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新歌舞伎町に消された伝説

 ストリッパーを募るためのクラウドファンディング――こんな公序良俗に反するようなプロジェクトなど、『管理社会』の時代であれば許されなかったことだろう。しかし、いまは『自己責任社会』である。法に違反しない限り、原則として止められるようなことはない。

 それでも、夜野オーナーは案の定止めた。

『せめて、“あの劇場”が潰れた理由くらいは先に調べておいた方が……』――夜野はそんな感じでカリンに泣きついていたらしい。ということは、おそらくリリザからとっくに何らかの“折檻”を受けたのだろう。それで――キミから止めてくれ、と頼みたかったようだ。しかし、カリンを含め、止まろうとする踊り娘は誰ひとりいない。あまりの四面楚歌っぷりに、夜野は一時期夜逃げを考えていたような様子さえあったらしい。

 だが――『よーし、私も腹を括ると決めたよ!』と急に方針を転換させたのは、初動があまりに好調だったからだと思われる。少なくとも、目標達成が確実視されるくらいには。建物内にポスターを貼ったり、SNSに広告を打ったりと精力的に動いているらしい。どうやら、『クラウドファンディングの専門家』にも依頼を出したりしているようだ。ストリップ・ライブの時点でここまでやってくれたら、こんな事態にはならなかったかもしれない――そう考えると、ある意味怪我の功名か。

 少し前まで、脱衣パートのときくらいしか姿を現さなかった夜野が、最近は連日姿を見せている。デスクでモニタに向かう姿も真剣で――どうやら、踊り娘の裸を鑑賞している余裕もないらしい。

 そして、宣伝も兼ねて、ストリップ・ライブも再開された。まずは、延期となっていたカリンとピーチ、それと――あやのの出番である。テーマは『雨』――あの三人にしてはシックな題材を選んだものだ――と紅葉は思っていたが、蓋を開けてみれば、シックとは程遠い。傘を小道具にダンスをキメているが、その衣装は――雨合羽。しかも、中には何も着ていないようで、ぼんやりと肌色が透けている。これは――シースルーの変態版――? 正直なところ、これもまた紅葉には理解できない領域である。が、自分に理解できないのはいつものことだし、観客は沸いていたので、方向性としては間違ってはいなかったのだろう、と自分を納得させていた。

 それより、紅葉にはより大きな問題が差し迫っている。ストリッパー・グループのクラファン宣伝のためにステージに上がるのであれば、いよいよ脱がないわけにはいかない。その出番が近づいてくることで――紅葉は自分の懸念をはっきりと自覚する。自分が披露するのは、ダンスなのか、それともただの裸体なのか――いっそ、自分が男であれば、そのような目で見られなかったのに――しかし、女でなければ、このような機会すら得られなかっただろう。すべては“たられば”――結局は、配られたカードで勝負するしかない、ということか。

 こんなとき――紅葉はつい、カリンと言葉を交わしたくなる。自分にない視点で、何か活路を示してくれないかと。ステージを終えたばかりで、いまはまだ着替えているところだろう。その間に軽く――そう思っていたのだが、先客がいた。夜野である。カリンと何かひと言ふた言話して――そして、控室から出ていった。

 多少真面目になったからといって、紅葉はやはりあの男には近づきたくない。それで、姿が見えなくなって、一呼吸おいてからカリンに話しかけた。

「最近、よく話してるようですけど」

 夜野がカリンに声をかけているところを見たのは、今日に限ったことではない。だが、親睦を深めているというわけでもなさそうだ。

「えーとね……『例の件』、わかった? って」

「例の件?」

「ほら……取り潰しの理由……」

「ああ」

 やる気を出してくれたのは喜ばしいが、やはりまだ見えない影に怯えているらしい。

 とはいえ。

「それは私も気になりますね」

 紅葉としても、それはさすがに無視できない。にも関わらず、カリンに任せきりにしているのは申し訳ないが。

「うーん……なんか、おかしいんだよねぇ……」

 カリンは顎に指を当て、上目遣いに悩んで見せる。

「それっぽいお店とか、ご近所様とか、色々当たってみてるんだけど……」

 どうやら、直に聞き込みまでしてくれているようだ。それなのに、何ひとつわからないと言う。これには――紅葉もにわかに信じがたい。

「ここまで知られてないことって、あります?」

 それも、この情報社会の真っ只中で。

「おそらく、よっぽどヤバイ話なんだろうね」

 そんな陰謀論じみたものはネット上での噂くらいだと思っていたが――本当にヤバイことは、ネット上の噂にさえならないらしい。

「たぶんだけど……」

 とカリンは前置きしたうえで。

「その劇場に何か起きたとき、誰もがあえて見ないように距離を置いたんだと思う」

「飛び火を恐れて?」

「うん」

 さらには、ネット上の情報も徹底的に削除して――そもそも、そんなことができる時点で、相当ヤバイ話なのだと察せられる。もはや、紅葉は『ヤバイ』ということしかわからないが。

「……大丈夫……ですかね……?」

 さすがの紅葉も少し不安になってきた。しかし、カリンはからりと答える。

「少なくとも、ヤバイ人がここを出入りしている雰囲気はないよ」

 ヤバイ人――例えば、貸金業者の女社長のような。

 現在、クラウドファンディングは、第一目標、第二目標金額を達成し、総額はなんと一千万に迫っている――さすがにこれには闇の組織が動いてもおかしくないな、と冗談半分に――だが、もう半分は本気で覚悟していた。

 ここまで急速に寄付が集まったことには理由がある。最低額一万円の中、 五万、一〇万、中にはそれ以上の金額を惜しげもなく突っ込んでくれる支援者が多数いたからだ。これは間違いなく、かつてのファン――たしかにこの街で、ストリップ劇場が栄えていた証拠だ。彼らは金だけは出すが、それ以上は何も語らない。ファンたちの間でも過去の『伝説』に言及してはならない、と暗黙の了解が浸透しているのだろう。ゆえに彼らは、無言で待ち続ける。彼らの愛した踊り娘と再び相まみえる時を。


 そして、その日――控室にはすべての踊り娘たちが集まっていた。

「おーおー……こんだけ出してくれれば、ボクの研究室も助かるんだけどねぇ」

 その中には、珍しいことにハロクドも。誰もが、刻一刻と増え続けていく金額を、スマホの画面で追いかけていた。

 状況はまさにラストスパート――きっと、全国の関係者たちが、間近に訪れるその瞬間を固唾を呑んで見守っていることだろう。

 リアルタイムにカウントアップされていく支援額――それは九九〇万円を超えて――


「最終目標達成ーーーーーっ!!」


 カリンが宣言すると、誰もが続いて歓声を挙げた。その金額はあまりに巨大すぎて、プロジェクトに成功したいまでも紅葉にはまだ実感がわかない。しかし――これだけあれば、当面の運営資金どころか、他所のイベント会場での開催、さらには、新たなメンバーの募集さえできるだろう。もっと広いステージで、連日――それこそ、休みも取れないくらいに――想像しただけで、紅葉はじっとしていられなくなってくる。

 仲間たちも、その反応は人それぞれだ。

「いやぁ……むしろ、これからが大変そうだなぁ」

 喜びというより、安堵の表情の夜野。

「ですが、これで王子様もお喜びになられるでしょう」

 静かに微笑むリリザ。というか、王子様って誰? という疑問はこの際置いておく。

「クラファン大成功ーっ」

「カリリン、やったねー!」

「お疲れー! 今日は飲もうよ!」

 カリンとピーチと新月は交互にパンッ、パンッとハイタッチを交し合っている。それより、『カリリン』って……。ピーチから発せられた聞き慣れない愛称に――紅葉はちょっとだけ嫉妬していた。

 文字通り『全裸待機』していたスピィは、目標達成と共に服を着こみ始めている。成すべきことを成したら速やかに着衣するのが全裸待機の流儀なのかもしれない。知らないけど。

 あやのは泣きそうになりながらスマホを握りしめている。少し端末が歪んでいるようで、壊れないか心配だ。

「まだまだ面白いものを見せてもらえそうだねぇ」

 ハロクドは楽しそうな笑みを浮かべている。

 そんな中、美春だけは静かに――部屋の隅に立っていた。そして、成り行きを見届けたところで、そのまま出ていく。用は済んだ、と言いたげに。夜野とリリザもそれに続く。早速動き出しているようだ。

 パイプ椅子に座っていたハロクドは立ち上がり、うーん、と腰を伸ばすと、背もたれに掛けていた白衣を羽織る。どうやら彼女も“地下”とやらに戻るのだろう。

「ねーねー、楓さんっ、せっかくだからこれから打ち上げやらないっ?」

 新月が楽しげに声をかけてくる。

 しかし。

「やるならあとで合流します」

「楓さん、どうしたの?」

 カリンの問いに、紅葉は――

「ちょっと、寄るところがありまして」

 短く告げて――彼女もまた、控室を後にした。


 新歌舞伎町の街並みは、昼の陽光に照らされながらも、どこかくすんで重い。飲み屋の看板は無造作に垂れ下がり、まだ開店前の店が軒を連ねている。通りにはこんな時間から所在なさげに座り込む男たちの姿。明るい光の中でさえ、この街は不穏な空気を漂わせている。ライブハウスの存続も決まり、ストリッパー・グループとしてスタートを切ろうとしているのに、紅葉の表情は暗い。気の所為であってくれればいい。だが、しかし、この胸騒ぎを無視することができなかった。

 紅葉が立つのは――銀行の前。二〇分ほど待ったところで――見覚えのある顔が出てくる。大事そうにボストンバッグを抱え、周囲をキョロキョロと窺いながら。

 そんな不審者に向かって、紅葉は一直線に歩み寄る。ふたりは目が合い――それでも、逃げ出すことはなかった。

 ゆえに、紅葉は――自分の予感を確認する。

「……オーナー、そのバッグの中身は?」

 夜野はニコニコと愛想よく、紅葉と向き合う。だが、彼女の他に誰もいないことを確認すると――肩の力を抜いて、安堵の息を漏らした。

「そりゃあ、銀行から出てきたのだから、下ろしたばかりの現金に決まっているだろう」

 夜野はボストンバッグを軽く揺らしてみせる。だが、その目線はどこか冷静さを欠いていた。

「で、それはどちらへ?」

 紅葉の声に、夜野は一瞬だけ言葉を詰まらせる。

「もちろん、店にしまっておくんだよ。この街は何かと物騒だからね」

「そうですか。では、一緒に帰りましょう」

 紅葉の言葉に、夜野は瞳の鋭さをごまかすように目を細める。

「いや、まだ寄るところがあるんだ。先に戻っててくれるかい?」

 踵を返そうとする夜野の制するように、紅葉は鋭く問いかける。

「寄るって、どちらの“貸金業”ですか?」

 その言葉に、夜野の足がピタリと止まる。

「……ずっと疑っていたのか?」

「いえ。ただ……予感がしただけです」

 それを確信したのは、本当につい先ほどのこと。それはまさに、目標金額に達した瞬間。何故なら――紅葉は社交辞令に敏感だ。『これからが大変』――それは、みんなで頑張ろう、という口ぶり。しかし――紅葉を、みんなを、目の前の相手すべてを切り捨てるような距離感――まさに、思わせぶりに面接を締めて、不採用を送りつける面接官そのものだった。

 ゆえに――動きがあるならここしかない。それで、紅葉は張っていた。登録していた銀行の前で。それにしても、ここまで迅速に、ここまで露骨に動くとは思わなかった。いや、これまで憚ることなく女性の身体に視線を這わせてきたこの男だからこそ――とも思える。

 ゆえに、ここでも行動が早い。

「っ――!」

 突然、紅葉の視界が暗転する。ボストンバッグの一撃が顔面に炸裂し、そのまま地面に撥ね飛ばされた。一瞬、周囲がざわつきかける。が、ここは日本国内でも治安の悪さで有名な繁華街だ。危うきに近づくべきではない――誰もが視線を逸らし、歩調を速める。それが、この街で平穏に暮らしている者たちにとっての暗黙のルールだった。

 しかし――膝を抱えて泣いてたって何も変わらない――! 頭を少しふらつかせながら、紅葉は顔を上げる。夜野は細い路地に駆け込んでいくようだ。全身の痛みを堪えて、紅葉はすぐさま後を追う。

 しかし――

「……なっ……」

 オーナーは通りの向こう側に抜けることなく、途中で足を止めていた。そして、紅葉もまたその背中を見つめて立ち尽くす。何故なら、その先でオーナーの行く手を塞いでいたのは――

「おかしいと思ったよ。“あの”楓さんが、あのタイミングで練習より他のことを優先させるなんて」

 それで、カリンは紅葉にバレないようにこっそりみんなに声をかけて後を追い――目的地が銀行だとわかったので、その付近を囲むように散開していたのである。

 決して、楽しいことが待っているとは思っていなかった。しかし、実際に目の当たりにするとショックを隠しきれない。

「夜野さん……臆病なところはあったけど、お店のことは考えてくれてるって信じてたのに……」

 臆病者さえ狂わせるほどの大金だった、ということだろう。カリンは細道の出口中央を陣取っているが、その隣には新月とスピィ、それにハロクド――そして、紅葉の背後にはあやの、美春、ピーチ、そして――

「……あのライブハウスは私が守り抜くと王子様と約束した。それに仇成す者には……容赦しない」

 リリザの様相は――瞳孔が開き、殺気を帯びて――完全に“キレている”。ふたりきりの控室では恐れおののいたものだが、今度ばかりは心強い。

 多勢に無勢――だが、夜野は観念することなく――事前に用意していたのだろう。バッグのポケットからギラリと光る刃物を取り出した。物騒なギザギザがついており――サバイバルナイフ、というやつかもしれない――紅葉はそのような知識に詳しくないが、間違いなく危険だということだけは肌で感じた。

 それでも、怯むわけにはいかない。

「女子といえど、この数です。ナイフひとつで全員を相手できますか?」

 そんな装備では意味がない――紅葉はそう宣告するも――

「できるさ」

 唇に禍々しい笑みを浮かべると、オーナーは覚悟を込めて言い切る。

「なるほど。同時にかかってくれば、私はひとたまりもないだろうな。せいぜい……“ひとりを斬り殺す”のが精一杯だ」

 そのひと言に、場の空気が凍りつく。紅葉の顔から血の気が引いた。

「……正気なの? オーナー」

「正気も失うさ! 一千万のためなら神だって殺してやるよ……!」

 たしかに、紅葉にもオーナーの勝ち筋が見えた。自分たちのうちの誰かが刺され、恐怖に混乱している間に逃走していく男の姿が。理屈のうえでは、この人数で逃げ道を塞げば男ひとり捕らえられないはずがない。だが――血まみれになった仲間を目の当たりにして冷静でいられる自信は――いや、それ以前に――

 迷いと恐怖で足を竦ませる紅葉のすぐ傍を、“彼女”は軽やかな歩調で通り過ぎていく。

「リリザさん、やめてください! もしあの男が本気だったら……!」

 全員で一斉に飛びかかったとして――夜野が狙いを定めたひとりは確実に刺される。そのひとりを担う勇気のある人なんて――

「少なくとも、私は本気」

 リリザの言葉に迷いはない。ずしりと感じる重みに――紅葉は理解した。自分が刺されている間に、他の全員でこの男をどうにかしろ――けれどそんなことが、自分にできるのか――? いや、リリザが刺されることだって紅葉には許容できない。

「リリザさん――」

 彼女が前に進む一歩ごとに、紅葉の心臓は締め付けられるように痛む。声を出そうとしても、喉が張り付いて言葉が出ない。命より重いものなんてない、と思っていた。しかし、リリザにとって、あのライブハウスは――だから、彼女を止めることなんて、誰にも――


「えー……リリザさま……と、ここではお呼びすればよろしいでしょうか?」


 まるでティーカップでも差し出すかのような、場違いなほど穏やかな声が響く。振り返ると、そこには――一瞬、子供と見紛う小柄な女性――ただ、スーツが様になっており、どこかの会社員であることは紅葉にもわかった。一方、カリンは少し膝が震えている。何故、あの貸金業の女社長がここにいるのかわからないけれど――何か、とんでもないことになりそうだと予感していた。

「このような立ち合いはあなたさまには手が余りますでしょう? こちらはわたくしの管轄、ということで」

 そのひと言で、リリザも足を止める。そして、すんなりと踵を返した。

「なら、任せる。私はあの男がどうなろうと、興味はない」

 それに合わせて女社長もしっかりした歩調で、夜野に向けて近づいていく。そして――リリザとすれ違いながら、伏し目がちに。

「あまり無茶をされると、プロデューサーさまが心配されますよ?」

「余計なお世話」

 小声で意思疎通を交わしたところで――夜野も得物を構える。それ以上近づけばひと突きにする――そう警告しているようだ。

 もし、この人が刺されたなら、せめて自分が取り押さえなくては――紅葉もまた、スーツの女性に続こうとする。

 しかし。

「いえ、あなたさまはそちらで――」

「――――ッ!?」

 背後の紅葉を制しようとした隙を夜野は見逃さない。飛びかかるような勢いで距離を詰め、手にした凶器を振りかざす。圧倒的な暴力を目の当たりにして、紅葉の叫びは声にならない。ただ、全身を縛り付けるような恐怖だけが彼女を支配していた。

 しかし、その刹那――

「あ、あ……が……ッ!?」

 カラン、と乾いた音を立てて、夜野のナイフが地に落ちる。その右腕だけが、空しく掲げられていた。男の懐には――小さな女性の右手が、夜野の腹部――鳩尾にめり込んでいる。その一撃は、やすやすと呼吸そのものを奪ってしまったらしい。

 さらには――ふわり――女性の身体が軽やかに宙を舞うと――落下の勢いを乗せた踵がオーナーの頭頂部に――!

 踏み潰されるように地面に突っ伏した夜野に向けて、彼女はつまらなそうに吐き捨てる。

「……現行犯、ですわね」

 この段になって、ようやく警察が駆けつけてくれた――と、紅葉は安堵の息をつきかけた――が、違和感に気づいて逆に息を呑む。この人たち、警察――じゃない――!? 全員が真っ黒なスーツにサングラスをかけており――絵に描いたような『裏社会の人間』である。そんな男たちがゾロゾロと――夜野を担ぎ起こし、腕をねじり上げると、無言でその場から連れ去っていった。彼がどこへ運ばれるのか、紅葉には想像もできない。ただ、警察よりも――きっと、もっと恐ろしい場所だろう。

 湿った路地には、夜野のボストンバッグだけが取り残された。ビルの隙間から射す光がぼんやりと反射し、どこか不気味な静寂が広がっている。そこにはクラウドファンディングで集められた現金が入っているはずだ。

 静けさが戻った路地にて――カリンが駆け寄ってくる。

「ど、どうしてあなたが……?」

「知り合い?」

 こんなとんでもない女性とどんな関係が――? カリンの人脈の広さには、紅葉はいつも驚かされる。

 しかし、彼女がそれ以上名乗ることもない。

「わたくしたちも、興味があるのですよ。あなたさまたちの『ストリップ・アイドル・ユニット再興』が、どこへ辿り着くのか……」

 その言葉に、紅葉の胸に冷たい予感がよぎる。もしかしてこの人、『取り潰しの理由』を知ってるんじゃ――訊きたい。けれど、その瞳には一切の質問を許さない拒絶の意思が宿っていた。

 そして、女社長は一方的に語り掛ける。まるで、これからの手順を説明するような業務的な口調で。

「……さて、そちらの現金ですが」

 それはもちろん、ボストンバックの中身を差す。

「早めに“処分”しておくことをお勧めいたしますわ。我々も、長くは“押さえて”おけませんので」

 言葉の意味は曖昧だが、少なくとも、彼女たちはこの金に手を出すつもりはないらしい。加えて――その“猶予”がいつまでかは明言されなかった。

 紅葉はギュッと唇を噛み、バッグの取っ手を握りしめる。これが、未来をつなぐ唯一の希望であることを――いま、誰よりも強く理解していた。


 現金の入ったボストンバッグをしっかりと抱え、紅葉たちはライブハウス・ノクターンへと帰還する。興奮冷めやらぬ中で、バッグに詰まった札束の重みに、誰もが改めて現実を直視させられていた。この重さをどう扱ったものか――話し合うため、メンバーたちは一先ずフロアに集まっている。

 こんなとき、最も状況に詳しいのはカリンではなかろうか――皆が黙って彼女に視線を向ける。

「えーとね、さっきの“お姉さん”は、貸金会社の偉い人で……」

 そう口にしながら、カリンはどこか視線が泳いでいる。その様子から、相当シャレにならない相手だということはよくわかった。というより、あの現場を目の当たりにすれば、本来関わってはならない人物であることは明らかである。

「カリンが融資の相談に行って……今回のプロジェクトも、あの人から勧められたもので……」

「ということは……もしかして私たち……監視されてました?」

 我々はその恐ろしい金融会社の手の平で踊らされていたのか? と紅葉は怖くなってくる。とはいえ、そこまでではないのでは――というのが、カリンの推測だった。

「んー……四六時中……ってこともないと思うけど……プロジェクトページは普通に公開されてたし」

 サイトのほうでチェックしていて、目標達成を迎える今日、何かが起こるかもしれない、と警戒網を敷いていたのだろうか。

 だから、あの黒服たちは敵ではない、という前提で、カリンは話を進める。

「それでね、このお金は、クラウドファンディングで『ノクターン』の法人アカウントを使って集めたものだから……」

 本来はオーナーである夜野の責任で動かすものなのだろう。しかし、当の本人は黒服に連れていかれてしまった。比喩ではなく、現実として。

「でも、こうして現金になってるじゃん?」

 なら何の問題もないんじゃ? と新月が口を挟む。仮に口座が凍結されたとしても、その前に全額下ろすことはできた。

 とはいえ。

「ただ、法人の代表は、夜野オーナーに変わりないわけで……」

 カリンが難しい顔をすると、リリザが――

「あの男が死ぬと、色々厄介」

 彼女の“キレ顔”には多少慣れてきたが、やはりまだ怖い。オーナーのことはまだ許していないのか、いまだ怒りが収まらないようだ。

「死……って……っ!?」

 あの状況を目の当たりにしたからこそ、それが誇張でないことを誰もが理解させられていた。そのうえで、リリザは当然のように口にしたのである。本当に――本当に、自分たちは恐ろしい世界に踏み込んでしまったのかもしれない。いままでは、どこか夢の続きのようでもあった。だが、血の通う現実が、いま目の前にある。

 その中でも、カリンは多少の冷静さは保っていた。震える指先を組み合わせながら、ゆっくりと深呼吸して気持ちを整える。

「と、ともかく……このお金は、長期的に運用するような性質のものじゃない……と考えたほうがいい、ってことですね?」

 リリザは短く「そう」と頷く。このライブハウスを命を懸けて守ろうとしていたリリザだけに、裏切り者であるオーナーに対してわずかな憐れみも感じられない。

 ともあれ――経営者の死亡が確認されれば、名義変更や出金、その他もろもろの手続きが発生する。少しでも不自然な動きがあれば、こちらが罪を問われかねない。もしオーナーに余罪があれば、このお金を没収されることさえ考えられる。

 つまりは、何かが表面化する前に、知らないフリをして使い切るしかない、ということだ。しかし、この金額である。その用途を即答できるものはこの場にはいない。

 と、思われたが。

「あのー……」

 ステージ袖のほうから、控えていたピーチがそっと現れた。なぜか、ステージ衣装に身を包んで。それは、柔らかなピンク色のノースリーブトップス。胸元には控えめなリボンがついており、スカートは短めながらも、腰の両側から流れるように垂れたパレオ風の布が優雅に広がりを持たせている。その布地には細かな刺繍が施されており、動くたびに光を反射して華やかさを添えていた。

「ピーチ……?」

 紅葉が訝しげに見やる。

「じ、実は……あたしの学校、いま、ちょっと存続のピンチで……」

 そういえば、学校がなくなるかも、と紅葉も以前聞いたような気もする。しかし、このタイミングで切り出してくるということは――

「お金で?」

 紅葉が聞き返す。

「うん……理事会のほうでトラブルがあって、このままだと、閉校になるかも、って……」

 沈んだ声に、場の空気がわずかにざわめく。

「それで、さっき集めたお金……出資者の合意があれば、使い道、変更できるんでしょ?」

 その言葉に、紅葉は思わず苦笑してしまった。他のメンバーたちも戸惑っている。ピーチからの要望は、手続き上は可能だとしても、現実味がない。クラウドファンディングの支援者たちは『ストリッパー・グループの復活』に夢を見て投資したのである。なぜ、赤の他人の学校のために金を使わなければならないのか――

 しかし、リリザのひと言で、場の空気は一変する。

「……やるつもり?」

 その厳かで重い声に、軽さの漂っていた空気がピタリと静まる。ピーチは真っすぐにリリザを見据え、どこか自嘲を含ませた調子で答えた。

「だって、ここまで派手にやらかしたのなら、もう旗揚げしたようなもんじゃん。だったら……もう、後戻りできなくない?」

 リリザとピーチは、しばし無言のまま見つめ合う。そして――

「王子様に代わって、許可する」

 リリザの宣言に、ピーチが嬉しそうに笑った。

「ありがと♪」

「曲は?」

「“始まりの歌”を借りようかなって」

 それは、ふたりの間だけで通じる記号だったらしい。

「……チッ」

 リリザがこんなわかりやすく舌打ちするなんて……。最近、紅葉の中で、柔和なダンスリーダーのイメージが崩れつつある。

 しかし、ピーチはむしろそんなリリザのほうにこそ親しげだ。

「まーまー、人は憎んでも歌は憎まず、ってことで♪」

 リリザが音響のほうへと向かっていったので、紅葉は――思わず後を追っていた。

「こ、これって……どういうことなんです!?」

 紅葉は尋ねるが――それを意に介さず、リリザはカメラに指差した。

「撮影」

 それは、紅葉に対する指示。もちろん、これまで個人撮影してきた紅葉だけに機材の扱いには慣れている。さすがに、あんな本格的なカメラは初めてだが――性能が異なるだけで、インターフェースに大差はないだろう。

 だが、それよりも。

「そうじゃなくて!」

 紅葉とて、リリザに背くつもりはない。ただ、何の説明もないまま――“あの”ピーチに踊らせて何になるのか。

 迷いを抱えたままではいい絵も撮れない――そう考えたのか、PAで曲を設定し終えたリリザは紅葉に告げた。

「『BEGINNING-LIVE!』……デビュー曲――」

 そして――誰もが口にできなかったその名を口にする。

「――『TRK26』の――」

「えっ?」

 聞きなれない単語に、紅葉は思わず聞き返した。だが、リリザは答えることなく言葉を進める。

「この街で生まれ、そして消えていった伝説のストリップ・アイドル・ユニット――」

「……は?」

 カリンも似たようなことを言っていたが――とはいえ、彼女のそれはただの誇張表現ではあったが――しかし、リリザの瞳に冗談めいたものはない。……まあ、いまの彼女の瞳には主に“狂気”が漲っているのだが。

「始める。位置について」

 どうやら、話はそれだけらしい。一先ずこれ以上の詮索は諦めて、紅葉はカメラを担いでステージの前に立った。照明のほうは――おそらく、音楽を流し始めた後でリリザが担当することになるのだろう。

 よくわからないが、これからステージが始まるようなので、誰もが壇上のピーチに注目している。とはいえ、みんなが知っての通り、彼女のダンスにはあまり期待が持てない。

 だが――

『始めよう、あたしたちで、みんなで作るステージ……♪』

 え……? ――ピーチの口からこぼれた第一声に、紅葉の目が見開かれる。そもそも、歌い出すとは思っていなかった。しかも、特別に上手いわけではない。振り付けも、相変わらず細かなミスは多い。けれど、それらすべてが――歌、踊り、衣装、そして彼女自身の存在感、さらにはちょっとした不完全さまで――散りばめられていたすべての小さな光たちが、ひとつの身体にまとまったとき――それは、大きな輝きとなった。

 すなわち――彼女を偶像(アイドル)へと変貌させたのである。

 座席もないライブハウスのステージに立ちながら、そこにいた全員が――紅葉も、カリンも、美春も、新月も、ハロクドさえも――彼女のパフォーマンスに見惚れていた。

『偶然が……重なった奇跡……♪』

 ピーチの歌声が、耳に心地よく届く。ステージに灯された照明が、ゆらりと踊るピーチの身体を、神秘的に照らしていた。その光の中で、ゆっくりと衣装を脱いでいく。文字通り桁が違う、規格外の胸元を。しかし、不思議とそこに下品さはない。むしろ、このような場で披露することこそ相応しく思える。静謐な美術館でも、雑多なラブホでもいけない。歌と踊りの華やかな舞台の上で――音楽とステップの中にあってこそ、そこに美しさが宿るのだと。

 光り輝くピーチの姿に――紅葉の中の何かが呼び覚まされる。

 それは、ずっと昔、自分がダンスを始めた日のこと。あるアイドルのステージを見て、踊るその姿に胸を打たれ、心を奪われた。

 それを見様見真似で――ダンスが認められたことで、いつしかそればかりに注力するようになっていた。そこに間違いはなかったと、紅葉はいまでも信じている。けれど――自分の憧れの原点が、胸の中に蘇っていた。

 裸で踊るピーチは、確かに歪な体型をしている。けれど、それは“欠点”ではなく“個性”として昇華されていた。まさに人工のオブジェのごとく計算されたようなラインを描き、鮮やかにに舞っている。衣装によって補正されることなく、ありのままに。

 これが――人の身体そのものが持つ可能性――

 音、光、そして、歌声――ひとりの女性の裸を、あらゆる手段をもって美しく彩る――そこに、紅葉は憧憬を見た。

 踊ることは、いまも紅葉にとって何よりも大切である。それはきっと、この先も変わらない。けれども、それだけでは届かない世界がある。届かせるための、もうひとつの鍵。

 そのとき、紅葉の中でたしかな決意が生まれた。

 進むべき道はストリップ・アイドル――彼女はもう、何の迷いを抱くこともない。


       ***


 次のオーナーが決まるまでのあいだ、リリザが運営も兼任することになった。資金繰りは、依然として厳しい。だが――それでも、紅葉たちは肌で感じている。このライブハウスに、そして“ストリップ・アイドル”という形に、確かな可能性が宿っていることを。

 控室のモニタに、フロアの様子が映し出される。そこには、びっしりと詰め込まれた観客たちの姿があった。

「わぁ……お客さんいっぱい……!」

 カリンが目を輝かせて画面をのぞき込む。これまでも人の多さに喜んでいたが、まだ人の入る余地があったのだと感心させられていた。

「日曜の開催だからね」

 紅葉は淡々と返しつつも、その胸中にはたしかな高揚が宿っている。もはや、閑散日の空白を埋めるだけのイベントではない。彼女たちは、このライブハウスの“メインコンテンツ”になったのだ。

 ライブハウスでありながら、歌わず、寸劇を挟み――なぜこれまで中途半端な形でしか行われてこなかったのか――その理由も、紅葉は薄々感じている。かつて、人気絶頂のアイドルユニットが“忽然と歴史ごと消された”という、その『事件』。いまなおその爪痕は残っている。自分たちも、いつか同じ理由で消されるかもしれない――これまでは、その目から隠れるように活動してきた。

 けれど、もう隠すことはできない。ここまで動き出してしまったのだから。ならば、進むしかない。

「リリザさんが出てくれたら心強いんだけど……」

 カリンがぽつりと呟く。この路線変更に伴い、ライブハウスではボーカルレッスンも始まっていた。その中で群を抜いた歌唱力を誇っていたのがリリザである。寸劇でも発声からして違うとは思っていたけれど、やはり頼りになるリーダーだ。

 とはいえ、歌の腕前だけでステージが決まるわけではない。ピーチの歌声が胸を打ったのは、ステージとしての完成されたパフォーマンスに支えられていたからだ。あの『卒業ライブ』――ピーチではなく、ストリップ・アイドル『宮條(みやじょう)(もも)』として、復活――そして、高校卒業と共にアイドルとしても卒業――それに感動した支援者たちの合意を得て、彼女の学校は救われた。それはまさに、『伝説』によって裏付けされた奇跡だったといえる。

 あの勇姿を目の当たりにすれば、ピーチ――いや、桃こそがこのライブハウスのトップだと誰もが認めざるを得ない。しかし、そのライブ配信をもって、彼女はステージを去った。“曰く付きの元メンバー”がここにいては、ライブハウスにも危険が及ぶかもしれない――そんな配慮もあって。

 ゆえに、これからは残されたメンバーだけで盛り上げていくしかない。だが。

「ごめんなさい、裏方業務が多く……明らかに調整不足で」

 リリザは静かに微笑む。修羅場を乗り越えた彼女の表情は、以前の穏やかさを取り戻していた。

 紅葉は心の中でため息をつく。これからは歌の練習も本格化させなければならない。正直、ダンスほどには魅力を感じない分野ではある。けれど、アイドルとして“完成形”を目指すのならば、避けて通ることはできない。

「……楓さん、大丈夫そう?」

 カリンが、そっと尋ねた。紅葉の顔を覗き込むその目には、心からの心配が滲んでいる。ずっと――本当に最近まで、脱ぐことを躊躇していたから。

 けれど、紅葉は――まっすぐに答える。

「当たり前でしょう? だって私は――」

 ――ストリップ・アイドルなのだから。

 今夜、名実ともに“ストリップ・ライブ”は復活する。歌を封印したり、寸劇に頼ったりすることもない。かつて栄えていた、本来の形式で。この先、何が待ち受けているかは誰にもわからない。だが――膝を抱えて泣いていても何も変わらない。何度だって起き上がり、ステージに立つ。それが、いまの自分にできる唯一のこと。

 これから客たちに見られるのはダンスか、それとも裸か――そんなものは、まさに愚問だ。紅葉にはもう、掲示板のコメントは必要ない。まだ、歌は発展途上。スタイルだって、目を見張るようなものではない。けれど――桃が見せてくれた光の片鱗、そして、その向こう側にある憧れの原泉――それにどれだけ近づけるか――ダンスだけでも、裸だけでもない。そのすべてをどれだけ高められるか――

 何より、隣で同じ姿になってくれる『友』がいてくれるのなら――私は、もう恐れない――!

「……行くわよ、“カリン”」

 言って、紅葉は光の中へと飛び込んでいく。それに続こうとしていたカリンは――初めて聞く呼び名に少し驚いて足を止めた。いま、カリンのこと、呼び捨てで――その喜びを噛み締めながら――

「……はい!」

 カリンは答え、紅葉を追って駆け出した。

 自分の可能性を最大限に引き出した姿を、彼女は観客たちに披露する――それは、他でもない自分自身のために。

 その夜、紅葉は――『楓』として、初めてメンバーのひとりになれた気がした。


        ***


 その熱気に包まれた会場を、遠くから見守る男がひとり――暗がりの片隅で、サングラスの奥から舞台を見つめ、グラスを傾けながらそっとつぶやく。

「“お姫様”に言われて来てみれば……何やら風向きを変えてくれそうじゃあないか、あの楓って娘は」


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