70.虎哲、襲来
5月になった。
ゴールデンウィークの初日の空はからりと晴れ渡り、雲1つない晴天。
街のあちこちの気の早い木々が新緑で夏の始まりを謳い、昼間ともなればハンデのシャツ1枚で十分なくらいの陽気。
そんな5月でも暑いくらいの日、いつも通学に使う駅は遊びに繰り出そうとする近隣の多くの人を呑み込んでいる。
改札の奥に流れに逆らうようにやってくる見知った顔を見つけた翔太は、大きく手を振った。
「てっちゃん! って、案外荷物少ないんだな」
「兄貴ー、ここだよ、ここ!」
「お、元気してたか翔太。合宿の時もこんなもんだっただろ? それから、誰だお――って、痛っ!? 蹴るな美桜!」
気心しれた挨拶を交わし、美桜を揶揄い脛を蹴られてるのは五條虎哲。
短く刈り上げた黒髪に、スラリとした鍛え上げられた引き締まった身体、どこか美桜の面影がある整った顔立ちで人懐っこい笑みを浮かべている。
虎哲は今年遠方の大学に入学し、一人暮らしを始めた美桜の兄だ。
美桜と同じく小学校上がる前から交流し、可愛がってもらってきている。何かある時は相談したり、助けてもらったり、翔太にとっても兄貴分といえる存在だろう。
その虎哲は大げさに美桜に蹴られた脛を擦りながら訊ねる。
「ところでそっちは変わりはないか? オレもこの春から一人暮らししてるけど、それが思ったより大変でさ。まぁ今まであまり変わらないだろうし大丈夫だと思うけど、やっぱ気になってな」
顔を見合わせる翔太と美桜。
虎哲は軽い感じで言っているものの、その目は真剣だった。
やはり高校生のみでの生活を心配しているのだろう。
翔太の頬も緩ませながら答える。
「何とかうまくやれてるよ。メシは美桜が何とかしてくれて助かってるし、家事も皆で分担すればさほど負担じゃないし。な、英梨花」
「っ、お久しぶりです、虎哲、さん」
「へ? …………その髪の色、もしかして英梨花ちゃん!?」
「……はい」
翔太に促され、一歩前へ出てはにかみながら挨拶する英梨花。
英梨花にとっても虎哲は美桜と同じように昔からの顔見知りの、もう1人の兄のような存在なのだろう。気恥ずかしさはあるものの、他の人ほどには人見知りはしないようだ。
もしかしたら、バイトを機に成長したのもあったのかもしれない。
虎哲はといえば英梨花を見て指差し、あんぐりと口を開け、目をぱちくりとさせている。
すると美桜は驚いた様子の虎哲を見てにんまりとした意地の悪い笑みを浮かべ、揶揄うように言う。
「えりちゃん、見違えるほど綺麗になったでしょ? 兄貴、鼻の下が伸びてるよー」
「バッ、これはその、純粋に驚いたからというか……ほら、お前らの中で一番小さかったのに美桜より大きくなってるし。それにこれだけ可愛くなった子に『虎哲さん』だなんて言われたら、デレる方が礼儀だろ!」
「ふぅん? じゃ、このこと真帆先輩に言いつけちゃお~っと」
「っ!? こ、ここでアイツは関係ないだろ、アイツは!」
「え~、じゃあ別に言ってもいいよね~?」
「~~~~っ、いいけどよくねーの!」
真帆という名前を出され、顔を真っ赤にして口角泡を飛ばす虎哲。
その様子を見ていた英梨花は小首を傾げながら、翔太に訊ねる。
「兄さん、真帆先輩って?」
「あぁ、虎哲さんの同級生で、てっちゃんが猛勉強して同じ大学まで追いかけるほどに好きな人。生真面目そうで楚々とした見た目の、お茶目な性格の人だよ」
「へぇ~、会ってみたいかも」
「おい、翔太!? え、英梨花ちゃん、そういうんじゃないからな! ただの中学からずっと腐れ縁なだけだって!」
翔太も美桜同様に悪戯っぽく説明すれば、虎哲は裏切られたとばかりにショックを受けた顔をして、ますます顔を赤くする。
「ふぅん、あたしてっきり今回いきなりこっちに戻ってきたのも、真帆先輩が帰省するからそれを追いかけてきたとばかり」
「虎哲さん、情熱的」
「んなわけないだろ、美桜! 英梨花ちゃんも違うって! ほらその、昇段試験が近いから、通い慣れた道場で鍛え直そうと思ってさ!」
虎哲は涙目になって必死に否定するも、誰も信じていやしない。
いつもの駅の改札前に、明るい笑い声が響く。
肩を落としため息を吐く虎哲に、美桜が明るい笑顔で背中を叩き、促した。
「とりあえず、うちに荷物置きに行こ?」