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短編

勇者になる!

作者: 八百板典所

『オレは勇者になるっ!』


 過ぎ去った月日が、僕の裾を申し訳なさそうに引っ張る。振り返る余裕なんてないのに、つい振り返ってしまった。


『魔王を倒す! みんなを傷つける魔物も倒す! そして、千年後も語り継がれる偉業を成し遂げるっ!』


 茜色に染まった西の空に背を向け、東の空を仰ぐ。

 数多の星が藍色に染まった東の空にしがみついていた。

 周囲を取り囲むように生い茂る野原が、立ち止まった僕に問いかける。

 立ち止まっている暇はあるのか、と。

 東の空を彩る星々を一瞥した後、夕陽に背を向ける。

 僕は胸の中に詰まった生温かい空気を吐き出すと、影法師となった友人に身体の正面を向けた。


『絶対、オレは千年後も語り継がれる勇者になってやる!』


 十年という月日は僕にとって長かったのだろう。

 記憶の中に残っている友人の顔は、真っ黒に染まっていた。


『だから、ちゃんと見とけよ! お前がオレの伝説を──』


「──勇者様」


 隣を歩いていた魔法使いが足を止めた僕に声を掛ける。

 僕が立ち止まると思っていなかったのか、魔法使いは少しだけ驚いたような表情を浮かべていた。


「どうしたんですか? 突然、背後なんか見て。何か見つけたんですか?」


「いや、なんでもない」


 星空に背を向けた後、茜色に染まった西の空を仰ぐ。まだ春は遠いのだろう。夕陽が吐いた息はとても冷たかった。



 魔物達に故郷を奪われて、二ヶ月以上の月日が経過したある日の昼下がり。

 人気のない裏路地で魔法の練習をしていると、木刀を持った少年に声をかけられた。


「ねえ! その魔法、オレに撃ち込んでよ! 魔法を木剣でバシュンってする練習したいから!」


「……ば、……バシュン? え、えーと、それ、どういう意味?」


「バシュンしたいんだよ! ほら、魔物って魔法みたいなものを使うらしいじゃん!? だから、それをバシュンする練習したいなぁって!」


 金に染まったツンツンヘアー。

 薄汚れているけど、しっかりした造りの服。

 そして、豆だらけの両掌。

 一眼見ただけで、理解した。

 目の前にいる少年が僕より裕福である事を。

 そして、彼が僕より努力している事を。


「つまり、魔法攻撃を防ぐ練習がしたいって事?」


「そーいう事! ねえ、ちょっとでいいからさ!」


 木剣を振り回しながら、頭を下げる少年。

 僕は自分の頬を右人差し指で掻くと、引き攣った笑みを浮かべ、こう言った。


「ちょ、ちょっとならいいよ」




「ちょっとじゃ済まなかった」


 魔王城から少し離れた所にある薄暗い森の中。

 魔法使いが作った結界の中で干し肉を齧りながら、僕は頬の筋肉を少しだけ緩める。


「日が暮れても、彼は僕に魔法を撃つよう要求した。彼は完璧に僕の攻撃を防ぎ切れるようになるまで、僕に『もう一回』と言い続けた」


 もう声も顔も思い出せない友人に思いを馳せながら、僕は空を仰ぐ。

 肩を寄せ合う星々の集団が僕の視線を引き寄せた。

 木の葉の揺れる音が、森の奥から聞こえる獣の雄叫びが、夜風に遮られる程に小さい虫の音が、晩御飯を食べる僕等の肩を小刻みに揺らす。

 魔王城が近くにあるというのに、魔物の気配は一切感じ取れなかった。


「確か日付が変わる直前だったと思う。彼の母が特訓し続ける僕等の前に現れたのは。彼の母は夜遅くまで修行し続ける息子を怒鳴りつけた。そして、息子の我儘に付き合った僕にお礼の言葉を告げた」


 地面に伏せている木に腰掛けながら、僕は顔も声も思い出せない友人の話をし続ける。

 この五年間、僕の冒険を支え続けた魔法使いは、黙々と僕の話を聞き続けた。


「別れ際、彼はこう言った。『明日こそは完璧に防げるようになる』、と。悔しそうに息を切らす彼を見て、当時の僕はこう思った。『ああ、彼の本気には本気で応えなければ』、と」


「あの、勇者様」


 干し肉を飲み込んだ魔法使いがか細い声を発する。

 明日の事で思い悩んでいるのか、いつもと比べると、彼女の顔は少しだけ曇っていた。


「何で魔王城に乗り込む前日に身の丈語っているんですか? それ、明日死ぬ人がやる事ですよ。あんまり縁起が良くないです」


「だったら、続きは魔王を倒した後に話そうかな」


「その話が明日魔王を倒す上で必要な事でしたら、最後まで聞きます。ただ話す前に一つだけ教えてください。何で声も顔も思い出せない友人の話をし始めたんですか?」


 どうやら僕が唐突に身の丈を語ってしまった所為で、魔法使いに要らない心配をさせてしまったらしい。

 自分の愚行を心の中で反省しながら、僕は夜空を仰ぐ。

 そして、夜空を彩る星々を眺めながら、僕は彼女の疑問に対する答えを無造作に吐き出した。


「何故か知らないけど、思い出してしまったんだ。声も顔も忘れてしまった友人の言葉を」


「どんな言葉を思い出したんですか」


「『オレは勇者になる』」


 友人の言葉を聞いた途端、勇者(ぼく)の相棒である魔法使いは口を閉じてしまう。そんな彼女に敢えて気を遣う事なく、僕は友人のものだった言葉を呟き続けた。


「彼は言った。『オレが魔王を倒す』、と。『魔物を倒す』、と。そして、『千年後も語り継がれる勇者になる』、と」


 友人と作り上げた想い出を思い出そうとする。

 僕の中に残っている殆どの思い出は色褪せており、思い出の中心にいる友人は影法師のような姿に成り果てていた。


「……だから、貴方は勇者になったんですか」


 隣にいる魔法使いが新たな疑問を口にする。


「友人の夢を叶えるために、貴方は勇者になったんですか?」


 星明かりが夜の闇を退ける。

 周囲の木々を照らす星々を見つめながら、僕は頬の筋肉を僅かに緩めた。





「ねえ、その仕事、いつ終わるの?」


 木刀を持ったツンツン頭の少年が、仕事場兼下宿先である道具屋で店番している僕に話しかける。

 僕は商品である魔道具を並べ終えると、やって来たばかりの彼を一瞥した。


「その仕事終わったらさ、昨日の続きやっていい? 今日こそは魔法を完璧に防ぎ切るから!」


「今日は夜まで店番するから無理」


「じゃあ、夜まで待つから!」


「僕、明日も仕事あるんだけど」


「じゃあ、明日やれない分、今日頑張ろう!」


「ねえ、僕の話聞いている?」


 店の隅に置いてあった箒を手に取った後、店内の掃除をし始める。

 帰る気がないのか、木剣を持った少年は店に居続けた。


「ねえねえ、何で働いているの?」


「生きるためだよ」


 箒で床を掃きながら、少年の質問に答える。

 何故か知らないけど、今日はいつもより客が少なかった。

 床に落ちた埃を掃きつつ、少年を一瞥する。

 僕の事情が何となく理解したのか、彼は少しだけ気まずそうな顔をしていた。


「君が察している通りだ。今、僕の家族は天国で生活を営んでいる」


 僕は語った。

 二ヶ月前、魔王率いる魔物達が故郷に押し寄せた事。

 魔物達が父と母を捕食した事を。

 僕を逃すため、上の兄さん達が囮になった事を。

 魔物に食べられる両親と兄さん達に背を向け、逃げ出した事。

 そして、家族を犠牲にして生き長らえた僕は、何やかんやあって、この町に辿り着いた事を。

 そして、今は生きていくために必要なお金を稼ぐため、道具屋で働いている事を。


「魔法の練習をしていたのは家族の仇を討つためなの?」


「魔物と闘うつもりはないよ。というか、僕に魔物と闘う度胸を持ち合わせていない。僕は臆病者だ。魔物を見ただけで、腰が抜けてしまう。そんな機会は絶対にないだろうけど、多分、魔王を目にしたら失神してしまうだろう。最悪の場合、魔物と対面しただけで心臓が止まってしまうかもしれない。それ程、僕は小心者で臆病者なんだ」


「だったらさ、何で魔法の練習をしていたの?」


 塵取りで埃を掻き集めながら、少年の疑問を聞き流す。

 天井裏で運動会が開催されているのか、鼠の足音が木でできた天井を揺らしていた。


「家族の敵を討ちたいから、魔法の練習をしているんじゃないの?」


「──君が何て言おうが、僕は魔物と闘わない」


 土足で僕の中に上がり込もうとした少年を言葉だけで突き放す。

 僕の気持ちを汲み取れていないんだろう。

 彼は間の抜けた表情を浮かべながら、眉間に皺を寄せる僕の顔をじっと見つめていた。


「僕は身の丈に合った人生を送るつもりだ。魔物と闘……」


「んじゃあさ、オレの特訓相手になってよ!」


「ねえ、僕の話聞いてる?」


 何故か知らないけど、話が振り出しに戻ってしまった。

 溜息を吐きながら、僕は掃除を一時中断する。

 僕を呆れさせた張本人はというと、能天気な笑みを浮かべながら、木剣を掲げていた。


「オレがお前の代わりに家族の仇を取ってやる! 怖いんだったら、魔物と闘わなくていい! だから、オレを強くしてくれ!」


「……何で君は魔物と闘おうとしているの? 君も魔物に家族を殺されたの?」


 怯える事なく、魔物と闘いたいと叫ぶ少年に身体の正面を見せつける。

 僕の本気が伝わったのか、彼はほんの少しだけ表情筋を強張らせた。


「いや、オレの家族は魔物に殺されていない。みんなピンピンしている」


「だったら、どうして」


「勇者になりたいからだ」


「ゆ、ゆーしゃ……? なんだい、それは」


「誰よりも速く一歩踏み出す人の事だよ」


 彼の言っている『ユーシャ』という言葉は、田舎で生まれ育った僕にとって馴染みのないものだった。

 にも関わらず、ユーシャという響きは僕の視線を惹きつけた。


「オレは勇者になる。千年後も語り継がれる偉業を成し遂げる。だから、お前はオレの偉業を語り継いでくれ。大丈夫。お前が踏み出せない一歩は、オレが代わりにやっとくから」


 そう言って、彼は向日葵のような笑みを浮かべる。その笑みを見た途端、僕は劣等感のようなものを抱いてしまった。



「初めて魔物と闘った時、僕は心の底から思った」


 早朝。朝の身支度を終えた僕達は魔王城に向かって歩き出す。

 森の中は静まり返っていた。十年の旅路が僕達に報せる。

 近くに強力な魔物がいる事を。


「何を思ったんですか?」


「勇者になりたいって心の底から思った」


 携帯していた剣を鞘から解き放つ。

 刀身が朝日を浴びた途端、空から土塊が落ちてきた。

 僕の背丈を優に超える人型の土塊が、雄叫びに似た雑音を口にする。

 土塊から漂う腐臭を嗅いだ瞬間、目の前の土塊が魔物である事を理解した。


「家族の仇を討つためでも、友人の夢を叶えるためでもない。僕は、誰よりも速く一歩踏み出したいと思ったから、勇者になろうとしたんだ」


 人型の土塊が僕等を見下ろす。僕は剣を、魔法使いは杖を構え、『いつでも闘えるぞ』と土塊に訴える。


「じゃあ、いつものように僕が隙を作る。君はいつものように必殺の一撃を叩き込んでくれ」


「もう魔物は怖くないんですか?」


 悪戯っ子のように微笑む魔法使いを一瞥する。僕は少しだけ頬の筋肉を緩めると、溜息を吐き出した。

「怖いよ。けど、怖がっている暇なんてない。僕は勇者になりたいって思っているんだ。ここで怖がっていたら、誰よりも速く一歩を踏み出せなくなってしまう」


 僕の背丈を優に超える人型の土塊が拳を振り下ろす。僕と魔法使いは同時に頷くと、敵の下に向かって駆け出し始めた。




「何で君は勇者になろうとしているんだい?」


 彼と出会って、二年以上の月日が経過した。僕達の背丈は少し伸び、できる事が少しだけ増えた。


「オレに勇者の意味を教えてくれた爺ちゃんがさ、三年前に亡くなったんだよ」


「三年前っていう事は、僕と出会う前か」


「そうそう」


 僕の掌から放たれる火炎の塊。

 それを木剣一本で弾きながら、友人は僕の疑問に答える。


「爺ちゃんはさ、この街の衛兵でさ。定年退職するまでの五十年間、ずっとこの街を守っていたんだ」


 たった二年でツンツン頭の少年は少年じゃなくなった。

 身長は大人の人と大差ないし、筋肉量は街を守っている衛兵よりも少し少ない程度。

 豆だらけの掌は相変わらずだけど、掌の皮は二年前よりも厚くなっていた。


「子どもの頃、聞いてもいないのに爺ちゃんは教えてくれたんだ。爺ちゃんが衛兵時代に築き上げた沢山の伝説を」


 この街を守っていた彼の祖父は強者だったらしい。

 彼曰く、彼の祖父は、街を騒がせる連続殺人犯を退治したり、街に現れた大きな熊を追い払ったり、王様を守っている騎士団の長と力比べして、勝ったりしたんだとか。


「爺ちゃんはさ、スッゲー衛兵だったんだよ」


 祖父の武勇伝を誇らしげに語る友人の姿は、買ってきたばかりの玩具を自慢する子どものように見えた。

 目をキラキラ輝かせながら、身内の話をする彼を見て、僕も身内の話がしたくなってしまった。

 父と母、そして、兄さん達が凄い人間だった事を彼に教えたいと思ってしまった。

 そんな自分の話がしたくてムズムズしている僕に構う事なく、友人は湿っぽい表情を浮かべる。

 その姿を見て、僕は口をへの字にしてしまった。


「でも、もう爺ちゃんが作った伝説を知っている人は数える程度にしかいない。オレと母ちゃん、あと爺ちゃんの友人二人が死んでしまったら、爺ちゃんが作った伝説は消えて無くなってしまう」


 熟した果実のように、友人の視線が地面に落っこちてしまう。僕は湿っぽい匂いを発する友人から目を逸らすと、真っ青に染まった空を仰いだ。


「オレは勇者になる。魔王を倒す。みんなを傷つける魔物も倒す。そして、千年後も語り継がれる偉業を成し遂げる」


 いつもの抱負(くちぐせ)を呟きながら、友人は地面を睨みつける。僕は彼の姿を一瞥すると、再び雲一つない程に青く染まった空を仰いだ。


「だから、オレの伝説を語り継いでくれ。伝説を語り継ぐヤツがいないと、オレも爺ちゃんも忘れ去られてしまう」


「『も』って事は、お爺さんが作った伝説も僕に語り継がせるつもりなのかい?」


「え、爺ちゃんの伝説は語り継いでくれねぇの?」


「君が望むなら、語り継ぐよ」


 僕の代わりに魔物や魔王と闘おうとする友人を一瞥する。

 僕と違い、魔物と闘う事に恐怖心を抱いていないのか、彼は向日葵のような笑みを浮かべていた。


「君の偉業は僕が語り継ぐ。だから、必ず成し遂げてくれ。千年後の人達が、あっと驚く大偉業を」


 臆病者(ぼく)は夢想する。

 数多の魔物を蹴散らす彼の姿を。

 魔王を倒す彼の姿を。

 僕の家族の仇を討つ彼の姿を。  

 そして、人々から勇者と呼ばれる彼の姿を。

 人々から勇者と呼ばれる友人の姿を夢想して、ほんの少し嫉妬心のようなものを抱いてしまう。

 彼の偉業を語り継ぐ自分の姿を夢想して、惨めな気持ちになってしまう。

 もし。

 もしも僕が勇気を出す事ができたら。

 魔物と戦う覚悟を持つ事ができたら。

 誰よりも速く一歩踏み出す事ができたら。


「ん? どうしたの?」


 呆然と立ち尽くす僕を見つめながら、木刀を構えた友人が首を傾げる。僕は震える右手を一瞥した後、『なんでもない』の一言を口から絞り出した。



「結論だけを先に述べよう」


 魔王城最上階。

 四天王と呼ばれる強力な魔物を退けた僕と魔法使いは、魔王と呼ばれる魔物の下に辿り着く。

 噂通り、魔王と呼ばれる化物は他の魔物達とは違い、高い知能を有していた。

 獣と大差ない知能しか持ち合わせていない他の魔物達と違い、魔王は僕等と意思疎通できる程の知能を持ち合わせていた。


「わたし達魔物は、君達現人類を滅ぼすためだけに生み出された生体兵器だ。君達現人類を滅ぼした後、処分される使い捨ての駒。それがわたし達魔物の正体だ」


 魔王の容貌は独特だった。

 『人型のトカゲ』と表現したら、魔王の容貌を大体想像できるだろう。

 数多の魔物と闘ってきた僕らにとって、目の前にいる二足歩行を繰り広げる赤いトカゲは、奇抜で奇妙なものだった。


「……生体兵器。使い捨ての駒。なるほど、貴方達魔物は誰かによって生み出され、人類を滅ぼしたい誰かに使われている道具なんですね」


「肯定だ」


「一体、貴方達魔物は誰に作られ、誰に使われているのですか」


地球(ほし)だ」


 魔物達を率いる人型のトカゲは足下を指差す。

 一瞬、魔王の言っている意味が分からず、僕と魔法使いは反射的に首を傾げてしまった。


「わたし達が住んでいるこの地球(ほし)はな、現人類の絶滅を願っているんだ。だから、わたし達魔物は地球(ほし)に命じられるがまま、現人類を殲滅している」


「……どうして地球(ほし)は人類を滅ぼそうとしているのでしょうか。私達が自然を壊しているからでしょうか」


「君達現人類の発展・進化が止まったからだ」


 胴長短足であるトカゲをできる限り人間の体型に近付けた化物が、渇いた笑みを浮かべる。

 今まで見てきたどの魔物よりも人間らしい魔王の姿を見て、僕も魔法使いも言葉を失ってしまった。


「この地球(ほし)は強くて賢い生命体を所望している。数億年先に行われる『星間戦争』とやらに勝ち抜くため、優秀な手駒を用意しようとしているんだ」


「話の規模が大き過ぎて、よく分からないや」


 苦笑いを浮かべる僕。それを見て、『やはりそうか』みたいに笑う魔王。

 僕の隣にいる魔法使いはというと、毒気のない魔王の笑みを見るや否や、表情を強張らせてしまった。


「分からない事があったら、遠慮なく質問するといい。わたしが答えられる範囲だったら、答えてやるぞ」


「僕達人類はこの地球(ほし)から見捨てられたって解釈で合っているかい?」


「いや、地球(ほし)は君達現人類を見捨ててなんかいない」


 噂で聞いていた通り、魔王と呼ばれる個体は僕等と意思疎通できる程の知能を保持していた。

 獣と大差ない魔物と闘ってきた僕等にとって、目の前にいる魔王は異質で異端で親しみやすい個体だった。


「わたし達魔物は君達現人類の進化を促すために作られた障害だ。君達現人類を強くて賢い個体にするために生み出された試練……と表現したら適切だろうか」


「なんとなく君の言いたい事は理解できた。つまり、平和で穏やかな生活を送っていた僕等に喝を入れるため、地球(ほし)は君達魔物という乗り越えるべき障壁を生み出したのか」


「ああ、大体その解釈で合っている」


 かつて何処かの貴族が使っていた大広間に緊迫感に似た何かが漂い始める。

 多分、魔王は覚悟を決めたのだろう。  

 獅子に自らの首を差し出すような兎の目。

 そんな目をしながら、魔王は背筋をピンと張り詰める。

 その姿を見て、僕も魔法使いも勘付いてしまった。

 彼が僕等の糧になろうとしている事を。 


「共存はできないのか」


「不可能だ。本能が君達との共存を許さない。わたし達魔物は君達現人類を滅ぼさなくちゃいけない運命(さだめ)なのだ。理性で止められるものじゃない。そう見えないだろうが、わたしも君達を殺したい衝動を限界ギリギリまで抑え込んでいる」


 そう言って、赤い鱗に覆われた魔物は笑みを浮かべる。  

 彼の笑みには諦観と自虐が入り混じっていた。  その笑みを見て、僕と魔法使いは口をへの字に曲げてしまう。  

 そんな僕等の態度を見て、何か思ったのだろう。

 魔王は『君達は優しいな』という一言を呟いた。


「同情する事はない。わたし達は君達を殲滅するために生み出された兵器だ。わたしはこの運命(さだめ)を受け入れているし、他の魔物も自らの運命(さだめ)に思い悩んでなんかいない。わたし達は君達現人類に救ってもらいたいなんて思っていない」


「なら、何で僕等と対話した? 同情して欲しくないんだったら、僕等と言葉を交わす必要なんてなかった筈だ」


「知って欲しいからだよ」


 魔王の笑みを見た途端、もう声も顔も忘れてしまった友人の顔を思い出す。

 何故か知らないけど、僕はかつて友人だった少年の面影を魔王に見出してしまった。


「わたし達はこれから殺し合う。君達は強くて賢い生命体だ。わたしは君達に殺されてしまうかもしれない」


「弱気だな。君は今まで君を討伐しに来た人達を沢山返り討ちにしてきたんだろう? 今まで君と闘ってきた人達と僕達に差なんてあるのか?」


「君達は持っている。わたしの話を聞く余裕を。今までわたしを殺しに来た有象無象と格が違う。あと、君はわたしよりも臆病者だ。きっと勝つ手段があるから、わたしの下にやって来たんだろう」


 この僅かな時間で僕の本質を見抜いたようだ。

 僕よりも知的で穏やかで臆病な魔王を見て、僕の背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 魔法使いも魔王の力量を把握したのか、表情を強張らせた。


「今日がわたしの命日かもしれない。そう思ったら、心残りができてしまってな。何か残したくなったのだ」


「何を残したくなったんだい?」


「痕跡だよ」


 目の前にいる魔王と声も顔も忘れてしまった友人の顔が重なる。


「わたしがここにいた痕跡を残したい。数多の魔物を率いる残酷非道な化物としての『わたし』ではない。たまたま産まれた時から高い知能を持った魔物としての『わたし』を、たまたま高い知能を有していた所為で偶然魔物達の長になった『わたし』を、地球(ほし)に埋め込まれた本能と現人類の殺意に挟まれて苦しんでいる『わたし』の姿を、後世に残したくなったのだ」


 己の願望を赤裸々に語る魔王を見て、僕も魔法使いも理解してしまう。魔王の真意を。多分、魔王は僕等に──


「と、言っても、ただでやられるつもりはない」

 

 目を見開く僕等の姿を見るや否や、魔王の背後に氷でできた獅子が現れる。

 高密度の魔力でできた獅子を見て、僕も魔法使いも反射的に身構えてしまった。


地球(ほし)から与えられた本能(やくめ)に背く程、わたしは理性的な生き物じゃない。君達に殺されてもいいと思っているが、同時に君達を殺したいとも思っている」


 本能と理性によって擦り切れそうな自我を抱えながら、魔王は矛盾した想いを口にする。

 僕なんかに本音をぶつける魔王を見て、またもや僕は声も顔も忘れてしまった友人を思い出してしまった。


「だが、今殺し合ったら、悔いが生じてしまう。闘うのは最期の最後にしよう。今はわたしの話を聞いてくれないか?」


「いいよ」 


 即答する。  

 自分の要求を受け入れてくれた魔王は、深々と頭を下げると、床に尻を着け、語る態勢を整えた。


「最後まで聞くよ。だから、君の話を聞かせて欲しい」


「本当にいいのか? 今日、君はわたしに殺されてしまうかもしれないんだぞ」


「問題ない、勝つのは僕達だ」


 魔法使いに視線を送る。今の今まで沈黙を貫いていた魔法使いは、力強い光を瞳に宿すと、ゆっくり頷いた。


「気に入った、わたしの話を語るついでだ。君達の話も聞かせてくれ」


「ああ、勿論」 


 僕も魔法使いも腰を下ろす。そして、話し合う態勢を整えると、身体の正面を魔王の方に向けた。



 勇者になる。

 口癖のように毎日抱負を語っていた友人(かれ)は死んでしまった。

 今、彼だった墨は焼け焦げた家の残骸に押し潰されている。


「……僕の代わりに一歩踏み出すんじゃなかったのかよ」


 三年間、僕に『勇者になる』と言い続けた彼だっま死骸を見下ろす。  

 どっかのバカがやらかした放火の所為で、彼は勇者になる事なく、息を引き取ってしまった。


「魔王を倒すんだろう? 千年語り継がれる伝説を作るんだろう? なのに、何でこんな所で死んでいるんだよ」


 火事現場から目を逸らす。

 衛兵に連れて行かれる放火魔の姿が目に入った。

 人間だ。

 魔王でも魔物でもない。

 ただの人間だ。

 友人を殺した男を睨みつける。

 いや、正確に言えば、ヤツが殺したのは友人だけじゃない。

 友人の父も、友人の母も、友人が住んでいた共同住宅の住人も、一人残らず、あの男に焼き殺されてしまった。

 生まれて初めて同じ人間に殺意を抱いてしまう。

 ヘラヘラ笑いながら、衛兵に連れて行かれる放火魔に殺意を向ける。

 濁った目をした男は、僕の殺意に気づく事なく、ヘラヘラしたまま、監獄に向かって歩き始めた。

 絞首台に向けて歩き始めた男の背を睨みながら、僕は拳を握り締める。


「……何であんなのに殺されているんだよ。何であんなのに焼き殺されているんだよ。あんな男が放った火如きでやられてしまう程、君の身体はひ弱だったのか? 違うだろう」


 彼だった墨を見つめる。

 彼が愛用していた木剣と同じように、鍛え上げた彼の身体は燃え滓になってしまっていた。

 その姿を見て、毎日努力し続ける彼の姿を思い出して、向日葵のように笑う彼を思い出して、つい歯を食い縛ってしまう。


「伝説を作るんだろ? 勇者になるんだろう? 君はまだ何も成し遂げていない。なのに、何で……どうして」


 言葉がまとまらない。

 今の感情に適した言葉を選んでいる内に、湧き水のように湧き上がった感情が、僕の中で暴れ狂う。

 何を言えばいいのか分からなかった。

 何を言いいたいのか分からなかった。 


「君が勇者にならなかったら、一体誰が勇者になるんだよ」


 友人だった墨に尋ねる。案の定、友人だったものは僕の疑問に答えてくれなかった。



 僕と魔法使いは、魔王の話を聞いた。

 かつて何処かの貴族が使っていたお城。

 今は魔王が占拠している古城の大広間。

 そこで僕達は聞いた。

 魔王は自らの生い立ちを。

 僕と魔法使いは魔王の話を聞き続けた。

 そして、彼の生い立ちを聞き終えた後、僕等は自らの生い立ちを語った。

 携帯していた食糧を魔王と一緒に食べながら、魔王と共に魔王城を周りながら、僕と魔法使いと魔王は言葉を交える。  

 こんな長時間話した事がなかったんだろう。

 魔王は嬉しそうに僕等と会話し続けた。


「さて、殺し合うか」 


 語って、語って、語り続けて。

 ある程度、語り終わった後、僕と魔法使い、そして、魔王は大広間で再び向かい合う。 


「……闘う前に一つ教えて下さい」


 僕の隣にいる魔法使いが声を上げる。

 戸惑いと怒りが彼女の声に含まれていた。  

 僕と魔王は口を閉じると、彼女の言葉に耳を傾ける。

 彼女の口から出たのは、僕が敢えて尋ねなかった言葉だった。


「私の家族は魔物に殺されました」


 殺意を少しばかり含ませながら、魔法使いは言葉を紡ぐ。

 魔王は少しだけ目を細めると、殺意を少しだけ飛ばす魔法使いに身体の正面を見せつけた。


「……貴方は人間を殺した事に罪悪感を抱いていないんですか?」 


「言った筈だ。『共存は不可能だ』、と」 


 魔王は疑問に答えると、事実を僕達に突きつける。


「幾ら詰られようが、わたしは君達現人類に謝罪の言葉を告げたりしない。いや、謝罪の言葉を口にする必要性を感じられない。それが、わたし達魔物の総意だ」


 魔王の身体から敵意と殺意が放たれる。

 それを感じ取った魔法使いは目を細めると、目の前にいる魔王(てき)を睨み始めた。


「なあ、勇者。殺し合う前に一つ約束を交わしてもいいか?」


「魔王、僕は勇者だ」


 鞘から剣を引き抜き、僕は頬の筋肉を緩める。

 そして、剣の鋒を魔王の方に向けながら、僕は思った事をそのまま口にした。


「僕は勇者になる。魔王を倒した勇者として、永遠に語り継がれる存在になってみせる。だから、安心するといい。君が此処にいた痕跡は決してなくならない。君は僕の糧として永遠に残り続ける」


「そうか。なら、約束する必要はなさそうだな」


 魔王の背後に紅の氷像が現れる。高密度の魔力で編まれた氷像は、瞬く間に猛獣の形に成り果てると、凄まじい熱を放ち始めた。


「わたしは君達を殺す。いや、君達だけじゃない。近い将来、わたしは君達現人類を滅ぼす。勇者よ、永遠に語り継がれる存在になりたければ、……わたしを糧にしたければ、わたしという壁を乗り越えるといい」


 僕等を殺したい本能。

 そして、死んだ後も誰かの中に残りたい理性(おもい)

 それらを抱えながら、魔王は僕等に殺意を向ける。

 僕は隣にいる魔法使いに視線を送ると、いつも通り、誰よりも速く一歩前に踏み出した。

 


 魔王城の天井を突き破る。  

 天を突き刺すかのように聳え立つ尖った屋根の上に着地した僕は、宙に浮く魔王を睨みつける。 

 

「現人類に殺されないよう、わたしは生き残るための術を模索し続けた」 


 声も顔も忘れてしまった友人の面影を、魔王に見出す。

 千年語り継がれる勇者になるため、毎日特訓していた友人の後姿を思い出す。

 頭の中にいる友人は色褪せており、友人と過ごした思い出は所々穴が空いていた。


「わたしの全てをぶつける。だから、君も全てをぶつけるといい」


「言われなくても」


 魔王よりも遥か上空に浮上していた魔法使いが、純白に染まった光球を連射し始める。

 魔王は氷の盾を生み出すと、盾の裏に隠れてしまった。

 無数の光球が氷の盾に突き刺さる。

 その様子を眺めながら、僕は炎を纏った剣を構え直した。


(もう勇者になると言っていた友人(きみ)の顔は思い出せない)


 たった十年。

 されど十年。  

 僕にとって十年という月日は長かったらしい。

 先ず声を忘れてしまった。

 次に顔を忘れてしまった。

 僕にとって、友人(かれ)と過ごした日々は大切なものだった。

 友人が亡くなったあの日、僕は友人の事を絶対に忘れないと誓った。

 けれど、忘れてしまった。

 僕が忘れっぽいだけなのか、それとも人間という生き物が忘れっぽいだけなのか、或いは彼と過ごした日々よりも大切な思い出ができてしまった所為なのか。

 何が原因で忘れてしまったのか、今の僕には分からないし、これからの僕にも分からないだろう。

 これから沢山の事を忘れてしまうだろう。

 彼と行った特訓の日々も、彼が朝から晩まで木刀を振り回していた事も、彼が浮かべる向日葵みたいな笑みも、ちょっとずつ風化してしまうだろう。

 伝説にするにしては地味過ぎてありふれた日々は、年月の経過と共に消えてなくなってしまうだろう。


(僕が千年語り継がれる存在になったとしても、僕の存在は二千年後先まで残らないかもしれない。幾ら凄い伝説を作ったとしても、永遠に残らないかもしれない)


 剣の柄を握り締める。

 すると、氷の盾から氷の飛礫が噴き出した。 

 僕は屋根を蹴り上げると、宙にいる魔王との距離を縮め始める。

 僕の前進を喜んでいるのか、魔王は不敵な笑みを浮かべていた。


(だから、僕は勇者になる。勇者になる事で、みんなの記憶に残ってみせる。僕みたいな勇者になりたいと思う人達を作ってみせる。そして、勇者という言葉を未来の果てまで届けてみせる)


 僕が作った伝説もいつか風化してしまうかもしれない。  

 でも、誰かが僕みたいな勇者になりたいって思ってくれたら。

 なりたいって思ってくれた誰かが、勇者になってくれたら。

 勇者という言葉だけは永遠に残り続けるかもしれない。

 勇者になりたいって思う人達が次々に出てくれたら、勇者という単語だけは未来の果てまで残り続けるかもしれない。

 かつて勇者になると言った友人の言葉を思い出す。

 かつて勇者になると言った友人に憧れた事を思い出す。  

 きっと僕が勇者になる事ができたら。  

 憧れの存在になる事ができたら。

 きっと勇者になりたいって思う人と巡り会えるだろう。

 負けられない。

 真の勇者になるまで、負けられない。

 勇者に憧れる人が現れるその日まで、僕は絶対に負けられない。

 誰よりも速く一歩前に踏み出す。

 僕の後に誰かが続いてくれる事を信じて、僕は今日も誰よりも速く一歩前に踏み出す。


「──いくぞ、魔王」


 炎を纏った剣を天に掲げる。

 僕の殺意を受け取った魔王は、満足そうに笑みを浮かべると、『来い』の二文字を吐き出した。


    























⬜︎

 弟を置いて、母さんは買い物に行ってしまった。

 小学校から帰ってきたばかりの俺は、幼稚園に入ったばかりの弟と一緒にブラウン管テレビを見続ける。

 子ども部屋は散らかっていた。

 弟が散らかした玩具の所為で、子ども部屋は足の踏み場がないくらい散らかっていた。

 寝転んだ体勢で、スナック菓子を頬張りながら、弟の方を見る。

 弟はキッズアニメを黙々と見続けていた。

 テレビの方に視線を映す。初めて見るアニメだ。

 勇者を名乗る少年がコミカルなモンスター達と闘っている。  

 つまらない所為なのか、或いは幼稚過ぎる所為なのか、ブラウン管テレビに映る映像は頭の中に全く入ってこなかった。


「ねえねえ、兄ちゃん。勇者、かっこよくない?」 

 赤い鱗に覆われたトカゲのぬいぐるみを抱きしめながら、弟はブラウン管テレビを指差す。  

 勇者を名乗るアニメキャラクターに憧れたのだろう。  

 弟の目は星のようにキラキラしていた。


「ねえ、僕も勇者になれるかな」 


「んー、なれるんじゃね?」


「僕も勇者みたいに魔法を使えるようになるかな?」 


「千年以上前の人は魔法使えたみたいだから、頑張ったら魔法使えるようになるんじゃね?」


 熱心にアニメを見続ける弟を横目で見ながら、スナック菓子を齧り続ける。  

 すると、玄関から扉の閉まる音が聞こえてきた。

 母さんだ。  

 そう思った俺は、明日給食がない事を母に教えるため、玄関に向かい始める。

 足の踏み場がない程に散らかった子ども部屋から出ようとする。

 何故か知らないけど、俺はブラウン管テレビの方に視線を向けてしまった。

 ブラウン管テレビを見続ける弟の背後を一瞥する。

 一瞬ほんの一瞬だけ、ブラウン管テレビが見知らぬ男の人になってしまった。  

 弟に背中を見せつける男の人を見て、俺は思わず目を見開いてしまう。

 両目を擦る。  

 再び男の人の背後姿を見ようとする。  

 子供部屋にいた筈の男の人は、何処にも見当たらなかった。

 周囲を見渡す。  

 散らかった子ども部屋でアニメを見続ける弟の姿しか見当たらなかった。

 何でブラウン管が男の人のように見えたんだろう。

 そんな事を考えていると、玄関から僕の名を呼ぶ母の声が聞こえてきた。


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