老女達の優しさ
ずっと黙っていた大田原育美が、
「先生は私達に希望を与えたのです。その疲れが今になって出たのでしょう」
伊丸岡は俯いた。患者達に励まされている。伊丸岡は、
「お気遣い、有難うございます」
大田原は頭を横に振り、
「私達は気を遣っているのではありません。事実と感謝を述べたまでです」
鈴原は、
「先生。顔色が良くありません。私達の感謝の言葉が逆に圧力になりましたか?」
患者本人達が満足しているならば素直に喜べる。しかし彼女達は周囲に迷惑をかけていないかばかりを気にする。伊丸岡は、
「むしろ皆さんが周りに遠慮しているのです」
老女達は悲しそうな顔をした。鈴原が、
「私達を憐れむのであればそれは間違ってますよ」
田中は、
「そうです。人は持ちつ持たれつです。遠慮というほどではありません」
伊丸岡は、
「皆さんは妻として母として労働者として家庭や社会にさんざん尽くしてきました」
小田原は微笑み、
「先生は悲惨な現場もご存知だから気持ちが今、塞いでいるのでしょう」
鈴原は、
「幸せかどうかは自分で決めるのです。私達は幸せです。先生のおかげでもあるのです」
伊丸岡の目が泳いだ。鈴原は、
「今すぐ元気にはなれないでしょうけれど、先生に拍手」
パチパチパチパチ。七人の老女達は拍手した。伊丸岡は深々と頭を下げた。
認知症が治ったからといって問題の全てが解決したわけではない。皆、思う所はそれぞれあるはずだ。しかし、七人の老女達はわざわざ直接、感謝の言葉を述べて伊丸岡を励ました。
伊丸岡は嬉しさ以上に負い目を感じた。こういう老女達の優しさを平気で踏みにじる愚か者は後を絶たない。老女達から感謝されるのは当然で、世話を焼かれても何とも思わない未熟者は多い。それを指摘しても彼女達は矜持を高くしてそれを制す。安易な同情や憐れみは要らないと拒むのだ。