表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

『ハンナ』

著者:飛坂 憲志

 この時間の部室に居るのは、今日も俺ひとりだった。

 パーティー開けのポテトチップスやら、封を切られて放置されたマシュマロやらが散乱した部屋に、キーボードを叩く音のみが響く。

 その音が、ぱったり途絶えた。

 数秒後、タイプ音の代わりに発されたのは、発狂する男の叫び声だった。

 先に述べた通り、現在この部屋には一人しかいないため、必然的に声の主は特定される。

 ここで俺自身の保身のために弁解を許されるとするならば、断じて頭がおかしくなったのではない、とだけ主張しておく。俺は至って正常だ。正常なまま発狂しているということが、果たして正常なのかはさておき。

「あー。また煮詰まっちゃってんの?」

 誰もいないはずの背後から声がし、俺は椅子に座ったまま、頭だけを後方へと向けた。

 レイバックイナバウアー。それは俺と、某フィギアスケート選手の得意技であった。ちなみに、最近の採点法では全く加点されないらしい。俺のこの業は生かされずに散っていく。

 このとき俺は、自分がスケートなど一度もやったことなんてないのを綺麗さっぱり忘れていた。

 上下が逆さまになった世界で、全身黒尽くめの男が立っていた。……残念ながら、彼は別に闇の組織の方でもなんでもなく、ただ黒が好きな大学生だ。

「今日の授業の分のノート、ここ置いとくぞ」

 ポテチの隣に向かっている。

「ストオオップ!俺の手の中に入れてぇ」

 ばたばたと両手を振ると、ついにバランスを崩して椅子から転げ落ちた。

 強かに腰を打ちつけ、床に伸びる。

「馬鹿じゃないけど、馬鹿なんだよなお前」

 ぽすっと、頭に何かが乗る。顔の前まで引っ張り下ろすと、先ほどのノートだった。

「この体たらくを他の真面目な学生さんたちが見たら、卒倒しそうだね。不動の一位が、まさかこんな奴なんて」

 親友の言葉を右から左へ受け流し、今日の分のノートを見る。

「なぁ。まだこんな範囲やってんの?ここ確か、俺が高校のときに勝手に勉強しちゃったんだけど」

 俺は別に、天才でも何でもなかった。

 その代わり集中力が異常なまでに発達していた。

 高校三年間、俺は勉学に没頭した。理由なんて特になく、ただ勉強しようかな、という気分にまかせて机に向かっていた。

 その結果、大学の範囲までいってしまった。それだけのことだった。

 現在、俺は過去の自分に感謝している。おかげで、大学では勉学ではないものをすることができるから。

 脅威の集中力は、短所でもあった。同時に二つのことができないのだ。勉学をしつつ何かをする、なんてことは俺には不可能なのだ。

 大学に入ってから、集中の対象になったもの。それは。

「まーた、コメントし辛いクオリティーだな」

 振ってきた親友の声に、身をこわばらせた。

「大体この話、主人公は誰なんだ。人物多すぎて訳がわからん」

「学園ものを書きたくてぇ~。どうせならクラスみんなに出番あげたいな、と。ほら、仲間外れはよくないよーって」

 精一杯、可愛い顔を作る。

「その顔何、キモイ」

 一蹴された。

 毎度のことだった。俺が小説を書くたびに、親友のシュンに読んでもらっては、没られる。その繰り返し。

 そんな日常も今年で三年目。

 大学生になって俺が集中したのは、小説の執筆だった。大学在籍中に大きな賞をとって作家になる。それが俺の目標だ。

 しかし、俺は気づき始めている。……いや、とうの昔に気づいていた。

 俺には才能がない。

 書いても書いても、いい物語は紡げない。

 考えても考えても、アイデアは浮かんでこない。

「俺もそろそろ、進路とか決めないとだよなぁ」

 呟いたとたん、シュンが倒れたままの俺の肩を揺すった。

「ケン、頭打ったか」

 大真面目に心配されてしまう。

「だってさ、もう三年生なわけじゃん。流石に諦めが肝心かなーとか思っちゃったりしちゃったりもする」

 高校時代に勉強した貯金があるとはいえ、そろそろ就職のことを本気で考えなければ危ない。

「お前でも、諦めることってあるんだ」

 認めたくはないが、今回ばかりは仕様がない。

 萎れる俺に、シュンは不敵な笑みを浮かべた。

「まぁもう少ししたら、ケンに理想と現実の差を教えてやろうと思ってたとこだから、俺に言われる前に自分で気づけてよかったんじゃん?」

 耳が痛い。

「明日から、また勉強かぁ」

 溜め息ひとつ。

「そんなケン君に、楽しいイベントのお誘いです」

 倒れたままの俺を引き起こしつつ、シュンが明るい声を出した。

「イベント?」

「そう。実は一人足りなくてさ。今日の六時から、浦賀女子大と合コンがあるんだ」

 俺は一度も、合コンとやらに行ったことがなかった。

「シュン、それは俺のためじゃなく、人数合わせたいお前らのためだよな」

「あ、バレた?」

 あっさりと認めやがった。


 自己紹介の段階から、男女共にやけにテンションが高かった。

「シュン、二十二歳。よろしく!」

「イエェェイ!!!」

 拍手と歓声が起こる。

「次、ケン」

 脇腹を突かれて、しぶしぶ立ち上がる。

「ケンです。……よろしくお願いします」

「よろしく!」

 俺がたじろぐのも気にせず、勝手に盛り上がっている。

 俺たちの大学のバスケ同好会と、浦女のバドミントン部がセッティングした今回の合コンは、男女各五名でのカラオケだった。

「じゃあ、女子も自己紹介いっきまーす」

 マイクを使っているので、変な方向から声が飛んでくる。

「ミライ、二十一歳!今日はよろしくです」

 整った顔立ちをしていた。

 端から順にマイクを回し、彼女たちは慣れた様子で元気よくしゃべった。

 だけど、最後の子だけは、少し様子が違った。

 マイクを受け取ると、恐る恐る立ち上がり、小さな声で

「ハンナ」

 名前を言っただけで、座ってしまった。

 盛り上げるタイミングを逃した男衆は、曖昧な作り笑いを浮かべて、歌う曲を決めだした。

 女子たちも、ハンナを放って男子たちと会話をすることに専念する。

 存在感が全くなかった。

 俺には、ハンナがわざと息を潜めているように感じた。

 一旦そう考え始めると、俄然ハンナに興味が湧いた。

 さりげなく、彼女の隣に移動する。

「合コン、初めて?」

 驚いたように顔を上げた。瞳が大きかった。

「こうやって遊ぶのも……初めて」

 消え入りそうな声。

「何で。友達少ないとか?」

 遠慮ない質問を口にしてしまってから、しまった、と思った。でも、ハンナは気を悪くしたようには見えず、代わりに自嘲的に笑った。

「それもあるけど。……虚しくなるのが嫌だから」

「虚しい?」

「そう。朝になって昨日のことを思い出すたびに、虚しくなる。あぁ、また全てが無駄だったな、って」

 不思議な人だ。

 儚げな横顔はこの世界を諦めてしまっているかのようだった。

「皆、いつかは全てを忘れるの。今日という日も、皆忘れてしまう。意味のある行いなんて、何一つありはしない」

 ここではない、遠くを見つめる目。

「じゃあどうして今日、ハンナは参加したの」

「気まぐれ。一度くらい、経験してもいいかなって」

 嘘だ。

 ハンナは、自分で言うほど割り切れてはいない。でなければ、こんなにも悲しい表情をするはずがない。

「信じたいんでしょ」

「え?」

 ハンナが顔をあげた。

「意味のある今日があるって、信じたいんでしょう」

 途端に、ハンナの目が潤んだ。

 やはり。

 棚に置いていたリュックサックを肩にかける。

「すみません。俺ら抜けまーす」

 ハンナの手を握り、席を立った。

「え、ちょっと、ケン!?」

 シュンの焦ったような声を置き去りに、俺はハンナと外へ出た。

「何処へ行く気?」

 引っ張られるように走りながら、ハンナが問いかけてきた。

「何処へでも。ハンナが行ってみたい場所に」

 意味のある今日をつくるために。

「それなら、二十四時間営業のレストランがいい」

 思わず、つんのめるように止まり、後ろに向き直った。

「ここは、遊園地とか水族館とか……そういうんじゃないの?」

 ハンナはふて腐れたように、そっぽを向いた。

「あっという間に時間が経ったら、虚しさ三割り増しだもの」

 そういうものかな、と首を傾げる。

「それに………どうせあなたも、私のことを直ぐに忘れてしまうから」

 走り出したハンナに、今度は俺が引きずられる番だった。

 華奢な身体からは想像できないほどの速さで、ハンナは夜の街を駆け抜けていった。

「ちょっ、速い速い」

 周りの視線が突き刺さるのを感じる。

「ケン、明日には有名人になってるよ」

 面白そうに笑う。ハンナの笑顔は、女優顔負けの美しさだった。

「その時は、ハンナも噂の渦中だぞ」

「いーやっ。噂になるのはケンだけだよ。だってケンは、一人で走ってたんだから」

「はぁ?」

 意味不明だったが、ハンナが楽しそうだったので俺はそれで十分だった。

 ぜーぜーと荒い息のまま、二人はファミレスに入った。

 店員にぎょっとされる。

「何名様でしょうか」

「二名です。」

「おタバコはお吸いになられますか」

「いいえ……でいいよな?」

 いつものように否定しかけ、ハンナに確認をとる。

「禁煙で」

「お席にご案内します」

 席につき、無言でお冷を飲み干す。

 空になったコップを置くと、ハンナが申し訳なさそうに呟いた。

「ちょっと……やりすぎた、かも」

「これで『ちょっと』なのか!」

 机に突っ伏す。

「でも、私についてこられたんだから、ケンも足速いじゃない」

「そりゃ、どーも」

 ぐったりとしたまま、片手を挙げる。

 ハンナは直ぐに回復して、メニューを覗き込んだ。

「ケンは何食べる?」

「今は食いたくない」

「わかった」

 ハンナは自分の分のパスタを注文し、二人分のドリンクバーをとった。

 たわいのない話で盛り上がる。

 小腹が空いたときに俺もハンナと同じパスタを注文し、一応平らげた。

 コーヒー片手に会話は弾み、気づけば夜十時を回っていた。

「うわっ、もうこんな時間。ハンナは帰らなくて大丈夫?」

「一人暮らしだから、平気」

 平気、と言いつつ表情が陰る。

「本当に平気なのか?浮かない顔してるけど」

「もう直ぐ、今日が終わるなと思って」

 ハンナとの会話が楽しすぎて、俺は本来の目的をすっかり忘れていた。

 意味のある今日。

「今日も、虚しいか?」

「いつも以上に、ね」

 そんな……。

 楽しませようとしたはずなのに。

 自然と俯く。

「あ、違うの。いつもより充実していたって意味」

「充実してて、虚しいのか?」

 小さく頷く。

「今日という日が楽しかったのは、私一人だけだから」

「俺、すっごく楽しいよ」

「だからこそ。その記憶をケンが忘れてしまうのが悲しい」

「忘れないよ、俺」

「無理だよ」

 ハンナはきっぱり断言した。

「何でそうなんだよ。理由は。俺がハンナを忘れるって言う根拠はあるのか」

 コーヒーに口をつける。それをソーサーに戻すと、ハンナは決意の目で俺を見た。

「この話をしても、きっとあなたは忘れてしまう。それでも……聞いてくれる?」

「聞かせて欲しい」

 俺も、居住まいを正した。

「原因は私にもわからない。でも、産まれたときからそうだったみたい。私ね、家族以外には記憶されないの」

 ハンナは言葉を捜すように宙を見た。

「深夜〇時になるとね、全てが消える。記録にも残らない。戸籍さえも存在しない」

 腕時計を見ると、十時二十分を指していた。

「つまり、あと一時間半くらいで、俺からハンナの記憶が無くなるってことか」

「そういうこと」

 信じられなかった。

 信じたくなどなかった。

 けれど、それを嘘だと笑うには、ハンナは真剣すぎた。

「……本当、なんだな?」

 こくり、と首肯される。

 どうすればいい。

 こうしている間にも、タイムリミットは近づいている。

 その時、ふっと閃くものがあった。

「ハンナのことは、記録でも完全に消えるんだよな?」

「うん。私の名前は絶対に残らない」

「じゃあ、偽名だったらどうなる?」

 ハンナは目を瞬いた。

「ノンフィクションが消えるなら、脚色を加えてやればいい」

 リュックの中から、ノートパソコンを取り出した。幸運なことに、コンセントが自由に使えるレストランだった。

 手早くワードを開く。

「〇時まであと一時間半もあるんだ。実は俺、作家志望なんだよね」

 キーボードの上を、指が滑る。

 いつもより、軽い気がした。

 脳内に、次々とハンナと過ごした時間が蘇り、止まることなく打ち続けられた。

 向かいの席から隣に移動してきたハンナは、浮かない顔のままだった。

「名前を変えたくらいで、大丈夫なのかな……」

 一一時四十分。何とか、『現在』まで書き終えた。

「え……」

 ハンナが驚きの声をあげた。

 ここからが、腕の見せ所だろう。


 全てを書き終え、ハンナの方を見ると、静かに涙を流していた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 笑って見せると、ハンナも笑ってくれた。やっぱり、俺が今まであった誰よりも綺麗だった。

 急に、瞼が重くなる。

「あれ、おかしいな…いつも一時くらいまで、普通に起きてられる……の、に…………」

「記憶を消去するためだよ。次に目が覚めたとき、ケンは私のことを忘れてる。…おやすみ」

「俺…忘れないから。絶対に、俺が起きるまでここに………いろ」

 意思に反して、俺は深い眠りに落ちた。


 朝目覚めると、隣には見知らぬ女が寝ていた。

 焦った俺は、まわりを見渡す。どうやらレストランのようだった。

 テーブルの上に自分のパソコンがあるのを見つけ、エンターキーを押す。途端に、びっしりと文字が打ち込まれたワード画面が現れた。その文章を目で追ううち、徐々に昨日の出来事―――ハンナのことを思い出した。

「んんっ」

 声のした方を見ると、ハンナが丁度起きたところだった。

 不安で一杯なその表情が、ハンナが今までに受けてきた傷を物語っている。

 でも。

 もう、大丈夫だから。

「おはよう、ハンナ」

 彼女は目を大きく見開き、そして堪え切れずに後から後から、ハンナの頬を涙が伝う。

「おはよう。ケン」

 手を伸ばし、親指で涙を拭ってやる。

「……初めて、おはようって挨拶した。朝に名前呼ばれるなんて、夢見たい」

 二人の笑い声と共に、どこかで鳥がぴぴ、と可愛らしく鳴いた。

 


『ハンナ』

 著者――飛坂憲志

ここまでお読みいただきありがとうございます。

この作品には続きがございます。

ぜひ次のお話もお読みいただけますと幸いです。

感想もお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ