60.優良物件
英梨花の熱は1日で下がった。
本人はもう大丈夫というものの、翔太と美桜に諭され、大事を取ってもう1日休みを取ることに。なお代わりにというわけじゃないが、英梨花からはちゃんと学校に行くようにと念を押された形だ。
ちなみに英梨花は休んだその日はずっと、翔太の部屋から持ち出した漫画のシリーズをずっと読みふけっていたらしい。
相当嵌ったのかその日の夕食時の英梨花はずっと熱く語り続け、その煽りを受け再燃した翔太と美桜と共にアニメ版を視聴し、少しばかり寝不足になった翌日。
2日ぶりに教室に顔を出した英梨花は、六花たち――美桜と一際仲が良いグループの女子たち――に、早速とばかりに囲まれていた。
「英梨ちん、風邪だったんだって? 大丈夫? もう平気?」
「そうそう、一昨日とか葛城くん、朝から全然落ち着かない様子だったし!」
「いつの間にか姿が見えなくなったと思ったら、看病に帰っちゃったしさ!」
「いやー、愛されてるねー、妹大好きお兄ちゃんだね~」
「……兄さん?」
風邪を引いた当日の兄の教室での様子を聞かされ、バツの悪い顔をしながらジト目を向けてくる英梨花。
あの時は少しばかりやらかした自覚のある翔太は、気まずさからそっと目を逸らしつつ、頭を掻きながら答える。
「まぁ、あの時は居ても立ってもいられなくて……ほら、英梨花って小さい頃はよくこうして寝込んだ時、すぐ寂しがって誰か呼んでたのを思い出してさ」
「っ!? そ、それは昔の話、今はもう違う!」
「いやでも実際、うなされて――」
「兄さん!」
「――ぁ痛っ!?」
さすがにあの時のことを話されるのは恥ずかしいようで、思わず腕を抓られる。
そんな微笑ましい兄妹のやりとりを、にこにこと見守る六花たち。
英梨花に怒られたものの、しかしこうして妹が皆に気に掛けてもらえていると思うと、頬も緩む。
するとその時、六花がポンッと手を合わせ、にんまりと口を三日月に歪めて言う。
「葛城くんの行動もアレだったけど、美桜っちも美桜っちだったよね~」
「そうそう、落ち着かない葛城くんに心配し過ぎ、構い過ぎると嫌われちゃうなんて言って宥めてるのに、放課後買って帰るリストとか作ってくれたりして!」
「で、いきなり早退したことを知るなり、五條さんも仕方ないなぁって感じで手続きして、さっさと後を追うように帰っちゃうし!」
「あまりに自然だったけどさ、よくよく考えると余所の家の事情に首を突っ込んでるからね~」
余所の家の事情。
その言葉で一瞬ギクリとしてしまう翔太。
確かに六花たちの目から見れば、美桜にとって英梨花は仲の良い幼馴染とはいえ、赤の他人の家のことになる。
あまりにお節介が過ぎるというもの。周囲に秘密にしているとはいえ、一緒に住んでいないと思えば、なおさら。
しかし翔太にとっては、美桜が来るのはあまりに自然なことと思っていて。そのことを否定されたように感じてしまい、ズキリと胸が痛む。
だが一方美桜はといえば、今気付いたとばかりに口に手を当て、驚きの声を上げた。
「あ、ホントだ! あたしの中じゃ今の今までえりちゃんの看病するのが当たり前のこと過ぎて、疑問に思ってなかったよ!」
「本人も無自覚だった!?」
「まぁうちらもついさっきまで、ごく自然に受け入れてたけど!」
「いやほら、あたしとしてもえりちゃんは昔から妹分~って感じだし、それにしょーちゃんやけに落ち着きなくてさ、なんか失敗やらかしたりとか、弱ってるのをいいことにエロいことをしやしないか心配もあって!」
「おい美桜、後半!」
「ん、するなら元気な時にして欲しい」
「英梨花まで!?」
そう言って英梨花もノリツッコミとばかりに言えば、周囲からもあははと笑い声が上がる。
英梨花が皆の輪に混ざっているのはいいことなのだが、こっそりこちらに向かって悪戯っぽく下唇に指を当てれば、思わず内心悲鳴を上げてしまう翔太。
このやりとりは美桜も六花たちも、兄妹同士のちょっとした戯れと思って見ていることだろう。だけど英梨花は、直接の血のつながりがない義理の妹なのだ。
そんな中、六花がはたと何かに気付いたとばかりに言う。
「あれ、でも実際さ、美桜っちが葛城くんと結婚したら英梨ちんって義理の妹になるよね」
「へ?」
「っ!?」
その指摘に素っ頓狂な声を上げる美桜に、息を呑む翔太。
結婚。
するとしてもまだまだ先のことであり、意識したことなんてない。
だけど確かに六花の言う通り、美桜が翔太と婚姻関係を結べば、自然と英梨花は美桜の義妹になる。
偽装とはいえ六花たちの目から見れば、翔太と美桜は付き合っているのだ。そういう考えに至るのも、自然な流れだろう。
そのことに気が付いた他の女子たちも、きゃあ! と黄色い声を上げ翔太を美桜を取り囲む。
「つまり、オカン属性が極まった行動じゃなくて、実はできる嫁ムーブだった!?」
「そうだよね、義妹なら看病するのも当然だし!」
「あ! 幼馴染だから当然、両家の顔合わせとか済ませてるし、嫁姑問題も大丈夫!?」
「しかも五條さん、家事料理ばっちりだから、いつ輿入れしてもいいときた!」
「おいおい葛城くん、羨ましいな! うちもこんな嫁欲しいし、このっ、このっ! で、式はいつにするの!?」
「え、いや、そう言われても……」
水を得た魚のように盛り上がる六花たちの揶揄いに、たじたじになる翔太。
思わず助けを求めるように、もう一人の標的である美桜に視線を向ける。
「し、しょーちゃん、どうやらあたしって優良物件らしいよ!? ど、どどどう? ここはひとつ嫁にしとく? ほら、あたしってしょーちゃんが好きなエロ漫画のシチュエーションとか、一時メイドものにすごく嵌ってたとかも知ってて理解あるし!」
「おい、照れつつも俺の言われたくないこと暴露するのやめろ!」
「美桜っち、そんなことまで知ってるんだ!?」
「って、思った以上に2人の仲って進んでるの!?」
「いやー、たはは……」
美桜の照れ隠しなのか、そんな翔太のプライベートにまで踏み込んだことを言えば、六花たちの興味の火に油を注ぐようなもの。
彼女たちはきゃあ! と快哉を上げ、さらに盛り上がっていく。
結局チャイムが鳴るまで六花たちに弄られ続けた翔太と美桜は、やっと解放されたと顔を見合わせ苦笑い。
翔太が「ふぅ」、と息を吐いて席へと戻ろうとした際、くいっと制服の袖を引かれたことに気付く。
「英梨花?」
「…………ぁ」
英梨花だった。
英梨花はそこで初めて自分が翔太の袖を掴んでいることに気付き、驚くように目をぱちくりとさせている。
一体どうしたのだろうか?
翔太が小首を傾げていると、英梨花はしばしの逡巡の後、躊躇いながら口を開く。
「兄さんは」
「うん……?」
「…………やっぱり、なんでもない」
「…………そっか」
英梨花は少し硬い表情で曖昧に笑う。
気には掛かるものの、それ以上追求できるような空気ではない。
その時丁度、担当教師が教室へと入って来て、翔太は思考を打ち切った。