――“数唱”をほどく
帳場の裏口は油の匂いが濃い。
扉の内側で、黒布の書記が音算盤を弾いている。
珠を弾くたび、低い数唱が床から上へと這い上がる。
《一、十、百――名は数。数は貨。貨は恵み》
“名を数にする”言い換えだ。
「ブラック」
「……カァ」
《スリープサークル》
入口の監視が一息で座り込む。
ニーヤの開錠が未来の疲労を借り、閂が音もなくほどけた。
帳場長(算導官)は、銀縁眼鏡の下で口角を上げた。
「侵入者。――合唱に加わりたまえ」
背後の壁一面に取り付けられた音算盤が、ぶわっと鳴った。
数唱の束が、こちらの呼気に絡む。
「名寄せを、いたします」
あーさんが黒板サイズの小板を胸に抱え、白墨を走らせる。
「わたしたち――ユウキ、よっしー、クリフさん、ニーヤ、リンク、リナ、相沢千鶴、ミカエラ、ブラック。
数と貨――一、十、百、千。
“似て非なるもの”は違うと、明確に」
列が二つに割れた瞬間、数唱の糸がほどけはじめた。
よっしーの盾が裏拍を刻む。
ニーヤがB0.6+0.2のオフセット風膜を張る。
「こっちが酔うんやない。向こうを酔わせるんや」
ブラックの羽衣が高域を熱に落とし、リンクが音算盤の継ぎ目へ跳ぶ。
「キュイ」
爪先で“輪郭噛み”をひとつ、要だけを軽く外す。
「合図」
あーさんの懐中時計がピッ。
俺は扉縫合(Lv.2)を一本、音算盤の“喉”に点で置いた。
見えない扉の筋で数唱が折れ、四隅へ散る。
クリフさんの無音矢が右胸のスロットへ吸い込まれ、矢羽根が鍵の代わりに回る。
ミカエラの声。「制御権限奪取。数唱の上行停止、下行(返還)優先。――帳場の転記は“里側台帳”に写します」
帳場長が最後の手で祈祷文を唱えかけた。
リナが一歩、前へ。
「名前は、名前。――“一”じゃない」
言葉の位相が、彼の唇から滑り落ちた。
よっしーが盾でそっと肩を押し、ニーヤが睡膜を重ね、非致死で座らせる。
「取り押さえ、完了」
あーさんが帳場の総勘定元帳を抱え、目だけで頷いた。
「枢機卿の下附印。……唱導官への配当率が異常に高い。証拠として写しを取り、原本は保全に」
「コピー機、あるで」よっしーが虚空庫から簡易複写板を出す。
「それも買ったんか……」「要る」
「次、鐘楼。――導管の根を剪る」
2)鐘楼地下――導管の根
鐘楼は、石と金属の匂い。
地下へ降りると、空気が冷たく、声の湿りが絡みつく。
そこに樹が立っていた。いや、樹によく似た集合体。
根は導管、幹は声筒、枝には声果がぶら下がり、時おり名の端切れが滴る。
《ユ……》《リ……ナ……》《ヨ……シ……キ……》
“混ぜ物”が混ざって落ちてくる。
「見事な悪趣味やな」よっしーが顔をしかめる。「――剪定鋏の出番や」
「切るのは“混ぜ物”だけニャ。名は返すニャ」
頭上の梁で、目が開いた。
円い顔、輪郭に沿って並ぶ小さな鐘。
鐘梟――導管の根の番鳥。
「可愛い顔して多声……」
梟は口を開かずに鳴く。
《合わせろ。鳴け。加われ》
四方向から同時に聞こえる声。目は鏡みたいに光り、こちらの輪郭を薄く撫でる。
「反合唱でいく」
よっしーの盾が裏拍を刻み、ニーヤの風膜がB0.6+0.2で半球を張る。
ブラックの羽衣が高域を熱に変える。
「……カァ」
リンクが梁の影を伝って跳び、梟の襟輪の継ぎ目を“輪郭噛み”。
「キュイ」
カチ、と要がひとつ外れた。
梟の目に、偽勇者ヨシキの“混ぜ物”が映写される。
《ヨシ……》《……キ》
像がちらつき、こちらの呼気に絡む。
「名寄せ、いきます」
あーさんが白墨で列を引く。
「わたしたち――ユウキ、よっしー、クリフさん、ニーヤ、リンク、リナ、相沢千鶴、ミカエラ、ブラック。
混ぜ物――ヨ/シ/キ。違う」
リナが呼ぶ。「ユウキ」「リナ」「ニーヤ」……胸骨の裏で火が点り、像が薄くなる。
「合図」
ピッ。
俺は扉縫合(Lv.2)を一本、導管幹の“喉”に置く。
見えない扉の筋で音が折れ、声果の滴が止まる。
よっしーが虚空庫から結束バンドを出し、枝の混声節をほどほどに束ねる。
「ほどほどって便利な言葉やな」「便利ニャ」
「沈黙箱、接続」
あーさんが枝管にカチリとはめ、混ぜ物の流れを飲ませる。
ニーヤが水膜を作り、枝葉の鳴きを熱へ落とす。
ブラックの羽衣が広がり、粉のような囁きを静電で食う。
梟が最後の足掻きで鐘を鳴らした。
よっしーの盾が裏拍で受け、クリフさんの拘束矢が梁の要に“置かれ”、揺れの軸を止める。
「あかん。可愛いからって甘やかすんやないで」
「やさしく、非致死で、や」
「わかってる」
導管の根そのものが静かになっていく。
幹の節にスロット。
クリフさんの無音矢が吸い込まれ、矢羽根が鍵として回る。
ミカエラ。「下行優先へ固定。――返送が始まりました。常時で“混ぜ物”は沈黙箱へ」
鐘楼の上に、街じゅうへ向けて開く大鐘。
「一度だけ、裏拍で鳴らしましょか」
「合図」
ピッ。
よっしーが盾でとんと鐘座を撫でる。
濁らない一音が、遅れて街へ広がる。
「……“静けさは扉”」
誰にも聞こえないようで、でも誰かの胸骨の裏に、火だけが点る音。
3)撤収――“里”に返す
「ミカ、ポータル」
『開けます。二分、安定』
光の輪が三つ、鐘楼地下に立ち上がる。
搬出の列。
あーさんが名寄せ表を抱え、リナが先導。
ニーヤの風膜とブラックの羽衣が囁きを食い、よっしーが耳栓を配る。
「ホームセンター、耳栓は正義」
「買いすぎニャ」「要る」
最後尾で、梟が首を傾けた。
「……返して生かそう。――森の、静かな鐘に」
「了解」
ミカエラの躯体がそっと近づき、祈祷ハーネスの最後の釦を外してやる。
「怖くない。――ここを見て」
梟は目を細め、羽をふわと鳴らしただけだった。
⸻
第三階層――“学び部屋”は湯気と出汁の匂い。
黒板の隅に、今日も名が増える。
ミン、ソラ、タロ、エイミ。そして、帳場で拾い上げた名、鐘楼から返ってきた名。
リナが白墨で丸く書き、子どもと大人が順に呼び戻す。
あーさんは名寄せ表を貼り変え、似て非なるものを違うと明確にする。
ミカエラは三鈴法の使用回数を板に記す。「1/3。本日も未使用」
よっしーはスポーツドリンクを並べ、「今日は氷入れよか。虚空庫に蓄冷剤ある」
「買いすぎニャ」「要る」
ブラックは窓枠で羽を梳き、「……カァ」。
リンクはテーブルの下で丸くなり、尻尾で俺の足首を二拍でとん、と触れる。
「キュ」
短い儀式。
「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「あーさん」「ブラック」
『ミカエラ』
胸骨の裏で、小さな火が順に灯る。名は輪郭。輪郭は境界。境界は、扉の蝶番。
4)評議――“次の扉”
卓の上に、帳場から写した元帳と、鐘楼の導管図。
サジとカエナが新しい巻紙を差し出す。
「枢機卿の名、もう一段上」「偽勇者ヨシキ、明日には東街道を通過」
「アレクサルの市側は要を抜いた。鉱区は下行に固定済み。――残りは“人”だ」
クリフさんがうなずく。「家族は、全員……」言葉が続かず、彼は矢羽根を一本ずつ撫でた。
「戻って来られる場所は、ここにある」リナが言う。「“学び部屋”の一時間目は、いつでも名前です」
「バーグは?」
「“非致死のまま尋問”。金の線と祈祷線の上を、枢機卿までたどる。――偽勇者は切り分け続けるニャ」ニーヤ。
「盾は裏拍の罫をもう一段深く刻む。耳栓と静電ブラシも補充する」よっしー。
「沈黙箱は二基増設。混ぜ物の保留に余裕を持たせます」ミカエラ。
『遅延はLv.1.5のまま。――呼べば戻る』
「では、決まりだ」
俺は深く息を吸い、吐いた。
「静けさは扉」
窯の火が小さく揺れ、影が壁を縫い合わせる。
あーさんが白墨で黒板の隅にもう一行。
律の学び舎(仮)。
「校歌の歌詞、考えときます。――“静けさは扉”」
「編曲は裏拍多めで頼むわ」よっしー。
「よろしゅう」
ブラックが短く鳴く。「……カァ」
俺は今日の名を、ひとつずつ呼び直す。
ミン。ソラ。タロ。エイミ。――帳場から返った束の名。鐘楼から滴った名。
ユウキ。よっしー。クリフさん。ニーヤ。リンク。リナ。相沢千鶴。ミカエラ。ブラック。
名は輪郭。
輪郭は境界。
境界は、扉の蝶番だ。
次の黄昏――枢機卿の線を追う。
偽勇者ヨシキの“混ぜ物”は切り分け続ける。
殺さず。
縫って止める。
そして、こちらの譜面で。
――続く。




