82.そっちは任せたぞ
空は朝からどんよりと分厚く黒い雨雲に覆われており、ザァザァと雨が降っていた。
何とも気が滅入るような空模様だ。
それに引っ張られるかのように、いつもより少し薄暗いリビングには重苦しい空気が広がっており、屋根や地面を叩く雨音が不和を奏でている。
しかし原因はなにも天気のせいだけではないのは一目瞭然。
「……あの」
「……うん?」
「……なんでも」
「……そう」
いつもはよく喋る美桜は固く口を閉ざし、淡々と朝食の後片付けをしている。
ダイニングテーブルで空のコーヒーカップを手のひらで弄ぶ英梨花は、機会を窺って美桜に話しかけようとするも、うまくいかない。何かが噛み合っていなかった。
翔太もなんとかしたい気持ちはあるもの、どうすればいいかわからず、ソファーでスマホを弄りながら苦虫を噛み潰したような顔をするのみ。
もどかしい空気が横たわっている。
すると、背後から虎哲に声を掛けられた。
「翔太、ちょっと」
どこか参った様子の虎哲は美桜と英梨花へ視線を促したあと、ドアの前で手招きする。
意図を察した翔太は苦笑しつつ、一緒に廊下に出て玄関の方へ。
虎哲はリビングの方を気にしつつ、小声で訊ねた。
「昨日帰ってきてからずっとあの調子だけど、美桜と英梨花ちゃん何かあったのか?」
翔太は眉間に皺を寄せ、一瞬の躊躇いの後、少し言いずらそうに話す。
「その、英梨花が美桜の誕生日を祝いたいって言いだして、それで」
「あ~、あー……地雷踏んじゃったわけか。英梨花ちゃんも、純粋な気持ちから言ったんだろうしなぁ」
「美桜だってそれはわかってるみたいだけど、まぁ……」
「う~ん、美桜の気持ちもわからなくはないんけど……」
互いにほとほと困った顔をする翔太と虎哲。
別に誰が悪いというものじゃないのだろう。
それゆえに、どうしていいかわからなくて。
やがて虎哲は大きなため息を吐いた後、トンッと翔太の肩を叩く。
「一応、美桜の方は今日外に出ている時にオレからフォロー入れとくから。だから翔太、英梨花ちゃんの方は頼んだぞ」
「てっちゃん……」
「いい機会だし、英梨花ちゃんにも話しておいた方がいいだろ」
「そう、だな……わかった」
何とも難しい顔を返す翔太。
虎哲はそんな顔をするなよと苦笑い。
そこへいつの間にかやってきていた美桜が、虎哲へと声を掛けた。
「兄貴、あたしはもういつでも出られるから」
「おぅ…………うん?」
美桜はまだゴールデンウィーク中だというのに、制服姿だった。
当惑した声を零す虎哲。
すると美桜は何かを取り繕うような笑みを作り、答える。
「ほら、高校生になったって報告したいから」
「あぁ、そっか。よし、じゃあオレもさっさと準備してくるよ」
そう言って虎哲は客間へ戻っていく。
図らずも美桜と2人きりになる翔太。
「…………」
「…………」
どこか歯痒い沈黙が流れる。
翔太は困った顔で頬を掻き、リビングに戻ろうとした時、ふいに袖を掴まれた。
「美桜?」
「……ぁ」
美桜は迷子の様な顔をしており、まるで縋りつかれているかのようだった。声を掛けると、美桜はそこで初めて自分が翔太を掴んでいたことに気付き、驚く声を上げる。
気まずそうに目を泳がせることしばし、やがてたどたどしく言葉を紡ぐ。
「その、雨降っちゃってるね」
「せっかくのゴールデンウィークなのに、気が滅入っちゃうな。傘もいるだろうし」
「うん。…………えっと、夕方までには帰ってきて、ご飯作るから。お昼は……」
「インスタントか何かで適当に済ますよ」
「そっか。何かあったらメッセージ送るから」
「わかった」
そんな取り留めもない会話を、何ともいえない苦笑と共に交わす。
すると準備を終えたらしい虎哲が、ドタバタと客間からやってきた。
「こっちも準備できたぞ。んじゃ、さっさと行ってくっか」
「うん」
「あれ、こんな雨なのにどこか出掛けるの? それにみーちゃん制服……?」
そこへ玄関での騒ぎを聞きつけた英梨花が、何事かと思ってやってくる。
翔太たちは顔を見合わせ、そして虎哲が少し言いにくそうに口を開く。
「その、今からおふくろの墓参り。今日、命日なんだ」
「…………ぇ」
命日。
その言葉を受け、英梨花は大きく目を見開く。口からは思わず狼狽えた声を漏らす。
固まってしまっている英梨花に、美桜は靴を履きながら固い声色で告げる。
「そういうわけだから、ちょっと出掛けてくる」
「…………ぁ」
掛ける言葉もなく、その場で家を出て行く2人を見送る翔太と英梨花。
バタンと、それぞれを隔てるかのように扉が閉まる。
翔太は未だに呆然としている妹に、言い含めるようにして口を開く。
「おばさんが亡くなったの、美桜の誕生日の目と鼻の先だったんだ。だからそれ以来どうしても、誕生日を祝う気になれないって言われてさ」
「……っ、そう、だったんだ」