……お優しいんですね?
こんな美人が何に困っているのかわからず、「何か御用ですか?」と窓を開けて問うと、眉尻を下げたまま、彼女は私に微笑む。
「貴女に用事はありませんが、この車は真紘さんのではないのかと思いまして……」
「そうですけど、お知り合いです……」
「薫?」
私が話し終えるまでに真紘が戻ってきて、その女性の名を呼んだ。
……今、なんて? 薫って……、真紘社長の婚約者?
私は名を呼ばれて振り向いている彼女を見つめた。装いも佇まいもお嬢様然である。かと思えば、花のように表情を綻ばせて、ゆっくりと上品に真紘へと近づいていく。
……美人は歩くのさえ綺麗なのね。
美しすぎる後ろ姿を見つめていたら、往来の真ん中で真紘に抱きついた。イメージするお嬢様らしからぬ出来事に、私は唖然とそれを見ていた。私だけではなく、往来の草臥れたスーツのサラリーマンだちも、同じように目の前の出来事に驚いているようだった。
真紘は特に動じた様子もなく、妹をあやすようで、真紘が薫との婚約を渋っている理由がわかった気がした。
……真紘社長から、全然相手にされてない感じね。お嬢様の一方通行か。
「真紘さん、あの車に乗っている方はどなたですか?」
「透のところの秘書だよ。ちょうど近くまで行くから、家まで送って行くんだ」
「そうなのですか? ……お優しいんですね?」
……お優しいんですね? と言いながら、こっちを睨まないで。私はただの幼馴染の秘書ですからね! 美人の迫力ときたら……。
私は視線のキツさに負け、窓を閉じることにした。このまま降りて、ここから歩いて帰ってもいいのだが、それはあまりにも真紘に対して失礼な気がするので、話し終えるまで待っている。
しばらくして、話がついたのか、真紘だけが車に戻ってきた。
「大丈夫でしたか? その、婚約者の方ですよね?」
「婚約したつもりはないけど、そうらしいね」
「そうらしいって……冷たいですね?」
「そう見える?」
頷くと真紘が少し驚いたあと、「そっか」と呟いた。真紘のそんな表情を見たのは初めてで、気に触るようなことを言ったのかもしれない。ただの事実を言っただけではあるのに、こんなに胸が痛いのは、その真紘の表情のせいだろう。
「……置いてきても?」
「勝手に来たんだから仕方がないよ。こちらにもこちらのスケジュールがある訳だし、わざわざ薫に俺のスケジュールを教える義理もないからね」
「そうですか」とだけ答え、窓の外へと視線を向ける。真紘とは思えないさっきからの冷たい言葉と辛そうな寂しそうな表情へどう反応したら正解だったのか考えた。
……どれも正解じゃなさそうね。
私が冷たい言葉を浴びせられたわけではないのに、胃がキュッとした。
「意外だな」
BGMだけが流れる車中で、先に口を開いたのは真紘だった。何に対して言われているのかわからず、「何がですか?」と答える。私が思う声よりずっと低く冷たいことに驚く。そんな私に苦笑いをするので、「考えごとをしてて」と取り繕うと、「いいよ」と諭された。私の態度や声のトーンに対して思うところがあったのだろう。
「せっかくだから、薫の話をしても?」
……答えにくい話だわ。
渋々了承をすると、「少し寄り道をしよう」と、私の家へ向かう道とは違う方向へ行く。
「どこへ行くのですか?」
「海……なんてどう?」
「……わかりました」
そのあとは、またBGMだけが車の中を支配する。優しい曲に耳を傾けていたら、出張の疲れからか、いつの間にか眠っていたらしい。
「杉崎さん、着いたよ」
「……んん……」
目を開ければ、言った通り海が目の前に広がっている。「歩こうか」と車から降りていく真紘を追いかけて私も車から降りる。二人並んであるけば、夕日に照らされ影も並んでいた。
「……薫の話、どこから話そうか」
「それは、私は聞かないとダメですか?」
「そう、だな。どっちでもいいよ。連れてきちゃったけど任せる」
「……聞きます。社長のこともありますし」
「透の?」
「社長は薫さんのこと、好きですよね?」
こちらを見て、真紘は頷く。透は「薫が好きだ」と言葉にはしなかったが、真紘との話の端々を聞く限りは、そうなのだろうとわかる。
「透は、俺の親友。だからこそ、想う人と一緒になって欲しい」
「それは私も思います。あんなに頑張っている人、私は見たことがありませんから。幸せになってほしいです。あの、聞いてもいいですか?」
「杉崎さんから質問されるとはね? いいよ、何でも」
軽い調子の真紘。私はこの言葉を言うだけでも勇気が必要なのにと恨んだ。