妻子
公園で励まされてから数日後、伊丸岡は自宅で漫然と暮らしていた。四十代の伊丸岡には同じ歳の妻と十歳になる息子が一人いる。妻は外科医として多忙なので息子は妻の両親が面倒を観ていた。
伊丸岡がスッカリ仕事を辞めても生活費は充分に賄える蓄えがある。無くても妻が稼いでくる。伊丸岡は炊事洗濯掃除をこなし、不貞腐れていた息子の面倒を観るようになった。多忙とはいえ放ったらかしにされていた息子は伊丸岡の休暇に腹を立てて祖父母の家に逃げたが、祖父母の説得で戻ってきた。伊丸岡は時折、息子に勉強を教えている。
「父さんは本当に仕事を辞めるの?」
息子が尋ねた。伊丸岡は頬杖を付いて、
「分からない。でも三ヶ月ぐらいは休みたい」
息子は心配そうに、
「一度鈍ると職場復帰が難しくなるんでしょう。大丈夫?」
伊丸岡は苦笑いし、
「何とかなるさ。それに母さんがシッカリしているから専業主夫も良いかもな」
息子は困った顔をした。伊丸岡は仕事一筋だったわりには料理は美味いし掃除は行き届いているし勉強を教えるのも上手だ。家事と育児に問題無いのは息子も分かる。しかし、伊丸岡はどことなく腑抜けている。それが長引くのではないかと息子は心配している。
伊丸岡の妻は救急科で毎日毎日手術をしている。腕は良い方なので患者達の術後の回復は良い。職場からも患者からも一目置かれている。だからなのかなかなか休めない。女性にしては体力が有るので妻も拒もうとしない。今日も妻は深夜遅くまで帰ってこない。夜勤の時もしょっちゅうである。
帰宅した妻に伊丸岡は、
「働き過ぎじゃないのか。このままだと鬱になるよ」
妻は溜め息を吐き、
「鬱なのは貴方でしょ。それに一日でも手術しないとなんだか気持ちが悪いの」
「無理に休めとは言わないけどね。気を付けて」
伊丸岡は労った。伊丸岡が休暇を取るまでは家事は折半しているつもりであったが、妻は手に余ると自分の母親に頼んでいた。伊丸岡はここ数日の休みで妻の忙しさが如実に分かった。一ヶ月に五日ほど休めれば良いような働き方はやはり無理がある。妻本人は手術が大好きの様だが限度がある。
伊丸岡は妻が心配になってきた。