猫を迎えに
王都中央庁舎。
騎士団本部と行政庁とが隣接するこの石造りの建物は、雨の日も人の流れが絶えない。
その朝、エリシア・ヴェルディナは軍務文書課のデスクに座り、次々に届く報告書に目を通していた。
けれど、どこか上の空のは、自覚がある。
――猫のことも、彼のことも、ずっと気にかかっていた。
あの晩の帰り際、「また迎えに」と告げてから、三日。
今日こそ、と彼女は心に決めていた。
そのときだった。
部屋の扉がノックされ、同僚の事務官が立ち上がる。
「文書提出に、近衛第二隊の隊長が来られました」
エリシアの胸が、わずかに波立った。
あの夜のことが思い出された。どこか穏やかだった日。あれ以来、ずっと気になっていた人。
重い軍靴の足音が近づく。
扉が開くと、そこにいたのは、いつもと同じ深緑の軍服に身を包んだレオ・アークライトだった。
冷静で、無表情。けれど視線が、一瞬だけ彼女に留まるのがわかった。
「文書提出に来た」
受付に通された彼の手には、分厚い報告書の束。
エリシアは静かに立ち上がり、そのうちのいくつかを受け取った。
「お疲れさまです」
そう声をかけたつもりだったが、自分でも少し、声が硬いと思った。
「……ああ」
返ってくる声は低く、短い。
でもその直後、彼がふと、手に持っていた袋のひとつを差し出した。
「……これ。猫が使っていたショール。洗った」
エリシアは思わず目を見開いた。
あの日、猫をくるんでいたショールを置いてきたとは思ったが、洗ってくれたらしい。
受け取った袋からは、うっすらと穏やかな木の匂いと石鹸のにおいがした。あの部屋の匂いだ。
「ありがとうございます……あの、猫は――元気、ですか?」
「よく食べて、よく鳴く」
「そうですか。よかった……」
小さな沈黙が降りる。
同僚たちの視線が、気にならないと言えば嘘になる。
けれどそれでも、エリシアは勇気を出して口を開いた。
「……今日の夕方、迎えに行ってもいいでしょうか」
レオは一瞬、迷うように目を伏せた。
そして、ほんのわずかだけ視線を合わせて、頷いた。
「……ああ。待ってる」
その返事は、必要以上に静かだったのに、彼女の胸の奥に、ほのかに火を灯した。
レオは書類をすべて置いて、去っていった。
深緑の背が扉の向こうに消えるまで、エリシアは動けなかった。
彼女の指の中には、温かな毛布の感触が残っていた。
それだけで、ほんの少し、仕事が軽く感じられた気がした。