56.通り雨
放課後になるや否や、美桜が大きな声と共に立ち上がった。
「やばっ、今日スーパーのお買い物カード入金チャージ5倍ポイントデーだった!」
ドタバタと帰り支度をし始める美桜に、六花が首を傾げながら訊ねる。
「美桜っち、入金するだけならそんなに焦らなくてもいいんじゃ?」
「甘い! 皆この日にこぞってチャージして懐があったかいから、お米や牛肉の塊とか普段はお高いものを特売にするの!」
「そ、そうなんだ」
「結構早くに売り切れちゃうから、急がなきゃ! また明日ね!」
「う、うん、気を付けてね」
そう言って美桜は慌ただしく教室を飛び出していく。そんないつもの生活臭溢れる美桜の言動に、翔太だけじゃなく六花やクラスの皆も苦笑い。
和真もまた、肩を竦めながら話しかけてくる。
「五條、ああいうところは相変わらずオカンめいてるよな」
「まぁな、あの見た目でやられるとギャップがひどいというか」
「あははっ、確かに。いやけど、なぁ……」
「……なんだよ、和真」
和真はひとしきり笑った後、急に黙り込んで顎に指を当てて思案顔。
翔太がそんな親友の反応に訝しむ目を向けると、和真は眉を寄せ頬を指で掻きながら少し言いにくそうに口を開く。
「いや、オカンっていうとアレだけどさ、言い方変えればいいお嫁さんになるなって思ってさ」
「……よ、嫁っ!?」
思いもよらぬ言葉に、驚き目をぱちくりさせる翔太。
そんな翔太に、和真は諭すように言う。
「考えてもみろよ。家事全般そつなくこなし、料理も出来て買い物上手。しかも今はあれだけ可愛らしく化けたときた。もし結婚する相手として考えたら、かなりの優良物件じゃね?」
「それは……そうかもだけど……」
確かに和真の言う通りだった。
だけど今までそんなこと考えたこともなく、釈然としなかった。
美桜は小さな頃からずっと当たり前のように傍に居て、それこそ家族以上に同じ時を重ねてきた幼馴染だ。やはり、その印象が強い。そして幼馴染だからこそ、家族よりも傍に居たという思いも。
だから美桜が幼馴染以外の存在になると、どこか遠くの存在になってしまいそうで、他の関係へと変えてしまうことにひどく抵抗がある。恐れと言ってもいいだろう。
「…………」
思わずしかめっ面になる翔太。
すると和真は少し呆れたような笑みを零し、翔太の肩を叩く。
「ま、あのサカナは大きいから逃すんじゃねーぞっと。オレはもぅ行くわ」
「サカナって……って、どこか行くのか?」
「部活?」
「そ、部活。実は写真部に入ったんだ」
「へぇ、写真部ねぇ」
親友の口から飛び出した意外な言葉に、思わず怪訝な顔になってしまう。
明らかに似合わないといった表情を作る翔太に、和真はその反応もさもありなんといった様子でスマホを取り出し、掲げる。
「写真っていっても、本格的にカメラでどうこうじゃなく、主にスマホでだよ」
「スマホで?」
「そうそう、何か面白そうなものを見つけたら撮ってみたり、噂のフォトジェニックスポットを撮影しにいってみたりとか、そんな緩~い部活」
「なるほど、半分遊びに行くのが目的な感じのところか」
「そんな感じ。まぁ高校じゃ今までちょっと違うことしたかったしな。それと……」
「それと?」
「部長の先輩がさ、めっちゃ可愛くて胸も大きいんだ!」
「……ったく、和真は」
でへりと頬をだらしなく緩ませる和真。
今度は翔太が「アホ」といって肩を竦める番だった。
そんな風にじゃれ合っていると、和真は不意に真面目な顔を作り、少し躊躇いがちに翔太の左腕をチラ見し、真っ直ぐな目で問いかけてくる。
「前も聞いたけどさ、翔太は部活とかどうすんだ?」
「俺は……」
「……っ、悪い、余計なお節介だったな。んじゃ、オレは行くわ」
「…………」
和真は口籠った翔太に悪かったとばかりに片手を上げ、そのまま廊下へと向かう。
後に残された翔太は、ふぅ、と小さなため息を1つ。
すると今度は横からつんつんと腕を突かれた。六花だ。六花は調子の良さそうな笑みを浮かべ、訪ねてくる。
「やぁやぁ葛城の旦那、ちょっといいかい?」
「誰が旦那だ。で、どうした今西?」
「それなんだけど、英梨花っち借りてっていい? 今ね、郡山モールでご当地プリンフェアやってるの!」
きらきら瞳を輝かせる六花。彼女のすぐ後ろでは何人かの女子たちが集まり、スマホ片手に「瓶が可愛い!」「フォークが必要なくらいの硬いプリンだって!」「種類多すぎだってば!」と盛り上がっている。
彼女たちの輪の端っこに、遠慮に話を聞く英梨花が居た。英梨花は彼女たちから頻繁に話しかけられており、どこか落ち着きがなさそうにそわそわして瞳を好奇の色に爛々と輝かす。
ふと、英梨花と目が合った。
英梨花は翔太と六花たちを交互に見やり、困った様に眉を寄せる。
プリンに興味津々、六花たちとも仲良くなりたい。だけど、ちゃんと彼女たちと上手くやれるか自信が無くて迷っている。そんなところだろう。
六花はと言えば、〝待て〟をされた子犬のようにこちらに早くゴーサインを出して欲しそうな目をしている。
苦笑を零す翔太。
六花は純粋に英梨花とプリンを食べに行きたいに違いない。その人となりは、中学の頃からよく知っている。六花なら、英梨花を任せても大丈夫だろう。
「まぁ英梨花が行きたいなら、俺からいうことは何もないよ」
「そっか! あ、英梨花っちのことが気になるなら、葛城くんも一緒に来る?」
「女子の中に1人だけとか勘弁。ともかく、英梨花を頼むよ」
「あはっ、かしこまりっ!」
翔太がそう言うと、六花はパァッと表情を輝かせ敬礼。
そしてその勢いのまま「お許しが出たよーっ!」と叫んで彼女たちのグループへ戻り、きゃあきゃあと騒ぎ、移動し出す。
教室を出る直前、最後尾にいた英梨花がこちらに振り返り、小さく口だけで『ありがと』と言って、はにかむ。翔太は目を細め、いってらっしゃいとばかりに小さく手を振った。
◇
電車を降り、家までの帰り道。
翔太は自らの左手を眺めながら、先ほどの和真の言葉を思い返していた。
「…………」
握りしめては、開く。左手はもう、何の問題もなく動く。
あの時の失敗を切っ掛けに、足踏みしている自覚はある。
和真だって、それを心配してくれているのだろう。
恐らくそれは、美桜と付き合いだしたと思っているから。
脳裏に昔からよく知る、少々負けん気の強いある女の子の顔を思い浮かべれば、ズキリと胸が痛む。
「俺は…………うん?」
その時、ポツリと左の手のひらに雨粒が落ちた。
空を見上げれば、遠くの方で黒い雲がごろごろと唸り声を上げている。
もしかしたら一雨来るかもしれない。
翔太は降られてはたまらないと、小走りで家まで駆けだした。
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