20.すっごく可愛くね?
夜中に雨が降ったようで、空気は湿り気を帯びて少しひんやりしているが、静かでうららかな陽射しが降り注いでいる。入学式当日は、そんな心地よい朝だった。
翔太は真新しい制服に身を包み、机の上に置いているスマホの画面とにらめっこしながら、初めてのネクタイにあれこれと悪戦苦闘。
「ん……まぁ、これでいいか」
なんとか不格好ながらも形にすると、ちょうどその時リビングの方から「ふぉぉおぉっ!」という美桜の興奮した声が聞こえてきた。
朝っぱらから一体何をやってるのだかと、「はぁ」と呆れたため息を吐く翔太。
妙なことをしでかしてないだろうなと訝し気な表情で階段を降り、リビングのドアノブに手を掛ける。
「おい美桜、朝から何を大声――」
「しょーちゃん!」
「ぁ」
「――っ!」
思わず息を呑み、目を大きく見開く。
そこに居たのは翔太と同様、臙脂色のセーラーブレザーが特徴的な高校の制服に身を包んだ美桜と英梨花。
翔太たちの高校の女子の制服は近隣でも可愛いと有名で、それを目当てに受験する人も多いというがなるほど、今までそうしたことを考えたことは無かったがこれは納得だ。
「ね、ね、見てみてしょーちゃん、えりちゃん見て! すっごく可愛くね?」
しばし呆気に取られていると、美桜は興奮気味にぐいぐいと英梨花の背を押し、翔太の目の前へと持ってくる。
スラリと制服を着こなし、その華やかな赤い髪と綺麗に整った顔立ちは、まるで凛と咲く高嶺の花のよう。
「……どう?」
英梨花が少し不安そうな顔で指先をもじもじさせながら訊ねてくる。
「え、あー……いいんじゃない、かな……」
「そう」
翔太は気恥ずかしさから少々ぶっきらぼうに返事をするも、英梨花は安心したように頬を緩める。その様子はいじらしくも可愛らしく、ドキリと胸が跳ねてしまう。
美桜はそんな翔太の心境も知らず、言葉を続ける。
「やーもー、えりちゃんすっごく似合ってるよね、モデルさんみたい! 背もスラーッてしててさ、昔はあたしの方が背高かったのになぁ。ね、ちなみに今いくつ?」
「ん、164」
「むぅ、あたしが156だから結構違うのも当然か。しょーちゃんも前の測定で175って自慢してたっけ。兄妹揃って背が高いのは遺伝子なんかねー?」
「っ!」
遺伝子。その言葉でギクリとしてしまう。
翔太は咄嗟に話題を変えようと美桜を見て、あることに気付き、眉を寄せた。
「美桜は……それちょっとスカート短くね?」
「あ、やっぱり? めっちゃ足スースーするんだよねー。しゃがむと体勢気を付けないとぱんつ見えちゃうし」
そう言ってケラケラ笑う美桜を見ながら、中学の時の制服姿を思い返す。当時はいつでも膝は隠れるような長さで、野暮ったかった。
それが今は、膝はおろか太ももが眩しく光るほど、下品にならないギリギリまで短くされている。明るく染められふわふわした髪も相まって、まるでクラスのカースト上位に君臨する華やかな女の子そのもの。
なんだか翔太の知っている美桜じゃないみたいで、やけにもやもやしてしまう。
「でもみーちゃん、可愛い」
「わー、ありがとー! いやぁ、実はあたしもちょっとイケてんじゃねって思ってたり。しょーちゃん、どうよ?」
美桜はくるりと回り、後ろで手を組みながら前屈みになって顔を覗き込んできた。
それ自体は今までもよくあったことだがしかし、今の美桜はやけに可愛い女の子へと変貌している。
翔太は咄嗟に赤くなりそうな顔を逸らし、素っ気なく言い放つ。
「ま、馬子にも衣装だな」
「あっはっは、言い得て妙かも! あ、でもそれって一応は似合ってるって褒めてくれている?」
「さぁな」
「素直じゃないなぁ」
「素直な意見を言ってるんだが?」
「もぉ、ああ言えばこう――うん?」
そんな軽口を叩き合っていると、ふいに美桜が眉を寄せた。
一体どうしたかと聞き返すよりも早く、美桜はするりと手を翔太の首へと伸ばしてくる。その際、美桜の髪からふわりと甘い香りが漂って来れば、胸が騒がしくなり動揺してしまうのも仕方がないことだろう。
「お、おい、いきなりなんだよっ」
「ネクタイめちゃくちゃだよ、もぅ!」
有無を言わさず、翔太のネクタイを締めなおす美桜。
その顔は呆れた様子で、翔太は思わずカチンときて唇を尖らせる。
「仕方ないだろう、初めてなんだし」
「事前に練習とかしなかったの?」
「そのうち慣れるだろうって」
「呆れた。せっかくの入学式だってのに――と、これでよし」
「ん……あんがと」
「どういたしまして」
そんな小言を漏らしつつも美桜の手は淀みなく、あっという間に締めなおす。かなり慣れた様子だった。
「器用なもんだな。こんなのどこで覚えたんだ?」
「兄貴。ほら、不器用というかアレだったからさ」
「あぁ」
不思議に思った翔太がそのことについて尋ねると、美桜から返ってきた言葉で互いに苦笑を零す。
翔太にとっても兄貴分にあたる美桜の兄は豪快というか大雑把で、容易にその時の光景が想像できる。
そのことを思い描いていたら、美桜がまじまじとこちらを見ていることに気付く。
「うんうん、しょーちゃんも制服、似合ってるよ」
「そりゃどうも」
「けど、寝癖がひどいからどうにかした方がいいと思うけど」
「っ⁉」
美桜の視線の先へと慌てて手をやれば、ぴょこんと豪快に跳ねている。
その様子を見てにししと笑う美桜に、くすりと微笑む英梨花。
きちんとしている2人にそんな反応をされれば、翔太は美桜の「あ、朝ご飯用意しとくからねー」という言葉を背中に受け、洗面所に駆け込むのだった。