画期的な治療法
伊丸岡健は認知症の治療法を確立させた。針と灸と放射線治療の混合で少しずつ認知機能を回復させていくのだ。自分の肉親を忘れた者さえ、三ヶ月もかかれば、スッカリ思い出してしまうのだ。転ぶ時も受け身の姿勢が取れて介護士を困らせる事も減っていく。
実は認知症が直接の原因で死ぬ事はない。けれども患者が死ぬまでに多大な介護が必要とされる。介護士が世界的に不足している昨今では、伊丸岡の治療法は重宝されるようになった。
気前良く教える伊丸岡から技術を学び必要な機械や器具を揃えた医師達はどんどん患者達を治療していった。保険適用もされ、資産が少ない者でも治療が受けられるようになった。
特に政府は足腰のまだ丈夫な患者を優先的に治療させた。これで何処かへ徘徊し介護者を困らせる事は少なくなる。誰かを犯人にして怒鳴り散らしたり暴れたりする者も減る。医療現場でも介護現場でも伊丸岡の治療法は有難がれた。
認知症がスッカリ治った高齢者達の中には介護施設から出てアパートや肉親の家に戻る事も出来た。パートで働く者も少なくない。政府も介護現場も万々歳のように見える。財政を圧迫していた医療費や介護費が緩やかに減り、納税者が微増していく。
けれども良い事ばかりではなかった。
無理をして怪我をする高齢者が増えた。いくら認知機能が回復したとは言え、体力や筋力が若返ったわけではない。若年層と比べられて職場で無理をしては鬱になったり怪我をしたりするのだ。これではまた、医療費が財政を圧迫する。政府はそれを心配した。
老人達の幸せを本気で願う者はどれだけいるのだろうか。老人達自身も老人達の幸福を願うとは限らない。老醜を晒すよりサッサと天寿を全うしたい。そう思うようになった老人達も増えた。
この身勝手な社会的心理に伊丸岡は嫌気がさした。認知症さえ治療出来れば介護している者達や親族の負担は減るし傷付け合うこともない。だが、認知症を治療出来る今でも、老人達は社会から冷たい目で見られている。
伊丸岡は思った、
「どいつもこいつも腐ってやがる」