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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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ソラリスの塔編 第9話 鍋と風と、夜の歌

前書き


塔での戦いを終え、里に帰る夕。

灯と湯気と、笑いの匂いの中で、それぞれの心がほぐれていく。

一夜の安らぎは、次の朝への力になる。







Ⅰ 湯けむりの道、稽古場の音


 竹林を抜ける風が赤く染まり、瓦の端を舐めるように光る。

 俺とクリフ、ニーヤの三人は湯屋へ続く小径を歩いていた。

 よっしーは……まぁ、言うまでもなくルフィと一緒にどこかへ消えた。


「ふふっ、よっしー殿はすっかり尻に敷かれておりますニャ」

「恋というものは、実に効率が悪い」

 クリフの真顔に、俺は笑いをこらえきれず吹き出した。

「お前なぁ……あ、聞こえる?」


 稽古場から、木刀の打撃音。短い掛け声。

 覗くと、リナとネーナが正座から構え、ラッシが受けを取っていた。

 正拳、前蹴り。踏み込みが素直だ。汗が木床に散って、湯気のように上がる。


「ふむ、だいぶ良くなりましたニャ」

「努力の形が見えるな」

「……俺らも負けてらんねぇな」


 木札が柱にぶら下がっている。“非致死”。

 リナの目がそれを一瞬見て、息を整える。

 戦う意味を、忘れていない。

 俺たちは静かに頭を下げ、湯屋へ向かった。



Ⅱ 露天、ほどける音


 岩の湯面が茜を映してゆらめいていた。

 湯に浸かると、体の芯が音を立ててほどけていく。

「ふぅ……」

 クリフが息を漏らす。

「戦いの音が遠くなる。人は、こうして戻るんだな」

「お前、たまに詩人になるよな」

「詩ではない。事実だ」

 真顔のまま湯をかけるクリフ。

 ニーヤはというと、

「ぬる湯が最高ですニャ。のぼせぬ、眠れる、毛並みが整う」

「毛並みはどうでもいいだろ」

「よくないですニャ」

 真剣に毛づくろいする様子に、俺とクリフは顔を見合わせて笑った。


 そのとき、山菜の香りが風に乗った。

「……腹、減ってきたな」

「まったくだ」

 三人で顔を見合わせて、湯を後にした。



Ⅲ 夕餉の支度、鍋の立ち上がり


 土間に並ぶ籠の山。山菜、茸、川魚、根菜。

 子どもたちが「ただいまー!」と声を揃え、誇らしげに運び込む。

 エリンが腕を組み、淡々と指示を飛ばした。

「並べて。洗いはこっち。火、頼んだわよ」

「任せろー!」

 カイルが張り切って竈へ向かうが、途中でエリンの冷たい視線に気づき、「あ、器ね!」と方向転換。

 サジとカエナは渋い顔で皿を並べつつ、途中で山菜をつまみ食いしてぺしっと叩かれた。

 「いってぇ!」

 「……働け」


 ミカエラは落ち着いた手つきで包丁を走らせる。

 野菜の角が美しく揃い、手際はまるで舞のようだった。

 ルフィは洗い場で鼻歌を歌いながら、「ダーリン、これでいい?」と笑顔をよっしーへ向ける。

 「誰がダーリンや……!」と返しながらも、まんざらでもない顔。周囲は慣れきってスルーしていた。


 鍋がぐつぐつと音を立てる。山菜の香りが部屋いっぱいに広がり、味噌の甘い湯気が心をなでた。

 エリンの指示でカイルが張り切って器を並べ、ミカエラが具を運ぶ。

 サジとカエナも渋々手伝うが、またもやつまみ食いしてぺしっとやられていた。

 そこへジギーが現れる。腕まくりのまま、短く言う。


「おかわりはセルフだ。こぼすなよ」

「はーい! お館さまー!」

 食堂が笑いに包まれた。



Ⅳ 鍋の夜、輪の音


 味噌の丸みと猪肉の香り、山菜のほろ苦さが混じって、湯気がひとつの輪になる。

 「……うめぇ」

 俺の声に、クリフが頷いた。

「戦の後の食事は、生の証明だ」

「詩人に戻ったな」

「事実だ」

 ルフィは目を輝かせておかわり、カエナが対抗し、サジが止める。

 ニーヤは「出汁は文化ですニャ」と真顔で宣言し、ブラックが梁から降りて鍋を覗き込む。

 「カァ」

 ジギーが湯呑を片手に笑った。

「笑って食えりゃ、それで十分だろ。戦場じゃ、そうもいかねぇ」

「……ありがとよ、ジギーさん」

「礼は明日でいい。今日は食え」



Ⅴ 見張り台、缶の音


 夜風が涼しく、見張り台から里が一望できた。

 竹がざわめき、行燈が点々と続く。


「——ごほうびタイムや」

 よっしーがバックパックを開け、銀の缶を取り出す。


「まさか……」

「まさかや。“宝缶チューハイ・レモン”や」


 プシュッ。夜風に霧が散り、柑橘の香りがふわりと立つ。


「一本だけや。ユウキ、ええ顔しとるで」

「うるせぇよ」


 クリフは缶をまじまじと見つめた。

「これが……異世界の酒か」

「せや、文明の味や。度数も情緒も高めやで」

「……喉が熱いな」


 クリフが咳をし、三人で笑い合う。


 よっしーは続けて、もう一つの“宝”を取り出した。

 古いSONYのラジカセ。角は削れ、でも綺麗に磨かれている。


「まだ動くんか、それ」

「動く“はず”や。——ほな、いくで」


 カチッ。テープが回り、少し歪んだイントロが夜に溶けた。

 Cher——“If I Could Turn Back Time.”

 英語の響きが竹林に反射し、風が二拍、鈴を鳴らす。


「……懐かしいな」


 俺の声は小さかった。

「横浜ん時、バイト帰りに海沿いで流れてたんだよ。塩っけと、この曲だけ覚えてる」


「ふむ…戻れない時間か」

 クリフの声は淡い。


 よっしーが笑った。

「戻す必要なんかあらへん。戻りたい時は——歌えばええねん」


「説教くせぇな」


「ほめ言葉や」


 よっしーはそこで、胸ポケットからもう一本の銀筒を取り出した。

 青い帯に白字。


「……マイルドセブン?」

 思わず、俺は息をのんだ。


「おう。やっぱ夜風にはコレやろ」

 よっしーが火を点ける。ライターの火が揺れて、橙が頬を照らす。

 紫煙がふわりと風に乗って消えていった。


「それ、名前変わるんだよね」


「は?」

「いつからだったか覚えてねぇけど“メビウス”になった。ロゴも青から白っぽくなってさ」


「なんやそれ、スロット台か? えらい未来やな」

「あと、値段。いくらで買ってた?」

「んー……二百二十円か、せいぜい二百四十円ちゃうか。駅前のキオスクで」

「それ、今五百六十円だよ」

「……倍か。よう吸えるなぁ」

「だからもう吸わねぇんだよ」


 俺が苦笑いすると、よっしーは肩をすくめて煙を見上げた。


「昭和の男はな、これで考えごとすんねん」

「平成の終わりもだよ。けど、もう“煙”より“画面”の時代だ」

「えらい寂しい時代やな」

「……たぶん、お互い様だ」


 火玉が落ち、竹がかすかに鳴る。

 よっしーが吸い殻を銀の缶に沈め、音を立てた。

 コトン。小さな金属音が夜に溶ける。


 夜風が髪を撫で、行燈の火が少しだけ揺れた。

 竹が鳴り、二鈴が遠くで応える。

 鐘は、鳴らさない。

 俺たちは缶を持ったまま、ただ夜空を見上げていた。





後書き


湯と鍋と、缶の音。

そして一本の煙。

昭和と令和、ふたつの時代が、竹の間で同じ夜風に溶けていた。

明日はまた塔へ。怖さも笑いも、背中に乗せて。


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