患者からの誘い
臨床で休暇を取っても仕事が全くなくなるわけではなかった。研究成果をまとめたり後遺症や副作用が無いかを確かめたりしなければならない。机上での作業はまだ続いていた。それでも体力的には非常に楽になった。伊丸岡は漫然と病院と自宅を往復していた。
そんなある日。
「伊丸岡先生。お久しぶりです」
と、老女が元気良く声をかけてきた。老女は去年、治療で完治した患者で、名前は鈴原都志子である。鈴原は完治したとはいえ、定期的に検査を受けに病院に通っている。伊丸岡は驚きながらも、
「元気そうで何よりです」
鈴原は心配そうな顔をして、
「先生が多忙で体調を崩されたとお聞きしました」
伊丸岡は自嘲的に笑い、
「医者の不養生ですね、恥ずかしい」
鈴原は微笑み、
「先生にお時間が有ればお礼したいのですが」
伊丸岡は困った顔をして、
「病院の方針で何かを受け取る事は禁止されています」
鈴原は手を顔の前でヒラヒラさせて、
「いえいえ。私と他の患者さんでお礼の言葉を伝えたいだけですよ」
伊丸岡は曖昧に笑う。鈴原は、
「今度の日曜日に病院近くの公園でお待ちしております」
と、言うと頭を下げて立ち去った。伊丸岡は断ろうかと思ったが、本当に自分の治療が為になっているのかも気になった。
臨床から離れる為に他の医師に担当の患者を引き継いでもらってはいた。患者達は怒るどころか伊丸岡を心配している。そんな負い目も有る。