ソラリスの塔・第四階層編 北梁の祈祷機(パーソン・ユニット)を縫え
第四階層に足を踏み入れた瞬間、耳の奥が「サーッ」と鳴った。
まるで、うすい静電気の膜が鼓膜の内側に貼りついたみたいだ。
音が消えたわけじゃない。
けれど、世界から一段、音量のつまみを絞られたような違和感がある。
白い磁器みたいな廊下の手前で、俺はみんなに手短に声を掛けた。
「点呼とる。ユウキ」
「よっしーや」
「クリフさん」
「ニーヤですニャ」
「リンク」――「キュイ」
「リナ」
「あーさん、相沢千鶴にございます」
頭上で、白い翼がひるがえる。
「……カァ」
「白いカラスのブラックもいますニャ」
一人ひとりの名前を確認するたび、胸の中の不安が少しずつ薄れていく。
ここがどれだけ異常な階層でも、“誰がいるか”を確かめることは、大事な儀式だ。
あーさんは袴に短い外套。
左手には真鍮の懐中時計、右手には黒い表紙の手帳。
懐中時計の針の震えに、俺たちの呼吸拍をそっと合わせてくれている。
「よろしゅう。……静けさは扉、でございますな?」
「そう。ここは“静謐域”。“音”そのものが道になる階だ」
扉脇の古いスタンププレートには、かすれた手書きが残っていた。
《ACOUSTIC SAFETY GATE/静謐域》
その下に、同じ癖の字で、ひと言だけ。
《静けさは扉》
この階を作った誰かの「ルール」だ。
「環境音域、B0.6に下げるニャ」
ニーヤが囁いた瞬間、空気が“羽根一枚分”だけ軽くなる。
よっしーの盾の縁をかすめたわずかな音が、“金属音”から“布を擦る音”に落ちていくのが分かった。
「ええ沈黙やな。ほな――いこか」
◆1)白いカラスの羽衣◆
最初の曲がり角を抜けたところで、天井のセンサー孔が“ふっ”と点いた。
そこから、細い声の端切れがばら撒かれる。
「ユ」「ユ」「ユ」――
呼びかけに反応するように、空気がさざめいた。
ブラックが翼をひと振りする。
白い綿羽がふわりと舞い、見えない震えを絡め取るように床へと落ちていく。
「……カァ」
床に敷かれた羽根の“羽衣”が、音を静電気ごと吸い込んでしまった。
さっきまで響いていた囁きは、自分で自分に絡まってほどけなくなり、
やがて、壁面のスリットへと吸い込まれていく。
「ブラック、ようやった。音、熱に変えて捨ててる」
俺がそう言うと、よっしーがクスッと笑う。
「白いのに名前はブラック。ええやないか、そういうギャップ」
「色は見かけ、名は輪郭、でございます」
あーさんが柔らかく言えば、ブラックは少しだけ胸を張って羽を梳いた。
◆2)明治式の拍とモールス◆
《音圧調整室 B0.6》
プレートのかかった小部屋に入ると、中には大小さまざまな音叉が整然と並んでいた。
ここは“音の高さ”や“圧力”を微調整するための部屋らしい。
あーさんが懐中時計を取り出し、
カチッ、カチッと、規則正しく蓋を鳴らし始める。
「・ー・・/・・・・・/・・」
「それ、なんのリズム?」
「“静・け・さ”の簡略符号でございます。モールス信号を、少々」
あーさんは照れくさそうに笑った。
「兵隊さんの書生をしていた折に、教えていただきましてな。
拍が揃えば、心も自然と揃います」
懐中時計の軽い音に合わせて、俺たちも自然と呼吸を合わせる。
ニーヤは風の膜を揺らさないように整え、
ブラックは羽衣を床に滑らせ、
リナは名札の束を胸元でそっと押さえた。
“沈黙の譜面”が、隊の足裏にじんわりと染み込んでいくような感覚。
ガヤガヤした会話は要らない。
いま必要なのは「同じテンポで歩く」ことだ。
◆3)北梁へ◆
この階で目指すのは、北梁――
第四階層全体の“上行回線”が集まる太い支柱だ。
そこには、教会式の祈祷機が取り付いていて、
集めた“名”と“声”を、さらに上のフロアへ送り上げ続けている。
「ミカエラ、位置」
耳飾りが微かに震え、ミカエラの声が届く。
『北梁まで、だいたい百二十歩。途中に**廊魚**の測量ルート。
やり方次第で、殺さず棲み処を避けて通れます』
「了解。……ミカエラ」
『はい。同期も遅延も、問題なく』
少し歩くと、床が透明な“無音橋”に変わる場所へ出た。
踏み出す前に、あーさんが軽く右手を上げて一歩前へ出る。
「“半拍、半拍、二拍飛ばして半拍”。このリズムでよろしゅうございますか?」
「完璧」
橋の入口には、例の癖字の木札が打ち付けてある。
《静かに渡る。静けさは扉です》
ブラックが翼で合図を送り、
リンクが影の薄い方――廊魚の測量線から“ズレた場所”へ跳ぶ。
クリフさんは無音矢を一本、床へ“釘”のように立てて置いた。
廊魚は、そこに生じた“無音の杭”を避けるように経路を修正し、
俺たちとは違うコースへとすべっていく。
「助かる」
「いえ、わたくしの仕事でございます」
クリフさんは静かに頷き、弓を下ろした。
◆4)祈祷機の前で◆
北梁に、たどり着く。
白磁の柱に、鐘を模した祈祷機がガッチリと固定されていた。
蜂の巣みたいなセンサー孔と、いくつもの拡声ユニットが取り巻いている。
《静けさは扉。おまえたちの名を、捧げよ》
三方向のスピーカーから、同時に声が降ってきた。
「殺さない。……縫って止める」
俺は短く告げ、みんなに合図する。
隊形を、いつもの“非致死・ほどほど”モードに切り替える。
「ブラック、上の拡声孔を羽衣で塞いで」
「……カァ」
ふわりと羽根が舞い上がり、スリットを覆う。
祈祷機の声は、ほんの少しだけ“半音落ちた”ように響きが鈍くなる。
ニーヤが凍霧で床の鳴きを冷やし、
センサーが音刃を立ち上げるまでの時間を、0.3秒だけ遅らせる。
よっしーの盾が、その0.3秒を丸ごと受け皿にして、
発射された線を鈍らせた。
クリフさんは壁のセンサー孔に、攪乱用の無音矢を連打。
反響音をわざと「間違った耳」へ案内し直す。
「右二つ、封じた」
「おおきに」
あーさんが懐中時計で、短くモールスを打つ。
「・ー(A)/・ー・・(L)/・・(I)――
“扉”の合図にございます」
合図に合わせて、俺は《扉縫合(Lv.2)》の糸を一本、祈祷機の“喉”に渡した。
見えない扉の筋が、生まれる。
祈祷機の音声は、その筋で「折れ」、広間の四隅へと拡散していった。
「今!」
リンクが祈祷機の首輪の継ぎ目に跳びかかり、輪郭だけを軽く噛む。
声が“単音”に変わった。
リナが名札の白紙に、さらさらと文字を書く。
「サイレン」
紙片を二つ折りにして喉元に差し込む。
“自分の名を思い出させる”ために。
「ミカエラ、アクセスハッチの座標!」
『開けます。……権限スロット、右胸部』
クリフさんの無音矢が、指定されたスロットに吸い込まれる。
矢羽根が小さなキーのように回転し――
『制御権限を奪取。
今なら、上行を止めて“下行”に切り替えられます。
送られた名を、下へ戻す回線に』
「戻そう。奪われたものは、まず“奪還”からだ」
◆5)Seedと“はじめの棚”◆
祈祷機の真下に、小さな通路が開いた。
階層の生成室へと続く、短い階段だ。
俺は前回手に入れた Seed-Permit を握り、念のためミカエラに問いかける。
『入れます。ただし、上位層から“認証の叫び”が来るはず。
耐えられるのは120秒前後』
「二分で一本目の棚を立てる。目標は146階、“水耕棚A-1”」
鍵口にSeedを差し込む瞬間、
水平な叫びが室内いっぱいに流れ込んだ。
「静けさは扉」
俺は扉縫合を一点だけ打ち込み、
叫びを扉の“縁”で折り曲げる。
ニーヤの風と、ブラックの羽衣が、その叫びをさらに薄く削ぎ、
最後の尾を、よっしーの盾が受け止めて“鈍い音”に変えた。
『構成展開――A-1。給水ライン仮設、導光パターン起動。……完了!』
床から、昇降台のようなものがせり上がる。
銀のレールと、透明な槽が組み上がり、水耕栽培用の棚がひとつ、形を持った。
「リナ、名札台と黒板のスペースを確保して」
「はいっ。学び部屋は“名前”から、ですね!」
「いいニャ。呼ぶ、呼ばれる、呼び戻す――授業の一時間目ニャ」
リナが嬉しそうに頷き、
黒板と名札を置く位置を、せっせと決めていく。
◆6)上行の“混ぜ物”を抜く◆
撤収前。
北梁の上部に、小さなユニットがひそんでいるのにミカエラが気づいた。
釣鐘型の小型祈祷機――上行サブルータだ。
そこから落ちてくる“名の端切れ”は、どれもどこか歪んでいる。
「……ヨシ……」
「……キ……」
よっしーが鼻で笑った。
「混ぜ物は混ぜ物。ちゃんと見分けたら、そんな怖ない」
あーさんは手帳を開き、さらさらと書き込む。
「“混ぜ物”は、まず名寄せ(なよせ)が肝要でございます。
似て非なるものを、きちんと分けておかねば」
「ミカエラ。上行サブルータの出力を、“下行の緩衝箱”に繋ぎ替えられる?」
『可能です。……回線を一本、“保留”用の沈黙箱へ逃がします。
はい、ノイズは“沈黙箱”行きに変更』
落ちてくる名の端切れは、今度は床の静けさに吸われて消えた。
◆7)帰還と約束◆
里――第三階層の食堂に戻ると、人工の黄昏が天井を薄紫に染めていた。
湯気と出汁の匂いが、緊張を少しずつほどいていく。
リナは黒板の前に立ち、今日、救い上げた名前を書き並べる。
ミン。ソラ。タロ。エイミ。
そして、新しく拾い上げた二つの名。
「あーさん、“名ってなんですか”って聞かれたら、なんて答えます?」
俺が何気なく尋ねると、
あーさんは白墨の粉を払いつつ、少しだけ考え、それから微笑んだ。
「名は輪郭。輪郭は境界。境界は、扉の蝶番にございます」
「扉の……蝶番?」
「ええ。
扉そのものよりも、“どこで開き、どこで閉じるか”の軸。
名を覚えることは、その蝶番を磨くことでございましょう」
ブラックが窓枠にとまり、羽を梳く。
「……カァ」
よっしーが盾を磨きながら笑う。
「白やのにブラック。ワイは好きやで、そのアンビバレンス」
「我らの里も、そうですニャ」
ニーヤが器用にひげを撫でる。
「黄昏色の中に、こっそり朝を仕込んでおくニャ」
クリフさんは矢羽根を整え、静かに言った。
「上へ送られた名は、順に取り返す。
殺しは不要だ。……縫って止めればいい」
短い儀式のように、ひとりずつ名を呼び合う。
「ユウキ」
「よっしー」
「クリフさん」
「ニーヤ」
「リンク」
「リナ」
「あーさん」
『ミカエラ』
「……カァ(ブラック)」
胸の奥で、ひとつずつ小さな灯がともるみたいだった。
食後、卓の上には設計図が広げられる。
「次の黄昏で、146階“水耕棚A-2”まで積む。
北梁の祈祷機は“下行優先”のまま固定。
……少しずつ、学園の心臓へ近づいていく」
『わたし、名に強くなりたい。奪われないために』
ミカエラの声は小さいけれど、ぶれない芯があった。
「じゃあ、呼ぼう。毎晩」
俺は、ひとつずつ名を呼び直す。
ミン。ソラ。タロ。エイミ。
ユウキ。よっしー。クリフさん。ニーヤ。
リンク。リナ。あーさん。ミカエラ。ブラック。
呼ぶたびに、影と影の縫い目が、少しずつ固くなっていく。
あーさんが懐中時計を閉じ、そっと言った。
「わたくし、明治から参りました。
けれど“明日”を、ここで覚えとうございます」
「覚えよう。俺たちの譜面で」
塔の天井に、人工星がひとつ流れた。
白いカラスが、それを目で追い、短く鳴く。
「……カァ」
静かに。
強く。
そして、こちらの譜面で。
――続く。
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◆ 後書き(用語と世界観の解説つき)案 ◆
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は「ソラリスの塔・第三~第四階層」ということで、これまでより少し専門用語が増えましたので、簡単に補足をまとめさせていただきます。
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■今回の階層のポイント
この回から、塔の内部は
“魔法”よりも“音・記号・構造”が基盤になった世界
へと移行します。
異世界の魔術というより、
どちらかといえば 祈祷機(AI)+音階+縫合スキル などによる
“仕組みで戦う”階層です。
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■用語の補足
●静謐域
“音そのものが道の鍵になる”特殊領域。
大きな音を立てるほど敵性判定が強くなるため、
息遣い・歩幅・音圧の管理が重要になります。
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●環境音域B0.6
音の透明度・圧力を表す塔の内部指標。
B0.6は「ひと声が布のこすれ程度に落ちている状態」で、
静寂の試練に適した“音量レベル”です。
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●白いカラスの羽衣(ブラックの技)
ブラックが音を“吸収→熱へ変換”して捨てる技。
見た目は静かな羽ばたきですが、
実際は音エネルギーを処理している 高性能ノイズキャンセル のようなもの。
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●廊魚
音を“食べる”ようにして進む測量型モンスター。
攻撃ではなく、一定のルートを往復しているだけの存在。
殺すと階層全体の音圧が乱れるため、非致死で避けるのが最適。
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●祈祷機
“名”と“声”を集め、上層へ送る塔の管制機。
攻撃ではなく、情報処理をするための装置ですが、
人間が近づくと “名の提出” を強制してきます。
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●扉縫合
祈祷機の“声の通り道”を曲げるユウキの非戦闘型スキル。
扉の蝶番のように、
「どこへ通すか」「どこで折るか」 を調整する技です。
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●Seed-Permit と “はじめの棚”
塔の下層へ“名を返すための設備”を作る許可証。
ミカエラのサポートによって、
146階の学園区画に“教室の最初の棚”が仮設される、という流れになります。
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■この回からのテーマ
この階層で描きたかったのは、
•名を奪われるとは何か
•名を呼び返すとはどういう行為か
•音と静寂で成り立つ塔の論理
という、“この先のストーリーの根幹”になる部分です。
一気に仕組みが高度になりますが、
ユウキたちの基本方針は変わりません。
非致死(なるべく殺さない)
蝶番へ(正面突破より“仕組みをずらす”)
ほどほど(やりすぎない)
この三つは、あーさんの美学としてもしっかり根付いていきます。
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■最後に
今後は
「音」「名」「祈祷」「縫合」「静謐」
といった用語が増えますが、
混乱しないよう、必要に応じて本文で補足を入れていきます。
もし「ここが分かりにくい」「もっと説明がほしい」などあれば、
お気軽にコメントください!
次回もよろしくお願いいたします。




