55.少し変わった日常/学校
三方を山に囲まれた地方都市、その平野部を縦横するかのように敷かれた私鉄。その沿線にある高校。
街のあちらこちらでは新緑が芽吹き始め木々が青々と輝き始め、陽射しは日増しに強くなり、薫風が吹き春の終わりを唄う。
親睦会を経た翔太たちのクラスも、入学したての初々しさは既になく、高校生活も日常の一部へと溶け込んでいる。
そんな昼休み、美桜が落ち着きなく指先を弄びながら翔太の席へとやってきた。
「あのねしょーちゃん、お昼だけどさ」
「おぅ、学食にする? それか購買?」
「そ、それなんだけどさ、最近お昼はず~っとしょーちゃんと一緒だったでしょ? だからその、たまにはりっちゃんたちと食べようかな~って……」
「そっか、わかった」
「ご、ごめんね?」
「わざわざ謝らなくても」
美桜は視線を合わさず、気恥ずかしそうに言う。まだ今朝のことを引き摺っている感じのようだった。
翔太も釣られて声が上擦りそうになるが、努めて平静を装って答える。
その姿は、まさに付き合いたての初心なカップルと皆の目に映るだろう。
もっとも、美桜とは本当に付き合っているわけじゃないのだが。
「美桜っちー、うちらのことは気にせずラブラブしてていいよー?」
「そうそう、私らその辺に転がる路傍の石になっとくし」
「あとカレシ持ちはフツーに眩しいし」
「こないだの親睦会の時は、ほんと見せつけられたよねー」
「「「ねーっ!」」」
「り、りっちゃん! みんなも!」
美桜はそそくさと仲の良い友人である六花たちのところへ駆けていくと、早速とばかりに先日のことで皆に弄られる。
翔太のところにも中学からの友人、和真がにへらと笑いながらやってきて、茶化すような言葉と共に肘で小突く。
「いやぁ五條のやつ、変われば変わるもんなんだな」
「それは俺も思う」
「翔太もカノジョが可愛くて鼻が高いだろ?」
「いやでも、中身は前と変わらないし……」
ニヤニヤと揶揄うような和真に、翔太は憮然と言い訳のように答える。
幼馴染である美桜は、中学時代とは容姿を一変させた。いわゆる高校デビューだ。
改めて美桜に視線を移し、かつてと比較してみた。伸びるに任せ寝癖もそのままにただひっ詰めていただけの髪は今や、ゆるくウェーブを描きふわふわとしており、今まで付けたことのなかった赤いリボンがアクセントとして映えている。
スカートの下は常にジャージだった野暮ったい制服姿も、今はオシャレに着崩し、下品にならない程度に太ももを曝け出す。
美桜は長年傍で見てきた翔太の目にも、詐欺だと叫びたくなるくらい可愛らしくなった。もっともその結果恋愛絡みの妙なトラブルに巻き込まれるようになり、学校では偽装カップルを演じることになったのだが。
「ふぅん? 中身は変わらない、ねぇ……?」
「なんだよ、和真」
「いや、さっきみたいなしおらしい態度なんて、今まで見たことないと思ってさ」
「それは……」
「やっぱこないだの親睦会のアレで、意識するようになったとか?」
「っ、…………さぁな」
思わず言葉に詰まる翔太。確かに先日の親睦会では色々あった。皆の前でやらかしたと思う。
翔太が頬を少し赤らめむず痒そうな顔をしていると、ふいにこちらに振り返った美桜と目が合った。
「……ぁ」
「……っ」
美桜は目を瞬かせると共に、たちまち顔を茹でダコのように赤くさせ、「いいから行こっ!」と六花たちを急かす。
いかにも翔太を意識し、照れているかのよう。とてもじゃないが、偽装の恋人同士には見えないだろう。
周囲も翔太と美桜が付き合っているということを疑わず、微笑ましく見守っている。
しかし、その実情は違う。先日の親睦会の後、大変なことがあったのだ。だけど、それを説明するわけにもいかなくて。
そんな翔太に、和真がごちそうさまとばかりに肩を竦めた。
「お熱いこって」
「うるせぇよ」
「で、翔太。愛しのカノジョにフラれたわけだけど、昼メシどうする?」
「そうだな――うん?」
「んっ……」
するとその時、ふいに腕を引かれた。
振り向けば英梨花が遠慮がちに制服の袖を掴み、何か言いたそうにこちらを見つめてくる。
その様子は傍からには、不器用に兄へ甘えてくる妹そのものにも見えたのだろう。
勘のいい和真はすぐさま、英梨花に悪いとばかりに両手を上げた。
「っと、兄妹水入らずを邪魔しちゃ悪いわな。んじゃ、オレは適当に済ましてくるよ」
「あ、和真っ」
言うや否や和真は意味深に片目を瞑り、この場を去っていく。
妙な気を遣われたらしい。翔太はまいったなとばかりに頭を掻く。
「兄さん……」
「っと、俺たちもメシに行こうか」
「ん」
すると英梨花が少し申し訳なさそうに眉を寄せ顔を覗き込んできたので、翔太は苦笑を返す。
最近、家では翔太が困るような距離感で甘えてくることがあるものの、外での英梨花は依然として人見知りだ。
六花たち何人かとはちょくちょく話すようになったみたいだが……どうやら焦った美桜に置いていかれたらしい。
こんな時、兄として頼られることに否やはない。
それにここのところ美桜との偽装カップルの演出のおかげで、学校で英梨花を放置気味だったのも事実。むしろ仲間外れにするような形になり、心苦しささえある。
廊下へ出れば、授業からの解放感を謳う生徒たちで騒めいていた。
兄妹揃って肩を並べ、購買も併設されている食堂へと向かう。
さて何を食べようかと思い巡らしていると、やけに周囲から視線がこちらに――正確には翔太と英梨花の髪へ向いていることに気付く。
耳をそばだてれば「あの色、地毛だって」「あぁ、例の1年の兄妹」「やっば、人形みたい」といった声が聞こえてくる。
翔太と美桜の髪色はよく目立つ。最近、クラスの皆は慣れてきたので取り立てて騒がないものの、やはり他の人たちには奇異に映るのだろう。
それだけじゃない。英梨花をチラリと見てみる。月のように煌めくミルクティ色の長い髪、白磁のように透き通った肌に、日本人離れしたくっきりとした目鼻立ち。
兄である翔太の目から見ても、英梨花の美貌は周囲からも抜きん出ているのだ。噂になるのも当然だろう。
英梨花はと言えば、肩身を狭そうに表情を曇らせていた。別に悪し様に言われているというわけではないが、やはり特異な容姿で散々苦労してきたこともあり、目立つのは好まないようだ。
その顔を見て、ズキリと胸を痛める翔太。
幼馴染と義妹とのキスを機に、今までの日常や関係が少し変わったとはいえ、それでも英梨花はやはり守るべき妹なのだ。
少しばかり眉を寄せ、考えることしばし。
「お昼は購買で何か買って、どこか静かなところ探そうか」
「え?」
「校舎の裏手とか、行ったことないんだよな。花壇とかあるらしいけど」
なるべくニコリと明るい表情を作り、言外に人目の少ないところへ行こうと提案する翔太。
英梨花は目をぱちくりさせた後、その意図を汲み取ったのか、強張っていた顔を少しばかり綻ばす。
そしてサッと周囲に視線を走らせた後、遠慮がちに制服の袖を引き、囁く。
「ありがと、兄さん」
「気にすんなって。家族だろ?」
「んっ」
翔太がなんてことない風に笑えば、英梨花も釣られて笑みを零した。
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