67.お手本にするなら
六花やおかみの言葉に嘘はなかった。
仕事内容は教えられた通り、注文を聞いて料理を運ぶだけの単純作業。
最初、混雑時は忙しいと脅されたものの特に問題なくこなし、同じお好み焼き屋でもこれまで英梨花の住んでいた地域ではタネが運ばれてきて自分で焼くのに対し、こっちでは店側で焼いて出すんだなどと、のんびり考える余裕があったほど。
しかし徐々に店の窓から見える景色が暗くなっていくにつれ、客もどんどん訪れるように。
学校の部活帰りと思しき腹ペコ学生組に、小さな子供連れの家族、会社帰りに夕食を求める単身者や、ちょっとした居酒屋代わりに利用する常連客等々。
色んな層のお客がひっきりなしに訪れ、店はどんどん戦場じみたものへとなっていく。
「ぶた玉、海鮮、ねぎ焼き、ゲソの塩焼き、スペシャルできたぞ!」
「注文追加、ミックス2、焼きそば2、いか玉、コーンバターに生中3にオレンジジュース! 飲み物はコーラとハイボールがまだだよ!」
「わ、私は……」
「英梨花ちゃんは海鮮を端っこの席のサラリーマンに! その後、焼きそばを小学生連れのところに持って行って!」
「は、はいっ!」
決して狭くない店内のあちこちから注文を受け、料理を運ぶ。
作業としては、確かに単純だ。だがこうものべつ幕なしに続けば、どれがどこだかわからなくなってしまうというもの。
それだけこの店が繁盛しているのだが、六花の言う通り人手が足りていない。
おかみも大将も休む間の無く動き続けている。
英梨花も彼らに負けないようにと意気込むものの、今日が初めてなのだ。客席の番号もろくに把握できておらず、途中からは料理を運ぶことだけに専念することに。
しかしそれだけでも、頭の中はいっぱいいっぱいだった。
せめて失敗しないよう、慎重を重ねてしっかりと場所を確認してから運ぶものの、まるで足を引っ張っているかのような感覚。
事実、訊ねる度におかみの手を止めているので、そうなのかもしれない。
働くことの大変さを噛みしめる英梨花。額の汗を拭う。
「わー、英梨ちんありがと! ここからは私も参戦するから!」
客足がピークになろうかという頃、補講を終えた六花が帰ってきた。
六花はすぐさま鞄と上着を休憩室に放り投げ、戦列に参加する。
おそらく、小さい頃から手伝いをしてきたのだろう。
小柄な六花はお客でひしめく店内を縦横無尽に駆け回り、運ぶだけの英梨花と違って注文も、片付けも、会計も、席への案内も、それから隙を見て飲み物を作るだけでなく、お好み焼きのタネを仕込んだりと、おかみと遜色ないレベルで八面六臂の大活躍。
そのすごさには英梨花も舌を巻くばかり。同じ職場に立っているから、ことさらに。
普段教室での勉強嫌いで騒がしいお調子者な姿とは、まるで別人。
英梨花の数倍ものを仕事をこなす様は、しっかりと地に足をつけた社会の一員さながら。
翻って英梨花はといえば、多少勉強ができて目立つ容姿をしているだけ。
六花と比べれば愛想も社会性もなくロクに仕事もできず、足元にも及ばない。
――せめてできることだけでも精一杯しなければ。
そう気を張り詰めすぎたのがいけなかったのだろう。
もしくは自分で思っている以上に疲労を蓄積させていたことに、気付かなかったか。
「英梨ちん、この生中2つとグレープフルーツサワー、あそこに持ってってくれる!?」
「ん、まかせ――ぁ」
六花から3つのジョッキを渡されようとした時のことだった。
手にうまく力が入らずその場に落としてしまい、ガシャンと大きな音を響かせる。
当然ジョッキは割れて中身も飛び散り、店内からも一体何事だという視線が向けられる。客席にまで被害がなかったのが幸いか。
ともあれ、これは明らかな英梨花の大失敗だった。
どうしよう?
ただでさえあまり役に立っていないというのに、足を引っ張り迷惑をかけている。
そのことを思えば鼻の奥がツンとなり、目頭も熱くなってしまう。
英梨花が呆然自失となって泣きそうになっていると、いきなりバンッと背中を叩かれた。
「どんまい、英梨ちん! 片付けは私がやるから、ちょっと離れてて! 皆さん、お騒がせしましたーっ!」
「もぅっ、細腕の女の子にジョッキ3つは持たせすぎよ~、六花じゃないんだし!」
「お母さん、どういうことよ~!?」
「あ、あの私、壊し、弁償……っ」
「あっはっは、そんなこと気にしなくていいって! それを言やぁ、六花だって散々食器を割ってきたしな!」
「お父さんも!」
重大な過ちをおかしてしまったと思っている英梨花とは裏腹に、やけに軽い調子の今西家の人たち。英梨花が面食らっているうちに、手際よく片付けられ、元通りに。
そして六花は唖然としている英梨花の下に来て、ニッと人懐っこい笑みを浮かべ、ぐにっと両ほっぺを引っ張った。
「ほら~、そんな顔しないで。失敗なんて誰だってするもんだしさ。私としては英梨ちんが失敗するところを見られてラッキー、っていうか」
「でも私、全然ダメダメで、店の何の役にも……」
「そんなことないよ~。今日はうちの両親ってば英梨ちんに良いところを見せようとしていつもより張り切っちゃってるし、常連さんも鼻の下を伸ばして飲み物を多く頼んでくれてるしさ! もちろん、私もいいところ見せようとしているしね!」
「そう、なの……?」
英梨花がちらりとおかみや大将の方へ視線を向ければ、2人は少し照れくさそうに鼻の下を擦り、目を逸らす。どうやら的外れではないらしい。
すると六花は口に手を当てくすくすと笑いながら言う。
「そんな顔をしていると、過保護な葛城くんが心配しちゃうよ? ほらせっかくの美人さんなんだし、笑って笑って!」
「むぅ、それは困る」
「あとこういうのって、効率を突き詰めてゲームっぽくならない? ほら、美桜っちから英梨ちんゲームが好きって聞いてるし。ゲーム同様少しくらい失敗してもいいから、どうせなら楽しんでやってみて」
「……なるほど、ゲーム」
「それじゃ残りあと少しだし、頑張ろうぜ!」
そう言って仕事に戻っていく六花の背中を見ながら、思い巡らす。
これまでのことを思い返すと、頭を固くして"仕事〟をせねばと思っていたがなるほど、見方を変えれば六花の言う通りパズルやリズムのゲームに近いかもしれない。
すると現金なもので仕事に対する意識が変わる。ゲームは得意分野だ。ゲームをお手本と思い考えると、たちまち脳裏に捌き方の道筋が浮かび上がる。頬が緩むと共に、肩の力も抜けていく。
あぁ、これなら仕事はなんとかなるかもしれない。
しかし他にも問題があった。
英梨花は不愛想なのを、自分でもよくわかっている。
こればかりはお手本になるようなゲームはなく、どうしていいかわからない。
むむむと眉間に皺を寄せ唸るも一瞬。
脳裏に一人の女の子の顔が過ぎる。
昔からもしこうしたバイトばかりでなく、そしてこちらに戻って来てからも何事につけても楽しそうにこなす女の子だ。
「……みーちゃん」
美桜ならば手本としても最適だろう。
そして意識してしまえば、彼女のように明るくなり翔太の隣堂々と立ちたいと強く思う。
すると丁度その時、ガラリと入り口が開き、新規のお客が入ってくる。
英梨花はごくりと喉を鳴らし忙しそうにしている六花たちの代わりに、自分の理想とする女の子を思い浮かべながら、とびきりの笑顔を咲かせて出迎えた。
「いらっしゃいませ~♪」