63.兄さん成分、補給中……
帰路を歩く翔太と英梨花の間には、特に会話はない。
一歩離れて歩く英梨花は、少しばかり意気消沈としている。
外、というか学校で英梨花から動こうとするのは、珍しいことだ。
だからというわけじゃないけれど、こういう時どうすればいいかわからなくて。
「英梨花」
「ん?」
「……あーいや、なんでも」
何か話す切っ掛けにと名前を読んでみても、ただそれだけで終わってしまう。それ以上言葉が出てきてくれやしない。ぼりぼりと頬を掻く翔太。
会話が無ければ必然、周囲の声がよく聞こえてくる。
2人の周囲と違う異質な髪色はよく目立つ。校内や通学路でもまだまだ注目を集めることが多い。とはいえ、そんなことは昔から慣れている。
しかし英梨花と一緒だと、「ほら、例の1年の兄妹」「妹の方が新入生代表で」といった、兄妹として言及しているものばかりだと気付く。
やはりこの髪は近親者と紐づけて見られるものなのだろう。だけど、実際のところは、血の繋がりが希薄な義妹。
翔太は前髪を一房掴んでねめつけ、眉間に皺を刻む。
ふと、美桜が一緒の時のことを思い返す。
確かに美桜といる時も、人目を集めることが多い。美桜もイメチェンしてすっかり美少女になってしまっているから、ことさらに。
だが3人で居る時は、翔太と英梨花が兄妹だと囁かれていることがなかったかもしれない。そう、ただの仲のいい3人組になっていた。
――美桜がいると、英梨花は妹として見られていない?
そんな疑問にが湧くと、思わず息を呑み足を止める。
「兄さん?」
「っ、いや、なんでも」
「……そう」
不審に思った英梨花が声を掛けてくるものの、今のこの気持ちをどう言っていいかわからず。翔太は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すことしかできない。
英梨花は納得いかないというのことがありありと分かる顔で、「そぅ」とだけ返す。
家はもう目前だった。
カギを開け家の中へと身体を滑らせた瞬間、トンッと背中に衝突するものがあった。それから、ドサッと地面に落ちる鞄の音。
「っ、英梨花……?」
どういうわけか、英梨花がいきなり背中から抱き着いてきた。そしてむずがるように「んぅ~」と唸り声を上げながら、ぐりぐりとおでこを擦りつけてくる。
突然のことで驚き固まる翔太。
こんなことをされると否応なしに英梨花の華奢で柔らかな身体、つつましくも確かに存在している双丘を感じてしまい、心臓が激しく早鐘を打つ。
そのままされるがままになることしばし。
やがて英梨花は自分がしていることを説明するように、ポツリと呟いた。
「兄さん成分、補給中……」
「なんだよ、それ」
「頑張るためにエネルギー? 今日色々頑張って、尽きちゃったから」
「……そっか」
どうやら今日、英梨花らしからぬ積極性を見せていたとは思ったが、本人なりに頑張ってみたものらしい。
だから家に戻ってきた瞬間、気が抜けて甘えてきたようだ。
幼い頃を思い返せば、あの時もこうしてよく甘えてきていた。
とはいえ、かつてとは色々違うので困ることは多いのだけれど。
それでも翔太はそんな妹の努力を労うよう、お腹に回された手にそっと自分の手を重ねれば、背中から「んっ」という声と共に一際強く抱きしめられる。頬も緩む。
ややあって英梨花は大きなため息と共に、愚痴るかのように胸の内を零す。
「なりたい自分になろうとするのって、難しいね」
「……英梨花は変わりたいのか?」
「うん、変わりたい」
はっきりと答える英梨花。どうやら英梨花は現状の自分に不満らしい。
それが何か分からないが、しかしいくつか腑に落ちるものがあった。
今日のことだけでなく、バイトのことだってそう。もしかしたらあの時のキスも、そこからきているのかもしれない。
翔太は努めて優しく、そしてあやすような声色で言う。
「別に、そんなに焦って変える必要もないと思うけど」
「でも今の私って、兄さんやみーちゃんに色々貰ってばかりだから」
「そんなこと……」
「あるよ。今だって兄さんから元気を分けてもらってるし。あーもう、甘えてばっかり」
色々貰ってばかり、という言葉に今一つピンと来ない翔太。
自分から何かをした覚えもないし、恩に着せようとしたこともない。
そして今こうして甘えられていることを、その貰っていることだとすると、つい零れてしまう言葉があった。
「俺はこうして甘えてもらったり、頼ってもらえるの、嬉しいけど」
「ん、だから私も兄さんに思えてもらったり、頼ってもらえるようになりたい」
英梨花は妹だ。それも昔から泣き虫寂しがり屋、そしてちょっぴり甘えん坊。だから英梨花にそんな風に言われ初めて、昔と違って大きくなったと思ってしまった。
この妹の変化はきっと、成長と呼ぶのだろう。
翔太の胸に感慨深いものが広がっていく
「っ、…………そっか」
「うん、そう」
「ただい――わ、しょーちゃんにえりちゃん、何やってんの!?」
その時、丁度美桜が帰宅した。美桜は玄関で翔太に抱き着く英梨花を見て、口をぱくぱくさせながら目をぱちくりさせる。
この年頃の兄妹としてはあまりに近過ぎる距離。まるで見つかってはいけないところを見られてしまったかのような感覚。
必死に弁明の言葉を探す翔太。
「あーえっと、これはだな……」
「兄さん成分の補給中。今日は色々頑張ったから。みーちゃんもする?」
「ん~~~~っ、あたしはえりちゃん成分も補給したいかな! えりゃっ!」
そう言って、横から翔太と英梨花ごと一緒くたにして抱き着いてくる美桜。
突然の幼馴染の行動に、またしても固まってしまう。妹とは違う存在感に、動揺を隠せない。
英梨花はといえば、最初はびくりと身体を震わせたものの、すぐさまふにゃりと頬を緩ませ、片方の手を美桜の方へと回し、抱きしめ返す。
「ふふっ、これだとみーちゃん成分も補給できるね」
「へへっ、でしょー?」
「……ったく」
玄関で何をやってるんだか、と呆れた顔をする翔太。
だけどみるみるうちに、昔からずっとこうだったような自然で和やかな空気が広がっていく。こういうのも悪くないな、と思うのだった。