召喚の夜、黄昏の始まり
- 見知らぬ天井、そして絶望 -
真夏の夜、セミの鳴き声がやかましい、いつもの退屈な夜だった。
ユウキは、今日も缶チューハイを飲んでいた。
アルミ缶のプルタブを弾く小さな音が、六畳のボロアパートに乾いて響く。天井の蛍光灯は点滅を繰り返し、畳の隙間には黒いカビが滲んでいた。壁の時計は止まって久しく、代わりにスマホの液晶が光る。通知はゼロ。
派遣工場の夜勤を終えたばかりだ。体は痛い。心はそれ以上に疲れている。
「今日も“お疲れ様”って言ってくれる人、いなかったな……」
誰に聞かせるでもなく呟いた声が、すぐ自分に跳ね返ってくる。
コンビニ弁当のふたを開けると、レンチンの匂いとともに孤独が鼻を刺す。
氷河期世代。三十七歳。
バイト、派遣、日雇い。家賃四万円のアパートで自炊。友人はなし。
生きるというより、腐らないように保存しているだけのような日々。
テレビが騒がしい。「景気回復の兆し」「転職市場が活発に」。
ユウキはリモコンを押すこともなく、ただ呟く。
「回復したのは、俺以外だろ……」
缶チューハイを飲み干した瞬間、視界の端が白く光った。
耳鳴り。
そして、床が抜けたような浮遊感。
「……え?」
次の瞬間、空気が変わった。
胸の奥を押し潰すような圧と、光の奔流。
ユウキは息を吸う間もなく、何かに引きずり込まれた。
——視界が、金色に染まる。
⸻
気がついたとき、そこはどこかの大広間だった。
天井の高さは二十メートルほど。大理石の床には金糸の模様が走り、壁には巨大なステンドグラス。
遠くに玉座があり、冠をかぶった老人と、豪奢な衣をまとった大臣、鎧姿の兵士たちが並んでいた。
「な、なんだここ……」
見渡すと、自分と同じように呆然と立つ人々がいた。ざっと四十人ほど。だが、彼らの服装があまりにもバラバラだ。
和服の武士、学生服、軍服、スーツ、ジーンズ、ジャージ……。
まるで時代の展示会だ。
⸻
「帝国主義を打倒せよ!」「同志たち、団結だ!」
ヘルメットに赤い腕章を巻いた男たちが、拳を突き上げる。
隣では、ベルボトムにサングラスの男がギターケースを抱えて「ピースだぜ兄弟!」と叫び、兵士に花を投げていた。
香水の匂いが漂う。黒い肌に金髪ウィッグのギャルが「ピッチ繋がんねぇんだけどー!!」と叫び、別のギャルが「マジ卍〜!」と合いの手を入れる。
ホスト風の青年は「ここ、VIPルームっしょ?」と笑いながらステンドグラスに自撮りポーズをとる。
「こ、ここは大陸戦線ではないのか!」
怒声が響いた。見れば、軍服に剣を下げた男たち——大日本帝国軍人だ。
「陛下の御名を穢すな!整列せよ!」
将校らしき男が号令をかける。兵士たちは反射的に直立し、異世界の兵たちも緊張にざわめく。
「……すげぇ、マジか、ここにいる人たち時代がバラバラだ……」
ユウキは声を失った。
⸻
その中に、ふと異質な存在が二人いた。
ひとりは和装の少女。明治の香を残す袴姿で、凛と立っている。
「此処は……まさか、神域……?」
低く静かな声。瞳は鋭くも悲しげだ。
——あーさん。後にユウキがそう呼ぶ明治乙女である。
もうひとりは、金髪リーゼント風の青年。
ウォークマンを首にぶら下げ、軽い関西弁で呟く。
「えらいとこ連れてこられたなぁ……音楽でも流そか」
——よっしー。平成元年の男。
だが、彼らもまだ名も知らぬただの“召喚者”にすぎなかった。
⸻
「静まれええぇぇッ!!!」
杖を突いた大臣が怒鳴った。
声が空間の魔法で拡散され、床が震える。
喧噪が一瞬にして止む。
白衣の神官が前へ出る。
「汝らは神々の導きにより、聖教国アルグリアへ召喚された!」
「選ばれし勇士よ、魔王を討て!」
その言葉に、ざわめきが再び膨らむ。
「魔王?」「は?RPG?」「俺たち勇者?」「くだらん!」
学生運動の男たちは「権力の弾圧だ!」と叫び、
帝国軍人は「魔王討伐?軍命ではない、命令権者は誰だ!」と怒鳴る。
黒ギャルたちは泣き叫び、ホストたちは王族の侍女にナンパを始めた。
兵士たちが槍を構える。
「下郎、無礼者!」
怒号が走る。声の主は、髷を結った浪人だった。
木綿の羽織に脇差を差した男——江戸の侍だ。
「此度の仕組み、まさしく妖術の類と見た!我らを操る気か!」
異世界の兵士が制止に入る。
浪人はその手を振り払い、鋭い眼光で刃を抜いた。
「この場で成敗してくれよう!」
金属音。
兵士が反射的に剣を抜き、横薙ぎに払う。
閃光。
浪人の首が傾き、血が飛んだ。
床を濡らす赤。
その場の時間が凍る。
「……死んだ……?」
ユウキの喉が震える。
これまでの喧噪が一瞬にして消え、全員が息を飲んだ。
軍人たちは黙り、ギャルたちは顔を覆い、ヒッピーは「ノー・ウォー……」と呟く。
王国兵が静かに剣を収め、大臣が再び杖を突く。
「静まれーーッ! ここは神聖なる召喚の儀! 逆らう者は赦さぬ!」
その声は、冷たい石壁に響いた。
⸻
ユウキは震える手を見つめていた。
心臓が暴れ、喉が乾く。
目の前の現実を理解しようとするほど、頭の奥が焼けるように痛む。
——死んだんだ。ほんとに。
——ここは……ゲームじゃない。
彼の足もとには、江戸浪人の血が線を描いている。
鉄の匂い。
熱を持った現実。
大臣が宣言する。
「これより選別を行う。神に選ばれし者のみ、勇者として扱う!」
光の紋が床に浮かび、召喚者たちの足もとで光る。
悲鳴、祈り、怒声。
再び混乱の渦が広がる。
ユウキはただ立ち尽くしていた。
——俺、どうなんの……これから。
光の波が彼の視界を呑み込み、世界が白く滲む。
次に目を開けたとき、そこにはもう、
江戸浪人の亡骸はなかった。
ただ金色の床に、乾いた血の跡だけが残っていた。
⸻
つづく
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