64.誕生日
この日の夕食は合い挽き肉に玉ねぎだけでなくナスやキャベツも混ぜ込んだ、たっぷりキノコソースのよくばりハンバーグにゴロゴロベーコンのポテトサラダ、それに具沢山のミネストローネだった。
「わ、みーちゃんすごい!」
「お、どれも美味しそうだな」
「へへん、今日は腕によりをかけました!」
どれもこれも手が込んでおり、思わず歓声を上げる英梨花。ドヤ顔で胸を張る美桜。
いつもより少しばかり豪勢な料理に驚きつつも舌鼓を打つ。
しかし飲み物にジュースが用意されていたり、更にダメ押しとばかりに食後に見た目も華やかなデコレーションバウムクーヘンが出てくれば、さすがに訝しく思った英梨花は、疑問の声を上げた。
「今日はどうしたの、みーちゃん?」
「デコレーションバウムクーヘン? 郡山モールで丁度フェアしててさ、それで」
「そうじゃなくて。今日のごはん、やたら豪華だから」
英梨花の言葉を受け、美桜は「へ!?」と間の抜けた、しかし意外そうな声を上げた。
美桜の反応が予想外だったのか、英梨花も目をぱちくりとさせる。
そして美桜はまじまじと英梨花を見つめた後、少し困った顔をこちらに向けてきたので、翔太は仕方がないとばかりに肩を竦めて言う。
「今日は俺の誕生日だよ」
「そうそう、だからいつもよりちょっぴり贅沢してるってわけ」
「あ!」
翔太の誕生日に今気付いたとばかりに驚きの声を上げる英梨花。そしてみるみる顔を申し訳なさそうに曇らせ、肩を縮こまらせていく。
「ごめんなさい兄さん、すっかり忘れてて……プレゼントも何も用意してない……」
しょんぼりした様子の英梨花に、翔太と美桜は顔を見合わせ苦笑い。そして宥めるように言葉を掛ける。
「まぁここのところ、英梨花は風邪をひいたりして大変だったしな。それに長い間離れてたんだし、ついうっかり忘れててもしょうがないだろ」
「それにもうあたしらの歳になると、誕生日をわざわざ祝ったりしないもんね」
「でも……」
しかしなおも納得いかないといった様子に英梨花に、翔太は目を細めくしゃりと昔みたいに頭を撫でる。
「その気持ちだけで十分嬉しいよ」
「ん……」
◇
夕食後、今日は準備でくたくたになったからと、一足早くお風呂へと向かう美桜。
そして自分の担当である皿洗いと片付けを坦々と終えた英梨花は、翔太の部屋で不満を隠そうともせずにぶぅたれていた。
「兄さんの誕生日、しっかり祝いたかったのに。プレゼント選んで渡したかったのに。確かに忘れてた私が悪いけどさ、兄さんもみーちゃんもちょっとくらいそろそろだね~とか、それとなく教えてくれたらよかったのに~」
そう言って英梨花はベッドで腰掛けて漫画を読む翔太の背中から、抱き着くように圧し掛かり、肩に顎を乗せてぐりぐりしながら、先ほどの愚痴を零す。
ふわりと間近の髪から英梨花の甘い香りが鼻腔をくすぐり、均整の取れた自分とは明らかに違う異性を感じさせる肢体をこれでもかと押し付けられれば、二重の意味で困ってしまう。これが妹として甘えてきているということがわかるから、なおさら。
翔太はなるべく兄を心掛け、言葉を選ぶ。
「悪かったよ。美桜との誕生日だなんて、もうお互いずっとこんな感じだったから、今年も同じように流しただけなんだ」
「それはわかるけど……でも私、これまで兄さんの誕生日をお祝いしたことなかったから……」
「あー……」
英梨花の気落ちした言葉に、くしゃりと顔を歪める翔太。
ここ数年、美桜と誕生日を祝うということをやっていない。意識して祝わなくなったといった方が正確か。
しかしそれは、翔太と美桜の都合。
夕方帰宅時の『貰ってばかり』という言葉を思い返す。
そのことを思えば、英梨花にしても早速それを実践できるような機会だったのだ。その無念さは一入だろう。
するとその時、ふいに英梨花が何かに気付いたばかりに「あ」と声を上げた。
「そういや、みーちゃんの誕生日もそろそろじゃない?」
「……5月6日、GWの最終日だな」
「なら、今から色々と準備できるね!」
ポンッと手を合わせ、うきうきし出す英梨花。
それとは裏腹に、苦々しい表情を作る翔太。
祝わないようにしているのには理由がある。
しかしそれは美桜の繊細な部分に関することであり、さてどう説明したものかと頭を悩ませる。
「美桜はその、誕生日は特に祝って欲しくないと思うから、当日おめでとうって言って、ちょっとしたお菓子を用意するくらいでいいと思うぞ」
「そうなの?」
「ほら、俺の誕生日がこう、いつもと同じようにあっさりで終わらせているからさ、自分の時だけプレゼントがあったりすると、遠慮したり気にしちゃうだろ?」
「むぅ、そうかも……」
翔太自身少しばかり強引な言い訳と思いつつも、一応は納得を見せる英梨花。
しかし状況は振り出しに戻る。
英梨花は再び兄の背中に圧し掛かりながら、頬を膨らませ唸り声。
しばらく気のすむまで放っておくことに決め、なるべく背中に感じる女の子の感触を意識しないよう、心掛ける翔太。
無心でぱらぱらと漫画のページを捲るだけの動作を繰り返すことしばし。
ふいに英梨花は身体を離し、悪戯っぽい声を上げた。
「いいこと思い付いた!」
そう言ってどたばたと、英梨花らしからぬはしゃいだ様子で翔太の部屋を飛び出す。
英梨花は自分の部屋でがさごそと何かをした後、カードみたいなものを片手に戻ってきて、どうぞとばかりに差し出してくる。
受け取ったそこに書かれていた文字を見て、何とも言えない声で呟いた。
「……『なんでもいうことを聞く券』?」
「うん、兄さんへの誕生日プレゼント。ほら、肩たたき券とかあるでしょ? それの上位互換みたいなやつ。それを出してくれればなんでもいうことを聞くよ」
「は、はぁ」
予期せぬものを受け取り、掲げるようにしながらまじまじと見やる。厚紙にペンでカラフルな文字を書き、右下にデフォルメされた猫が描かれた可愛らしいチケットだ。
しかし肩たたき券と違って使用用途が限られておらず、どういう風に使っていいのかピンと来ない。
それが翔太の顔に表れていたのだろう。
英梨花は少し妖しげな笑みを浮かべ、耳元に口を寄せ悪戯っぽく囁く。
「ちょっとくらい、えっちなことでもいうこと聞くよ?」
「んなっ!?」
「それじゃ、私は部屋に戻るね。課題しなきゃ」
英梨花は動揺する兄の顔を見て、満足そうにくすりと笑い、鼻歌交じりで自分の部屋へと帰っていく。
後に残された翔太はざわつく胸を押さえながら、困った様にぼやくのだった。
「……確信犯だろ、あれ」