66.覚悟してね?
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放課後、いつも降りる1つ手前の駅から歩くこと少し。
英梨花は交通量の多い県道沿いにある店を訪れていた。
目の前の看板には『三諸』の文字。
ここが六花の家のお好み焼き屋で間違いないだろう。
一軒家を改装した、明るくオシャレな門構え。隣には数台が停められる駐車場。
なるほど、人通りも多く入りやすい雰囲気で、人気があるのも頷ける。現に今し方も、学校帰りと思しき3人組の制服姿のグループが店に吸い込まれていったのを見て、緊張からごくりと喉を鳴らす。
啖呵を切り張り切ってやってきたのはいいものの、やはりここにきて足がすくんでしまう。
人見知りで憶病な自覚はある。
こうした接客業には向いていない性格だということも。
そんな恵梨香を心配そうに見送った美桜の顔が瞼の裏にチラつく。
あぁ、美桜の懸念ももっともだ。
だけど一方で、兄は頑張れといって背中を押し、送りだしてくれたではないか。
それを思い返すと、胸にじわりと暖かいものが広がる。
兄の期待に応えたい。
なにより、今の受け身で弱気な自分から変わりたい。
胸に手を当て、深呼吸を1つ。キュッと唇を強く結び、店の扉を開けた。
「……あのぅ」
「はい、いらっしゃ――まぁまぁまぁ、あなたが英梨花ちゃんね! バイトのこと、うちの六花から聞いてるわよ~っ!」
「ほぅ、こりゃすごい。六花から聞いてたよりも、ずっとべっぴんさんだ!」
「え、あ、そのぅ……?」
店に足を踏み入れるなり、明るい声で迎えられた。思わぬ言葉に、ビクリと身体を震わせて固まってしまう英梨花。
すると六花の母と思しき、彼女同様小柄女性が人懐っこい笑みを浮かべてやってきて、ぺたぺたと身体を触られる。
「うちの子がいつも言ってたのよ~、海外の血が流れてる、すっごい美人な子がいるって! その子が来るって言ってたから、一目でわかっちゃったわ~」
「ぇ、ぁ、はぁ……」
「おいおいかーちゃん、いきなり距離が近過ぎてびっくりしちゃってるぞ」
「あらあら、ごめんなさいね!」
「い、いぇ……」
英梨花がぐるぐる目を回していると、奥から六花の父と思しきガタイの良い男性が姿を現し、おかみを窘める。彼女は口に手を当てオホホと笑う。
なんとなく、この店――職場の雰囲気というものが掴めた。
それにまごついてばかりもいられない。しかも六花に事前に色々説明もしてもらっており、お膳立てしてもらっているような状況。
気を取り直した英梨花は、上擦りそうになる声を必死に抑えながら訊ねた。
「わ、私は何をすれば……」
「注文聞いて運ぶだけ、簡単よ~。あ、制服汚しちゃったらいけないから、これ着けてね。荷物は奥の休憩室に適当に放り投げておけばいいから」
「は、はぃ」
案内された店奥の6畳の和室に鞄を置き、おかみから手渡された店のロゴが入ったエプロンを着けた。
そして壁に掛けられた鏡に映った自分の長い髪を見て、一房掴む。このままだと飲食物に髪が入りかねないだろう。鞄から髪ゴムを取り出し、後ろで一つに束ねていく。
これで準備万端、店内に戻るなり、早速とばかりにおかみに声を掛けられた。
「丁度よかったわ。この生ビールとレモンサワーを3番さんのところに持ってって! ほら、窓際のこんな早い時間から呑んでるダメなオヤジどものとこ!」
「おいおい、ダメオヤジはひどいなぁ。否定はできないけど!」
「がはは、大将も何か言ってくれよ!」
「オレからはじゃんじゃん呑んで店に金を落としてくれとか言えねえよ!」
そんな軽口が飛び交えば、わははと笑い声が上がる。
この気心知れたやり取りをみるに、どうやら彼らは常連さんらしい。
英梨花は粗相がないようにとたどたどしく、しかし確実に2つのジョッキを運ぶ。
「な、生ビール……」
「こっちこっち。レモンサワーはそっちな……って初めて見る顔だ!? その制服、もしかして六花ちゃんの友達かい!?」
「くぅぅ、こんな可愛い子にお酒持ってきてもらえるだなんて、最高だな。キミ、学校でもモテるだろ?」
「は、はぁ……」
「英梨花ちゃん、そんな奴らにいちいち反応しなくていいから、モノを置いたらさっさと戻ってきな~」
「そりゃないよ、おかみ~」
「セクハラで追い出すよ~っ!」
「っと、それは困る。とりあえず吞むべ~」
「かんぱ~い!」
いまいち彼らのノリが合わないものの、しかしなりほど、仕事としてはそこまで難しいものじゃない。
元の場所へと戻ってくれば、おかみも満足そうい頷いている。あれでよかったのだろう。ホッと胸を撫で下ろす英梨花。
そして次は伝票とボールペンを渡され、視線で3人組の学生の席を促される。
「今度はあそこの注文取ってきて」
「は、はぃ」
「うちは個人の小さいところだからねー、アナログなのよ~」
そんな冗談めいた言葉を受けながら、注文を取りに向かう。
彼らの制服は電車でもよく見かける、この辺りの学校のものだ。緊張が走る。
注文を聞くのだから当然、こちらから話しかけなければいけない。
普段は誰かに話しかける時、用事があってもどう話していいか分からず咄嗟に言葉が出てきてくれないが、幸いに仕事だというべきことが決まっている。
「ご注文は?」
「っ、オレはぶた玉で」
「同じく、ぶた玉」
「焼きそばで」
「ぶた玉2つに、焼きそば……」
このやり取りで少々不愛想だったなという自覚がありつつも、それ以上話していると上がってしまいなので、早々に立ち去る英梨花。
背後から「え、今の外国の人!?」「めっちゃ美人!」「あの制服って、偏差値高いところで有名な」といった自分に関することが囁かれれば、頬も赤くなってしまうというもの。
しかし、無事に注文を取ることはできた。そこに確かな手応えを感じる。
「うんうん、そんな感じでお願いね。基本はその2つだけでいいから。レジや片づけはこっちでやるし!」
「はいっ!」
おかみからもそう太鼓判を押してもらえれば、少しばかり自信も付くというもの。
むんっ、と胸の前で両手で握り拳を作り、気合を入れ直す英梨花。
そんな英梨花を見ておかみはクスリと笑い、そして妖し気に目を細め、少し脅すかのように言う。
「まぁ簡単だけど、これから混みだすとめちゃくちゃ忙しくなるから、覚悟してね?」
「…………ぇ?」