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31.英梨花、さん……?


 春眠暁を覚えず、とはよく言ったもの。

昼間はすっかり暖かくなってきているが、4月の夜は冷え込むことも多く、朝はことさら布団から離れ辛い。

 いつもの時間ギリギリまで布団に(くる)まり、やっとのことで這い出た翔太は、少し肌寒い空気にぶるりと身を震わせ、欠伸を噛み殺しながらリビングに顔を出す。


「くぁ……おはよ」

「おはよーしょーちゃん。今、朝ごはん作ってるから、もーちょっと待っててねーっと」


 翔太はキッチンの前にいる幼馴染を見て、訝し気に眉を寄せる。

 美桜はジュッと脂の跳ねるフライパンの前で、せっせと髪を梳かしていた。かと思えば、菜箸でハムをひっくり返して卵を割り入れ、また髪を梳かし、頃合いを見て蓋をして蒸し焼きに。朝ごはんを作りながら、自分の髪とも悪戦苦闘。

 朝の時間は貴重だというのはわかるが、どっちかにしろよと言いたくなる姿だった。


「その髪、手間かかるなら元に戻したら?」

「んー、正直それも考えたんだけどね。……まぁ、うん、そのちょっと思うところがありまして」

「…………あっそ」


 美桜が顔に陰を落とし困った風に言えば、翔太もそれ以上何も言えなくなってしまう。

 沈黙と共に少し神妙な空気が流れる。

 翔太はそれを払拭すべく、努めておどけた声を意識して言った。


「朝メシに髪の毛入れるなよ」

「んー、その時は食物繊維だと思って?」

「思えるか!」

「あっはっは、まぁ気を付けるよぅ」

「……ったく」


 美桜も先ほどの雰囲気を吹き飛ばすよう、ケラケラと笑いながら手を振り、そして壁に掛かった時計を見て「あ!」と声を上げた。


「わ、もう起こすって決めた(・・・・・・・・)時間じゃん。えりちゃんまだ寝てるのかな? しょーちゃんちょっと見てきてよ」

「あいよ」


 手が離せない美桜に苦笑で応え、階段を上り英梨花の部屋の前へ。

 コンコンと何度かノックしてみるものの、反応はない。


「英梨花? おーい英梨花、起きてるかー?」


 ドア越しに話しかけてみるも返事はなく、起きてくる気配もない。

 翔太は眉間に皺を寄せる。

 先日、一緒に暮らしていくためのいくつかのルールを取り決めたばかりだ。

 それらのおかげでここのところ、アクシデントは避けられている。今朝のように、規定の時間起きてこないと誰かが起こしに行くというのもその中の1つだ。ならばルール通り、部屋に入って起こしに行った方がいいだろう。

 はぁ、と内心ため息を1つ。形式上の妹である女の子の部屋へ許可なく入るということに、やはり気まずさを感じるのも事実。

 とはいえ、このまま立ち尽くしているわけにもいかないだろう。何かを観念したかのように、ガリガリと頭を掻く。


「英梨花、起きないのなら入るぞー」


 最後にもう一度ノックしながら声を掛け、無反応の数拍の間を置き、ガチャリとドアを押して足を踏み入れた。相変わらず整頓されているといより極端に物が少ないだけの部屋は、甘い女の子の、英梨花の匂いで包まれており、壁には制服が掛けられている。

 ルールに則ってのこととはいえ、本人の許しなくプライベート空間を侵すことに、ちょっとした罪悪感やら背徳感からドキリと鼓動が早くなる。部屋の主が無謀にに寝ているから、なおさら。

 翔太はなるべく平静を心掛け、ベッドで丸まり布団から後頭部だけ見せている英梨花の下へ。ごくりと喉を鳴らす。一瞬の躊躇いの後、布団越しに優しく肩を揺らしながら、遠慮がちに囁く。


「英梨花、起きろ朝だぞ、英梨花」

「ん……ぅ……」


 英梨花はごろりと寝返りを打ち、もぞもぞと動いたかと思うと、むくりと上半身を起こして焦点の合わない寝惚け眼を向けてくる。その顔は普段の凛としたものとは違い、ふにゃりと蕩け油断しきった隙だらけのもの。ここ最近、見せるようになった顔だ。

 とはいえ、あられもない姿というのも事実、あまり見られたくないものだろうと思い、翔太は慌てて目を逸らす。


「あーその、早く下に降り――」

「……にぃに」

「――っ⁉」



 声を掛けて立ち去ろうとしたところで、ふいに袖をくいっと引かれた。不意打ちのように昔のように舌足らずな口調で呼ばれれば、頭の中が真っ白になって固まってしまう。

 その英梨花はといえば、しばらくボ~っとしていたかと思うと、裾を掴んだ腕にこてんとおでこを押し付けてくる。


「え、英梨花……?」


 突然、甘えるような行動をとる英梨花。

 驚きまごついていると、やがてすぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてくる。

 自分に気を許し無防備な姿を晒している妹に、頬を緩ませる翔太。

 このまま寝かせてあげたい衝動に駆られるも、そうはいかない。


「英梨花、起きてくれ」

「うぅ~……」

「……ったく」


 気を取り直して今度は先ほどよりも強く肩を揺さぶれば、眠たいトロンとした目を薄く開き、ぐずり声。思わず苦笑を零す。

 いつもと違い、こうした英梨花も新鮮だなと思い見つめることしばし。トントンと、もう一度軽く肩を叩く。


「英梨花」

「…………兄さん?」


 やがて意識がはっきりしてきたのか、何度か目を瞬かせ、瞳に翔太の姿を映していく。


「おはよう、英梨花」

「…………っ!」


 すると英梨花はビクリと肩を跳ねさせたかと思うと、それまでとは打って変わって俊敏な動きでガバっと布団をかぶり込む。


「英梨花、さん……?」


 突然の行動に驚き、敬語になってしまう翔太。

 布団がもぞもぞと動いたかと思うと、中から恥ずかしそうなか細い声が聞こえてきた。


「あのその顔、寝起き、だらしなくて、さすがに兄さんに見られるの、ちょっと恥ずかしい。えっと、もう起きたから、大丈夫。準備して降りていく」

「あー…………うん、そっか」


 少し慌てた声色で、羞恥を誤魔化す様に矢継ぎ早に喋る英梨花。どうやらやはり、寝起きの顔は見られたくないらしい。

 翔太は申し訳なさそうに謝りつつ、早く外に出ようとドアに手を掛けたところで、ふと思ったことを聞いてみた。



「その、これからこういう時は美桜にするって決める(・・・)か? その、女同士の方がまだいいというか……」


 こうした些細なことの擦り合わせをするためのルール作りなのだから。

 しかし一呼吸の間を置いて返ってきた言葉は、意外なものだった。


「…………別に兄さんで……兄さんがいい」

「そ、そうか」

「兄さんの、バカ……」

「っ」


 最後の拗ねたような呟きが、廊下に出たやけに耳に残り、翔太の胸を掻き乱すのだった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] これは年頃だからと変に遠慮した翔太さんが悪いですね。
[気になる点] う~む、起こしてあげたのに最終的にバカと言われるとは…
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