73.練習台
英梨花が夕食を作ると言い出したのは、翔太にとっても意外だった。
そもそも一緒に暮らしていて、今まで料理に取り組もうとした素振りもなく、いきなりのことだ。訝しく思うのは当然だろう。
しかしお好み焼きを作りたいと聞いて、色々と合点がいく。
どうやらバイト先でお好み焼きを作れるようになるための、練習も兼ねているらしい。
それにお好み焼き用の粉を使えばさほど難しいものでなく、初心者にとっても比較的容易なものだろう。
美桜からのアドバイスも、大飯喰らいが2人に増えたからレシピの倍くらいの分量が丁度いい、くらいもの。
買い物こそは付き合ったものの、後は英梨花に任せることにした。
材料は粉の他は豚バラに卵、キャベツ、揚げ玉に紅ショウガ。
包丁を使うのはキャベツの千切りくらいだが、中々の量があって手間がかかる。
あまり包丁を使い慣れていない英梨花は、かなり慎重にゆっくりと切り刻んでいく。
その間、美桜はずっとリビングでハラハラとその様子を見守っていた。
翔太もなんだかんだソファーでスマホを弄りつつちらほらと見ていたが、時間はかなりかかったものの特に問題もなく切り終え、タネが完成する。
その頃にもなればすっかり陽は落ち切っており、英梨花がダイニングテーブルに広げたホットプレートで焼き始めてしばらくした頃、虎哲が帰宅した。
「ただいまーっと。お、いい匂い。お好み焼きか……って、英梨花ちゃんが作ってんの!?」
リビングに顔を出した虎哲はお好み焼きを焼いている英梨花を見て驚きの声を上げ、どういうことかと美桜へと視線を向ける。
「今日の夕飯はえりちゃんが作ることになったの。バイトでの練習を兼ねてね」
「てっちゃん、東の県道沿い三諸ってお好み焼き屋あるだろ。英梨花、ついこないだからそこでバイト始めてさ」
「へぇ、あそこ。道場帰りにちょくちょく寄ったっけ」
「…………っ」
皆が話している間も、英梨花は真剣な様子でタイマーと睨めっこしつつ、フライ返しとコテを手に悪戦苦闘することしばし。
ややあって英梨花謹製のお好み焼きが完成した。
裏返す途中に崩してしまったり、少しばかり焦げ目をつけたりしてしまって、見た目にもお世辞にはいいとはいえない。英梨花自身も、バツの悪い顔をしている。
「できた。でも、どれも不格好……」
「いやいや上出来だよ、えりちゃん。ちゃんと食べられるものの体になってるし」
「あぁ、練習だしな。これからできるようになっていけばいいさ。それに腹に入れば一緒だし、問題は味さ」
「ん、頑張る」
美桜と翔太がフォローを入れつつ席に着き、皆で手を合わし、食べ始める。
形こそ悪いものの、生焼けや炭化しているということもなく、味はちゃんとお好み焼きだった。
食べる手は止まらず、あっという間に翔太だけでなく虎哲の皿も空になる。
「うん、美味いよ英梨花。確かタネはまだまだ残ってたよな?」
「あ、オレもお代わりもらえる?」
「っ!」
英梨花は2人からの要望を受け、目をぱちくりさせる。
そしてふにゃりと頬を緩め、「んっ」と返事をして追加を焼く。
美桜は眉を寄せつつ、ほらねと言いたげな表情で言う。
「しょーちゃんも兄貴もよく食べるから、レシピ通りの量じゃ足りないのよ」
「まぁ育ち盛りだからな」
「おぅ、普通に美味かったし! ていうか翔太は相変わらずマヨネーズ多いな!?」
「そうそう、消費が思った以上に早いから常にストック切らさないようにしてんだよね」
「うぐ、いいだろ別に……」
「まずは片面を3分焼いて――」
追加を焼いている間もお喋りは弾み、夕食は和やかに進む。
その後も翔太と虎哲だけじゃなく、美桜もしっかりとお代わりをし、かなり多めに用意したはずのタネも余らせることなく食べ尽くした。
焼くことにかなり追われた英梨花はその結果に驚きつつも、頬を綻ばす。
始めての夕飯としては、大成功といえるだろう。
食後のお茶で一服つきながら、虎哲がしみじみと口を開く。
「いやぁ、美味しかった! それにしても英梨花ちゃん、ご飯も作れるんだな。今日はほんと驚かされっぱなしだよ」
「ふふっ、実は夕飯作ったの今日が初めて。ちゃんとできてよかった。……それにしても、誰かに美味しいって食べてもらうのって嬉しいもんだね、みーちゃん」
「え? あ、うん、そうだね。作り甲斐があるっていうか」
少し安心したような表情で美桜に同意を求める英梨花。
どうやら今日の成功に、手ごたえを感じているらしい。
翔太はそんな妹に目を細め、そしてふと思ったことを口にした。
「これで美桜が夕飯を作れない時があっても安心だな」
「……ぇ」
「ん、任せて」
「よかったな、美桜。これで時々サボれるぞー」
「っ、な、なに言ってんの兄貴、あたしは別にサボったりしないって!」
虎哲の軽口に、顔を赤くして反論する美桜。
やがてお茶を飲み終えた虎哲は立ち上がって大きく伸びをし、それからお腹を擦りながら言う。
「ん~、さすがにちょっと食べ過ぎたか。翔太、腹ごなしにちょっと走り込みに行かね?」
「うん?」
「え、こんな時間に食べたばかりなのに?」
思わず怪訝な声を上げる美桜。
このあたりの治安はいいとはいえ、この辺は街灯もあまり多くなく暗い。あまりランニングに適切とはいえない時間帯だ。事実、これまでこの時間に走り込むことなんてあまりなかった。
だが虎哲はちらりと美桜をみてから翔太に向き直り、意味ありげに片目を瞑る。
どうやら言葉通りのお誘いではないらしい。
そのことを察した翔太は、苦笑いと共に答えた。
「あぁ、わかった」