57.効果音
◇◆◇
「むぅ、雨だ」
美桜がスーパーでの激闘を済ませて外に出ると、ザァザァと雨が降っていた。
通り雨だろうか? 傘無しでは少し躊躇うような雨足だ。
美桜は買い物用に使っているトートバッグに目を向け、眉を寄せる。そこに入っているのは、今日の戦果であるいつもより2~3割安く買えたお米に牛ブロック肉、それからいくつか買い足した野菜に調味料。
(……やっぱしょーちゃんに着いてきてもらったほうがよかったかも)
なんてことを思いつつも、その考えを否定するかのように力なく小さく頭を振る。
スーパーから葛城家まで、そこそこの距離だ。手ぶらなら走っているところだが、今日は大物の荷物を抱えてしまっている。
先日の一件で、妙に翔太を意識してしまっていた。
今日だっていつもならお米を買いたいから、着いてきてと言っていたはずだ。
それなのについ、急に思い出したばかりのような体を装い、置いてけぼりにするかのように教室を飛び出している。まったくもって自分に呆れてしまう。
美桜は「はぁ」と自らに呆れたため息を吐き、ガサゴソとスクールバッグから折り畳み傘を取り出し、トートバッグを抱えるように持ち直す。
パラパラと傘を叩く雨音を聞きながら、気の重さを引き摺るようにしてのろのろと歩く。
胸にはもやもやしたものが渦巻いている。
あからさまに変な態度を取っている自覚はあった。
いつまでもこのままじゃ、翔太も困ってしまうだろう。
――いつも通り、いつも通り。
美桜は自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
「美桜、それ持つよ」
「へ? しょーちゃん……?」
するとその時、前方から声を掛けられた。顔を上げれば、私服に着替えた翔太の姿。
翔太は美桜のトートバッグに気付くと、ひょいっと取り上げる。
「重っ……って、お米か。買うなら声掛けてくれよな」
「どうして……」
突然のことで目をぱちくりとさせ、唖然とした言葉を零す美桜。
すると翔太は苦笑しながら言葉を返す。
「雨が降ってきたからな。荷物あるのに傘が無いと困ると思って」
「わざわざ持ってきてくれたんだ?」
「そりゃ持ってくるだろう」
さも当然のこととさらりと言う翔太に、美桜の口元が自然と緩む。
「……ありがと」
「まぁ、杞憂みたいだったけどな。折り畳み持ってたみたいだし」
「あ、うん。いつも鞄に忍ばせている」
「そっか。結構かさ張るから、俺は降るかどうかよくわからない時しか入れてないや」
「でも今日みたいな急な雨の時のために持っておくものだよ?」
「まぁ、それはそうなんだけどさ。……てことはこの傘、要らなかったか」
そう言って翔太は、もう片方の手に持っていたビニール傘を掲げる。
どうやら気を遣われたらしい。
するとたちまち、胸の中の気まずさがじんわりとしたものへと変わっていく。
――我ながら単純なやつ。
そんなことを思う美桜。
「せっかくだし、それ使うよ」
「え、わざわざ代えるのめんどくないか?」
「折り畳みだと、小さいから結構濡れちゃうんだよね。靴下とかもうびちゃびちゃ」
「あぁ、なるほどな」
そう言って美桜は傘を受け取り、折り畳みを直し、翔太と共に家路を歩く。
足元は先ほどと違い、靴下まで水を吸っているにもかかわらず、軽い。
だからつい調子に乗って、鼻歌まじりに軽口を叩く。
「ぴろりん♪」
「いきなりなんだよ、その音」
「ん~、あたしの好感度が上がった効果音」
「はぁ」
「いやさ、わざわざあたしに傘持ってきてくれたんでしょ? そりゃあ好感度上がるでしょ、うん。だからこう、分かりやすく効果音をね?」
「確かに分かりやすいけどさ。ちなみに好感度を上げるとどうなるんだ?」
「ん~、ちょっといいことがあるよ。具体的に今日とかだと、夕飯のビーフシチューのお肉がいつもより多くなります!」
「そりゃ重要だな」
「でしょー」
そんな幼い頃から幾度となく繰り返してきたじゃれあいに、あははと声を上げて笑う美桜と翔太。
まったくもっていつも通りの空気に、何か難しく考えすぎていたのでは、とさえ思う。
だからこの質問も、そういった戯れの延長だった。
「あ、しょーちゃんもあたしへの好感度上がったら、効果音鳴らしてね」
「しねーよ」
「えぇ~っ、恥ずかしがらずに鳴らしてよ。親しき中にも礼儀あり、っていうしさ」
「鳴らすもなにも美桜への好感度なんて、ガキの頃にとっくにカンストしてるし」
「…………へ?」
いきなりの言葉に、思わず足を止め素っ頓狂な声を上げる美桜。
一体どういうつもりなのかと顔を覗き込めば、翔太は頬を染め目を逸らし、少し言葉を詰まらせながら口を開く。
「あーその、美桜は出会った時から髪の色とか全然気にしなかったし、俺を俺として扱ってくれて、だからそれに随分救われたというか、感謝してる」
「え、あ、うん」
「だからもう、あの時に好感度なんてカンストしちまって、だから今幼馴染なんかになっちまってるしさ。多分きっと、英梨花もそうだと思う」
「へ、へぇ~……そ、そっか……」
面と言われれば、随分頬が熱くなっていくのが分かった。せっかく落ち着いた胸の騒めきだって、再燃してしまっている。
(しょーちゃんの、アホッ!)
不意打ちで言われた、今まで知らなかった胸の内を告げられ、心の中で悪態を吐いてしまう。
そして何より、ドキドキしてしまってるくせに、これも悪くないなと思っている自分に悪態を吐きたかった。
そうこうしているうちに、勝手知ったる葛城家が見えてくる。
一体、家でどんな顔をすればいいのやら。
そんな風に眉をよせて口をもごもごさせていると、背後から勢いよく走ってくる人影があった。
眼前に躍り出た特徴的なミルクティ色の長い髪が翻ると、つい目を大きくしつつ、反射的にその名前を叫ぶ。
「えりちゃん!?」「英梨花!」
「みーちゃんに兄さん……?」
振り返った英梨花は鞄を頭へ掲げ雨よけにしようとしているものの、傘の体をほとんど成していない。ずぶ濡れだった。
「えりちゃん、折り畳みとか持ってなかったの!?」
「メッセージでも寄越してくれたら、駅まで迎えに行ったのに!」
「え……あ……」
その発想はなかったとばかりに目を瞬かせる英梨花。その間も雨に打たれており、美桜は今はそれよりもと強引に持っていた傘を強引に英梨花へ押し付け、目と鼻の先にある家へと走る。
「あたし先に帰ってお風呂とかタオルの用意してくるから!」
合鍵で玄関を開け、廊下に鞄を転がし、一目散に洗面所へ。
真っ先に風呂場の湯を沸かし、ついでとばかりにびしょ濡れになった自分の靴下を脱いで洗濯機へ投げ入れる。そしてバスタオルを手に取り回れ右。
美桜が玄関に戻ってくるのと、英梨花と翔太が家へ帰ってくるのは同時だった。
「えりちゃん、はいこれタオル! とりあえず頭とか拭いちゃって!」
「ありが――ぁ」
「えりちゃん!?」「英梨花!?」
美桜がバスタオルと渡そうとするもしかし、受け取ろうとした英梨花の手は空を切り、そしてこちらに向かって倒れ込んでくる。
咄嗟に抱きとめる美桜。
雨に濡れた英梨花の身体は鉛のように重く、そして熱かった。
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