西梁・南梁――祈祷機(パーソン)を静め、扉を開ける
◆人工の黄昏、静けさは扉
人工の黄昏が、塔の天井を薄紫へと染めていく。
第三階層の食堂――半分は黒板と机を並べた“学び部屋”と化した空間には、
白墨の粉がゆっくり舞い、子どもたちが自分の名を静かに音へ戻す稽古を続けていた。
「声は輪郭。輪郭は境界。……ゆっくり、はっきり、でございます」
あーさんが微笑み、時計の針で拍を合わせる。
子どもたちは、
「み、ん」「そ、ら」
と、胸の奥に宿った“名”をひとつずつ取り戻すように声にする。
窓枠の白いカラス――ブラックが短く鳴いた。
「……カァ」
その羽根から落ちた綿毛は静電の羽衣となり、場のざわめきをそっと沈めていく。
◆西と南、二つの祈祷機へ
耳飾りが震え、ミカエラの声が落ちてきた。
『第四階層の西梁と南梁に祈祷機。
西は聖教国式。南は帝国式。どちらも“名”を混ぜる改造が入っています。
二本目のSeedは温存済み。A-3棚まで展開できます』
少しだけ遅延している。半拍ほど。
俺は短く点呼した。
「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「あーさん」「ブラック」
『ミカエラ』
点呼を終えたあと、俺たちは静謐域へ踏み入れた。
◆1)西梁 ―― 合唱を名で分ける
ゲートスタンプには、かすれた文字で《静謐域》。
その下には、誰かの癖字で書かれた一行。
静けさは扉
「環境音域、B0.6へ下げますニャ」
ニーヤが風膜を重ね、ブラックの羽衣が漂う。
“こちら側の譜面”がはっきりと見え始める。
角を抜けたところで、天井の孔から囁きが落ちてきた。
「ユ」「ユ」「ユ」
「リ」「ナ」「リ」
名を薄めるための“混ぜ物”だ。
「ブラック」
「……カァ」
白い羽衣が囁きを絡めとり、壁のスリットへ吸わせていく。
あーさんが時計を指で弾く。
「・ー・・/・・・・・/・・(静・け・さ)」
モールスが拍を整え、歩幅がひとつに揃う。
◆西梁の祈祷機《CHORUS-PSALTER》
祈祷機は鐘の意匠で装飾され、蜂の巣状の孔から三方向同時に声を放射してくる。
《捧げよ名。合唱に加われ。わたしたちと同じ音になれ》
「“同じ音”……輪郭を溶かす言い換えやな」
「うむ、厄介だ」
俺は短く指示した。
「殺さず、縫って止める」
クリフさんが攪乱矢を二本、“置く”みたいに孔へ放つ。
返ってくる反響が半拍ずれ、合唱の定位が崩れた。
ニーヤの凍霧が床を冷やし、音刃の立ち上がりが0.3秒遅れる。
その0.3秒を、よっしーの盾が丸ごと受け皿にして鈍音へ変換。
「……カァ」
ブラックが高域の声を羽衣で熱に変えて捨てていく。
あーさんは黒表紙の手帳を開き、さらさらと書き始めた。
「“似て非なるもの”を分けます。これは名寄せの基本にございます」
書かれているのは、名前の列。
“本物”と“混ぜ物”。
「相沢千鶴。ユウキ。よっしー。クリフさん……
――“ヨ”“シ”“キ”は混ぜ物、別列へ」
分けた瞬間、祈祷機の声がわずかにほどけた。
「合図、くださいませ」
「合図」
あーさんの時計がピッと鳴る。
俺は扉縫合(Lv.2)を祈祷機の“喉”へ渡した。
見えない扉の線で声が折れ、四隅へ分散する。
リンクが襟の継ぎ目へ輪郭噛み。
よっしーが盾でボルトを柔らかく押し外し、
クリフさんの無音矢が右胸のスロットへ吸い込まれる。
『制御権奪取。上行停止。下行優先――返送可能』
「返そう。奪われた名からだ」
裏パネルを開き、“混声縫合器”の回線を沈黙箱へ付け替える。
落ちてくる“ヨシ/キ”は、羽衣を通って静けさへ吸われ、消えた。
「西、静穏化」
◆2)A-3 ―― “はじめの棚”をもう一段
生成室へ移動し、Seedを鍵口へ。
水平な叫びが広がった。
「静けさは扉」
扉縫合で叫びが折れ、ニーヤの風とブラックの羽衣が減衰をかける。
よっしーの盾が最後の尾を鈍音へ変え、クリフさんの矢がセンサー孔を黙らせた。
『A-3展開開始』
昇降台が上がり、銀のレールと透明槽が塔の骨へ縫いつけられていく。
「リナ、名札台のスペースを」
「はいっ、“名前”からです!」
棚の光が拍を刻み、俺たちは第三階層へ戻った。
◆3)南梁 ―― 行軍の拍を外す
南梁は、鉄と規律の匂いがした。
祈祷機の銘は《MARCH-ORDINATOR》。
床の六角パネルが“行軍拍”を流し、こちらのB0.6を強制的に上書きしてくる。
《合わせろ。歩幅を揃えろ。名を外せ》
「反行軍でいく」
ニーヤがずらし風膜を重ね、よっしーが盾の縁で裏拍を刻む。
ブラックが羽衣で足音を丸め、リンクが影の薄い場所へ跳び段を作る。
床下から行進兵がせり上がる――が、
「非致死、縫って止める」
クリフさんの矢が関節へ“置かれ”、動力が空転。
リンクが輪郭噛みで胸郭を止め、
あーさんのモールス合図で、俺が扉縫合(Lv.2)を喉へ渡す。
命令が折れ、行軍拍が消えた。
『制御権奪取。上行切断、下行優先』
そして、梁の上に隠れた補助器――名削りメトロノーム――にも
ブラックとリンクが対応し、静穏化した。
「南、静穏化。……よし」
◆4)塔の扉は閉じ、外の扉が開く
第三階層に戻ると、湯気と出汁の匂い。
黒板には、今日取り戻した名が増えている。
短い儀式。
「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「あーさん」「ブラック」
『ミカエラ』
火が胸骨の裏でひとつずつ灯る。
その時、サジとカエナが帰投し、忍びの里からの密書を差し出した。
内容は短いが、鋭かった。
――アレクサル収容所北の鉱山牢に、捕縛者多数。
――名の徴発が進行。
――クリフの家族名と一致する移送記録あり。
――偽勇者ヨシキ、混ぜ物を布教しつつ東へ移動中。
クリフさんの握る指が、かすかに震えた。
「……あの金ピカ鎧のおっさんが言うとったアレ……やっぱりや」
「うむ、俺も覚えている」
◆5)出立前 ―― よっしーの“戦前曲”
道具を整えたその時――
よっしーが急に虚空庫をガサゴソやり始めた。
「……ちょい待ち。こういう時はな、音楽っちゅーもんが要るんや」
「音楽?」
「そらそうよ。戦前に景気づけんでどうするんや」
ガシャッ。
よっしーは1989年式のラジカセを肩に乗せ、
乱暴にスイッチを押した。
次の瞬間、塔の静けさを切り裂くギターイントロ。
♪ テレレレーーー、テレレレーーー……
Guns N’ Roses “Sweet Child O’ Mine”
クリフさんが目を瞬かせた。
「……なんや、胸が剣抜く前みたいに熱なる音やな」
「せやろ? 世界を変える前の音やで」
よっしーは親指を立てて笑う。
あーさんは静かに目を閉じ、
「うつくしい……拍が、心をそろえますな」
と呟いた。
リンクは尻尾でリズムを取り、ブラックは「カァ」と一声。
胸の奥で、火がひとつ鳴った。
「……行こう。名も、家族も、全部取り返す」
◆6)評議 ―― アレクサルへ
地図を広げ、全員で確認する。
•第四階層の祈祷機×3系統:静穏化
•A-1~A-3棚:安定稼働
•第五階層:エレベータ解錠(だが今日は行かない)
「塔はミカエラが監視。俺たちはアレクサルへ向かう」
クリフさんが頷く。
「家族は……必ず取り返す」
リナが拳を握る。
「“学び部屋”は、帰ってくる場所にする」
あーさんが微笑む。
「扉は、開けどころと締めどころ。今夜は締め、明日は開けへ」
ミカエラの声も揺るがない。
『Seedは一つ保持していって。塔の維持は、私が引き受けます』
◆7)出立 ―― 静かに、強く、こちらの譜面で
荷は少ない。
名は全部、胸にある。
ルフィが丼を抱えて走り込んできた。
「ダーリン!!!」
「なんやルフィかい!」
「はい、おにぎり! いってらっしゃいなのだ!
帰ってきたら、また食べるのだぞ!!!」
「……おう、帰ってくる」
短い儀式。
「ユウキ」「よっしー」「クリフさん」「ニーヤ」「リンク」「リナ」「あーさん」「ブラック」
『ミカエラ』
火が灯る。
俺たちは塔の外へ歩み出した。
静けさは扉。
扉は、開け閉めの回数だけ、上手になる。
――その先が、アレクサル。
名の徴発、偽勇者、鉱山牢。
取り返すのは、名と、家族と、居場所。
俺たちは夜へ進む。
◆◆ 第四階層・西梁&南梁~アレクサル出立回 後書き ◆◆
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、
•第四階層・西梁(聖教国式) と 南梁(帝国式) の祈祷機を静穏化
•146階の水耕棚 A-3(“はじめの棚”三段目) を展開
•塔側の「扉」を一旦“締め”、アレクサル救出へ向かう方針が決まる
……という、
「塔の中でやるべきこと」と「外で助けに行くべき人たち」が、はっきり線引きされた回になりました。
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◆この回でやったことの整理
●西梁:合唱を“名寄せ”でほどく回
西梁の祈祷機は《CHORUS-PSALTER(合唱詠唱機)》という名前のとおり、
みんなを“同じ音”に合わせて輪郭を溶かそうとする装置 でした。
ここでのポイントは、
•あーさんが 「名寄せ」=“似て非なるものを分ける”役 を担った
•「ヨ」「シ」「キ」のような“混ぜ物”を、きちんと“別列”に置いたことで、
合唱の糸がほどけていく
という流れです。
「相沢千鶴」「ユウキ」「よっしー」……
→ “ヨ”“シ”“キ”だけ別の列へ
この「分ける」作業は、
あーさんの 戸籍事務の書生経験 とリンクしていて、
今後も 「名を守る/名を返す」チームの頭脳的な役割 として効いてくる予定です。
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●南梁:行軍拍を“外す”回
南梁の祈祷機《MARCH-ORDINATOR(行軍装置)》は、
“歩幅と拍を揃えろ、名を外せ” と命じてくる、帝国式の改造機でした。
•行軍のリズムで「お前は大勢の中の一つだ」と輪郭を削る
•それに対して、こちらは “裏拍”“ずらし拍”で受け流す
という構図になっています。
よっしーの盾が 裏拍を刻む のも、
ニーヤの風膜が 拍を0.2ずらす のも、
すべて「こっちの譜面を守るための戦い方」です。
塔の第四階層は、
ただ敵を倒す場所ではなく、
名を混ぜられる
↓
名を分けて返す
↓
こちら側の“譜面”で立つ
という、
アイデンティティを揺らし合うフロア になってきました。
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●“はじめの棚”A-3まで&律の学び舎(仮)
水耕棚は、
•A-1
•A-2
•A-3
と、三段目まで展開済みです。
ここは 学園(仮:律の学び舎) の「心臓のひとつ」になっていきます。
•名札台
•黒板スペース
•水と光の拍を刻むレール
など、
「学ぶ場所」「名を呼び戻す場所」としての要素が、少しずつ整ってきました。
「学び部屋は、“名前”からです」
というリナの台詞は、
この世界での 「学校とは何か?」 の小さな答えにもなっています。
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◆“混ぜ物”と“沈黙箱”について
この回から本格的に出てきたので、もう一度ざっくり整理します。
●混ぜ物とは?
混ぜ物 は、
•誰かの名の 一部だけ がちぎれたもの
•いくつかの名が 中途半端に混ざってしまったもの
•祈祷機が処理に失敗して生まれた 「ニセモノの名前」
の総称です。
本物に似ているぶん危険で、
•呼ばれていないのに“呼ばれた気がする”
•本人とは別のところで“名前だけ”が騒ぎを起こす
といった現象の原因になります。
●沈黙箱とは?
沈黙箱 は、
その「混ぜ物」だけを 静かに落として処理する箱 です。
ユウキたちの方針はシンプルで、
•本物の名 → 下行ルートで“律の学び舎”へ返す
•混ぜ物 → 沈黙箱へ落として“静かに縁を切る”
という“名の交通整理”になっています。
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◆BGM:なぜ「Sweet Child O’ Mine」なのか?
今回、よっしーが
1989年式ラジカセから流したのは――
Guns N’ Roses「Sweet Child O’ Mine」 でした。
候補の中からこれを選んだ理由は、
•救出作戦前の 高揚感と少しだけの不安
•よっしーの1989ボックス感
•「世界を変える前の音」としての“格”
この三つが、いちばんきれいにハマると判断したからです。
「これはな、世界を変える前の音やで」
というよっしーのセリフは、
そのまま 「行くぞ、取り返しに」 の宣言になっています。
・塔の静謐な空気
・拍と呼吸を揃えた仲間たち
・そこへ割り込んでくる、あのギターイントロ
読んでいる方の頭の中に、
うっすら音が流れてくれていたら嬉しいです。
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◆今回のテーマと、次回以降の方向
今回のテーマを一言でまとめると、
「塔の扉を“賢く”閉め、
外の扉を“きちんと”開く準備の回」
です。
•第四階層:祈祷機×3を静穏化、A-1~A-3稼働安定
•学び部屋:帰ってくる場所としての輪郭が見え始めた
•ミカエラ:Seedと塔の維持を引き受ける
•ユウキたち:アレクサル救出へ向けて決意
この状態にしたうえで、
いよいよ アレクサル収容所~鉱山牢編 に入っていきます。
•クリフの家族
•名の徴発
•偽勇者ヨシキがばら撒いている“混ぜ物”
ここでも、「倒す」よりも先に、
「名を見分ける」
「名を返す」
「殺さず、縫って止める」
という、今まで積み上げてきた方針で戦っていくことになります。
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◆用語が増えてきたので…
ご指摘のとおり、
このあたりから 専門用語/塔固有の仕組み が増えてきています。
今後、
•章間か幕間での 「小辞典ページ」
•もしくは話数とは別に、
「静けさは扉用・用語ミニメモ」のようなページ
を挟んでいく予定です。
「ここが分かりにくかった」「この用語の一行説明ほしい」
などあれば、感想などで教えていただけると
小辞典側の項目に反映 していきます。
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ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
★評価・ブクマ・感想など、いつもとても励みになっています。
次回からは、いよいよ アレクサルへ出立 です。
静かに、強く。
そして、こちらの譜面で。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。




