40.なんだかイケナイことしてるみたい
翔太と美桜の噂は、元から美桜が注目を集めていたこともあり、その日のうちにあっという間に駆け抜けていく。
美桜の狙い通り効果覿面、今日は一日、男子から声を掛けられることはなかった。
それも当然か。彼氏持ちの女子に下心を出して話しかけるだなんて風聞が広がれば、今後3年間の学園生活に支障が出るのは想像に難くない。
放課後、一緒に教室を出た美桜は解放感から、ぐぐーっと大きく伸びをして晴れ晴れと言う。
「いっやー、見事に目論見通りだったね! さっきもカレシと一緒に帰るって言ったら一発だったし!」
「ちょっと呆気ないというか、拍子抜けなとこあるけどな。もっと騒がれるかと思った」
「果たしてそうかな?」
「どういう意味だ?」
美桜はスッと虹彩の消えた目を細め、スマホの画面を向けてくる。
そこに映るのは、美桜と仲の良い女子たちとのグループチャット。《どっちから告ったの⁉》《きっかけは⁉》《いつから意識した⁉》といった、問い詰める言葉が躍っている。美桜は「はぁ」と息を吐き、遠くを見つめながら呟く。
「いやー、正直女子の恋バナ好きを舐めてましたね……今日一日ひっきりなしで問い詰められちゃってさ」
「……《美桜を他の奴に取られたくないんだ! そう言ってしょーちゃんはあたしがどういう意味かを聞き返そうとすると、唇を唇で塞がれて……そしていきなりのキスで驚くあたしをソファーに押し倒し、切羽詰まった顔で迫ってきたんだ。掴まれてビクともしない手にしょーちゃんが男であたしは女なんだって嫌でも意識させられ、俺のモノにするからと言って肥大した思いをあたしの中に――》ってお前、何て返事してんだ⁉」
「いっやー、あまりの質問攻めでついカーっとなってノリで! 最初ネタがネタだと通じなくて焦っちゃったけどね!」
「お、俺は今焦ってるわ!」
「……みーちゃん、昔から調子乗るとこある」
「てへっ。大丈夫、最終的にはいつもの悪ふざけだと分かってくれたから。……多分」
「多分、って……お前な」
これを読んだ女子たちがどういう反応を見せたかと考え、頭を抱える翔太。英梨花もさすがにあきれ顔。
やがて美桜は顎に指を当て、「うーん」と唸り声を上げる。
「思ったんだけどさ、一応カップルらしいことをして、アリバイ作った方がいいのかも? ほら、こういうことでツッコまれた時に、自然な感じで答えられるようにさ」
「そうだな、美桜に好き勝手想像であられもないこと捏造されて言われたら堪らんし」
「このあたしへの信頼感っ!」
「で、具体的な案があるのか?」
「ん~、例えば手を繋いで帰るとか。それもほら、指を絡めるやつ。いわゆる恋人繋ぎ」
「ほぅ。んじゃ、ほれ」
「では失礼して」
そう言って翔太が差し出した左手を、美桜は少し遠慮がちに手を重ねてきた。少しひんやりした指がもじもじと艶めかしく蠢き、こつんと肩と肩が当たる。1つ1つの指が互いに絡まりあう。服越しで腕を組むのとは違い、素肌が触れ合う面積は多く、想像以上に美桜の存在を意識してしまい息を呑む。
すっぽり収まる手のひらを通じて伝わってくる小ささ、柔らかさ、女の子の手。長年傍に居るものの、ここまで近くに美桜を感じたのは初めてだった。ドキリと胸が跳ね、頬が熱を帯びるのを自覚する。
「これは……思ったよりも凄いね」
「お、おぅ……」
それは美桜も同じの様で、赤い顔で照れ笑い。
見つめ合い、互いの視線が絡まり、胸を掻き乱す。
「2人とも、仲良しね」
「「っ!」」
そこへ英梨花のげんなりした声を掛けられ、我に返る翔太と美桜。
慌てて距離を取ろうとするものの、ガッチリと繋がれた手のおかげでそうもいかない。それに、周囲へのアピールも考えれば離してはダメだろう。
「か、帰ろうか!」
「う、うんっ!」
そして2人ぎこちない様子で駅を目指す。
図らずとも初々しいカップルそのものになる翔太たち。
端々から微笑ましい視線が突き刺さり、電車の中では「あたしもカレシほしー」「いい人いないかなー」といった言葉が聞こえてきて、ますます赤面する。
やっとのことで家への最寄り駅に着くや否や、美桜は手を離し早口で言う。
「あ、あたしスーパー寄って帰るから!」
「お、おぅっ」
言い終わるや否や、美桜は弾かれたように駆け出していく。
後に残された翔太はしばし繋がれていた手を眺め、「ふぅ」とため息。
「俺たちも帰ろうか」
「ん」
英梨花と肩先並べて家路を歩く。
頭の中は手のひらに残った美桜の熱の残滓のせいで、未だぼんやりしており、足取りもふわふわしている。不思議な感覚だった。
だけど悪くないと思ってしまうほど、やられてしまっているらしい。
油断すると美桜のことで思考が埋め尽くされそうになり、してやられた感じがして(あぁ、くそっ!)と、心の中で悪態を吐く。
「……兄さん」
「っ! と、悪ぃ」
すると背後から、少し鋭い英梨花の声を掛けられる。どうやら考え事をしているうちに、置いてけぼりにしてしまったらしい。
足を止めれば、不満気に頬を膨らませた英梨花が駆け寄り、まじまじと顔を覗き込む。その瞳は咎めるような色をしており、思わず後ずさる翔太。
すると英梨花は逃さないとばかりに翔太の右腕を掴まえたかと思えば、先ほど美桜とそうしていたように指を絡ませてくる。
「え、英梨花⁉」
突然の妹の行動に、頭が真っ白になる翔太。
ピタリと肩と肩がくっつく、年頃の兄妹としては不適切な距離感。
右手から伝わる大きさ、柔らかさ、絡む指の動きに体温。それらは何もかもが美桜と違い、しかしはっきりと異性を感じさせられる。
「確かに、こうすると兄さんがよくわかるね」
そう言って、微かに頬を緩める。心臓が嵐のように騒めき出す。
英梨花の意図が読めず、しかし寄せられた華奢な身体から立ち上る香りにくらりとしてしまい、ギュッと繋がれた拳に力が篭もる。
「えっと、何で……っ」
「みーちゃんがしてたから?」
「いや、あれは偽装の……」
「これは偽装じゃないよ」
「いや、そうだけど、なんていうか……」
なんともしどろもどろになってしまう翔太。
するとそんな兄の姿が可笑しいのか、英梨花はクスりと笑みを漏らし、そして耳元で囁く。
「なんだかイケナイことして、慌ててるみたいだね」
「……っ」
「帰ろ、兄さん」
「あ、あぁ」
果たしてそれは美桜に対してだろうか? それとも兄妹でしていることに対して?
わからない。妖し気に微笑む英梨花は、まさに小悪魔。
翔太はまるで魅入られた様に、この手を振り解くことは出来なかった。
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